指揮官
昨夜は神田と新藤の事が頭にあり、全く寝る事が出来なかった。
寝不足の所為か頭がガンガンする。靄がかかった頭を醒めさせる為ブラックコーヒーを飲んだが、あまり効果の程は見られない。支部のエレベータホールに着く頃には持って来たタンブラーのコーヒーは殆ど飲み終わってしまっていた。
正直、神田と新藤の件は想定外であった。
資料庫から情報を抜き出したのか考えたが、自分が最後閲覧してからは支部内の処理ボックスに入れ処分したはずだ。そこから足を掴まれるとは到底考えられない。
今まで殺害した笹本、須藤、谷の経歴を調べ、また彼等が関わっていた裁判や事件を洗いざらい調べる事が出来たとしても、彼等が関与している事件は五万とあるのだ。自分の家族が殺された事件に行き着くまではかなりの労力と時間が必要になる。もし二人だけで極秘捜査をしているのであれば、深山の言った通り二人はかなり前から捜査をし、そして自分に目星を着けていた事になる。
今すぐにでも神田に新藤との調査の内容について聞きたい。しかしそれには二人が単独で捜査をしているという明確な証拠が必要だ。
神田と新藤が内密調査をしている証拠を探す事。それが急務であった。
重い身体を無理矢理動かし33階に着く。昨日充分に睡眠を取っていない所為かエレベーターの少しの揺れでも頭が揺さぶられている感じがした。特捜部のラボに着き、デスクを通ると足を止めた。室内は独特な雰囲気が漂う。
いつもこの時間は会議のようなチーム皆で情報を共有する時間となっているのだが、デスクには誰もいない。
朝一の会議では他のチームの捜査状況や、その際行なった捜査方法、新たに見つかった証拠品の提示し、皆で一つの議題に関して意見交換したり分析を行なう。何か緊急な事が起こらない限りその会議を行なうのだが、今日はその”緊急な事”が起こったようだ。
「どうしたんだ…..?」
部屋の中心部にあるガラス張りのラボを覗いてみる。
朝の8時なのにも関わらず既にチームの殆どが集まってようだ。見てみると深山も既に中にいる。珍しいと思う一方、少々身を強張らせる。高橋は意を決してIDカードをスライドさせた。
「蓮さんおはようございます」
ガラス張りの会議室兼捜査室に入ると深山が挨拶をし、その後神田と目が合った。ドクドクと意に反して鼓動が早い。神田はやけに真剣な表情をしており、ラボ内も空気がピンと張っている。一体何があったのか。
チームの皆モニターを見て何かを追っているようだ。若干の気まずさを感じていると深山が口を開いた。
「実は昨日の夜から新藤さんの行方が分からなくなっています」
「え?」
突然の事に頭が着いて行かなく、咄嗟に頓狂な返事をしてしまう。
「昨日現場にいたじゃないか」
「あの後から行方が分からなくなっていて、自宅にも帰っていないようです。持
参している共有PHSにも電源が入っていないのでGPSが使えない状態になっています。今現場から彼の消息を知っている人がいないか聞き込んでいる所です」
緊急事態とはこの事のようだ。
「昨日の証拠品はあの後分析が持って行ったのか?」
証拠回収班がいる方に目を向けると女性刑事が口を開いた。
「私達が持って行く事になっていたのですが、支部のメンテナンスがあるから直帰するように言われてしまって。そこで新藤さんがラボに忘れてた提出書類があるからと一度支部の方へ帰るから持って行くと仰って下さってバンを運転して帰られました」
「証拠品はどうなった?」
「そ、その…」
目を右往左往させる。きっと昨日回収した証拠品の有無までは管理出来ていないのだろう。
「すみません、今確認してきます」
「資料庫にあると思いますよ」
唐突に口を挟んだのは深山だ。ラボ内にある大型ディスプレイ用のタブレットを操作しながら、監視カメラの映像を処理しているようだ。するとスクリーンにある映像を映る。
「監視カメラの映像から調べてみました。これは昨日の資料庫前の防犯カメラ1~3の映像です」
ズームをすると画素が荒くなってしまうので、画像解析をしながら深山はカメラの映像を映していく。
「時間は19時23分。システムがダウンしてから約30分後になります。既に資料室のIDキーは使えない状態になっているので、彼は資料室のマスターキーを誰かから受け取ったのでしょう。それを使って新藤さんが中に入っています」
この特捜一科で無許可で資料庫に入れるのは自分と神田だけだ。という事はつまり、彼は神田からマスターキーを借りた事になる。映像には証拠品の入った黒のアタッシュケースを片手に中に入る新藤の姿が記録されていた。特に変わった様子はない。
ふと映像を真剣に見つめる神田を横目で盗み見る。彼はいつになく焦燥している様子だった。
「しかしその後、新藤さんが資料室から出てきた姿が記録されていたのは20時42分。約1時間20分間、彼は資料室にいたと考えられます」
「少し資料室にいた時間が長過ぎませんか?」
捜査員の一人が不具合を指摘する。
「ええ。実際、押収した証拠品を資料室に預ける際は、証拠品の内容、押収した日時、場所、時間。所有者が分かっていればその方の氏名を登録し終了となる。今回の連続殺人事件は今までのケース同様、証拠品が極端に少なくなっています。一人で行なってもぜいぜい30分程かと思うのですが」
確かに証拠品を登録し管理箱に預けるのに1時間半も時間がいるのだろうか?
