別れ

『拘束されていた特別捜査員1人を含む、突入部隊3名、特別捜査員2名が死亡。1人重体、2人重傷、1人軽傷。資料室はルーム2まで壊滅状態。復旧までには最低でも3ヶ月』


地獄絵図だった。

資料室にあった証拠や重要資料は全て熱で溶け、時折タンパク質の焼けた匂いがする。

『救急班はこちらへ!AEDを持って来い!』

『◯◯の死亡が確認され…..』

『こっちに担架を!止血をしろ!』

様々な声が飛び交い混沌を極めて行く。

廊下には様々な物が散らばり、白い壁は黒く焦げていた。仲間を懸命に運び出そうとする突入部隊が防弾チョッキを脱ぎ捨て、まだ火が燻っている部屋に入ろうとする。額から血が出ている捜査員、腕が在らぬ方向に曲がっている突入部隊員が廊下に座り、焦点の定まらない目で資料室の残骸を見つめている。

『心肺停止。エピネフリン1mg静注』

駆け付けた深山を含む科学班の医療チームが懸命に緊急蘇生にあたっている。白衣が血やススで汚れており、彼等の必死さが伝わってくる。

救助にあたっている肝心の深山も怪我をしているらしい。頭と右腕に包帯が巻かれ痛々しい。救急隊が到着するとけが人と重症の捜査員が救急搬送された。そして原型を留めていない新藤の遺体も一緒に運ばれて行く。東京支部始まって以来の惨劇であった。

悔しさのあまり拳を壁に叩き付ける。この地獄の中、自分の力の無さを嘆いた。



薄暗い四角い部屋。自分の視線の席には黒い壁があるように見えるが、実はブラックミラーで部屋の外側の部屋からはこの部屋が丸見えになっている。プライベートも全て丸裸にされるこの部屋は立ち入る人間が限られる。

神田は尋問室に連れてこられても顔色一つ変えなかった。

基本尋問する側である事以外ここの部屋に入る事はない。何人かの顔は浮かぶものの自分のキャリアの中で何人の容疑者を尋問してきたか数えると切りがない。高橋は神田が拘束されている尋問室の扉の前に立っていた。

『あなたは自分がすべき事をして下さい』

廊下で立ち尽くしていた時に、深山に言われた言葉だ。

僕の怪我は大した事ないと言う深山も、頭に巻かれた包帯が痛々しい。相棒の彼も捜査員としてではなく、一医師として救急車が到着するまで救助にあたっていた。その言葉に鼓舞され、高橋は4階にある尋問室に神田に話を聞く為に来た。いつもは捜査員が同行するのが決まりだが、資料室の爆発の件で同伴できる捜査員はいない。地下での指揮は深山に任せ、自分は神田に尋問をする事となった。

やるべき事をやる。計画を変更する気は更々ないのだから。


尋問室の外にある録画と録音レコーダーを敢えてオフにする。支部内が混乱している今なら公式の尋問としなくても怪しむやつなどいない。IDをスラッシュすると重々しい音を立てて部屋の扉が開き、中に入る。

神田は机の上で手を組みながら高橋を出迎えた。高橋が来ると思っていたのか、神田は何も驚かない様子だった。彼の瞳から判断するに、東京支部特捜部長としての威厳は損なわれていないように見える。

神田の対面に腰掛け、真正面から見つめる。

「新藤の死亡が確認されました。彼の携帯に時限爆弾が設置してあったそうです。狭山捜査員も突入時に爆破に巻き込まれ死亡。犯人は逃亡しました」

「そうか」

彼なりに予想はしていたのだろう。しかし実際言葉で聞かされると現実味を帯び、神田の表情に暗闇が宿った。悲しげな瞳の色に少し心が動く。

何から話していいのか分からない。いつも尋問する際にはどのような手順で話すか、またどの攻略方法で相手を落とすかなど、様々なケースに対応出来るよう策を練っておくのだ。しかし相手は元上司。そして神田がどこまで自分の裏の顔を知っているのか把握出来ていない。少なくとも手元にある情報は新藤と神田が極秘捜査をしていた事だけだ。こちらから新たな情報を提供するような事はあってはならない。様々な考えを巡らしていると、不意に神田が口を開いた。

「お前は、人を犠牲にしてまで得る成功には価値があると思うか?」

神田が目をしっかりと射抜き、高橋に問う。あまりにも重い一言であった。

犠牲は新藤の事を指しているのだろう。そして成功とは自分の復讐の事だと直感する。神田は全て知っていた。そして新藤も。

「新藤は最期までお前が容疑者だと信じなかった。決定的証拠もない中、半信半疑で俺の命令を聞いていた。実際彼をお前の近くに着けたのも俺の指示だ。今となっては後悔しかないが」

