探り合い

あの日は丁度満月だったと思う。この日は高橋蓮の二十歳の誕生日であった。


大学の仲間に誕生日を祝ってもらい嬉しさの余り、ロマンチックに夜空を見上げてみたりしたのだ。家に帰ったら家族も祝ってくれる。自分はどんなに幸せ者なのだと、そして恵まれているのだと感じた。

クリスマスはもちろん、お正月、お盆など高橋家は何かと家族で一緒に過ごす事が多かった。昔付き合っていた彼女にも「家族と仲が良過ぎるのは止めて欲しい」とまで言われた事がある。

『早く帰っておいでね』

友人からサプライズのパーティーがあると伝えた時に母から返信があったのが母とやりとりした最後であった。

そうこの日、人生は大きく狂い始めたのだ。


家の前に着いた時、妙な静けさに妙な胸騒ぎがしたのを今でも覚えている。自宅の門をくぐっても家に明かり一つ見えなかったのを少し不可解に思った。

高橋の父は実は東京支部特捜部に勤めていた刑事であった。その所為もあり高橋家では家の防犯には人一倍に気を使っている。

『いつ狙われてもおかしくないんだぞ』というのが父の口癖で、幼い頃から弟と家に帰ったら必ず全てのドアや窓の鍵を確かめるというのが高橋家の鉄則であった。母も防犯には気を付けなさいと口酸っぱく言っていた。

しかしこの日は何かがおかしかった。玄関の鍵が空いていたのだ。


「ただいま」と声を掛けてみるが家からは物音一つしない。

奇妙な程静まり返った我が家、そして空いている玄関。何かがおかしいと頭の中で声がする。呼吸も速くなり心臓の鼓動が速くなっていき、脈拍を少し落ち着けようと肩から下げていたバッグの紐をぎゅっと握る。生活感の全く無い自宅など恐怖でしかないと初めて気付かされた。

呼吸を大きく付き、汗ばんだ手を握る。静かにリビングへのドアを開けた。


無惨に横たわった死体……..壁にまで飛び散った血液。微かに残る焦げた火薬のような匂い。思い出すのは胃から込み上げてくる胃酸のすっぱさと異常な心臓の鼓動。一瞬何が起こったのか分からなかった。自分の見ている光景が信じられず、これが夢なのかとさえ思った。ドアノブから離した掌を見てみると、手の平一面に血糊がべったりと付いた。真っ赤な手と無惨に殺された家族。

ここから先はあまり覚えていない。



「蓮さん?」

突然掛けられた声に身体がびくりと反応する。資料を腕に抱えた深山がこちらを不安そうに覗き込んでいる。そういえば深山が事件の資料を取りに行ったのだと高橋は思い出した。瞬きを何度か繰り返すと焦点がやっと合ってくるが、まだ頭に靄がかかっている様な感じだ。

「あ、ああ。資料ありがとう」

「いえ….」

瞬きを何度か繰り返すと焦点が合ってくるが、まだ頭に靄がかかっている様な感じだ。谷の死体を見ていたからであろうか、また昔の事を思い出していたようだ。最近あの事件の日の夜の悪夢を見る事が少なくなったがまだ鮮明に思い出す事が出来る。

「大丈夫ですか?疲れているんじゃ……」

「いや、大丈夫だ」

「そうですか、それならいいのですが」

心配する深山に出来るだけ平静を装って返答をするが声が少々裏返る。

高橋は他人に心配されるのが嫌いだ。しれはあの事件があってから顕著になった。人に頼るという事は自分の弱みを握らせる事と同等だと思っている彼は、滅多に人に心を開く事はない。

「そういうお前の方が疲れているんじゃないか?」

「僕ですか?」

「ああ、二日前初めて会った時よりも少し白衣がやつれている」

高橋の洞察力は些細な事も見逃さない。実際アメリカから帰国と同時に一日フルで勤務している深山の方が疲労が溜まっているのは明らかだ。しかし深山は高橋の一言に目を細めた。

