TWO FACE

倒れた神田に走り寄る。彼の周りは血の海のようで。かつて見たあの光景がフラッシュバックする。血、血、血。

その場に膝をつき、神田を抱える。しかし彼はもう息をしていなかった。

「どうして…..」

不意に出た言葉に涙が溢れる。どうして。


今目の前で一瞬のうちに起こった事に脳内がパンクする。呼吸が荒くなり、自分が血の海で一人座っている事が異様に思えてくる。赤で染まる手の平。

ドクドクと鳴る自分の鼓動の音だけが耳のすぐ側で鳴っている。

深山の方を見ると彼の右手には拳銃が握られ、後ろで縛られていたはずのバンドは既に取り外されていた。自分を痛めつけていた男がこちらを見て微笑む。何故二人は隣にいるのか。

「さてと….」

深山がゆっくりとこちらに歩いてくる。酸素足りない脳でも彼がいつもの深山と違う事は充分に把握出来た。

「いつか気付かれると思っていたのですが、少し貴方の力量を買い被りしていたようです」

聞き慣れた。いや、聞き慣れたはずの深山の声が倉庫に響く。

「貴方の父親の方が、刑事の勘は鋭かったかもしれないですね」

その言葉に無意識のうちに深山に飛びかかる。どこからこんな力が湧いてくるのが自分でも疑問だ。彼めがけて殴り掛かる。が、深山が脇に瞬時に回ると一瞬の内に逆手を取られる。

「甘い」

腕を後ろ手に拘束しながら高橋を床に叩き付けた。

「ぐっっ!」

床に身体を叩き付けられ思わす声が漏れる。肋骨が痛みで悲鳴を上げる。「駐車場でのお返しです」

頭を握られたかと思いきや、ガンと床に思いっきり叩き付けられる。

世界が回り気持ちが悪い。遠くに息絶えた神田が見える。倒れている上司を見ていると涙が出そうになった。


深山が目の前に来ると、倒れている自分を上から見下ろす。

怒りが収まらない。悔しさが込み上げてくる。今すぐこいつの顔を殴りたい。そう心では思っているものの痛みで立ち上がる事も出来ない。

「あなたには感謝もしています。邪魔だった幹部を殺害してくれた事も。アテーナの便宜上のボスだった私の父を殺してくれた事も」

父親だと……。浮かんだのは病床の中山。頭の中が一瞬で真っ白になる。

「中山燈也は、実の息子に対して何も言ってませんでしたか?それとも彼の親友だった貴方の父親の話しかしなかったかもしれませんね」

「まさか…..」

深山の言葉に息を呑む。

中山が言っていた。自分は便宜上のボスなのだと。実権を握ってい者は他にいるのだと。そして父と一緒の年に息子が生まれたとも…….

深山がアテーナのボスで、14年前家族を殺し、そして新藤を殺した。

「そんな……」

何もかも一致した気がした。


自分は深山の手の上で踊らされていただけだったのだ。彼は何もかも知っていた。荒い呼吸をしながら元相棒を睨む。

そんな高橋の思いを表情から察知したのか深山が口を開く。

「始めから何もかも知っていた訳ではないんですよ。やはり、元幹部が二人も殺されたら組織は動かないといけません。東京支部に潜入捜査をし、犯人を見つけ次第殺害しようと思っていたのですが…..」

言葉を切ると深山が少し微笑む。

「思いもかけず、面白い方を見つけましてね」

高橋の周りを歩きながら深山は楽しそうに話す。彼の取り巻く従順な部下は、銃を高橋に向け、不穏な動きがあればすぐに対処出来るように構えていた。

「まず笹本、須藤、谷の死体は全て頭部を撃たれ殺されていましたが、全て脳幹を貫通していました。脳幹を狙えば致命傷だと気付いている時点で犯罪に特化した人物だと判定出来ます。そして蓮さんに射撃をしてもらった事がありましたね?あれもレプリカを使用したのですが、丁度脳幹辺りを二発当てていたのです」

