第3章 救うための戦

第11話 初陣

 魔族の支配下に置かれた土地は、時間が経つに連れ赤みを帯びるようになる。これは魔族の魔力が地に染みているためである。魔族の魔力は人間や植物に悪影響を多く及ぼすことで知られている。実際に、赤色に変わった土に生えている植物は例外なく枯れ、長時間砂の上にい続けたために体調を崩した人もいた。その不気味な土の上を歩き続けて1日、アクロ含む第4師団はアルアスカの傍にまで迫っていた。

 今のところ、第4師団は魔族には一人とも交戦していない。

 キムランが倒されたことで、各街の守りを固めたのだろうとオリヴィアは推測していた。

 魔族の幹部でもキムランほどの実力者は少ないため、彼を倒されたことによってアルアスカ周辺の魔族は弱気になって街から出てこない可能性も考えられる。

 つまり、攻めるタイミングは今しかない。


「見えた。あれがアルアスカだ」


 隊の先頭にいるオリヴィアが前方を指差す。隣に立っていたアクロは目を凝らすと、確かに赤い地平線の上にぽつりと灰色の点が見えた。


「あれが魔族の街か。まだ遠すぎて何も見えないが」

「はは、違いない。だが、はっきり視認できる頃には既に戦闘が始まった後だ。悠長に言葉を交わす時間などないだろう」


 魔術を使った戦闘は、籠城戦にならない限り一瞬で勝敗が決まることが多い。魔術師同士の対決は大砲を持った人間同士の戦いとも比喩され、如何に相手に狙われるより先に着弾するかが重要になる。

 視界に入るということはすなわち、魔術の対象になることであり、死の淵に立っていることに等しい。


 オリヴィアの背後を歩いていたフィルが、そっと耳打ちする。


「師団長、そろそろ魔族の探査魔術圏内に入ります。アクロ様とイチャるのはいいですが、場を弁えて頂きたく」

「フィル……お前はいつにも増して一言多いな」


 戦闘が始まる直前だというのに、フィルの調子は変わらない。だがそのマイペースな会話のおかげで、アクロは緊張で体を強張らせずに済んでいる。


「リラックスさせて頂こうと思ったのです。いかがでしょう、フィランダー式リラクゼーションは?」

「なるほど。しかし、逆効果のようだ。徐々に右拳に力が入ってきたのだが……?」


 二人がいつもどおりのやり取りをしている間、後ろに並んでいた兵士は陣形を移動用から防御用へと組み直す。

 アクロとオリヴィアが街をある程度制圧するまで、軍はここで生き残らなければなさない。そのため、四方八方どこから攻められても対応できる防御特化の陣形になる必要があった。


「アクロ様もいかがです? フィランダー式リラクゼーション」

「いらない」

「そうですか。その腫れた頬の痛みを忘れさせられればと思ったのですが」 


 その言葉で、アクロは昨日のオリヴィアの部屋での出来事を思い出す。会話中にアクロが胸が腕に触れていると指摘した途端、オリヴィアが全力で頬を引っ叩いたのだ。

 アジュール姉妹としゃべる時と同じ感覚でデリカシーが無い発言をしてしまったアクロに非があるのだが、オリヴィアが極端にその手の話が苦手だとは思わなかった。


「あの時は本当にすまん。まだ痛むのか?」


 力任せに叩いたことを悔いているのか、アクロの頬を見て頭を下げる


「気にするなよ。悪いのは俺なんだから。少し腫れてるだけで痛みはないな。って、フィルお前なんで知ってるんだ?」

「はて……あ、どうやら陣形が完成したようです。いつもより格段に早いですね。日々の訓練の賜物というものでしょうか」

「逃げたな……」


 フィルの言うとおり陣形は既に組み終わり、硬い表情のまま兵たちは起立したまま待機する。

 オリヴィアは頭を抑えながら、溜息をつく。


「……まあいい。組み終わったなら次の作戦に移る。まず私とアクロで、アルアスカに走って突っ込む」

「わか……走りで!? 聞いてないぞ!」


 思わぬ話に、アクロは唖然とした表情でオリヴィアを見つめた。アクロの世界では、転移魔術や移動魔術で敵陣に接近するのが常識だった。

 移動時間を削る術があるというのに、足で移動するのは効率が悪いとしか思えない。


「言ってなかったか? 魔術で飛ぶと時間短縮と体力の温存にはなるが、敵からの的になりやすい。それに速度が出ているがゆえに急な方向転換が出来ないから、予想だにしない攻撃に対応できない。そういったことから、脚力強化魔術を用いた全力疾走による接近を行うことになった。何か異論はあるか?」