「上手く質問を返さないで下さいよ」

「お互い様だろ?」

意図を察知したのか深山がふっと微かに笑いながら言う。

自分の事が探られそうになったら上手く回避する。浅く広くの関係がこの仕事には合っているという事を、深山も十分理解してるらしい。

保身。これがこの世界では重要になってくる。誰も信用するな、いつも誰かが狙っている。これを肝に命じないと刑事は勤まらない。

「では谷広太の検屍結果と私の分析についてお話ししていいでしょうか?」

「ああ、よろしく頼む」

そう言って谷の資料を広げる深山に、先程の子供のような表情はどこかなくなっていた。



「腕の刺傷と頭部と肩部の銃創で分けて考えていきます」

谷の死体の横に別のストレッチャーを持ってくるとそこへ資料をドサリと乗っける。深山の顔はいつもの冷淡なポーカーフェイスに戻っていて如何にも監察医というような風格であった。


「刺傷はご存知の通り、アテーナの象徴である。三日月のマークを模したものだと思われます。血液の凝固状態、血管の組織損傷から考えると死後直後に彫られたものだと思われます」


深山が谷の右腕に彫られた三日月のようなマークの刺し傷を見せる。死体と言えどとても痛々しい。

「死後直後というのは今までの三死体全てに共通する事か?」

「そうですね、笹野、須藤も同じく死後直後に彫られています。アテーナは今までにも組織でいらなくなった人材を殺す際に三日月のマークを彫っていたそうですね」

深山が谷の腕にかかったビニールを剥がしながら質問する。

「ああ、アテーナはこのマークで警察を牽制している。だからと言って捜査をしないとなると警察の意味がない」

「だけど、実際警察でも迂闊に調査で動くと命を狙われかねない....と?」

「ああ、実際今までも何人かの警察官がアテーナに殺されている」

そう言った瞬間、高橋の表情に陰が刺した事に深山は見逃さなかった。

「特捜部からも犠牲者が出てるのですか?」

「ああ、14年前に一人」

「そうですか.....」

そして沈黙。急に二人の間の空気が重くなる。

「さて、銃創に移ろう」

空気を察知したのか努めて明るく言った。

「了解しました」

深山が谷の腕にビニールを被せる。そうしながらも深山は高橋を観察していた。彼の表情が一気に曇った理由が知りたかった。



「銃創は身体が受けた弾丸による創の深さ、形態により大きく分けて5つの形に分けられます」

そう言って深山は大きなファイルから現場で撮った被害者の頭部の銃創とX線写真を取り出す。現場で撮った写真は被害者の頭部にまだ血糊がついていてとても生々しい。

「そういえば、被害者が銃で殺害された時、まず刑事さんはどのような視点で遺体を見るのですか?」

いきなり質問を振られたので驚く。

「そうだな、ますは何発撃たれているか、どの方向から撃たれているか、それと射撃の距離、あと自殺という考えもあるかもしれないから自他判断、そして使用された銃器の種類。こんなところかな」

「素晴らしい観察力ですね。完璧です」

深山の冷静な表情に少し満足した色が加わる。いつも現場で行なっている事を述べただけなのだが…..深山は今の質問をこちらの力量を測ろうとしているのか、それとも全く裏の意図なしでしたのか今の彼の表情からは読み取れない。

解剖室で撮ったと思われる谷の銃創の拡大写真を深山がファイルから取り出す。銃創は熱でケロイド状になっており、皮膚は大きくえぐられている。ぽっかりと銃弾によって空いた穴から何か出て来そうだ。

「まず検屍では銃創の形態を調べます」

そう言って取り出したのは5枚のスライド写真。どれも現場の写真であるがこれは銃創を分かりやすくする為の見本写真のようだ。

「これは貫通射創と言って、反対に人体に銃弾が留まっているのを盲管銃創と言います。谷の場合は貫通銃創で前頭葉から後頂葉左側に向かって銃弾が貫通していましたので貫通射創に当ります」

深山がゴム手袋を装着し、谷の頭を持つとぐるりと回転させた。

「見えますか?ここから銃弾が出ているんです」

見本の写真と谷の実際の銃創を見比べる。確かに貫通射創の見本と似ているが….

