第16話 あなたは私の希望だから

 ラズ=アジュールは生まれつき努力家であった。

 平凡な才能しか持ち合わせていなかったラズは、優秀なセフィアと比べ続けられ幼い頃から惨めな思いをしていた。どれだけいい成績を出そうが、どれだけ戦果を上げようが、“姉には勝てない”という言葉が必ずつきまとっていた。故に姉を追い抜かさんと人一倍の努力を続けていた。

 どれだけ研究をし、どれだけ手段を探り、寝る間も惜しんで努力してもセフィアに辿り着くことはできなかった。

 ラズは日に日に焦りを感じ、ある時は禁忌の魔術に手を出すことさえ考えた程だった。そしてある時からラズは笑わなくなった。


 そんなラズを変えたのもアクロだった。


「俺、魔術全く使えないんだ」


 初めてあったとき、アクロはニコリとそう言った。ラズは何故笑えるのか理解できなかった。周りに見下され、嘲笑されるべき立場にいるアクロが何故笑えるのだろうかと。


「なんなら俺も一緒にやるよ、特訓。一人より二人の方が楽しいからな」


 そんな胸中も知らずアクロはラズへと近寄ってくる。初めは拒絶を示していた。所詮傷の舐め合いだと、弱き者が一緒に特訓に励んだところでどうなるのかと。最初は強引に、ラズはアクロの特訓に付き合わされた。だが、ラズと似た境遇であったためか、知らぬうちにアクロとの魔術の訓練を自ら行うようになっていた。


 そのおかげか、ラズは魔術の才能を勢い良く伸ばしていった。挙句の果てには姉さえも使えない“魔法”を使えるようになった。段々二人の間に魔術の差が生まれてきたが、アクロは共に特訓を行った。面倒くさいと言いながらも、最終的には毎回ラズについてきた。

 ラズが正しい方向に努力を行い、そして魔法を取得し姉と並ぶほどの魔術使いとなり、姉と同じくアジュール家当主になった後も二人の関係性は変わらなかった。


 ラズは心のどこかで後悔していた。もしアクロに適した特訓をしていればこれ程差がつかなかったのではないかと。対等になれたのではないかと。

 ラズは次第に、アクロに過激な特訓をさせるようになった。ラズの叶った夢を、アクロに叶えさせるために。


 だがこの世界に転移したと同時に、ラズは努力した全てを失った。そしてアクロは一瞬で夢を叶えた。


 また一人ぼっちになったと思うと、ラズは悲しみの渦に囚われてしまった。夢を叶えたアクロは、あの時みたいに一緒に努力してくれない。

 本当の孤独になってしまった。力を失ったことにより、そのことの方が心に大きく響いた。

 実際にアクロがラズと会う時間は僅かになり、代わりにオリヴィアと会う時間が増えた。


「このまま闇に沈みたい……」


 真っ暗になった部屋でラズは夢へと逃げた。

 アクロと横に並んでいた頃の夢を。


 そしてある日耳にした、アクロ危篤の知らせ。魔力の過剰使用による命の危機にラズは悲しみや戸惑いよりも、大きな怒りを感じた。

 勝手にラズに期待を持たせ、勝手に離れていき、勝手に消えようとしているのだから。


「お姉ちゃんはアクロが死んでもいいのね!」


 セフィアはラズ以上に現実逃避していた。セフィアがラズ以上にアクロに依存していたことはなんとなく分かっていた。

 だが仮にも当主たる人間がいつまでも腑抜けていいはずが無い。


「それなら、私が行く」


 剣を片手にラズはオリヴィアが寄越した兵に付いていく。剣1つで王のもとに行けるかどうかわからないが、四の五の考える時間はない。戦場が見えた頃、ラズはアクロのいる方向とは別方向に強力な魔力の気配を感じた。

 ラズはセフィアほど精密に魔力の動きを感じ取れないが、魔力が感知できる距離はラズの方が上であった。


「どうせこの場所にはお姉ちゃんが来る……なら私のやるべきことは、それまであの敵を近寄らせないこと!」


 ラズは移動用の魔術陣から降り、目標に向かって駆け出した。

 可能な限り魔族のいない場所を走り、襲われた時はラズの魔剣で切り刻んでいく。強化魔術が残ったままの剣は、魔族の硬い肌や障壁を安々と切り裂いた。防御魔術を用いて切れそうに無い敵は相手にしないようにした。また、ラズ目掛けて放たれた魔術は剣を盾代わりにして切り抜けた。

