願い

病室から出ると看護師と廊下ではち合わせた。黒いコートを羽り、スーツ姿だったせいか、中山の仕事の部下か何かだと思ったのだろう。会釈だけすると高橋には注意を払う事なく業務に戻っていった。外の騒動はやはり深山達のようだが、少し様子が変だ。廊下の窓から見ると武装用のバンはあるが確認出来たのは捜査官数名と深山と志摩だけであった。あまりにも軽装な警備に舐められたものだと苦笑する。

エレベーターホールに到着した。まだ追っ手は来ていないようだ。がアテーナの組員もこちらに向かっている可能性がある今、エレベーターを使用するのは危険だ。高橋は非常階段からの脱出を試みる為、扉を開けようとした瞬間、後ろでエレベーター開く。そこから出て来た男3人を見た瞬間、高橋と目が合った。

「あいつだ!」

アテーナの組員だ。素早く扉を開け階段を駆け下りていく。ワンフロア降りる前に非常ドアが開く音がした。追っ手は三人か。

全速力で螺旋階段を下って行く。すると突然パンッと乾いた音がする。同時に腕に焼けるような激痛が走る。

「っつ!?」

腕を見てみると出血している。どうやら上階から撃たれたようだ。奴等が階段を勢いよく降りてくる音がする。このままでは捕まる。

ジャケッド内のホルスターから銃を抜き、階段越しにアテーナの組員がいると思われる所へ一発撃つ。ガンッと金属にぶつかる音がし、「銃を持ってるぞ」と仲間に伝える男の声が非常階段内で反響する。腕が焼けるように痛む。痛みを堪えながら懸命に地上へ降りる為に階段を駆け下りていく。2階まで来た所で再び非常階段が開く音がした。今度は一階から誰かが侵入を試みているらしい。ダメだ。八方塞がりだ。すると下階から聞き慣れた声がした。

「私が先頭を切ります」

深山だ。深山を含むチームは5階まで非常階段から侵入を試みようとしているらしい。彼等はまだアテーナの仲間がこの建物内にいて、しかも銃を持って自分を追っているなど知らないだろう。もし見つかったら銃撃戦になるのは避けられない。

(どうする…..)

時間が無い。頭をフルに回転させる。

(また部下を犠牲にするのか?)

頭の中で声が木霊する。

「くそっ!」

上からはアテーナが下からは深山達が追って来ている。痛みが無くなり腕の感覚がいよいよ無くなってきた。これ以上運ぶのは無理だと判断し、アタッシュケースとコートを投げ捨てるように地面に置く。アテーナはすぐそばまで迫っており、深山達は3フロア下にいる。自分を追うアテーナの組織と深山率いる部隊が接触する事は免れない。

(これしかない)

高橋は階段の手すりから身体を乗り出すと、一階にいるであろう深山達を威嚇する為に階段の手すりに向かって銃を撃った。ガンッと再び大きな音がし、深山から「襲撃だ!」との声が上がる。「一端引こう!」と声を張っているのは志摩だ。

深山達が引いた事でアテーナの奴等がここまで来る前に、深山達と接触する事は避けられそうだ。あとは自分の身を守るためどこかに隠れなければ。アテーナの奴等を2階に誘き寄せ、2階で彼等を振り払い、この病棟から脱出するというのが高橋の作戦であった。痛みを堪えつつ渾身の力を振り絞ると、2階に通じる非常階段の扉を開け中に入った。


2階は1階のロビーから吹き抜けになっており、日中はここはカンファレンスルームや患者の応接間として使われている。今はフロア全体が真っ暗で、足下の間接照明と非常口の明かりしか付いていない。暗闇の中、南側を目指す為に連絡通路を駆け抜ける。東京支部の物であろう、ガラス張りの窓から黒塗りのバンが停めてあるのが確認出来る。腕からの血痕を床に落とさぬように左腕で右の上腕を抑えながら反対側のエントランスへ向かう。

