第15話 あなたは私の支えだから
セフィア=アジュールは生まれつき天才であった。
魔術はもちろんのこと、勉学、運動を始めとして難なくこなすことができた。アジュール家の人間は大抵何らかの才能に秀でていることが多かったが、セフィアはやることなすこと全てに才能があった。
しかし、その才能故に孤独だった。
アジュール家という特殊な家系であることもあり、同年代の人とは少なからず壁が生まれていた。家族からもまるで宝石のように大切に扱われ、実の親からも遠慮されるようになった。
実の妹のラズも、物心ついて数年は他のアジュール家と同じ態度でセフィアと接していた。
周囲の人間はセフィアではなく、セフィアの才能にしか目が言っていない。そのことに気付いたセフィアはただ才能を磨くことだけを行うようになった。自分の存在価値が才能にしか無いのであれば、才能を伸ばさなければ見放される。無意識に強迫観念に追われるようになった。セフィアの孤独はよりひどくなったが、当の本人は気にしなくなった。
そんなセフィアを変えたのは、アクロ=アイトという男だった。
農家という身分にも関わらずアイト家は、アジュール家と交流があった。古くから仲の良い両家は時々親睦会を開いていた。セフィアの年齢が十一の時に行われたその会で、セフィアはアクロと出会った。
セフィアはその親睦会には何の楽しみを抱いていなかった。どうせ頭を下げ、機嫌取りに徹する大人の相手しかしないのだからと思い愛想だけを振り回していた。
「へえ! お前すごい魔術使えるんだな!」
自己紹介した後のアクロの第一声に、セフィアはきょとんとした。圧倒的な魔術の才能を前に慄かず、疎まず、妬まず、ただ純粋な憧れのみをセフィアに向けた少年。才能を利用したいが故にあえて興味を持たないフリをする人とは違い、真正面からセフィアを見た。
自己紹介の後も、アクロは立場や力の差を全く気にせずにセフィアと接してきた。魔術のことだけではなく、友達のように他愛もない世間話にセフィアを付きあわせた。セフィアは戸惑いもしたが、どこか心地がよかった。
それを知られた親に怒られても、アクロの態度は変わらなかった。
「遠慮とか人の顔伺うとか、俺にはよく分からん。いちいちそういうの考えるのは面倒だ」
この言葉を聞いて、セフィアは心から笑った。笑うことができた。そして、“セフィアの才能”ではなく“セフィアという人間”として接してくれるアクロに段々と惹かれた。
故にセフィアは、アクロの前では常に目標になる存在でいると決めた。彼が自分を常に見てくれるように、実の妹にも敬語で話すようにし、欠点がない完璧な魔術師でいると決めた。
アジュール家の当主となったのもそのためである。ある時は魔術を指導する先生となり、ある時は家事をこなす姉になるのも、全てはアクロにとっての自分を完璧にするためであった。
その想いをセフィアは10年間ずっと持ち続けてきた。
魔術が使えなくなりアクロの目標でいられなくなった時、セフィアは頭が真っ白になった。自分の積み上げた全てを失った。それはセフィアの持つ数多の才能ではなく、アクロの目標として積み上げた自分に対しての喪失感だった。また見放されるんじゃないかと。また一人になるのではないかという負の思考に苛まれた。
故に酒に溺れた。酒を呑むことで心地良い気持ちになり、現実を忘れられるという偏見を信じ、セフィアはひたすらに口に注ぎ込んだ。
「お姉ちゃん!」
ラズは血相を変えて、セフィアの部屋に入ってきた。
セフィアはベッドからのっそりと起き上がる。アクロが看病に来る“夢”を見たおかげか、心は落ち着いていた。完璧じゃなくなった自分でも一生懸命アクロが開放してくれた夢はセフィアの心を幾分か落ち着かせた。
「さっき、あの緑髪女から連絡があったわ。アクロが魔術の負荷に耐えられなくなって回路が傷ついているの。それも、体に影響が出るくらいに」
「そう……でも、今まで魔力を多く用いる魔術を使っていないことから考えると、容易に想像できますね」
「容易に想像って……じゃあなんで助けに行こうとしてないの!」
