新たな被害者

『新たな被害者が見つかった。頭に二発銃痕。腕には三日月らしき傷跡。連続殺人と同じ手口と推測される』


チームに連絡があったのは今から10分前。

近くのセメント工場で働く作業員から「人が倒れている」との通報があり、高橋率いるチームは現場に急行する事になった。

現在午前8時。通勤の時間と被ってしまった為、交通量が多く車が思い通りに進まない。セメント工場は東京湾沿岸にある為、この高速道路を抜けないと近くまで行けない事になっている。

助手席には相棒の深山。本人は朝からの呼び出しにも嫌な顔一つせず涼しい顔をしている。


朝彼の最寄りまで向かいに行き、そこから一緒に車で現地に向かっていた。駅のロータリーで待っていた深山の片手には、近くのコーヒーショップで買ったと思われる紙袋。

「蓮さんの分もありますよ」と言って微笑む深山は高橋の分まで買って来てくれたコーヒーを席の横にあるタンブラー置きに置いた。深山はいつもは甘党でミルクや砂糖をこれでもかと入れるらしいが、今朝は眠気覚ましの為のコーヒーなのだろう。今日はブラックらしい。


「動かねぇなぁ……」

公安用のサイレンを使って強行突破してもいいのだが、それでもこの渋滞だと状況は好転しないだろう。気分転換にと深山が買って来たコーヒーを口に運ぶ。すると横に座る深山の頭が傾いた様な気がした。


「おい、寝るなよ」

「……………..」

深山が眼鏡の奥で大きく瞬きをする。

「寝そうだっただろ」

「す、すみません…..」


座り心地のいい革製のシートに座り直し姿勢を正しす。深山が大きく深呼吸をし脳に酸素を送る。目頭をつまむと眼鏡のブリッジを上げる。やはり少し疲れているのだろう。


チームを組んで約1ヶ月。既に東京支部では「最強捜査コンビ」として有名になっているというのは最近聞いた話だ。アメリカ帰りの優秀な監察医がチームに参加している事という事は既に公になっていて、一部のメディアもその情報を聞きつけているようであった。期待されるのは嬉しいが反面、世間を騒がしている大きな事件を若手に任させているという事でお互いプレッシャーを感じているのも事実だ。

ここ一ヶ月休み無く今日も朝5時から起こされ、流石の深山にも疲労の色が出ていた。


「今日は早く帰るか」

「帰りたいですけど。帰れるんでしょうかね」

「お前も変な分析までしてないで早く済ませろよ」

「了解です」

『こちらも下手な動きをされると困るんでね』と心の中で呟く。インターチェンジを過ぎると少し道が空いて来た。

少しスピードを上げて現場を目指した。



東京湾のかの有名な橋から約2km程の人通りは全く無い。目的地のセメント工場はショベルカーやダンプカーが行き交い、エンジン音や機械音で結構な騒音地帯であった。

殺人現場はこのセメント工場の裏手から約70m離れた所にある。見慣れたブルーシートに捜査官が既に集まっており、地元の警察官や検視官も何人か見られる。いつもより捜査員が倍以上多い事から、この連続殺人事件の関心度が把握出来る。

セメント工場の駐車場に車を停めると深山と事件現場に向かう。


「人が多いですね」

「メディアもいるな....」

既に数名の捜査官が到着しているようだ。しかし検死官の深山が来ないと死体に触れない為、証拠の捜索と現場の写真撮影を先に行う事になっている。

深山と歩いていると前方から男がこちらに向かって歩いてくる。見た所、制服を着こなし帽子も被っている。東京支部の捜査員ではない事は確かだった。

「東京支部の方でしょうか?」

「いや、あんな顔知らないぞ。誰だ?」


男は二人の前に来ると敬礼をした。少々驚きつつも軽く会釈を返す。


「海上自衛隊少尉の新山と申します。今回の事件は自衛隊の管轄地区内で起こったので実況見分のみ行なわせて頂きました」

「東京支部特捜部犯罪班リーダーの高橋と検死官の深山です。現状を説明頂けますか?」


はい、と言いながら制服から複数の写真とメモを出す。どうやら東京湾沿岸で起こった事件により海上保安庁まで出動しているらしい。かなり大きな捜査となりそうである。新山少尉は二人に説明を始めた。