 セフィアと違い、ラズには魔剣がある。魔力を秘めた青い剣を振りながら、赤い砂の上をひたすら駆け抜ける。


 ある程度走ったところで、ラズの周囲に魔族がいなくなっていたことに気付いた。魔族側に魔術がある以上、撒いたとは考えにくい。しばらく王への最短距離を真っ直ぐ走ったが、一体もラズを追ってこなかった。遠距離魔術が飛ばされているような気配もしなかった。


 ラズの脳に浮かんだのは“罠”という言葉だった。誰かの意図で、ラズはこの場所へと連れて来られているのではないかと。倒しやすい魔族を上手く配置し、この場所へ誘導したのではないかと。だがもしそれが本当なら、魔族の王は配下の命を駒にしか見ない、極悪非道な性格の持ち主となるが。


 少し思考に耽ったラズは、考えるのをやめた。今のラズにはこの状況を正確に判断できることはできない。それにたとえ罠であろううと、ラズは引き返すことが出来ない。数日間部屋に引き凝っていたためか、疲労で膝が動かしにくくなっていた。後ろから敵が追ってきてないことをいいことに、休憩をはさみながら足を進めた。


 それから歩き続けて一時間後、ラズは巨大な魔力の塊の中心へと辿り着く。押しつぶされそうな巨大な魔力だったが、本気を出したセフィアの魔力すら上回っていた。王を名乗るだけのことはあるとラズは悠長なことを考えていた。

 魔力の塊の前には、大きな黒い羽を羽ばたかせ、5本の角を持った男が立っていた。顔には骸骨のような白い仮面をかぶり、薄気味悪さが増している。ボロボロの黒い布に身をまとい、赤黒い皮膚が見えている。


「我が名はヴァチカリア。よくぞここまで辿り着いた、異世界の者よ」


 しわがれた声が砂丘へと響く。ただそれだけで周囲に赤い砂塵が吹き荒れる。膨大な魔力が大気圧を歪ませ、風を発生させた。

 圧倒的な力を前にしても、ラズは全く動じていなかった。


「魔族にも魔力回路は見える。全く魔力が流れぬ身でよく我の前に立ったな。命知らずも甚だしい。それとも何か策があるのか? この我を倒せる策が」

「倒せなきゃ来ないわよ。言っとくけど私、負けない試合はしない主義なの」


 たとえ相手が王だろうが、ラズは決して臆さない。魔力量に圧倒的な差があるとはいえ、ラズには体術と魔剣がある。

 うまく隙を付けば、倒せる可能性は無くはない。

 それに可能性が無いと思い込んでしまえば、見えるものが見えなくなってしまう。


「なるほど、おもしろい。その自信はどこから来るのか不可思議だ」


 興味深げに顎を撫でながら、ヴァチカリアはラズの右手に握られている剣を観察する。


「その剣にはかなり多い魔力が蓄積されているようだが、その程度が策だとは言うまい?」

「言わないわ」


 ラズは剣を空高く掲げ、そしてくるりと回転させ、素早く振り下ろす。

 ヴァチカリアは思わず目を見開く。蒼き剣の切っ先は、ラズの腹に向いていた。

 ラズは目を瞑り、アクロの姿を思い浮かべる。


 ――あなたは私の希望だから、私の全てをかける!


「正気か……貴様」

「正気よ!」


 そして、ラズは思いっきり腹に突き刺した。血が砂へと降りかかり、苦痛でラズの背が曲がる。刹那、ラズの体に幾重もの魔術式が走る。次から次へ肌を伝い、体中が青い幾何学模様で覆われた。

 剣に施された機能強化式、対魔術攻撃式、対物理攻撃式……数多の強化魔術をラズの肌へと付加させたのだ。


「……人体向けに構築されてない魔術を人体に付加する。それがどれだけ危険な行為か、貴様も分かっていよう」

「何、心配してくれてるの?」


 ラズは挑発的な笑みを王に向けるが、その顔は苦痛に歪んでいた。

 数多の術式を付加していたが、痛みを感じなくさせる術式までは盛り込まれていなかった。そもそも剣に付与されている術式を体に移しているだけであるため、あまり豊富な術式があるわけではない。それでも、無いよりは遥かにマシだ。