セフィアはまだ夢の余韻に浸っていた。ラズへの回答は反射なようなもので、深く考えていなかった。その後も矢継ぎ早にラズが何かを言っていたが、頭に入ってこなかった。
なぜラズが怒っているのか理解できず、ただ首をかしげることしかできなかった。
「もういい! お姉ちゃんのバカ! 私だけで助けに行くから!」
ラズは身を翻しドアに向かって、荒々しい足音を立てながら帰る。
ラズにバカと言われたのは初めてかも知れない。そんな呑気なことを考えていたセフィアだが、次の一言で強制的に夢から醒めることになる。
「お姉ちゃんはアクロが死んでもいいのね!」
アクロが死ぬ。その一言に、セフィアの顔からさっと血の気が引いた。
「嘘でしょ……?」
か細い声はただ闇に吸い込まれる。ラズは部屋から飛び出してしまったため、セフィアの問に答える者は誰もいない。
“回路が傷ついている”という言葉の重さをセフィアは今更ながら感じていた。このまま酷使すれば、良くて一生魔術が使えない体になり、悪くて死に至る。
アクロに見放されるのは怖い。
しかし、アクロの死はそれ以上に怖い。
当たり前のことにセフィアはようやく気付いた。
「どうすれば……どうすればアクロを……」
今のセフィアには魔術が使えない。それに、アルアスカまで行く方法を持っていない。アクロの魔力の気配を感じれるため迷いはしないだろうが、徒歩では時間がかかりすぎる。かといってお金も持っていないためお金の発生する移動手段は全て使えない。
セフィアの目に涙が浮かび、思わず目をシーツに押し当てる。人生で初めて感じる絶望、無力さに嗚咽する。
泣いたところでどうにもならない。頭では分かっているのに、目から流れる涙が止まらない。
「アクロ……私……」
全ては心が弱かったセフィアが齎した。
アクロだけが魔術を使えるという現状から、彼が無理をするかもしれないと予測して根回しすべきだった。
アクロだけに負担が掛からないような策を考えるべきだった。
次々溢れ出る後悔。しかし、それは後悔でしかなく、アクロを救うための手にはならない。
セフィアの涙が枯れかけ、嗚咽だけが部屋に響くようになった時だった。
がちゃがちゃと金属が擦れる音と大きな足音が複数聞こえ、部屋の前で止まる。
「セフィア様! いらっしゃいますか! 私は第4師団長オリヴィア様の言伝と命を受け、こちらに参りました」
オリヴィアは顔を上げ、声が響く扉の方に顔を向ける。
若い男の声がセフィアの部屋に響き渡る。
「以下、言伝です。“アクロを助けたければ、貴公の知恵が必要だ。来なければアクロはお前たちのために死を選ぶだろう”」
アクロが死を選ぶ。今回は冷静にその言葉を聞くことが出来た。
言われずとも、アクロの現状は想像できていた。憧れていた魔術が使えない体になろうとしてまで、アクロは二人を元に戻そうとしている。アクロは命すらも支払ってセフィアとラズを助けるだろう。
面倒くさがり屋に見えて、根は真面目で優しすぎる男の子なのだ。
「そしてオリヴィア様から受けた命は……セフィア様が臨むなら、アルアスカに連れて来いとのことです。如何されますか?」
セフィアはその言葉を聞いて、思わず笑ってしまう。
「……如何するか、ですって? 拒否権が無いことを分かっていながら敢えてそれを問うなんて、あなたは捻くれています」
答えが1つしか無く、問にもならない。どちらかと言うと脅迫であった。
セフィアは布団から足を出し、立ち上がる。久しぶりに立ったことでくらりとバランスが崩れるが、なんとか踏みとどまる。
アクロの前に立つのは怖い。今の自分を見て嫌われたらと考えると全身が竦み、震え、立ち止まりそうになる。
だが、本当に怖いのはアクロがいない世界だとセフィアは自分に言い聞かせる。
パジャマを脱ぎ捨て、クローゼットの中にかけていた制服を取り出しそそくさと着替える。いつもであれば化粧台の前に立ち身だしなみを整えるのだが、その工程を省いた。完璧な自分を彩るより、アクロの命を救うほうが先決だ。
そして最後に、銀のカチューシャを頭に付ける。
アジュール家当主の象徴でもあるそのカチューシャを鏡越しに一瞥し、部屋の扉を勢い良く開けた。
