深山真也という男

東京支部地下3階。ここは支部社員全員が来るのを嫌がる所である。

陰湿、暗い、死体が放置されている、幽霊が出るなどその他変な噂が後を絶たないため、東京支部では「魔窟」と呼ばれている。しかし優秀な科学者、医師が集まって構成されている正真正銘東京支部科学捜査班のラボである。

地下に向かうエレベーターの中で高橋はたった今上司の神田から聞かされた話を思い返していた。


『実は先月から科学ラボに新入りが来たそうだ。何でもT大医学部医学科卒、アメリカのスタンフォード大で法医学の博士号を取得し、2ヶ月前に帰国したらしい。今回の事件の鑑定鑑識で日本の鑑識について勉強してもらってから実践に入ってもらおうとしていたんだが、何せ優秀での見込みが桁違いに早いらしい。そこで今回の連続殺人事件から補佐として担当してもらってる』

そいつに会いに行ってチームに参加させて欲しい。

それが絶対的上司神田の命令だった。

東京支部の特捜部は所謂警察界の花形である。その分、特捜のチームに入りたがる者は後を経たない。一方科学捜査班も特捜と同じくらい人気の高い班だ。特捜並みに入社基準が厳しく、少なくとも修士課程を修了させていなくてはならない。そして科学班の特に検死官などは医学部を卒業し博士号を取得していないと試験を受けさせてもらえないとまで聞いた事がある。

そこにアメリカ帰りの男をヘッドハンティングしたと言う。神田が言うくらいならかなりの優秀な奴なのだろう。


優秀での見込みが早い…

今の自分には邪魔なようにも思えた。


エレベーターで地下に降りる。科学捜査部のラボに来るのは何年振りだろうか。IDカードを通しバイオハザードマークの付いた自動ドアをくぐると、独特の匂いが鼻につく。消毒の匂い、エタノールの匂い。何かが焼ける匂いもする。

白衣を着た研究員が殆どな為、黒の上下のスーツの自分は嫌でも目立つ。通りすがる研究員は皆まず高橋の顔を見た後、胸に付いているIDのパスに目を向ける。特別捜査班と科学捜査班が一緒に捜査をする事はさほど珍しくは無いのだが、ここ最近連続犯罪が起こるようになり忙しさの為か、ここと23階の特捜のラボを行き来する事もあまり無くなった。また「科学捜査班はヤバい研究を行っている」「化学兵器を作ってるらしい」など変な噂が流れるようになってから、この東京支部内の科学捜査班への風当たりは強くなっていった。バカバカしいと思いつつも、どこかで科学捜査班は皆マッドサイエンティストだの、死体が好きな性癖を持っているという噂に高橋自身も偏見を持ってしまっているのも事実である。


神田曰く今会いに行く奴も死体安置所ならぬ検死室に籠り切りらしい。つまり死体の専門家だ。

いくつもの陽圧管理室の自動ドアを越え、長い廊下を進む度に消毒の様なつんと鼻にくる匂いも段々慣れて来た。高橋は真っ白な廊下を奥へと進んで行った。



フロアの奥に進む程人研究員の姿が見えなくなってくる。何となく空気が重いのは気のせいだろうか。一番奥にあるひっそりと佇む部屋。ここが死体安置所であり、検死解剖を行なう「解剖室」である。いつもは解剖の結果を地下の科学ラボから特捜の捜査部のラボまで電話やメールで連絡を取る為、ここに来る必要がないのでここに入るのは初めてであった。

「解剖室」と書かれた扉の前まで来ると、この扉が異世界へと続いている様な不気味な感覚に襲われる。大きな息を一つつくと高橋は扉の隣にIDカードをスラッシュさせた。


部屋に入るとつんと鼻をつく匂いがする。ホルマリンだろうか。壁は全て白で統一されていて、奥の壁には一面充アルミで出来た小さな扉が付いている。これが死体を入れて保管しておく物なのだろうと気付くのに時間は掛からなかった。床は全てタイル張りであり、血液などが付着してもすぐに洗い流せるようになっている。部屋の真ん中には何台ものストレッチャーが並んでおり、ここに死体を置いて解剖するのだと思うと背中に嫌な汗が伝った。歩く度にコツコツという靴音が部屋内に響く。