「興味があるだけだ。常軌を逸した行動を取るその心にな」

「へえ、随分余裕な態度を取るのね」


 ラズは体に剣を突き刺したまま、ヴァチカリアへと顔を向ける。

 不意に、ラズの姿が消える。機能強化式がラズの足の速さを最大限にまで引き上げ、目にも留まらぬ走りを可能にした。むしろ走るよりも飛ぶに近い。


「はあーっ!」


 ヴァチカリアが気付いた時には、既にラズは眼前にいた。右手に纏わせた対魔術攻撃式が次々と魔術障壁を貫き、ラズはヴァチカリアの足元へと辿り着く。


「きさ――」


 息をつく間も与えない容赦のない拳がヴァチカリアのみぞおちにのめり込む。声にならない悲鳴をあげ、ヴァチカリアはその場へとうずくまる。続けて、強化された足でこめかみを蹴飛ばす。脳への攻撃を行うことによって、魔術の発動を阻止することが目的であった。ヴァチカリアの体は砂の上を転がり、動かなくなる。

 ラズの猛攻に一片足りとも容赦はない。手を抜いた瞬間、訪れるのはラズの死なのだから。

 

「はぁ……はぁ……」


 ラズは死を確認するまで攻撃するつもりだったが、足を止めてしまう。限界を超えた筋肉の使用は、その分疲労も溜まりやすい。それに人体に適しない魔術はラズに大きな負荷をかけているため、常に激痛が全身を走っている状態となっていた。

 長い時間この状態にいるとラズは二度と戦えない体になる。それでもアクロが無事に済むのであれば、喜んでその結果を受け入れる。

 アクロへの想いを胸に奮起し、ラズは一歩ずつ前へと進む。


「これは中々の破壊力だ……危うく死にかけたぞ」


 ヴァチカリアはゆらりと体を揺らしながら立ち上がり、痛そうにこめかみを撫でる。


 ラズは唖然とながら素早く後退した。ヴァチカリアから、異様な気配を感じ取ったからだ。

 先ほどの二撃は、どちらも人間に与えるべきでない致死量の力を込めていた。対魔術攻撃式の効果により、障壁や魔術による防御強化は全て無にできている筈だった。障壁で防がれた感覚もない。どれも肉や骨の感触が手に伝わっていたため、間違いはない。

 呆けているラズに、ヴァチカリアは不気味な笑みを浮かべた。 


「魔族というのは、人間と違い非常に生命力のある生き物だ。私はその性質を身体に取り込んだだけではなく、昇華させている。並大抵の攻撃はすぐさま治癒する」

「どういうこと……? 」

「つまり、私は魔族を束ねる王ではあるが、魔族ではない。彼らの力を取り込んだ人間というわけだ」


 ラズはヴァチカリアの言葉が鵜呑みに出来なかった。

 つまるところ、この戦争は人間対人間だったというわけだ。


「そんな……無茶苦茶な」

「無茶ではない。現に目の前にいるのだから」

 

 それ以前に別人種の特性を取り込むなど、常識では考えられない。

 ラズの世界では、数多の禁術を組み合わせてようやく完成するような代物である。行った瞬間に国を敵に回し、即座に斬首刑が確定するほどの許されざる行為である。


「許せない……生き物を冒涜し命を弄んだあなたは、私が首を切り落とす!」


 再び構え、体中に力を貯める。

 しかし、彼は小さく笑った。




「まさか……魔術を使えなくなってもこの恐怖を感じるとは、さすがアジュール家当主と言ったところか」




 その言葉に違和感を抱き、ラズは大きく目を見開く。

 ――なんで、私の名前を知っている? なんで、私が当主だと知っている?

 ヴァチカリアには一言も名を言っていない。言葉からすると、彼は魔術が使えた頃のラズすらも知っていることになる。

 先ほどの攻撃でひびが入った仮面が顔から落ち、素顔が明らかになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る