「案内してください。私が……セフィア=アジュールが勝利へ導きましょう」
セフィアは決心した。
アクロを生かすために全力を尽くすと。
――あなたは私の支えなのだから。
魔族によるアルアスカの攻撃は、寸前のところで食い留めていた。
第四師団の多重結界、軍式雷魔砲、オリヴィアとアクロを前面に展開した守り……使える手を全て使い、なんとか防衛線を維持していた。
どれか一つでも失えば、一気に魔族が流れ込んでしまう状況でもあった。
「アクロ、無事か!」
「ああ、なんとか」
二人目の幹部を倒し終えたオリヴィアとアクロは、互いに状態を確認する。
アクロは丸二日眠っていたおかげか、わずかながら魔力回路が回復していた。折れた腕などの体の不調も治癒魔術により回復していた。しかし、いつ異常をきたし魔術が使えなくなってもおかしくはなかった。
極力アクロに大技を使わせなくてもいいよう、オリヴィアが敵を弱らせ、とどめをアクロが指す形での連携をとっていた。おかげでまだ二頭の紺龍しか出さずに済んでいる。
「ほっほっほ、おやりになりますね」
魔族の大群の中から、場違いに上品な笑い声を上げた魔族が姿を表した。
身長が三メートルを超える巨大な図体で、刺々しい鎧に身を包んでいる。贅肉がついている丸っこい成りをしており、あまり強そうには見えない。
「あなたがたは、魔族の中でも強力な存在を幹部とお呼びしますが……それなら私は“幹部長”とでも言いましょうか」
ざわざわと兵がわななく。アクロがなんとか倒せる幹部よりも、更に強い幹部長とこの魔族は名乗った。
だがオリヴィアは動じない。いちいち動じては、師団の長が務まらない。
「もし貴方方がここで引き返すというのであれば、これ以上命は――」
「軍式雷魔砲……撃て!」
オリヴィアは即座に命令を下す。
魔族の話など聞くに値しない。進路を塞ぐ存在であるなら薙ぎ払う。それ以上でも以下でもなかった。
相手は図体が大きいため、遠距離射撃の的になる。行動を起こされる前に仕留めるべく、オリヴィアは命令した。
発射されたのは三発。バラバラの方向から巨体の魔族に向かって放たれる。
「私の名は、イウェレス。王ヴァチカリアの片腕と呼ばれております」
イウェレスは丁寧に自己紹介しながら、手を左右に広げる。
途端、頭から伸びる禍々しい三本の角が光り、イウェレスへと放たれていた3つの砲弾が霧散した。
「なっ……あれだけ高密度な魔力を一瞬で」
複数人の魔力が練られた軍式雷魔砲を一瞬で消し去った。
あまりにも早過ぎる魔術にオリヴィアの目には何が起きたか捉えられなかった。
「なら私が!」
オリヴィアは剣を構え、瞬く間もなく即座に接近する。
遠距離攻撃が無駄であるならば、近距離攻撃で斬り殺す。未知の攻撃をされる前に、油断をしている内にその醜い顔をぶった斬る。
「ほお、随分とお早いこと」
イウェレスは全く動けていない。その図体の大きさから速く動けるわけではないだろう。筋力強化魔術を仕ったとしても、その大きさゆえの大きな動作で避けることは容易いはず。
しかし、イウェレスの目がオリヴィアを完全に捉え続けていたことには気付けなかった。
「はあっ!」
渾身の魔力を込めた袈裟斬り。
オリヴィアの魔術師としての真髄は剣術でも体術でもなく、魔力収束術である。
厚みがほぼ無い剣刃に魔力を収束させ、あらゆる結界を切断する刃を作り上げている。第4師団で運用している軍式雷魔砲も、オリヴィアによる魔力収束の指導があって生まれた。
数多の魔族を葬った一刀必殺の刃が、イウェレスの太ももを狙う。
だが、寸のところで刃がぴたりと静止する。
「なっ……!!」
オリヴィアの目が見開く。
どれだけ力を込めようと、筋力強化を幾重にも掛けて引っ張ってもぴくりとも動かない。上下左右前後、どの方向に剣を振ろうとしても動かすことが出来なかった。
防がれたというより、掴まれたという感触に近い。
「こわいこわい。ここまで綺麗に凝縮された魔力を見るのは初めてですな」
イウェレスの細い目が、オリヴィアを見下ろしニッコリと半月を描く。
ぞくりとオリヴィアが体を震わす。降り注ぐ殺意に身を竦めてしまう。
「オリヴィアを離せ!