検死室には一人の青年が立っており、ある死体の作業中であった。後ろだけ見た限りだとかなり身長が高い上に若そうだ。

「あいつか......」

彼は自分が入って来た事に気付いていないようである。周りにはありとあらゆる物騒な器具が置かれていて中にはノコギリや錐みたいな物もあり、それをどうやって使うか想像しただけで顔が引き攣る。

緊張している素振りを出来るだけ見せないよう努力しながら高橋は青年に声を掛けた。


「作業中すまない。特捜部から来た高橋だ。科学捜査部の新人は君か?」

カチャンと器具を置く音がして男が振り返った。若い、というのが高橋の第一印象であった。

「あ、すみません、気付かなくて」

そう言いながら男は血まみれのエプロンを取ると最後にマスクを外した。182cmある高橋と同じくらい背が高い。最後に血の付いたゴム手袋を上手く手に付かないように外すと手をこちらに差し伸べて来た。

「初めまして、検死医の深山真也です」

「こちらこそ、初めまして。特別捜査部チームリーダーを務めている高橋蓮です」

ぎこちない握手をしながら深山を観察した。メガネをし如何にもエリートのような造形美をする所謂好青年のようだ。すっと切れ長だけれども大きな二重は美形と言われるのだろう。

ただ白衣を着ているからだろうか、それともこの「解剖室」という場所だからだろうか。青年は血の気が無くて冷たい印象を受ける。切れ長な瞳がこちらをじっとみている。アメリカ帰りのエリートに様は自分がどう映っているのか。

「今回の連続殺人事件に関して科学捜査班の君と合同捜査チームを立ち上げる事となった。話は神田チーフから聞いていると思うが、申し訳ないが君に拒否権は無い」

手に持っていた書類を近くにあったステンレスの棚の上に置く。深山はそちらに目線を映しながらも書類に目を向けるが触る事はない。

「業務が増えるのは大変ですが、特捜部から直々の依頼だなんて嬉しいです」

そう無垢な笑顔を見せる彼を見ると年相応な青年にも見える。経歴を見ると高橋と深山は同い年であった。経歴を見る限りは親近感が湧いたが、実際会ってみると自分達は180度違うような印象しか受けない。しかし神田のお墨付きの検死官ならかなり頭はキレるのだろう。そんな評価をしつつも高橋は伝えるべき事項を淡々と話していく。

「これが契約書類だ。今回の連続殺人事件は未だ確固たる証拠が集まってない故、科学班の協力を仰ぎたいと思っている。情報は支部のカルテで共有するようにしてくれ。パスワード、IDナンバーはこの書類に書いてある」

「わざわざありがとうございます」

冷静沈着というよりも平然としている深山に多少なりの危機感を抱く。不思議な奴だ。この部屋に来てから時間もあまり過ぎていないのにも関わらず、既に深山にそのような印象を持っていた。

「誓約書にサインしなくても特捜さんの依頼なら断らないんですけどね」

ふふと笑う彼は頭が良さそうとかイケメンだとかそういう有り触れた感じではなく、ただ偽の笑みにしか見えない。そして何となく「自分と同じ」人間の匂いがしたのだ。何か闇を抱えている様な、心の奥底に何か抱えている様な印象が離れない。その偽の笑顔の裏に何を隠しているのか。少し暴いてみたいとも思った

「じゃあ宜しく頼む。本日分かった事はカルテに書いて転送しておいてくれ」

「分かりました。宜しくお願いします」

こんな部屋に長居したくないと思った高橋は残りの書類を部屋の片隅に置くと踵を返し、解剖室を後にした。





高橋が部屋を後にしてから深山は薄暗い解剖室で彼が置いていった資料を眺めていた。

全ての資料が研究し尽くされている。やはり特捜のダークホース高橋の名は噂だけじゃないようだ。


「さてこれからですよ、高橋蓮さん」


深山が解剖室で一人ほくそ笑んでいる事を高橋は知る由もなかった。

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