「砂の中に罠が仕掛けられたらどうする?」


 歩くということは即ち、地に足を接するということ。感圧式の罠に引っかかる可能性がある。この地は魔族の魔力が流れているため、このような罠が見つけにくいという話はオリヴィア自身から聞いていた。その問に対し、腰にかけられた剣の柄を握りながらオリヴィアはふんと鼻で笑った。


「簡単なことだ。発動より早く私がその術を切り捨てる」

「そ、そうか……なら異論はないな」 


 ラズの無茶な作戦に慣れたアクロは、渋々ではあるがオリヴィアの考えに頷いた。オリヴィアの実力に依存しすぎていいのかと疑うべきところだが、そもそもこの作戦自体オリヴィアへの信頼感がなければ成し得ないもの。それを許容している今、オリヴィアへの信頼についてどうこう言うことはできない。


「さて、足に魔力を込めろ。もう出るぞ」


 アクロは目を瞑り、結果をイメージする。


 思うは風の如く疾走する足。

 願うは無傷で街へ辿り着いた自分。

 そして、発するは限界を超える爆発力を生み出す筋肉。


 いつもであれば、術は空発に終わり才能の無い自分に悲しんでいた。

 だが、この世界に来てからのアクロは違う。足に魔術陣が展開し、足が急に軽くなった。


 ――“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァ以外にも、魔術が使えた!


 感動のあまり飛び跳ねそうになった。

 アクロは今まで、“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァ以外の魔術を何も使っていなかった。魔力コントロールが悪く他の魔術は使えないという思い込みと、“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァ以外の魔術が使えなかった時の恐怖によって、試す勇気が生まれなかったのだ。

 

「どうした? 震えてるが……怖くなったか?」


 オリヴィアに言われて、体が小刻みに震えていることに気づく。しかし、強い敵を前にした時の震えとは違う。

 死の恐怖から来る寒気がなく、むしろ暑くすら感じる。

 アクロの体は湧きだっているかのように熱を帯び、胸から飛び出でそうな程大きく心臓が震えている。


「そうか。これが武者震いか!」

「その意気だ。遠慮はいらない……その力を開放してこい!」


 オリヴィアの言葉を合図に、アクロは全力疾走する。今まで感じたことのない風圧が体を止めようとするが、それを難なく押しのけながら前へ前へと突き進む。今までに感じたことのない爽快感が脳を満たす。

 これがアクロ=アイトの初陣。

 セフィアとラズを助けるための、最初の一歩だった。


「アクロ! 来たぞ!」


 オリヴィアの声に、アクロは集中力を高める。

 まだ遠い前方で、いくつか魔術陣が展開するのが見える。

 アクロはその魔術の内容にさほど興味を抱かないように意識する。どのような魔術が来ようとアクロのやることは一つ。膨大な魔力量を持って、魔術ごと敵をねじ伏せる。ただそれだけだった。