「っつ…」

痛みが強くなっている。左腕は使い物にならず、右手で銃を持ち止血を行う。シャツの上腕部分が血まみれだ。傷は思いのほか深い。

後ろで非常階段がキーと音を立ててゆっくり開く音が聞こえる。どうやらアテーナの組員をこの階に誘き寄せる事には成功したらしい。

早く隠れる場所を見つけなくては。そう思いながら左側を見ると「言語聴覚療法士」と書かれた部屋が開いている。どうやら南側はリハビリ施設と併用しているらしい。近くに誰もいない事を確認すると高橋は部屋の中に身体を滑り込ませた。

部屋はそこまで広くなく、テーブルとパソコン、患者が座る椅子と何やら不思議な検査機械が置いてあるのみ。撃たれた腕をまじまじと見てみると出血はやや止まって来ているようだ。ここまで血痕を残していない事を確認し、隠れる場所を探す。テーブルの下、椅子の下は見つかる恐れがある。すると部屋の奥ににある長細いアルミのロッカーが目に止まった。ロッカーを開けると言語療法士の私物だろうか、白衣と靴が仕舞ってあったが構わず隠れる事にした。

静かにドアを閉めると静寂が包む。自分の荒い息と狂ったように鳴る心臓の鼓動と、じんじんと痛む腕の痛みが自分がまだ生きているのだと実感させてくれる。

(ちくしょう、左腕の感覚がない…….)

左手で握っていた愛用の銃のグリップは血で濡れている。感覚を確かめるように再びグリップを握り直すが、握っている感覚が分からない。先程コートも脱ぎ捨ててしまった為、暖房の利いていない室内はとても寒い。腕の傷も相俟って高橋の体温はどんどん低くなり、眠気が誘う。

(ここで寝たら死んでしまう)

そう思いつつも瞼がどんどん重くなる。奴等の足音も聞こえない中、静けさが更に眠気に拍車をかける。疲れがどっと溢れてくる。今日は色んな事がありすぎた。深山は逃げ切れただろうか。志摩も無事だろうか。神田は今、何を思っているのだろう。そして中山が意味していた「もう一人の幹部」とは一体……




「深山捜査官ですか?」

防弾チョッキを着用し、腰には警棒、腕には「四谷警察署」の文字。病院長の命令でバンの近くで待機命令をされていた深山と志摩に女性警官が声をかけた。深山と志摩は女性警官に会釈をする。

「中はどうなっていますか?」

「こちらも内部の様子は伝えられていなくて。やはり特殊な病棟だからか病院長も患者のプライバシーを考え、警察を送り込みたくないようです」

政治家や芸能人御用達のこの病棟は、院内で発砲があっても警察を一切入れようとしないらしい。患者のプライバシーよりも安全を優先すべきではないだろうかと深山は皮肉る。

最初の発砲から30分あまり。階段に突入した際に、上階から高橋が降りてくるのが見えた。いや、高橋だときちんと確認できるまでには至らなかったと言った方が正確か。

上階から発砲があった時点で非常口からの突入を諦めたので、実際銃を撃ったのが誰だか分からない。しかし、その弾を撃った人物はこちらに当てるつもりがなかった事は把握出来た。威嚇射撃とでもいうのだろうか。もしアテーナだった場合、支部の特捜部の捜査員を見た瞬間にこちらに発砲してくるはずだ。消去法で言っても威嚇射撃をしたのは高橋だったのではないかと、深山の中では既に確信に近くなっていた。

「申し訳ないのですが、もう少しここで待機願いますか?」

「ええ、分かりました」

待機という名の拒否。きっと病院長は東京支部の捜査員の入室を許可しないだろう。特捜部が関わるとなるとメディアが大きく報じる為、病院側からすると迷惑だ。しかも特捜部が関与する程の事件が起きてしまったと周知される事で病院の信頼も落としかねない。深山と志摩は既に病棟への入室捜査を半ば諦めていた。すると思い出したように女性警官が深山の方を振り向いた。

