間章

ラズの憂鬱

 第4師団がアルアスカへ出発した朝、ラズは窓からその様子を見ていた。

 大勢の兵が、ぞろぞろと街から赤い砂地へと歩いて行く。周囲には住民が並び激励の声を投げかけていた。

 実戦経験がないアクロが出撃すると知った時、ラズは不安で胸が一杯になった。いくら膨大な魔力と強力な魔術を会得したからといって、それだけで勝てるとは限らない。そうならない例をラズは多く見てきた。


 ――ま、あの緑髪女がいれば大丈夫って割り切るしかないのよね。


 認めるのは癪であったが、オリヴィアはかなり腕利きの魔術師で、修羅場を数多くくぐり抜けたであろうことはラズにも分かっていた。

 考えてみると、アクロがラズの側から離れて闘うのは、おそらく初めて出会ってから一度も無かったことであった。アクロの側にはいつもラズとセフィアが立ち、常に二人の保護下行動していた。


 ――お姉ちゃんに言えないくらい、私も過保護だったのかしら。


 ラズはふとそう考えてしまう。

 だから、これはアクロを独り立ちさせるためのいい機会なのかもしれないと思考を切り替える。たとえアクロの今の力が仮初であったとしても、その経験は大きくアクロを成長させるだろう。

 ラズはカーテンを閉じ、スリッパに足を入れる。

 アクロに言われた時はあまり興味のないふりをしていたが、やはり姉のセフィアのことが心配だった。アジュール家は酒に関しては特に厳しく、例え王族がいる席であったとしても口に含んではならないとされていた。例え騎士を引退した者であろうとそれは変わらない。


 ドアから顔を出し、キョロキョロと廊下を見渡す。アクロがいないと分かっていても、確認しなければ落ち着かなかった。一度あんな強情を張ってしまった以上、アクロには今出会ったら恥ずかしさのあまり本当に引きこもりになりかねない。

 ぺたぺたと足音を立てながら、おそるおそる廊下を歩く。魔術が使えなくなった今、通り過ぎる人全てに異常なほどの警戒心を抱くようになっていた。


 ――アクロはいつも、こんな世界を見ていたのかしら。


 魔術が使えなかった幼馴染は、不可解なほどに臆病だった。だが今では彼が臆病である理由が分かる気がする。

 魔術が使えない人間にとって、魔術師は凶器を持つ人間にしか見えない。例え弱い炎魔術でも、今のラズには防ぐすべはなく命を落としかねない。今ようやく、アクロと同じ目線に立てた気がした。


 ――って、余計なこと考えてる場合じゃないわ。

 

 ラズは一旦脳をリセットし、セフィアの部屋の前に辿り着く。ドアをノックしようと手を上げたところで、ノックしても出なかったとアクロから聞いたことを思い出した。


「お姉ちゃん、入るわよ?」


 ノックをせず、声をかけて部屋へと踏み入る。未だ微かに酒の匂いが部屋に漂っていた。

 部屋の明かりをつけると、ベッドで横になっているセフィアの姿が目に入る。静かな寝息を立てている。


「寝てる……ひゃう!」


 ベッドの側に寄ったラズは、セフィアに抱きつかれてしまった。


「あーくろ、つかまーえた」

「私アクロじゃないから! ラズよ、ラズ! 起きてお姉ちゃん!」

「もうそうやって暴れるんだから……悪い子には……ぺろり」

「ひゃあん! お姉ちゃん首舐めないで! っていうか、こんなことアクロにしてないでしょうね!」


 ラズは必死にセフィアを引き剥がそうとするがびくともしない。時々寝息を立てているが、寝言なのか起きているのかラズには想像もつかなかった。

 酒の匂いを嗅ぎながら、ラズは渋々セフィアのベッドに座る。


「お姉ちゃん、こんなに酒飲むと人変わるのね……。寝言でもこうなんだったから、起きてる時はよほどでしょうね。……アイツ、本当に手を出してないか心配になってきたわ」

「アクロも呑むぅ?」

「呑まないしアクロでもないってば! ……私、絶対二十歳超えてもお酒呑まないから」


 家で厳しく禁酒になっている理由をラズは身を持って知った。

 ふとセフィアの目元を見ると、涙の跡があった。

 ここまで酒を呑むくらいなのだから、思いつめていたことが合ったのだろう。


「……私だって泣きたいわよ」


 セフィアがここまで疲労しているのに、ラズが疲労していない筈がない。

 突然魔術が使えなくなり、アクロが戦争に趣き、この世界から脱する打開策が何一つ見つかっていない。

 どれだけ惰眠を貪っても、現実逃避しても、不安は絶えず胸に押し寄せる。


「あの頃に戻りたいわ」


 姉の頬を撫でながら、ラズはぼそりと呟いた。

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