加減をしたらオリヴィアが殺される。そう判断したアクロは上限である10頭の龍をイウェレスへと向ける。
魔力回路のことなどアクロの頭にはなかった。オリヴィアを助ける、ただそれだけのために力を振るう。
「今度はすごい量の魔力の波ですな……今日の“祭り”は大変出来が良い」
「言ってろ!」
イウェレスが掌を龍へと向ける。そして拳を握った瞬間に10頭同時に消え去った。
懇親の術が一瞬にして消え去った。
「嘘だろ……」
その隙にオリヴィアは剣から手を離し、オリヴィアから距離を取る。イウェレスはあごひげを撫でながら、優雅にアクロの方へ歩く。後ろにいる魔族たちは、その様子を黙って見ていた。
アクロはただ呆然と、迫る死の予感を感じることしか出来なかった。
アクロらが戦う後方で、フィルは兵の指揮に徹底していた。
後方の軍はまだ被害は少ないものの、徐々に乱れが出始めている。王自身が指揮する軍なだけではあり、フィルが想定していた遥か多くの魔族が出撃していたためである。
今までは戦闘を突き進むアクロとオリヴィアが敵の主戦力を倒し続けていたおかげでなんとか均衡を保っていた。しかし、今戦闘の歩みが止まっている。
どうやら強力な敵と対峙しているらしいことは分かっていたが、そのせいで魔族が次々とアルアスカに向かって進軍しようとしていた。
「このままでは……いずれ突破されてしまう」
この日のためにフィルは100を超える手を用意し、アルアスカを守るために全力を掛けていた。
それでも魔族の圧倒的な戦術を前にその全てが灰塵に化そうとしている。フィルは頭を抱え、“諦め”という言葉が脳をよぎった時だった。
「こんにちは、参謀さん」
フィルの隣に一人の少女が立っていた。
彼女は流れる川のように澄んだ青の髪を撫でながら、悪化する戦場を見渡していた。。
「あなたは……セフィア=アジュール様ではないですか。どうしてここへ」
「長に呼び出されたのです。……なるほど、状況はあまり喜ばしくないですね」
セフィアは卓上に広げられている戦場の地図と、書き込まれている戦の情報を見ながらつぶやく。
「……なるほど。私が指揮を取り状況を立て直したいところですが、アクロたちを抑えている魔族を倒しに回ったほうが先決ですか」
セフィアは脇に置いてある食料の荷台に立ち、アクロのいる方向へと目を向ける。
フィルは目を疑った。ここからアクロらのいる場所までは5キロほど離れている。肉眼で見えるはずがない。魔力を使い強化したのであれば別だが、セフィアは魔術が使えない筈だった。
「あなたは一体何を……」
「アクロの魔力を感じ取っているだけです。なるほど……そういうことですか」
何かに納得したのか、セフィアは荷台から軽快に飛び降りる。
「参謀さん、私はアクロの元へ向かいます。兵を三人ほどお借りできませんか?」
「そんな無茶です! 魔術が使えない貴方が、前に出るなんて!」
フィルは立ちはだかるようにセフィアの前に立つ。
セフィアの行動は正気とは思えなかった。
「貴方が行ったところで良くて足手まとい、悪くて人質です。アクロ様を救いたい気持ちは分かりますが、どうか冷静に……」
「私は至って冷静です。……参謀さん、あなたはアクロたちの“魔力の気配”がここから感じ取れますか?」
セフィアの問に、フィルは首を傾げる。
「何を言っているのですか? 魔力の気配……魔力の流れのことを言っているのであれば、肉眼でしか見れませんが」
「そうでしょうね。でも、私ならアクロの魔力の気配が感じ取れます。いえ……私達の世界の人間であれば、感じ取れるのです。魔術が使えなくなっても、この力は生きていたようですね」
「たとえ見えたとしても、どうしようというのですか?」
セフィアは、アクロにとっての人質だとオリヴィアは言っていた。それならば、安々と死なせるわけには行かない。そもそも一人の軍人として、戦力にならない人間を前線に送り込みたくはなかった。犬死にするのは目に見えている。
「魔力の気配が見えるがゆえに、相手の術が見破れました。私が行かなければ、おそらくあの二人は魔族に殺されるでしょう」
セフィアは無理矢理フィルをどけて、アクロの元へと歩み始める。