「そういえば、新しい情報が出てきました」

「何でしょう?」

「アテーナのリーダー、中山燈也の死亡が確認されたようです」




手は寒さで硬直し始め、撃たれた腕は痛みを感じなくなっている。

銃を右手に持ち替え、耳を澄ます。物音一つしない。

静かにロッカーを開けると室内は暗く、どこまでも静寂が包んでいる。時折上階から声が聞こえてくるが、先程よりは静けさが漂っていた。寒さで身体が震えつつも姿勢を低くし、廊下へと足を進める。部屋を出ると廊下も静まり返り、足元の照明でさえ消えていた。

まずは外の状況を把握してから病棟から脱出しなくては。そう思い南側のエントランスに続く非常階段を目指す。その時であった。

背中にドンッと大きな衝撃を受ける。驚きと痛みで一瞬息が止まる。抵抗も虚しくその場で倒れた。暗闇の中で状況も把握出来ない恐怖が高橋を襲う。

「っつ!」

声にならないうめき声を上げると上から声がした。

「一緒に来てもらおうか、勝木蓮さん」

ドンと頭に大きな衝撃があり、高橋は意識を失った。




病院から東京支部に着くと既に日付が変わっていた。あれから一時間程病院の前で待機命令が出され、結局病院内に入れたのは、四谷警察署の現場検証が終了してからだった。既に高橋はおろか、アテーナのメンバーの姿もなかった。

「ここの病院長、アテーナのメンバーらしい」

なるほど。志摩が現場で調べた情報によると、病院長はアテーナのメンバーであり、支部の捜査を意図的に阻止していたのだという。高橋も見つからない今、アテーナが中山の死亡を感知して襲撃し、それに高橋が巻き込まれたと考えるのが関の山だ。彼がアテーナに拉致されたとなると高橋の命はないだろう。そう考えると駐車場で何をされようとも上司を止めるべきだったと自分を責める。

「くそっ!」

無意味だと分かっていてもエレベーターの壁に拳をぶつける。あまり感情的にはならないと自負していたが、あまりの自分の不甲斐無さに怒りが収まらなかった。

チームには明確な証拠がない今、高橋が中山の殺害に関与している可能性がある事は伏せておくつもりだ。四谷警察署には中山の遺体の司法解剖以来をこちらに廻すよう手配しているので、死亡原因の明確な特定から犯人が分かるだろう。頭を中山の死から高橋の捜索へ切り替える。高橋はこのチームに取って必要不可欠だ。彼を取り戻さなくては。

深山は意を決してラボ内に入って行った。





目を開けると何やら倉庫のような建物の中にいた。

照明が暗い所為で周りの状況が把握出来ない。部屋をよく見ようと首を回してみると頭の後ろが割れるように痛む。身体も動かそうと試みたが、手は後ろ手で椅子に縛る付けられているようだ。下手に動かすと縄が食い込み手首に激痛が走った。撃たれた右腕はそのままで既に血は固まって乾いているようであり、痛みは感じなかった。

「ここは何処だ?」

思わず独り言が口から出て静かな部屋の中で反響する。

「目が覚めたかな?」

背後から何者かの声がしたが振り向けない。

「さて。君をどうしようか」

短髪で背が高く高級そうなスーツを着こなす男が高橋の目の前に現れた。一見普通の男に見えるが、右手には銃を持っていて左手にはブラスナックル。それを付けている時点でこの男が普通ではないと分かる。

「誰だお前」

椅子に縛られている為、下から睨む事しか出来ない。

「声だと分からないか?」

そう言い放つと突然、高橋の頬を銃身で殴りつけた。

「君と話した事があるんだが、覚えていないか?」

口の中に鉄の苦い味が広がる。口腔内のどこかが切れたようだ。

「東京支部特別捜査部犯罪捜査チームリーダーであり、殺人鬼である君と対面出来て嬉しいよ」

ガンッと大きな衝撃が襲う。先程殴られた頬と反対側を銃身で殴られる。口から溢れた血がコンクリートに飛び散った。それをじっと見た後、顔をあげ相手を睨む。

「お前など知らない」

「口が減らないな」

ドンと息が止まるような激痛が身体を走る。肋骨部分を足で蹴られ、あまりの衝撃に椅子が傾く。息ができなく、肺が悲鳴をあげる。

「まだ分からないのか?『新藤の時の』って言えば理解出来るか」

高橋ははっとし顔を上げてその男を見た。新藤が拉致されていた時に支部の防犯カメラに写っていた男と似ている。こいつだ。新藤を殺したのは。高橋が察したことに気づいたのか男は口を開く。