「刺傷の刺器が細い棒だった時の傷と少し似てるな」

「やはり蓮さんの観察力と記憶力は凄いですね」

そういうと深山がファイルからまた他のスライドを取り出す。今度は刺傷と書かれているが、自分には先程の銃創と全く区別がつかない。

「実は銃が被害者から近距離で撃たれた場合、射入口、つまり傷口に円形の火傷が生じる事があるんです。また銃の火薬による汚物輪が生じ、挫滅創と言われる皮膚が円形型に現れる場合があり、これと凶器が細い棒などによる物ですと皮膚の表皮剥脱の形状が似たようになる事から区別が難しいんです」

「お前でも区別が難しいのか?」

正直な質問に深山が苦笑しながら答える。

「私は銃社会のアメリカで何件も銃による殺害の検屍を行なって来ましたから、さすがに区別は付きますよ」

ただ少し難しいっていうだけです、そう言いながら深山は奥の部屋に案内する。

「ここは?」

「僕の研究ラボです」

案内されたのは解剖室の奥にある別部屋。書類が重なっている机と研究用の大きな白いテーブルがあるだけで他は何もない。

「ちょっと待ってて下さい」

ゴム手袋をバイオハザードマークの付いたゴミ箱に入れると深山は奥の倉庫のような場所に入って行った。

部屋は真っ白な壁で覆われていて何も汚れがなく、開放感がある。一人で使うには広すぎる程だ。もしかしたら特捜のラボよりも広いかもしれない。

研究用のテーブルの近くに行って見ると試験管やビーカーがキレイに並べられている。死体が寝ている場所の隣でよく研究が出来るなと思うが彼はもう慣れているのだろう。部屋の隅にある机を見てみると、ここ最近の連続殺人に関する資料が名前順にきちんと整理されている。自分の荒れた机とは比べ物にならない綺麗さだ。パソコンはディスプレイが二つあり、一つは縦に長い。医療の現場でもやMRIの画像診断を行なう際に使われている用のディスプレイだろう。

彼は几帳面なのだろうか。こちらも新品同様綺麗である。


「お待たせしました」

そう言って深山が部屋から出て来た。何か大きいものを担いでいる。

「何持ってるんだ?」

「ちょっと研究材料を」

「お前!!それ本物か?」

「ええ、武器庫の方で貸し出してくれました」

深山が持って来たのは人体模型と日本の警察含め、東京支部でも貸与している本物の銃であった。

「これで実験したいと思います。蓮さんも手伝って下さい」

唖然としている高橋を横目に、深山はシリコン製の人間模型を着々と部屋の端に置く。深山は銃に弾を装備すると床に書かれた目印の位置に立った。


「さて、蓮さん。銃創の射入口には接射、近射、遠射があるのをご存知ですか?」

「い、いや….」

深山が何をしたいのか分からない高橋は淡々と質問する深山に不信感を募らせる。そもそも銃を借りてくる事など出来るのか?こいつはやっぱりおかしいんじゃないか?そんな内なる声が警告してくる。

「このラインはあの人体模型まで50cmとなっています。この日本の警察で多く使われている38口径拳銃ですがこの拳銃の場合は50cm以上が遠射となるんです」

「50cmか….結構近いな」

「そうですね、でも構えている人から50cmなのではなく、あくまで銃口から50cmなのでこの距離だと適切なのです」

そう言うと深山は高橋を手招きする。そして何の前触れもなく銃を渡して来た。ずっしりとした重みがかかる。

「実際にこの模型に撃って下さい」

「はあ??」

深山の言葉が信じられず思わず声が裏返ってしまった。条件反射的に渡された銃を手にしてしまったが、ここで銃を撃つつもりはない。安全装置をロックされている事を確認し深山に向き直る。

「お前は馬鹿か?こんな所で銃をぶっぱなしたらセキュリティーが反応して支部内が大騒ぎだ」

当の深山は何がおかしいのかと言いたげだ。高橋に強い口調で言われても深山は全く動じる事なく涼しい表情をしている。

「この部屋は地下の射撃場と同じ防音と安全構造を保っているんです。セキュリティーも今は解除してますから大丈夫ですよ。捜査の進展の為ですよ?」

「しかし検証の為だけに銃を発砲していいのか?」

「実は神田さんには既に許可を取ってるんです」

「何だって…..」

自分が知らない内に裏では様々な事が進んでいたらしい。

何故セキュリティーが解除されているのか、何故神田が了承しているのか、本当に発砲しても安全なのか色々聞きたい事があるが、確かに深山の言う通り今は捜査の進展が最優先だ。この人体模型に出来た銃創と谷の銃創を比べれば何か分かるかもしれない。