「被害者は三島辰也、67歳。東京地検の元裁判官です。彼の奥様から夫が帰って来ないと110通報があったのが一昨日の夜10時。被害者の使っている携帯にGPS機能が付いていましたが電源が入っておらず捜査は目撃証言によって行なわれていていました。遺体を見つけたのは30歳男性、セメント工場で働いているトラクターの運転手です。外傷は見た所頭に二発の銃痕のみです」

「セメント工場で銃声など聞いた人はいませんでしたか?」

そう質問しながら深山が分析に必要な事項を聞きながらメモを取り、利き手でない左手でポケットの中の録音機を作動させる。


「セメント工場は24時間営業していて、常に重機が稼動しているらしいので騒音がすごいらしいんです。なので銃声が聞こえたとしても誰も分からないだろうと所長の方が仰っていました」

「つまり犯人はそれを知ってここを選んだと?」

「ええ、そうだと考えています」


車内で見せた表情とは一変して真剣に少尉の話を聞いている深山を、隣で冷ややかに見つめる。深山はいつも考えると下の唇を噛む癖がある。今もそうして何かを考えているようだ。

懸命に考えている彼を見ると、どことなくこの男の頭の中を自分が右往左往させているのだという謎の優越感が生まれる。

少尉の彼もなかなかの洞察力だ。実際ここのセメント工場を殺害場所として選んだ理由の一つに「騒音」がある。幾らサイレンサーを使っていても銃声は夜間の静かな場所では反響し響いてしまう可能性があるのだ。よって銃声が騒音で消えてしまう場所を三島の殺害に選ぶ必要があった。

『だからこの場所を選んだんだ』

真剣に捜査をする深山にそんな言葉を囁いたら、このポーカーフェイスの男はどんな表情をするのだろうか。意地の悪い考えが浮かぶ。

真剣に少尉の話を聞く深山を一人残し、現場を歩き始めた。


セメント工場の外側を壁沿いに歩いて行く。しばらくすると見慣れたブルーシートが見えてくる。マスコミが少しいるが構わずに歩を進めて行く。


シートの中に入ると何人かの捜査員が被害者の遺体と証拠の写真を撮っている。遺体の周りには黒ずんだ血だまりと、被害者が縛られていたであろう縄のみ。その他は特に変わった物はなさそうだ。朝だというのにチームは忙しなく動いている。現場を見回しているとメンバーの中にある姿を見つけた。

「何か分かった事は?」

声を掛けられた本人は驚いた様な表情をする。「いきなり声を掛けられたから驚いた」というより「どうして敢えて声を掛けてくるのか」とも言いたげな表情をしている。

「れ、れんさん……」

新藤は危うく持っていたカメラを落としそうになる。脅えた表情から先日の駐車場での事件が浮かび上がる。

しかしやはりプロだ。職務に私情を挟まないようにしているのだろうか。すぐに真剣な表情になった。新藤は持っていたタブレット端末を操作しながら画像と現段階の捜査結果を話し始めた。


「被害者の三島は行方不明になった日の夜に殺され、ここで一晩放置されていた可能性が高いです。また今まで起きた三件の連続殺人事件同様、アテーナの象徴と思われる三日月のマークが左腕上腕に鋭い刃物のような物で彫られていました。この事から現場の刑事は早々にアテーナの犯行の可能性が高いと結論付けているようです」

「続けて」

「彼は19775年から1998年までアテーナの専属の裁判官であったそうです。どこかで見た事のある顔だとは思ってましたが、やはり何度はアテーナの事件では必ずと言っていい程裁判官として法廷に立っていたようですね。かなり世間的にも知名度が高い様で、近頃は昼の情報番組などでコメントレーターとして出演していたようです」