「思い出したようだね。君の部下の新藤はとても支部に忠誠を誓っているいい刑事だった」

「黙れ」

「君の情報を教えてもらおうとしたのだが、彼はどこまでも拒んでね。機密情報は教えられないと断固として情報の提示を拒否したんだ」

「うるさい。黙れ」

次の瞬間、頭を金属バットで叩かれたような大きな衝撃が襲う。痛みのあまり息が止まる。ナックルで頭部を殴られたようだ。額からつと血が流れてくる感触がある。痛みのあまり呼吸が荒くなる。

「君の所為で新藤は死んだんだ。その口の聞き方はないんじゃないか?」

目の前の男は中腰になると目線を合わせた。

「新藤は全て知っていたよ」

ブラスナックルを付けている手を握ったり開いたりしながら、何やら笑みを浮かべている。全て知っていた......

「何を聞いても忠犬は口を割らなかった。お前を守ろうとしたんだな。だから、殺した」

悔しさで目の前が真っ暗になる。新藤は自分のせいで目の前の男に殺された。そして突入部隊の隊員と捜査官も道連れにしたのだ。腕の拘束を取ろうともがくが、胸部の痛みと撃たれた腕に力が入らない。ガチャガチャと金属が擦れる音が虚しく響く。

「自己中心的な復讐の為に忠誠な部下を殺した気持ちはどうだ?」

「お前が殺したんだろう!」

そう叫んでみるものの、自分の声には全く覇気がなかった。相手を睨む眼光も段々と弱っていくのが感じられる。新藤が自分の為に犠牲になった事は分かっていた。しかし受け入れる事をずっと拒否していたのだ。駐車場で自分を止めようしたを新藤。その思いを自分は踏み躙り、死という最悪な報いで彼の忠誠を仇で返したのだ。

「復讐よりも許しの徳を。シェイクスピアの言葉だ。復讐は新たな犠牲しか生まないのだよ、高橋蓮さん」

口の中には血の味しかしなく、殴られて腫れた頬は感覚がなくなってきた。男は高橋の椅子の周りを歩きながら話を続ける。

「君にはね、最後のショーを見届けてもらわなくてはいけないんだ。君の自分勝手な思いでどれだけの人が苦しむか。それを味わって欲しい」

「何をしようとしているんだ」

「ダメだよ、ネタばらしは面白くないだろう?」

脳裏に特捜部の捜査員の顔が思い浮かぶ。そして家族の笑顔。息をする度に激痛が襲う。

「だからそれまでは生きて償え」

右端に何か見えたと思ったら、脳を揺さぶられるかのような今までにない衝撃に襲われる。椅子ごと倒れた高橋は意識を手放した。





チームはとても疲れていた。既に時間は午前1時。皆目を真っ赤に充血させながら情報処理班の志摩を中心に、高橋の居場所の特定に急いでいる。破壊された資料室ルーム4はアテーナの情報を中心に管理されていたが、今回のテロで壊滅的なダメージを受けたため、修復はほぼ難しいとの情報も入っていた。増々アテーナの居場所の特定が難しくなった今、チームは何から調査すればいいのか明け暮れていた。