フィルはそれ以上何も言わなかった。この状況下で無策で進むほどセフィアは愚かではないと思っていた。以前オリヴィアに聞いた話だと、セフィアは別世界の王の騎士だと聞いていた。命の重さについては分かっている筈だ。
何度止めようとしても無意味なのであれば、進ませるしか無い。
「分かりました。お手上げです。兵は勝手に使ってください。私の名前……フィランダー=ベレスフォードを使えば従ってくれるでしょう」
「ありがとうございます。恩にきります」
セフィアは顔だけ振り返り、頭を下げた。そしてすぐさま前を向き、アクロの元へと進む。
フィルは小さくため息をついて、空を見上げた。
「頼みましたよ、異世界の騎士様」
「あいつはバケモノか」
オリヴィアは苦々しい表情をしながら舌を打つ。
どの角度から、どのような魔術を使おうとも全てイウェレスの掌で消し飛んでしまう。何らかのタネはあるのだろうが、二人は一向につかむことが出来なかった。もちろん、アクロの魔術は使用していない。
「そうだな、オリヴィア。……あいつをこれ以上進めさたら危険だ」
「分かっている! 問題は、あの全てを無効化にする謎の能力を突き止めなければならない!」
ただでさえアクロは術の使用が制限されている中、物は試しと無闇に手を打つ訳にはいかない。
アクロは必死に考えるが、戦闘経験の浅いアクロには思いつくはずも無かった。迫る恐怖に尻もちをつきそうになるが、必死に足で体を支える。
「俺には、やっぱこれを打つしか無い」
アクロは覚悟を決めて、右手をイウェレスに向ける。イウェレスの能力を突き止めるため、可能な限り攻撃をし続けるつもりだった。
「やめろ! 何発も打ったらお前の体が持たないぞ!」
オリヴィアは叫んでアクロの右手をおろそうとするが、それをアクロは振り払う。
「それでも……王に辿り着くにはあいつを倒すしか無い! 分かっているだろう! 一人の人間か多数の民、どちらを取るべきかを!」
「っ……」
民を話題に出されたら、オリヴィアは何も言えなくなる。 オリヴィアがうつむくのを見てから、アクロは腕に魔力を集中する。街を吹き飛ばしたほどの魔力であれば、如何にイウェレスでも掻き消しきれないと信じて。
また限界を超えて魔力を使えば、アクロの体は後戻りできなくなる予感もしていた。
それでも、アクロは躊躇わない。アジュール姉妹が救えるなら身の犠牲も厭わない。
そしていよいよ術を発動しようと口を開いた時だった。
「……ビビリが治ったと思ったら、今度は熱血になってしまったのですか?」
アクロが振り向くと、そこにはセフィアが立っていた。
学園の制服を身にまとい、アジュール家当主の象徴たる銀のカチューシャを付けて。
「セフィア……なんでここに」
名を呼ばれた途端ピクリと肩が震えたが、表情を変えずにイウェレスを見ていた。セフィアは唖然とするアクロの脇を通り、イウェレスの前に仁王立ちする。
その姿は酔っぱらいでも二日酔いしているダラけた少女ではない。
アジュール家当主、セフィア=アジュールだった。
セフィアは魔術が仕えない。どうやってこの場を切り抜けられるか想像もつかない。
それでもアクロには、セフィアの登場によってイウェレスに勝てると思ってしまった。
「どうやらこの世界の人は、ある一定以上の魔力密度がなければ魔力を見ることが出来ないようですね。私達の世界みたいに感覚では捉えられないみたいです」
「何を言って――」
「もう手は打ってあります」
オリヴィアの言葉を無視してセフィアは空を指差す。
空には球形の魔力の塊がいくつか見えた。そのどれもがイウェレスに向かって降り注がれていた。隕石のように、空から魔力の塊をぶつけるつもりなのだろうか。
イウェレスは呆れたようにため息をついた。
「一体何をしたいのか知りませんが……。まさか、“横からの攻撃がダメなら上から”というような短絡的な思考による攻撃では無いでしょうね?」
イウェレスは空に手を伸ばし、ある程度近くなったところで魔術を発動する。
魔術である以上、イウェレスの謎の能力により掻き消されてしまう。一体セフィアが何をするつもりなのか、その場にいる全員が分からなかった。
「これを止めたあとでじっくりとあなた達をいたぶ……」