「つまりアテーナ側からしたら元アテーナであった彼がメディアなどで情報を流してしまう事を恐れて殺害した可能性もあるな」

「そうですね…」

歯切れの悪い返事をする新藤は、少し焦った様な表情をしながら隣に居るべき深山の姿を探す。今は居ないと悟ったのか目を一瞬見ると不自然に目を反らした。

「何か他にあるか?」

不自然な態度をする新藤に無言の圧力を掛ける。彼の脳裏には駐車場でのあの事があるに違いない。出来るだけ自然を装えと目で訴える。

「報告は以上です。捜査を続けます」

新藤はそう言い残すと、逃げるようにしてブルーシートの外に出て行った。



あの日、新藤に見つかったのは正直不覚だった。

三島を殺害する予定だった事からチームを早々に帰し、自分も退社させたと見せかけ中を取りに東京支部に戻った。夜8時を過ぎると特捜部以外はほぼ全ての社員は退社しており、警備も手薄になる。東京支部内でもそこそこ顔が通っている自分は、地下階の資料庫や武器庫にIDを使用して無許可で入る事ができるという事も監視員には承知されている。そして8時は警備員が日勤と当直の交代が行なわれる時間であり、警備がより手薄になる。

条件は全て揃っていた。全て計画通りのはずだったのだ。新藤に見られていると気付くまでは。


尾行されていると気付いたのは武器所蔵庫から出てからだ。自分の足音に合わせようと後ろで歩を進める何者かに気付き始めた。既にボストンバックには拳銃と縄、手錠、催眠ガスなど三島の殺害に使用する物品が全て入っていた。これを見られるわけにはいかない。

尾行している奴が新藤だと気付いたのは、駐車場に通じる扉をあいつが開けてからだ。つまり正面から顔を見るまで奴だと気付かなかった。新藤が自分に憧れて特捜部に入って来た事も全て知っていたので、それを利用して脅そうと思っていたのだ。しかしあいつは予想外に爆弾を投げて来た。


『神田さんは気付いてますよ。あなたの不審な行動』


神田に気付かれている。そう知った瞬間、様々な可能性が脳内を駆け巡った。

全てを知りながら自分を泳がしているのか。それとも既に容疑者として名前を挙げていて証拠を探っているのか。いや、特捜部全員何もかも知っていて、新藤のようにチームを全て自分の監視に付けているのかもしれない…..

疑念は積もりばかりだ。チームも誰を信用していいのか分からない。


しかし自分は何があっても復讐を遂行しなければならない。.アテーナの組織長を殺すまでは捕まるわけにも殺されるわけにもいかないのだ。

何があっても家族の敵をとる。そう決めたのだ。



ブルーシートから出ると日差しが明るい。セメント工場の機会音がシートから出ると更に大きく聞こえる。これでは銃声は愚か、人の叫び声も聞こえないはずだ。

少し現場を見て帰ろうと付近を歩いていると、工場の壁際で捜査員が二人話しているのが見える。まだ明るさに慣れない中、目を凝らしてよく見てみると見覚えのある二人であった。

「深山と新藤か…..?」

捜査に関する事だろうが、二人が話をしているのは珍しい。

何気なく二人を観察する。深山はいつもの落ち着いた様な雰囲気であるが、新藤は時折眉間に皺を寄せ困惑した様子に見える。近づいて聞きたい所だが声を掛けるべき雰囲気では無い事は確かだ。何を話しているのか。少し嫌な予感がする。


二人の方を見ているのを察知したのか、新藤が深山から離れていった。

その後ろ姿を観察するように見る。新藤は再び逃げるようにして支部のバンが駐車している方へ去って行った。


(もしかしたら監視すべき相手は深山ではなく、新藤なのかもしれない……..)


自分の中で新藤への警戒は最高位に達していた。




「さっき新藤と何を話してたんだ?」

工場を後にした高橋と深山は、再度高橋の愛車で東京支部に向かっていた。

現場の検証を午後3時近くまで行ない、今は本部に戻って捜査の続きと神田への報告を行う事になっている。先程新藤と深山が話していた内容が気になったので窓の外を見ている深山に聞いてみた。

「特に何もないですけども」

不思議そうに見ながら深山は静かに言う。

何も無い事はないだろうと思いつつ焦りを露にしないよう懸命に運転に集中する。


「新藤が何かお前に話してただろう?捜査の事だったらチームで共有する必要があるから教えてくれないか?」


あくまで調査の範疇での質問だと理解させる為、言葉を選び出来るだけ穏やかな声で言う。しかしその気を知ってか知らぬか、深山はメガネの下の切れ長な目をこちらに向けながら口を開く。