この状況はかなり不味い。早く助け出さないと高橋に危機が及ぶ事は容易に想像出来た。アテーナの元幹部を3人も殺した彼を長々と生かしておく理由は彼等にはないのだ。

もし高橋だったらどうするだろう。

この状況を彼ならどうくぐり抜けるだろう。

そう思いながら情報班が提供してくる資料に目を通していた。

「深山、お前少し休んだ方がいいんじゃないか」

志摩が心配そうに声を掛ける。

「疲れているように見えますか?」

「いや、逆に疲れて見えないのが怖いんだよ。コロっと倒れられたらチームが困るんだからよ」

志摩はいつも人を見ている。このチームを率いて行く自信がない自分に優しい言葉を掛けてくれる。深山は志摩の優しさに感謝した。

「ありがとうございます。でも今は休めないので」

そう言って資料をめくろうとしようとした手を志摩が止める。

「この資料は情報班がやっておくから、お前は少し休んで来い」

志摩は深山から資料を取り上げる。

「こうでもしないと休まないだろ?」

志摩の無骨な気遣いに苦笑する。ここは志摩の心使いにあやかる事にした。

「じゃあ少し仮眠を取ってきます」

「ああ、何かあったら叩き起こしてやるからよ」

「ありがとうございます」

志摩に感謝しつつラボを出ようとした瞬間だった。突然深山の携帯がけたたましく鳴った。表示を見てみると「高橋蓮」とある。

「蓮さんの携帯から着信です」

そう告げただけでチームには電話の相手が誰だか把握する事が出来た。一斉にチーム全員に緊張が走る。

「アテーナさんは休ませてくれないみたいだな」

全捜査官が再びスイッチが入ったかの様に動き出す。

「情報班用意しろ。深山、その携帯よこせ」

志摩に鳴り続ける携帯を渡す。深山の携帯のUSBの差し込み口にアダプターを繋げるとパソコンと音声データをリンクし始めた。また他の捜査員は探知の用意をし、深山にゴーサインを出す。

深山は志摩に一度目配せし、通話ボタンを押した。

「…………..」

携帯を耳にあてる。耳を澄ましてみるが何も聞こえない。ラボの中は今までに無い程静まり返っている。スクリーン上では同時進行で電話先の居場所特定の為のプログラムが実行されていた。IPアドレスを掴み、そこからGPSによる居場所の特定に乗り出すらしい。皆が必死の形相でパソコンを睨んでいる。

「もしもし」

『お前が深山か?』

予想はしていたが、高橋の声ではない事にラボ内の空気が一気に張り付く。

「そうです」

「高橋の後を継いだのか」

「後を継ぐ」という言葉に引っかかりを覚える。相手は自分が高橋の相棒だと知っているのか。少しでも彼に近い人物に交渉を持ちかけたいのか。それとも交渉相手に神田を指名していない所をみると、神田が今動けない状況であり自分が今チームのトップである事を既に知っているのか。様々な可能性が浮かんでくる。

『東京支部特別捜査部のリーダーである高橋蓮を拘束している。交換条件と共にこいつを解放する。条件が達成されなかった場合、こいつの遺体を支部に送りつける』

チームに不穏な空気が流れる。息を飲む音がはっきりと後ろから聞こえて来る。深山は緊張により高鳴る鼓動をどうにかして落ち着かせた。この状況で、いかに冷静になれるかが勝負だと深山は気付いていた。

「分かりました。まず、高橋リーダーが生きている証拠を提示して下さいませんか」

無音が続く。

音を立てて鼓動する心臓と反対に深山の頭は妙に冴えていく。新藤を殺し高橋を拉致した相手に決して弱みを見せたりしては形勢を逆転されてしまう。深山はいつも通り毅然とした態度で応じる。

「……..」

再び沈黙が流れる。こちらの条件を呑むつもりがないのだろうか。志摩が深山に向かい大きくバツと腕を交差させる。どうやら彼等の居場所、IPアドレスなどが特定出来ないらしい。

相手はアテーナだ。今朝の資料室の襲撃も考えると、相手が支部の情報処理班を凌ぐ程の技術を持ち合わせている可能性は大きい。相当IT技術に優れている人材も確保されているのだろう。こちらの攻撃を全て撥ね除けている。