「本当に大丈夫なんだろうな?」

「ええ、高橋さんには50cm未満の近射と50cm以上離れた場合の遠射の二回撃ってもらいたいんです」

「そもそもお前がやればいいだろう……」

「僕は銃が苦手なんです」

そう言いながら淡々と高橋に鼓膜を守る為のヘッドホンを渡す。深山はヘッドホンを付けると部屋の隅の方に既に避難していた。どこまでも人を操るのが上手い奴だ。

「いやな奴…..」

ぼそりと呟いた言葉は既にヘッドホンをしている深山には聞こえていない。

実際深山は頭がキレる。性格は別として相棒としてどこまで捜査に貢献してくれるか分からないが、これからに期待したいとも思う。多少の我が儘はリーダーとして我慢すべきなのだろう。

まず現場に出る者として銃が撃てない事は大問題だが…


「2発撃つから離れてろ」

そう言って安全装置を外すと肩の力を抜いて照準を定める。深山は口にはしなかったが、多分検証に使うのなら谷の遺体と同じように頭蓋に2発当てて欲しいはずだ。的は小さいが動かない標的は狙いやすい。実際射撃の腕前は警察学校時代首席であった。

「お願いだからセキュリティー反応しないでくれよ」

大きく息を吐くと高橋は2度トリガーを引いた。


反動を抑制しようと働いた尺骨筋がビリビリと震えている。部屋の中には火薬の匂いが充満している。幸い警報は作動していないようだ。深山の言った通りここはセキュリティーが甘いのかもしれない。安全装置がきちんとロックされている事を確信していると深山が模型の方に近寄って来た。

「頭に2発さすがです。しかも検証しやすいように的をずらしてくれたんですね」

「たまたまだ」

シリコン製の模型の銃痕は貫通射創になっているようだ。深山がシリコンの模型と後ろの壁にめり込んだ銃弾を見比べる。模型の表面を見てみると確かに先程深山が言っていたように50cm未満の近射では火傷や円形の挫滅創などの確認が出来るが、初め撃った方の遠射の方ではそれらが見られなかった。

「これ見て下さい」

深山が指を指したのは模型の射入口の皮膚の剥離部分であった。

「これが例の挫滅創ってやつか?」

「そうです。先程は言及するのを忘れていたのですが射入口の形状は銃弾のしよう種類や火薬の使用量によっても変化するんです」

そう言うと深山はまたファイルからある写真を取り出した。右下に「射入口C0~C4」と書かれている。

「この番号はなんだ?」

「銃の使用された弾丸の種類はC0からC4と呼ばれる分類で判明する事が出来るんです」

「つまり銃を特定……」

最後まで言い終わらないうちに高橋は口を噤む。

気付いてしまった。深山がここで何を高橋に示したかったか。何故高橋に銃を撃たせたかったか。

「銃創を調べるには実際に使われたと思われる銃を使用するのがいいんですよ」

「お前が言いたい事はこれだったんだな」

「ええ、そうです」

深山は手を伸ばすと深山を睨む高橋から銃を奪う。一瞬のうちに片手でスライドを引くと中に入っている残りの銃弾と薬莢を取り、マガジンを取り出す。銃を手入れする時と同様にバラバラに分解して机に置いた。この動作をこんま数秒でやってのけたのだ。

「お前……」

自分は深山の口車にまんまと乗り、彼の手の平で操られていたのだ。もちろん銃が撃てないなど嘘だ。いや、もしかしたら自分より手慣れているかもしれない。本当に嫌な奴だこいつは。

「警察に犯人がいると?」

「さすが蓮さん。察してくれましたね。その通りです」

「ばかばかしい」

こいつは自分をバカにしている。操って思い通りにボロを出すのを面白がって見ているのだ。怒りに肩を振わせ、高橋は部屋から出ようとする。すると深山が後ろから声を掛けてきた。

「もう一つ言い忘れた事が」

「なんだ?」

「射入角から判断すると犯人は左利きなんです。あなたと同じように」

深山に先程の子供のような笑みが戻っていた。

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