高橋の脳裏には深山の研究室で銃を撃たされた記憶が蘇る。自分の浅はかな行動に悔しさが滲み出て、思わず下唇を噛み締める。

「そして銃の火薬量から警察で使用されている銃だと断定し、犯人は左利きであったという事は先日お話しした通りです。そして東京支部では削除されていたアテーナにある膨大な犯罪記録や、裁判記録から殺害された事件に関与している被害者を洗い出し、あなただと断定するのには、さほど時間はかからなかった」

きちんと着こなしたスーツのポケットに片手を入れ、片方で銃を握る深山。彼はこうやって高橋と対峙する日を東京支部に潜入した時から夢見てきたのだろう。彼の笑みはそれを語っていた。

「谷の時点で俺が犯人だと分かってて、何故俺に三島と中山を殺させたんだ」

「三島は言うなれば囮です。次にあなたは三島を殺すだろうとは予想出来た。しかしこちらとしては予想外な出来事が起こりましてね」

そう言って深山は成り果てた神田の遺体を横目で見る。

なるほど。神田と新藤の内部調査は彼等にとっては予想外だったという事か。

「神田と新藤に俺の犯行を邪魔されると、不要な元幹部を自らの手を汚さずに消せなくなるって事か」

「そうです。しかもあなたは殺害した遺体の腕にアテーナのマークである三日月の模様を彫りましたね。それによって須藤、谷が私達の犯行だと思い、内部に攻撃を仕掛けてくる可能性がありました。早いうちに消して欲しかったのです」

自分が仕掛けたアテーナだと思わせる細工は全て深山によって裏を掛かれていた。そして今までの事件は、全て深山の自己的な欲求を叶えるだけの為の寸劇だったという事か。

「あの不自然な時間に見つかったUSBもお前の仕業か。あれで新藤を釣って殺したんだな」

自分達が帰った後に見つかったとされていたUSB。車の下にあったというが余りにも不自然だと思っていた。そして脳裏に過るのは、三島の事故現場でブルーシートから出た時に見た、深山と新藤が話していた場面。あの時既に…..

「新藤さんと神田さんが二人で極秘捜査をしているという決定的事実が欲しかったのです。三島の現場で新藤さんに盗聴器を付け彼を追っていました。ちなみに彼に資料室のマスターキーを渡したのも私です」

「何だって…..」


自分がのうのうとアテーナのボスであり、自分の家族を殺害した男とと食事をしている時、深山の部下は新藤を追い、神田との接触の現場を押さえようとしていたという事か。自分はどれだけ愚盲だったのだろう。愚かさに自己嫌悪する。

「思いもかけずあの日は貴方と一緒に食事に行きましたからね。部下が上手くやっているか内心冷や冷やしていたのです」

「新藤と神田が極秘で捜査していると知って新藤を拉致したわけか」

「それだけではありません。USBには貴方の過去の情報だけではなく、私がアテーナを指揮しているという情報も入れておいたのです」

何故自分の機密情報まで…..

そう口にしようと思ったが、深山の考えがすぐに分かった。

全てを知って途方に暮れる新藤を意のままに操り殺害する。こいつはそんなゲームを楽しんでいたのだ。

「全て新藤に教え、それを神田に伝えようとした時に新藤を拉致したという訳か。そしてあの爆発と共に資料室にあるアテーナの記録もろとも新藤を消した….」

思い出すのは新藤からの電話があった時、深山が映像を操作していた記憶。一度映像が切れた事があった。

「あの時ラボで映像を操作していたのはお前だったな。ここにいる男が映っていたのは過去の映像だろう。そして志摩にも気付かれる事無く過去の映像を見させ、捜査員と突入部隊をわざと地下に向かわせた。多くの犠牲を出す為に」

深山が目を細める。自分の考えが分かる高橋の思考回路を面白がっているようだ。

「やはり貴方は私が見込んだ方だったようだ。新藤さんに全てを教えたのは冥途の土産とも言うべきでしょうか。ここまで真相に迫れたのならご褒美をあげようという私の心意気です。そしてわざと資料庫に向かわせたのも貴方の仰る通り、映像で今地下に犯人がいると見せかけ、捜査員を誘き出す為です」