新藤が最期まで自分を容疑者だと信じなかったのは、きっと自分に憧れて特捜に入ったからだろう。憧れて背中を追って来た上司が容疑者だと信じてしまえば、自分が信じていたものが否定されるのと同じ事だ。しかし神田はそんな新藤を敢えて選んだ。彼の自分への憧憬の念を逆手に取ったのだ。

「俺はお前の父親と一緒に働いていた」

突然の神田の告白に身体が反応する。

「お前の父親を殺した容疑者が捕まっても、あいつが犯人だと認めなかった。現にそいつは釈放された後、組織によって殺されただろう。裁判も弁護士の証言も捜査も……全てアテーナの思い通りだった」

神田が下を向き、拳を握る。神田が父と一緒に仕事をしていたのは初耳だった。父が殺された頃は既に神田は特捜部のチームにいたことになる。

彼は昔、上司を失ったのだ。そして今回は部下を。

「捜査が打ち切られた時、一番に抗議した。しかし東京支部という大きな組織は俺のような下っ端の意見など聞く耳を持たなかった。14年が経って、お前が当時の元アテーナ幹部へ復讐をしていると分かった時、立場を忘れてお前を応援したくなった」

神田が顔を上げ、目を見る。彼の瞳は涙で濡れていた。

「しかし秩序を守るべき人間が法を犯してはあいつらと同類だ」

「法は何も守ってくれない。何も正当に裁けない。それはあなたも分かっているはずだ」

「そうだ。今の日本は犯罪を正当に裁いてくれない。しかし人は秩序を保つ為に法を守らなければならない。それを高橋、お前が壊した」

「秩序?そんなものどうでもいい。俺は家族の仇を討つならこの世の秩序が崩壊しても、この世の正義が否定されても構わない」

そう言い捨てる底辺まで堕ちた優秀な刑事を、神田は悲哀に満ちた瞳で見つめる。

「お前のお父さんは息子のこんな姿、望んでいない」

ばかばかしい。神田を黙殺し高橋は席を立つ。もう自分には残された猶予がない。こんな所で喧嘩をしている時間はないのだ。

「さようなら、神田さん」

I神田に背中を見せ、扉にIDを通すと後ろから声が聞こえた。

「中山燈也を殺しに行くのか?」

高橋が最後に殺さなければならない相手。それがアテーナのボス中山だという事を神田は分かっているのだ。どこまでも見通している上司に嫌悪感を抱く。

「秩序を唱うあなたには関係無い事だ」

そう言い残し高橋は尋問室を後にした。




駐車場まで階段を降りる。爆発による混乱でエレベーターはまだ稼動していないようだ。地下一階まで降りると長い廊下を抜け地下の駐車場に出る。愛車を見つけキーを開けて乗り込もうとした瞬間、後ろから足音が聞こえた。

「蓮さん」

声がした方を向くと深山が走って来る。白いワイシャツには所々血痕がついている。けが人の処置をしていたのだろうゴム手袋を外しながらこちらへ向かってくる。

「もう、帰ってこないつもりですか?」

深山の予想外の言葉に高橋は怪訝な表情をした。

「どういう意味だ?」

「とぼけないで下さい。もう支部には帰ってこないつもりでしょう?」

このまま行かせないと言いたげな表情がこちらを真っ直ぐ射抜く。また新たな邪魔者が入ったらしい。こいつ気付いてる。

「ちょっとこっち来い」

深山の腕を掴むと駐車場内の監視カメラの死角に深山を連れて行く。痛みに深山が少しうめき、腕を怪我していたのだと思い出す。愛車から少し離れた壁際に強引に連れて来ると深山を睨んだ。

「どこまで知ってるんだ?」

「全てです」

「全て?それじゃ答えにならない」

時間の無駄だ。そう言い捨ててその場を離れようとする。すると深山が声を張り上げ、高橋に爆弾を落とした。

「本当はあなたが『勝木蓮』というところまで知っていますが」

深山の言葉に思わず足を止める。

勝木とは高橋の家族の名字だった。家族が殺されてから祖父母に預けられた彼は母親の旧姓から「高橋」を取った。ここまで突き止めたという事は殺人の動機も把握されているだろう。深山の並外れた情報分析力に、高橋は心の底から彼をチームに率いた事を悔やんだ。