イウェレスの言葉が途切れた。
魔力の塊と思っていたものから突然岩が飛び出し、イウェレスの顔面を貫いたのだ。そのまま断末魔をあげず、次から次へと岩が降り注ぐ。大きな地響きとともに煙と血が巻き上がる。
「どういうことだ……。アクロ、分かったか?」
「俺にも全然……」
なぜ岩が霧散しなかったのか、検討もつかなかった。しかし事実として消されず、イウェレスの顔面を貫いた。
しかし、あれだけ苦戦した敵をものの数秒で葬った彼女は、やはりアジュール家当主に違いなかった。
「あの大きい魔族の能力は、“魔力停止”……魔力作用魔術に分類される魔術です」
理解が及ばない二人にセフィアは説明する。
イウェレスの能力“魔力停止”は、自らの魔力で対象の魔力を囲い、動作を停止させるための魔術。オリヴィアの剣を止めたのは剣を纏っていた魔力を停止させたためであり、紺龍や雷魔砲が掻き消されたように見えたのは魔力が停止させられエネルギーが消失したからである。
魔力に直接作用する魔術はかなり難易度が高く、それを使いこなせる魔術師はセフィアが知る中でも五人はいなかった。
「私の目には、あの魔族が剣や魔術ではなく魔力そのものを止めているように見えたので気づけました。それから近くに居た兵に、魔力をまとった岩をあいつの頭上に跳ばさせました。魔力はかなり薄っぺらくさせ、急に停止させられれば慣性の法則で破られるよう施しました」
魔力の弾だと思い込んだイウェレスは魔力だけを停止させ、膜から飛び出た岩によって潰された。
魔術障壁を張っていなかったのは、おそらく魔力停止は自分の魔術障壁の魔力さえ止めてしまうためであろう。そして、自身の能力に対する絶対的な自信と油断が、この結果を招いた。
「ありがとう、セフィア。助かった」
「いいえ。あなたこそ、アクロを今まで守ってくれてありがとうございます」
オリヴィアが差し出した手を、セフィアは握った。
「そういえばセフィア……目、どうしたんだ? 赤くないか?」
「っ! な、なんでもないですから! じっと見ないでください!」
来る途中にアクロの死を考え涙してしまった目を、セフィアは勢い良く拭った。
「それより、早く王の元へ行きましょう。あの馬鹿が一人で向かっているかもしれません」
「ラズ……あいついっつもこういう時は先に危険なところに行くよな」
ため息をつくアクロに、“アクロのために自ら危険を排除しているんです”とセフィアは言えなかった。
言ったところでラズが無鉄砲であることには変わりなかったが。
「ところでアクロ……あの……私は今力が使えないのですが……」
しどろもどろになり何かを伝えようとするセフィア。
戦闘前にセフィアは聞こうと考えていた。今の魔術の使えないセフィアが、アクロに取ってどう映っているかを。
しかし、いざ訊こうとすると返事が怖くなり呂律が回らなくなる。頭が真っ白になり、何を喋るべきか分からなくなる。
その姿を見て、アクロはくすりと笑った。
「足手でまといになる、とでも言いたいのか? 言っておくがそうは言わせない。今でもセフィアは俺が尊敬するセフィアだ」
「アクロ……」
セフィアの目にまた涙が浮かぶ。それは不安の涙ではなく、安堵の涙。優しいアクロは夢の中だけではなかった。
「こほん」
オリヴィアの咳払いで、セフィアは我に返り顔を真っ赤にして俯いた。
「師団長としては、戦力外を連れて行く気はないが?」
「セフィアは魔術が使えなくても頭と魔力を見る目は戦力に値する筈だ。それは既に証明されているのではないか?」
頭を穿かれた魔族を見て、オリヴィアは表情を和らげる。
「確かにな。すまん、ただの嫉妬だ」
その言葉にセフィアはまた俯いてしまった。
「では、王の元へ行くぞ!」
イウェレスを失い混乱する魔族の群れに突っ込むオリヴィア。
「行くか、セフィア」
「……うん」
アクロの差し出された手を、セフィアは繋ぐ。
それは初めてアクロとセフィアが出会った親睦会で、アクロがアイト家を案内する時に行った言葉と全く同じであった。
セフィアは少しだけ素の表情で頷いた。
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