そう言って笑みを浮かべる深山に怒りが込み上げてくる。

最低だこいつは。人を操って嘲笑っている。自分の思い通りに動かし、最後には築き上げてきた相手の信頼を崩す。それで快感を得ているのだ。

現に操られていたのは自分だけではなく、新藤も神田も、そして父も。

拳を握り、気付かなかった事への悔しさで奥歯を噛み締める。


「お前は実の父親が死んでも何も思わないのか」

脳裏に病床の中山燈也が映る。彼は知っていたのだ。息子が特捜部に潜入し自分を殺害しに来た男の元に就いていると。そして彼が本当のアテーナの指揮者であり、自分の陰に隠れて長年知られていなかった実権者だと自分に教えようとした。

「私の父はあなたの父を殺せないと判断した頃から、アテーナの真の意味でのアテーナのメンバーから除外された。あなたの父はね、気付いていたんです。私が実権を握っている中山の息子だと」

なんだって。目の前が真っ暗になる。

中山が言っていた。彼は殺せなかったと。

そして父は14年も前から深山がアテーナの指導者だと気付いていたのだ。中山が言ってた通り、事実を掴んでいた父は幹部によって殺害された。その首謀者が目の前にいる。

「驚きましたよ。私の所属する医学部の授業に潜り込んでいたのですから」

周囲を歩きながら時折深山は仰向けに倒れている高橋を見る。

「私の父は最後まであなたの父親を殺す事を反対した。親友だったそうですからね。しかし私の仮面が剥がれては困ります」

ーだから殺したんです。あの夜―

深山の顔には不気味な冷笑が浮かんでいた。


血だまりで倒れている弟と母。そしてキッチンの近くで仰向けに死んでいた父。あの時の記憶が蘇る。

全て目の前の男のせいだった。あの日から自分の人生は狂い始めた。難関をくぐり抜け東京支部特捜部に入ったのも全てこの忌々しい事件の真相を掴む為だ。今まで築き上げてきた人生は全てあの事件の為であった。それなのに。

新藤も神田も自分も、相棒だと信じていた男の手の平でサイコロのように転がされていただけだったのだ。

大きく深呼吸をし、精神を落ち着ける。そうでないと涙が溢れてしまいそうだった。


「仮面を付けているのは貴方だけではなかったのですよ、蓮さん」

深山が指を鳴らし合図をする。するとあのリーダー格の男が深山の元へ歩み寄る。アタッシュケースを開くと深山に中身を渡す。

「TWO FACE。僕はアテーナでそう呼ばれているんです」

深山が握っているのは一本の注射器。アンプルを片手で割ると慣れた手先で薬剤を注射器に注入していく。

「知ってますか? 有名なキャラクターらしいんです。元州検事だったんですが、恋人を殺された事で殺人になってしまった悲しい悪役らしいんですよ」

部下が勝手に付けたんですけどね、と言いながらも注射器がどんどんアンプルから薬剤を吸い上げて行く。

嫌な予感しかしない。

「僕がアテーナのボスでありながら、監察医という犯罪を解明していく仕事をしていた事からこの名前が付いたらしいのです。しかし貴方の方がこの名前が適切な気もしますね。刑事と殺人鬼。二つの顔を持つ男」

深山が注射器の針の部分を上に向け、空気を抜く。妙に手慣れているのを見ると、この冷血な男が医者だという事を思い出させる。資料室が爆破された時、誰よりも早く仲間の救出に向かった深山。それは全て偽りの姿だったのだ。

全て吸い終わった注射器を持ちながら、深山が高橋を一瞥する。

「闇を覗こうとする時、闇もまた君を見ている」

深山がぽつりと口にする。

謎の液体の入った注射器を片手にこちらに近づいてくる彼は恐怖でしかない。逃げようとすると3人係で部下が床に身体を押さえつける。

「かの有名な江戸川乱歩の言葉ですが、貴方は自分だけが闇を見ていると思っていたみたいですね」

「やめろ!」

「自分だけが闇に染まっていると暗すぎて周りが見えなくなってしまう。貴方の欠点はそこでしょうか」

上に乗っている男が無理矢理シャツの腕を捲り上げ、上腕を露にする。力の限り抗おうと必死になるが、男三人に怪我をしている自分では全く勝ち目がない。ひたりと深山の指が上腕の静脈を探る。先程の謎の薬剤と注射器が目に浮かぶ。