周りもそれに賛同するように頷いている。深山が言う通り、証拠を倉庫に入れるのには、管理上の問題の為様々な手続きが必要だ。証拠が多ければ多い程それは大変になってくるが、今回は彼一人でも充分であり、またそれ程時間も掛からないはずだ。
「新藤さんは資料庫で何かを行なっていた可能性があるのでは?」
深山がチームを見渡しながら推測される結果について言及する。皆の中で新藤への疑念が強くなる。すると捜査員の一人が「そういえば」と沈黙を切った。
「昨日、深山さんと高橋リーダーが帰られた後見つかった物がありまして」
「何が見つかったんだ?」
「実は被害者の車の下に彼の物と思われるUSBメモリが落ちていたんです。それを新藤さんが支部へ持って行ったのだと思います」
高橋は心臓を掴まれた様な感触を味わった。自分が帰った後に新しい証拠が出たなど昨日の時点で聞いていなかったからだ。
記憶を探って自分が三島を殺めた時の現場の記憶を探ってみるが彼の私物は何もなかったはずだ。
自分はとんでもない物を見落としていたらしい。
事件当日、彼のアテーナ時代の友人の名前を使って呼び寄せセメント工場の影まで来ると後ろから三島を襲った。彼は一瞬抵抗したが下顎部を固定され、また頸動脈から脳への血流を閉ざされた為かすぐに意識を失った。車があった事は知っていた。その車内もトランクの中も全て事件当日の夜に調べ尽くしたはすだ。物が落ちた音はしなかったように思えたが…..車から出た時に落としたのだろうか。
自分は相当大きなミスをしてしまったらしい。表情に出さぬよう細心の注意を払いながら平静を装う。
「中身は何だったんだ?」
深山が隣で静かな声で質問した。自分にとって不利な証拠である事を願うしかない。高橋の鼓動が急にドクドク高鳴る。
「実はロックが付いていてその場では開けられなかったんです。暗証番号の他にもう一つ認証のロックが付いていたもので。情報処理システム監査班の方へ持って行けばすぐに解除出来たのですが、昨日は持ち帰っただけでしたので中身は確認出来てません」
少し安心した。まだ中身を見た者はいないという事だ。
「じゃあ今からそれを持って来い」
低い声がラボの中の皆を振り向かせた。情報分析班リーダーの志摩だ。
「今から情報班でUSBの方処理するからここに持って来い」
いや、待て。今ここにUSBメモリを解読された場合、どんな証拠が入っている分からない。自分の尻尾が掴まれる証拠が入っている可能性もある。それは何がなんでも阻止しなくては…….