「いえ、僕からは初見で分析し分かった事を彼に伝えました。他は特に何も話す事無く別れましたが…」


蓮さんが何か聞きたい事でもあったんですか?そう言いながら自分の方をちらりと見る。

ブルーシートの外で話していた二人は高橋の目から見ると、真剣な面持ちを浮かべ何やら深刻な話をしていたように思えた。見当違いか、それとも。


「何も重要な事は話さなかったのか」

「はい、そうです」

「全く?何も?」

「ええ」


新藤には他言したら命はないと脅した。それがどこまで効くか分からないのも事実。

二人は本当に何も話していなかったのか。それとも深山がただ単に嘘を付いているだけなのか。それとも深山も神田と新藤のグルなのか…….


「新藤さんに聞きたいことでもあるんですか?」

「いや、別にいい」

「そうですか」


そう言うと深山は再び窓の外に目を向けた。深山の表情が読めない事がここでは不利だが、本当に新藤が話していないとなると、この場で深山に聞く事の方が怪しまれる原因となる。

一度新藤の事を忘れようと運転に集中する事にした。


まだ4時なのにも関わらず、段々と日が短くなっているからか徐々に太陽が傾き始める。車内をオレンジ色の光が照らす。深山は相変わらず窓の外を見ていて彼の横顔にも夕日が当たって色づいている。

高速を降り東京支部のガラス張りの高層ビルが微かに見えた。夕日が反射していて本当に宇宙船のようだ。支部を右側に見つつインターチェンジを降りると、ジャケットの中でスマートフォンが鳴り始めた。路肩に車を止め電話の相手を確認すると神田である。少し身体が強張るのを感じ、携帯を落としそうになる。

「大丈夫ですか?」

「ああ、神田さんだ、ちょっと待っててくれ」

そう言って高橋は車から降りた。そして通話ボタンを押す。


「はい、高橋です」

「今どこだ?」

何故わざわざ車から降りたのか不思議に思っているのだろう。そんな表情を深山が向けてくる。


「深山と支部に帰ってますが」

「そうか。向かっている所悪いが、今日は捜査班全体でPC操作のメンテナンスがあるらしいんだ。今帰って来ても記録や捜査ファイルを開けないから今日はそのまま直帰してくれ」

「証拠品などを詰んだバンもそちらに向かってますが」

「資料庫はマスターキーが在れば開くからそちらは心配しなくていい。新藤にも伝えたから心配するな」

「了解しました」


電話先の神田はいつもより焦っている様な様子であった。高橋は少し違和感を覚える。

『神田さんも知ってますよ』

新藤の声が頭の中で響く。神田はどこまで知ってて自分に指揮を任せているのだろうか。今考えても何も好転しない事は知っているが、そう思わずにはいられなかった。


通話を終えると車に戻る。ふうと一息つくと助手席に座っていた深山がこちらを探るように見ている事に気付く。


「システムのメンテナンスで直帰命令だ」

「急ですね」

「まあ、よくあるんだ。仕方ないな」


そう言いながらも違和感は薄れていない。

何故今この時期にシステムのメンテナンスなどするのだろうか。今までシステムのメンテナンスは土日祝日の休日に行なわれ、また年末年始などに集中する事が多かった。またメンテナンスとなると様々な部署に支障が出てしまう為、予め職員全員にアナウンスされる事が規則となっていた。何故急遽、しかも今日入ったのか。

そろそろ頭がパンクしそうだ。大きく深呼吸をすると携帯をジャケットに戻し車のギアを入れ、車を発進させようとする。すると「蓮さん」と深山が呼び止めた。


「何?」

「僕ここで降ります」

「いや、いいって。家まで送っていくよ」

「遠いんで大丈夫です。良ければ近くの駅で降ろしてもらえますか?」


深山も毎日高橋が車で通勤しているのを知っているのだろう。このまま送る事になると迷惑を掛ける事になる。そう思ったのかここで降りようと助手席のドアに手を掛けていた。


「いいから。送って行くって」

「いえいえ、高橋さんも今日は早く帰った方がいいですって」


そう言って頑に好意を断る深山。そんな相棒を見兼ね、突然ギアを入れハンドルを切る。


「ちょっと!何処行くんです?」

「飲みに行くぞ」


困惑する深山をそのまま車に乗せ、市内の方に愛車を走らせた。

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