拘束されている腕を振り払おうとするが、がっしりと押さえつけられている腕はびくともしない。

「3人も殺して、自分が死ぬ時は怖いのか?」

深山の恐ろしい程冷ややかな声が背後からした。

腕にちくりとした痛みを感じる。もう抵抗はしなかった。

注射針が抜かれる感覚がした。何を注入されたか分からない。


もういっその事、楽になれればいい。そんな事を思う。

脳裏に浮かぶのは家族。そしてチームのメンバー。自分を慕ってくれていた新藤。特捜部を引っ張ってくれ、自分をここまで支えてくれた神田。同期であり一緒に捜査ををし、心強い味方だった志摩。

「深山、最後に言っておく」

床に這いつくばりながら、空の注射器と片手にこちらを見下ろしてくる深山を睨む。

「お前を絶対逮捕してやる。そして正式な法の元でお前を裁く」

深山が眼鏡を片手で外すと目を細める。

「法の元で裁くなど、貴方らしからぬ言葉ですね。殺してやる、くらい言ってもいいんですよ?」

「殺したら今までと同じだ。いつかアテーナを潰してやる。お前もお前の部下も全員」

深山に笑みが消えた。

急に頭が重くなる。先程注射された薬剤が効いてきたのかもしれない。

「致死性の薬剤を注入されたのに、自分は生き残って僕を捕まえると?」

深山がくすりと笑う。しかし高橋は気付いてた。深山の目は全く笑っていない。

「お前は俺を殺さない」

高橋には確信があった。深山は自分を殺さないと。

深山が再び目を細める。

「お前は人の堕ちていく様や堕落していく様子を見るのが好きだ。いつも第三者の目線で人がもがき苦しんでいるのを見て、自分がそれに手を加える事でクライマックスを迎えさせる。それを見ているのがお前の快楽なのだろう。だから新藤にもわざと自分の素性を明かし、全てを知らせた上で殺した。だからここで俺を生かし、この後特捜部であり殺人犯として元相棒を追って行く様を見ていたいと思っているはずだ」

深山が高橋をじっと見つめる。

いつも表情を崩さない彼の目には、相手に対する好奇心と、生まれて初めて味わう『見透かされている』という恐怖心が浮かんでいた。

「そしてお前は深山真也を捜させる新たなゲーム作り出す。 注射されたのも鎮静剤か何かだろう。そして自分が起きた時、絶望するであろう様子を想像し楽しむのだ。お前はそういう男だ」

二人が見つめ合う。彼等は分かっていた。自分達はある意味似た者同士だ。自分の興味、正義を貫く為に何を犠牲にしてもやり遂げようとする意志はベクトルは違えども似ていた。

深山がふふと笑う。初めて見る悲しげな笑いだった。

「やっぱり。僕達は違う場所で出会えていたら親友になれたかもしれない」

口角を上げて深山が微笑む。その表情に彼が今まで過ごしてきた寂しさや孤独が垣間見えた気がした。

そろそろタイムアウトかもしれない。段々と脳に酸素が行かなくなり、頭がぼうっとしてきた。視界が覚束無くなり、深山や周りで自分を囲っている男達の輪郭もぼやけてくる。

「蓮さん、貴方が言う通り、僕は君を殺さない」

深山が男達に合図すると男達が倉庫の裏口から出て行った。既に逃げ道が用意されているのだろうと靄のかかる頭で思う。

力が全く入らず、自分の呼吸音が異常に大きく聞こえる。深山の声が遠くで話しているかのようにぼんやり聞こえる。

「だからこれからも信念を曲げず、貴方の正義を貫いて欲しい」

倉庫内に深山の声が響く。声が震えているように感じるのは気のせいだろうか。

「僕はいつでも君を待っている。貴方が僕を正式な法の元で裁くまで」

口を開こうにも力が入らない。いよいよ意識が遠くなり、深山の声も聞こえなくなる。

「深山……待ってろ」

深山にこの声が届いたのかどうか分からない。ただ言える事は、二人の人生は再び交差した事だけ。

昔父親同士が親友であったように、二人も別の場所で会っていれば何かが違ったかもしれない。

深山が去って行く。バタンと倉庫の扉が閉まる音がした。


仮面を付けた者同士、二人は別れた。

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