「俺が行く」
皆の視線が集まる。不信感を持たれないよう努めて声のトーンを高くする。
「マスターキーがあるやつの方がいいだろう?すぐ見てくる」
「分かりました。蓮さんお願いします」
そういう深山を残し、ラボを出る為IDを通した。その後ろ姿を神田がじっと見つめている事に高橋は全く気付かなかった。
エレベーターを呼び地下階へ向かう。USBは見つけ次第、破壊するつもりだ。証拠品が損傷していればいくら情報処理班でも情報復元に時間がかかる。計画が前倒しになってしまうが、その猶予を使って計画を遂行するしかない。
高橋は焦っていた。深山の捜査協力、神田と新藤の謎の極秘捜査、新藤の失踪、そして自分の知らない証拠品の押収。計画は軌道を大きく外れていた。
「ちくしょう……」
エレベーターの壁に拳をぶつけるも痛みしか残らなかった。
*
「先程の続きから映像を始めさせて頂きます」
そう切り出して深山はまた資料室前の監視カメラの映像を流し始める。
「新藤さんは1時間半以上も資料室にいた事になりますが、中には監視カメラが無い為何を行なっていたか把握出来ていません。しかし…..」
深山がタブレットを操作すると、新藤の姿が資料室前から程近い監視カメラ2で捉えられていた。
「資料室から出てきて間もない時間の映像です。彼はこの後駐車場の方面へ消えていきますが、この画像をよく見て下さい」
深山は資料室前の廊下を早足で歩く新藤の手元をズームにする。新藤が何かを握っているようにも見える。
「画像を解析します」
ズームをした部分を何度も画像解析にかけ綺麗な絵にしていく。すると何かが映った。
「これは……」
チーム皆がスクリーンに映る何かに釘つけになる。彼の握る手の中にある銀色の物。小さいが確かに彼はそれを握っている。
「詳細までは不明ですが、これは新藤さんが資料室に入る前は携帯していなかった物です」
「し、しかし….私物の可能性もあります」
誰かが新藤の行動を弁護するように言う。しかし深山は苦い表情をしながら続けた。
「その可能性はあると思いますが、可能性は低いでしょう」
すると突然ラボ内の電話が鳴り始める。内線と表示がある事から支部内からかけているようだ。
場所は「資料室」。高橋が証拠品のUSBを探しに行った場所だ。
深山は着信ボタンを押すとラボ内に聞こえるようスピーカーホンにする。
「証拠品のUSBがない」
高橋の声がラボ内に響き渡った。
「新藤が無断で証拠品を持ち出し、行方不明になっている。そして彼は資料室で約1時間半もの間何か作業をしていた。推測されるのは彼が証拠品のUSBの暗号認証を解読し、中身を見たという事だが、これが彼にとって何の利点になるか分からない。つまり彼の動機も不明のままだ」
ラボ内には今までにない程の重い空気が漂っていた。困惑した表情で何かに脅えている。新藤は何か情報を得て姿を消したのか。それとも何者かに攫われたのか。
だが、高橋には一つ分かっている事があった。
「一つ明確な事がある」
ゆっくりと後ろを振り向くと神田を見た。神田は驚く事なく高橋に静かに目を合わせる。
「神田所長、あなたは私に直帰命令を出した時に『新藤にも伝えた』と仰っていましたね。しかし実際は彼はそのまま家に帰らずここに戻って来た。最後に電話をしたのはあなただと思われますが、通話履歴を見せて頂いても宜しいでしょうか?」
「………….」
神田は沈黙を通す。深山以外の捜査員は、高橋が何故神田に焦点を絞ったのか分からないみたいだ。
「あなたが最後に新藤に関わった可能性があります。携帯を出してもらえますか?」
「拒否したら?」
「この事件のチームを統括しているのは私です。捜査にご協力頂けないのな強行手段に出るまでです」
何人かの捜査員が不審な表情を高橋に向けてくる。何故神田に執着するのか理解出来ないのだろう。
神田の鋭い眼光がこちらを見る。『お前の事は全てお見通しだ』とも言いたげだ。しかし決定的証拠がない今、自分がアテーナ連続殺人の容疑者だと言って誰が信じてくれるだろうか。その事を神田も十分承知しているようだ。今の彼に残された道は一つ。自分に従う事だ。
大きな息を一つつくと、神田はジャケッドの内ポケットに手を入れると中から携帯を取り出す。そして高橋に投げた。それをキャッチすると志摩のデスクに向かう。
「志摩、この携帯の新藤への通話記録、内容を全て調べろ」