「人質の無事が確保出来なければ、そちらの条件をのむつもりはない」

毅然とした声色で再度交渉を試みる。すると電話の遠くでカチンと金属と金属がぶつかり合うような音がした。電話の奥で息を荒げながら何か返事をする男の声が聞こえる。

『深山か?』

荒い呼吸と共に声には張りが無く嗄れている。しかし間違いなく高橋の肉声であった。

「蓮さん、無事ですか?」

『辛うじてな』

「今から助けに行きます」

『来るな。アテーナの狙いはお前だ。条件をの...』

最後の一言はガンという金属を叩く大きな音と高橋の叫び声により掻き消された。捜査員皆が息を飲む。チーム内に動揺が広がる。

『こちらの条件は高橋蓮と深山真也の人質交換だ。二時間以内にお前と神田二人だけである場所に来てもらう。場所はお前の携帯に転送する。他に捜査官や突入部隊など誰か連れて来たと判明した時点で高橋を殺す。武器も持ってくるな』

そう言って一方的に無線は切れた。


人質交渉。予想はしていたが、自分の存在が相手にすでに知られているとは予想外であった。しかし、ある意味、自分が指名されたのは良かったのかもしれない。深山の心の中では既に結論は出ていた。

携帯をそっと机に置くと時計を見た。あと2時間。指定された場所に神田と一緒に行かなくてはならない。高橋は奴等の狙いは自分だと言った。それで高橋が助かるなら……。

携帯のメールを確認し未だ指定場所の提示が来ていない事を確認する。ラボ内の職員が皆心配そうに深山を見つめていた。

「以上の通り2時間しかありません。神田さんの拘束を解除し、指定された場所へ向かいます」

それしかない。チームの皆に淡々と告げる深山の表情に迷いはなかった。しかし低い聞きなれた声が「待て」と深山を阻んだ。

「そんな危険な任務、行かせねぇ」

低く、そして少し苛立ったような声がラボ内に響く。志摩だった。椅子から立ち上がると、威嚇をするように深山を睨む。

「バカかお前は」

「蓮さんを助けるのにはそれしか方法がありません」

「蓮も言っていたが最初からお前がターゲットだ。蓮を使ってお前を誘き寄せる事しか考えていない。自ら相手の罠にはまりに行くようなものだ」

志摩の言葉にラボ内の職員の多くが相槌を打つ。皆、アテーナの危険性を熟知しているからこそ、その危険な火の中に他人を助けようとして飛び込んで行く新しいリーダーを易々と見捨てる事が出来なかった。

「これ以上犠牲を出せないと言ったのは誰だ?高橋だってお前との人質交換など望んでいない」

確かに高橋も「来るな」と言った。もし無事に高橋を交換条件として帰してもらったとしても自分の身ががどうなるのか、また神田はどうなるのか、不安要素が無いと言えば嘘になる。

高橋は言うなれば自業自得だ。自分の復讐の為に殺人を犯し、結果的に相手に拉致された。チームは知らないが高橋の今の状況は彼が自身で招いた結果だ。そう思い切ってしまえば高橋を見捨てるのが一番の策かもしれない。しかし……

「このチームには彼が必要です。今の僕にはこのチームを率いて行けるだけの力量がありません。僕がもしアテーナに拘束されたとしても蓮さん率いるこのチームなら、僕を救えるかもしれません」

深山は分かっていた。このチームには確固たるリーダーが必要なのだ。そしてそれを引き継ぐべきなのは自分ではない事を。

「もちろん僕も高橋さんを救う為に犠牲になろうとは思っていません。蓮さんなら、彼なら万が一の事があってもこのチームで助けに来てくれると信じているからです」

「アテーナがお前を殺さないという根拠はあるのか」

「それは分かりません。しかし、あちらが僕を人質として要求してきたのは何か理由があっての事だと思っています。すぐには殺さないでしょう」

なので、と言葉を切ると深山はチームを見渡す。

「それまでにチームで助けに来て下さい」

深山は笑みを浮かべながらチームに最後の願いを託した。

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