「神田に聞いたのか?」

「いえ、神田さんの捜査状況は知りません。僕が独自で調査した結果です」

「事件の記録は全て消去したはずだ」

「そうですね。ですからここまで調べるのに、とても苦労しました」

深山の鋭い視線が刺さる。神田と違い、こいつは憶測で話す事はしない。全て証拠を出し論述する。頭の中で先日深山の研究室で撃った銃撃が思い起こされる。不覚だったと今更後悔しても遅い事は自覚している。きっと深山の中で確証しているのだろう。彼の表情には自信が宿っていた。

「蓮さん、あなたは今から最後の殺人を犯そうとしている。監察医として僕にはあなたを逮捕する権限がありません。なので自首して下さい」

真面目な表情で諭す深山を見ていると、何も疑問に思わず自分の信じた道を真っ直ぐ貫いていた昔の自分のようだ。正義を信じて自分の道を貫いていた自分。その頃なら神田の言う「人間が法を守る」という真の意味も分かったかもしれない。しかし今はもう遅い。

「部下を私情で死なせてしまった責任は取るつもりだ。逃げる気も毛頭ないし、不本意だが法で裁かれるのも厭わない。だが責任を取るのは今じゃない」

高橋の突き放すような言葉に深山の眉間に皺が寄る。

計画はもう終盤だ。新藤が死に、神田と深山に計画を知られると言う予期せぬ事態が起こった今、これ以上は誰であろうと付き合っている暇はない。

「これが終ったら俺は全てを失う。俺がいなくなった後はお前がチームを引き継げ」

深山にそう言い放つと踵を返してその場を離れた。もう追ってくるなという意味も込めて深山にチームを継げと言った。しかし深山に腕を掴まれる。

「これ以上堕ちないで下さい」

腕を掴む手に力が入る。威圧する様な目つきで深山を睨むと、鋭い眼光で睨み返してくる。こいつは分かっていない。ここまでどれだけの思いで計画を遂行してきたか。どんな思いで特捜部を率いてきたか。どんな思いで新藤の死を受け止めたか。

自分の道を邪魔するならこいつも生かしておけない。

「俺を止めるならお前も殺さないといけなくなる」

高橋の言葉に空気が一変する。

深山が目を細め、少し手の力を抜く。目の前にいる男が元アテーナ幹部を既に3人も殺している人物なのだと嫌でも理解したようだ。ホルスターから銃を抜き、左手でカチャと金属が嵌る音をさせ、深山の脇腹にサイレンサーの付いた銃身が突きつける。今の音が安全装置を外したのだと理解したのだろう。深山の身体が緊張で硬直する。サイレンサーを付けているので、ここで深山が撃っても銃声に気付く者はいない。そして銃は体内の血液が一番貯留している肝臓付近を上手に狙っていた。これなら二発打ち込めば確実に失血死を起こす事が出来る。しかしそれを黙認した上でも深山は冷静だった。

「あなたに私は撃てませんよ」

「俺は既に3人も殺しているんだ。一人殺すなんか容易い」

「貴方は私を分かっていない」

直後、深山が銃身を右手で掴むと、それを引っぱり横に挟む。その反動で後ろ向きに高橋の前にくるりと回り込むと、肘でみぞおちを強打された。

「くっつ!」

痛みで息が止まるが、銃は離していない。まさかの深山の反撃に一瞬頭が着いて行かなくなるが、体制を立て直し固定されている腕を深山の脇に入れる。後ろから羽交い締めにすると下から深山の足が高橋の軸足を捉える。高橋の銃がアスファルトの上に落ちる音が駐車場内に響く。バランスを崩した高橋に、深山が追い打ちをかけるように正面から殴りにかかる。しかし高橋はその瞬間を逃さなかった。

「ボディががら空きだ」

姿勢を低く保つと深山のみぞおちに衝撃のパンチを繰り出した。

「いっつ!」

痛みで深山が体制を崩すと後ろに回り彼の腕を握る。そして体重をかけ身体ごと壁に打ち付けた。

「うっつ!」

怪我している方の腕を敢えて強く握ると深山がうめき声を上げる。深山は痛みからか額に冷や汗をかいていた。腕を更に縛り上げる。

「い、いたい!」

痛みを放散させようとしているのか、いやいやと頭を振る深山を見ても全く良心は痛まない。はあはあと荒い呼吸音が二人を包む。駐車場は再び静けさに包まれた。深山の腕を持ち背後から彼に声を掛ける。

「じゃあな、お前と仕事が出来て楽しかった」

そう言うと深山の頭を後ろから掴み、力を込めて壁に叩き付けた。息を呑む音とガンという音と供に深山が気を失う。ばたりと彼はその場で崩れた。多少の罪悪感はあるが計画を遂行するのが最優先だ。床に置いてあった銃をボストンバックにしまうと肩にかける。高橋は愛車に乗り込み自分の古巣を後にした。

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