「でも…….いいのか?」
「いいから調べろ」
志摩が不安げな表情をこちらに向けてくる。神田の携帯を自分のパソコンに繋ぐと志摩は解析を始めた。チームは沈黙に包まれ、高橋の不審な動きに誰も口を挟もうとはしない。皆、リーダーの一言一動に目を向ける。沈黙を志摩の低い声が破る。
「新藤への通話記録の最後は昨夜21時57分になってる」
志摩がそう言うと皆、怪訝な表情をする。一人神田だけは無表情に高橋を見つめていた。
夜22時に電話をする必要がどこにあるのか。直帰命令を出したのは神田自身である。
「内容の解析が出来たぞ」
新藤と神田の通話内容の解析が出来たようだ。
「流してくれ」
高橋の命令を受けて志摩が再生ボタンを押す。
『新藤か、携帯だと回線を傍受される可能性がある。よってBプランに変更だ』
『了解しました。そこで落ち合いましょう』
『例の物を忘れるな。尾行に気をつけろ』
『了解』
皆が神田を見る。その目は俄に信じられないと語っているようにも見える。東京支部の所長が部下と規約で禁止されている単独での極秘任務を遂行し、”例の物”、つまり証拠品を持ち出すよう命令しているのだ。志摩も口に手をやり、今聞いた音声が実物でない事を祈っているようである。
「例の物とは、つまり証拠品のUSBで間違いないですね?」
畳み掛けるように言うと神田の表情が少し曇る。
「そうだ」
「つまり貴方は部下に証拠の持ち出しを命令したと。そして新藤は逃走したか、何者かに捕まったと」
「逃走は考えられない。拉致された可能性がある」
「無断で捜査をしていたそうですが、その目的と意義は?そしてBプランとは具体的にどのような作戦だったのですか?」
「………..ここでは言えない」
チームに情報も提供もせず単独で調査するという事は「このチームを信用出来ない」と言っているのに等しい。そして自分達が極秘で調査していた目的も公言出来ないと言う神田に、チームは不信感を募らせていった。そして彼はもはやこのチームをまとめるには権力を失い過ぎた。
「信じられない…..」
捜査員の一人が思わず声を漏らす。特別捜査部長がチームを裏切る行為をし、また法も犯すような強行捜査に乗り出していたのだ。そして部下が一人行方不明になっている。信頼をなくすには十分過ぎた。
深山もこの状況を止めようとはせずにただ見ているだけであった。そして渦中にいる神田に向かって静かに言う。
「新藤に無断で証拠を持ち出させ極秘任務を遂行させた件で、あなたを特別捜査員の権限にて拘束します。いいですか?」
彼の表情からは何も読めない。神田はいつものポーカーフェイスに悲哀の表情を纏いながら高橋の目を見つめる。そして重い口を開いた。
「分かった」
「所長を尋問室に連れてってくれ」
高橋の命令を聞き、捜査員の2人が列から身体を出す。神田は彼を拘束しようとする捜査員2人に自ら歩み寄って行き従順に応じた。チームの皆が所長が降格する様子を見つめる。
神田が横を通り抜ける。無表情とは対照的に彼の目には謎の光が宿っているように感じた。まるで「お前の全て明らかにしてやる」とでも言いたげに。
神田が捜査員に連れられてラボに再び沈黙が宿る。皆、精神的に疲れ果てていた。
チーム内には指揮官を失った事への悲しみと、その指揮官がチームへ裏切りとも取れる行為をした事への落胆、そして新藤の安否を懸念する複雑な心情だけが取り残された。
その状況を見かねた深山が歩み寄る。
「蓮さん。今はあなたが指揮官ですよ」
敢えて皆に聞こえるように深山が言葉を投げた。この崩壊寸前のチームには新たなリーダーが必要だ。深山もそれを理解していた。
チームを見渡すと皆、高橋の指示を待っていた。「あなたなら信じられる」そう目が訴えている。そうだ。やっとこの地位を手に入れた。神田がいなくなり、チームを自由に動かせる今、誰も邪魔者はいない。計画を最後まで実行出来る。
高橋は一度大きく息をつくとチームを見渡した。
「今から私が特捜部長兼、特捜部一科リーダーに就任する。これ以上捜査の延期は許されないゆえ、皆の力が必要だ。宜しく頼む」
捜査員全員が高橋に向かって拍手する。
チームが大きく動いた。そして連続殺人犯が東京支部特別捜査部長に就いた瞬間であった。
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