 赤く染まりし荒廃の地の真ん中で、アクロは叫ぶように魔術名を告げる。


“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァ!」


 足元から湧き出す紺色の奔流が、アクロと共に走り抜ける。そしてそれらは、アクロ目掛けて発動された魔術を尽く飲み干していく。

 まるで全てを飲み込み破壊する津波の如き破壊力に、アクロの身体が快感に震えた。

 続けて紺龍は次の獲物として、術者を選んだ。


「なんだあれは……! 俺達の魔術が効いてない!」

「逃げろ! 防衛戦まで撤退だ!」


 次々と沸き起こるパニックの声。複数の魔術を一度に消されるという経験は誰もしたことがない。逃げるべきか、攻めるべきか。魔族の中に混乱が走る。

 しかしアクロはの手は緩まらない。


「追撃しろ!」


 紺龍は5つに別れ、逃げ惑う魔族たちを次々と飲み込んでいく。魔力の塊に飲み込まれた魔族は体中の魔力回路を引き裂かれ、溢れでた魔力が内蔵を破壊し死に至った。

 魔術障壁を展開しようが、幻術を発動しようが、問答無用で紺龍の餌食となった。

 圧倒的な物量を前に、尽く敵を葬っていく。


「こいつは驚いた……予想以上だ」


 オリヴィアは眼前で広がる一方的な強者の蹂躙ワンサイドゲームに息を呑んでいた。

 一人の人間から生み出されたと思えない魔力量、あらゆる魔術を飲み込む破壊力、そして仕留めるまで追い続ける残忍性。その全てがオリヴィアの想定を超えていた。

 気付くと、街の外にいた魔族は全て片付け終えていた。

 アクロが走りだしてから、およそ十分足らず。オリヴィアは笑わずにはいられなかった。まさかたった一人の人間がここまで戦果をあげるとは思わなかった。国の中央を守る騎士ですら、ここまでの成果は出せないだろう。

 ――彼がいれば、この戦いに勝てる。

 

「オリヴィア……ここの敵は全て片付けた。後は中心部に入ろう。他の兵もこちらに向かわせて、一斉攻撃だ」


 アクロの活き活きとした声がオリヴィアを現実に引き寄せる。


「あ、ああ……そうだな! 一気に片を付けよう!」


 紺龍を手元に集め、アクロはアルアスカの中へと飛び込んでいく。オリヴィアも背後をついていった。

 アルアスカに立つ建物も地面と同じく全て赤色に染まっていた。地面の魔力が、壁を侵食した結果なのだろう。その結果、魔族の魔力感知を阻むジャミングの役割にもなっていた。第4師団がこの街の奪還を行えなかった要因の1つだった。

 しかし、魔力の気配ではなく五感で敵を認識しているアクロの前では意味がない。アクロは両手を大きく振りかざし、街の中に蒼き龍を突進させる。


 渋々手に入れたと感じていた力をアクロは今、夢中になり振り回している。

 アジュール姉妹を元に戻すことだけを考えて、視界に入る魔族を次から次へと倒していく。


「この化物め!」


 建物の影から、一体の魔族が飛び出す。そして掌をアクロに向け、魔術陣を展開する。

 手元に紺龍がいない隙を狙っての攻撃だった。


 ――手元にいないなら、新たに出すだけだ!


 アクロは右手を魔族に向ける。掌の中心から紺龍を出し、驚く間も与えずに魔族の顔を食いちぎった。

 目の前で繰り広げられた悲惨な光景に、アクロは自分でも驚くほど冷静でいられた。敵が人間ではないと思い込んでいたためでもあるが、それ以上にアクロは自分自身の魔術によって得られた興奮で感情が麻痺していた。

 吹き出す鮮血を浴びながら、アクロはただ前へ進む。


「はぁ……はぁ……」


 さすがに全速力で駆け抜け続けたため、息がきれてきた。アクロの足は徐々に速度を落とし、今ではゆったりと歩いている。

 アクロの目の前には、アルアスカ中央公園が見えていた。

 その名の通り街の丁度中心にある公園で、人間が住んでいた頃は大勢の人が利用していた憩いの場であった。今では植えられていた植物は全て枯れ、赤い砂が広がる広場になっていた。丁度中心部が緩やかな丘になっており、アクロはその頂上で息を整えていた。


「あいつを殺せ!」

「生きて返すな!」

「この街を守れ!」


 雄叫びを上げながら魔族が次々と押し寄せる建物の上で魔術陣を展開し、狙撃しようとしている魔族もいた。

 殆どの魔族が怒りよりも恐怖の眼を向けていたことに、アクロは気付いていた。たった一人で千を超える魔族を殺した化物を目の前にして、怯えているのが手に取るように分かった。

 魔族は魔族で生きている。人間と同じように知能を持ち、感情も持っている。

 それでもアクロは躊躇わない。ここを乗り越えなければ、誰もアジュール姉妹を救うことはできなくなってしまう。

 アクロは体中の魔力を限界まで振り絞り、魔術名を唱える。


“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァ!」 


 龍ではなく波となった魔力の奔流が、アクロを中心に八方へ流れ出す。アクロ目掛けて発動した魔術を飲み込みながら、無慈悲に全てを飲み込んでいく。建物にぶつかった波は滝登りする魚のように壁を伝い、建物全体を飲み干していく。

 魔族に奪われた赤き街は、一気に紺の魔力が埋め尽くした。

 気付くと、アクロの周囲から音が消えていた。先程まで騒いでいた魔族たちは、死体となり倒れていた。


「アクロ、大丈夫か!」


 死体を避けながら、オリヴィアはアクロの後を追ってきた。アクロの“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァは細かい制御ができないため、発動中オリヴィアには遠い場所で待機してもらっていた。

 傍に立った途端、糸が切れたかのようにアクロが膝から崩れ落ちる。オリヴィアは体を支え、ゆっくりと地面に横たわせる。


「ようやく魔力切れか。一体どれだけの魔力を秘めているんだ……」


 オリヴィアはここに来るまで、たった1人の魔族とも闘っていない。物音を立てた魔族は片っ端からアクロが葬ったからだ。

 数にしておよそ4千体。軍が1年掛けて被害を出しながらようやく達成し得る数を、アクロはたった1人で半日も掛けずに達成した。もちろん魔族の幹部クラスが1人もいなかった幸運はあったが、それを含めても容易に叩き出せる数字ではない。

 あまりにデタラメな能力に、オリヴィアは怯えすら抱いていた。人間が保持できる魔力量には限度がある。いくら才能がある魔術師だとしても超えられない最大値というものが存在する。

 だが、アクロの使用した魔力量は優にそれを超えている。

 オリヴィアの魔力を見る目は人一倍優れており、体内に潜むありとあらゆる魔力回路を見抜けるほどである。その目を持ってしても、アクロの謎は解明できなかった。


「オリヴィア師団長! 無事ですか! この死体の山は一体……」


 フィルが駆け足でオリヴィアに駆け寄ってきたが、絨毯のように地に広がる魔族の遺体を前に立ち止まる。

 オリヴィアはフィルの姿を見て、安堵の溜息をついた。司令塔が単独で動いているということはつまり、ほぼ全て制圧し終えているということである。


「これは全てアクロの功績だ。私は何もしてない……ここでも、ここに来るまでも」

「そうでしたか。膨大な魔力波を感じたので、魔族幹部がやってきたのかとも思いましたが……しかしこれは、ある意味魔族以上の恐怖を感じますね。人間離れしすぎています」


 アクロと敵対関係になれば、魔族以上の脅威となる。フィルがその可能性を危惧しなければならない程、アクロの力は絶大なものだった。


「国に報告すれば厳重な監視下に置かれた挙句、体中を調べ回され、実験と魔族狩りの日々を過させられるでしょう」

「その選択肢はあり得ない。キムランがいなくなり守備が乱れている今を攻めなければ、今後いつ勝機が訪れるか分からない。上への報告はその後でもいいだろう」


 オリヴィアが重きを置くのはウェイシングトンの無事であり、魔族の討伐。それならば多少の罪を被ることくらい覚悟の範囲内であった。

 横たわるアクロの髪に触れながら、オリヴィアは寝顔を見つめる。


「お前はアクロが裏切ることを危惧しているようだが、私は裏切るような人間だとは考えられない。それに、想い人が動けない状態で私達を敵にするような行動をするだろうか」


 アクロには告げていないが、セフィアとラズは事実上の人質であった。魔術が使えないからこそ、人質の価値はかなり大きい。裏切れば毒殺できる腕輪も併せると、アクロは裏切ることは出来ないだろう。


「オリヴィア師団長、見かけどおり怖いお人だ。信頼を置きながらも、しっかりと最悪の可能性にも備えておられる」

「怖い……か。そうだな。だからこそ、私は気に入っているのだろうな。真っ直ぐ自分の考えを持つこの青年に」


 戦闘開始からわずか1時間、第4師団はアルアスカの奪還に成功した。

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