第9話 天才の域から下落した姉妹

 フィルからの報告を受け、アクロは一目散に宿へと走った。

 報告の内容はアクロにとっては信じられないものだった。長年共に生きていたからこそ、あり得ないと確信していた。

 だが、フィルの表情は至って真剣で、それに報告内容が冗談だとすればあまりに趣味が悪すぎる。

 いずれにせよ、自分の目で確認する他ない。

 そう思うと同時に、アクロは部屋を飛び出していた。


 ――あのセフィアが……あのラズが……!


 先までオリヴィアと話してた内容は、姉妹に対する不安と焦燥で塗り潰された。まるで背から火が迫っているかのような形相でアクロは走った。

 二人が泊まっている宿は、街の中央から少し外れた大通りに面している。三階建てのレンガ造りで、赤褐色の派手な外装で一際目立っていた。内装は壁も床もクリーム色で、外装とは違い落ち着きのあるデザインだった。

 きらびやかな装飾が施されたエントランスを駆け抜け、階段を跳ねるように上り、セフィアの部屋へと辿り着く。


「……セフィア! 俺だ、アクロだ!」


 息も切れ切れに、フィルに教えられた部屋のドアを勢い良く叩く。何度も何度も力の限り叩くが、返事が返ってこない。

 まだ日も落ちておらず、寝るには早い時間帯である。

 魔術が使えるようになったアクロを嫌ってしまったのだろうか。それならそれで、アクロは受け入れるつもりで居た。だがその気持ちを本人から聞かない限りは、そう思いたくなかった。

 決めつけるのは時期尚早。言葉を聞かぬ限り、セフィアがどういう気持ちでいるか分からない。アクロはそう考えて待ち続けた。

 何分待っても物音すらしない。さらに不安を抱いたアクロは、フィルの言葉を思い出してしまう。


『姉妹二人共、引きこもってしまいました。あの精神状態から考えると、最悪自傷行為に走る危険性があります』


 最悪の場面を想像してしまい、アクロの顔から血の気が引き足がふらついてしまう。そんなことはない、と頭を強く振ってネガティブな思考を無理やり振りほどく。


 ――すまない、セフィア。


 冷たいドアノブを握りしめ、扉を一気に開いた。


「セフィ……うおっ、酒くさっ」


 思わず鼻を抑えてしまうような匂いが部屋に充満していた。まるで数人の大人が一晩飲み明かした後のようで、高級な宿にはそぐわない匂いだった。

 部屋を間違えたかと思ったアクロだが、床に横たわるセフィアの姿を見てこの部屋が正しいという事実に目を背けなくなった。


「あ……アクロ……どうしらの?」


 舌足らずになりながら、セフィアは顔を傾けた。とろんとして焦点の定まらない目、ほんのりと赤い頬、だらしなく開いた口。シワ1つ無く常に新品同様に保たれていたはずの制服は酒のシミに汚れ、シワだらけになっている。酒で体が火照ったのか、第三ボタンまで外され胸が大きくはだけている。この姿を見て、あのセフィア=アジュールと同一人物か疑わずにはいられなかった。

 思わずアクロが目をそらすと、周囲に並べられた数多のビンが目に入る。セフィアとアクロが離れていた時間は僅か2時間弱だが、よほどの酒豪でなければ呑めない量だった。


「それは俺のセリフだ」


 アクロはベッドから布団を取り、セフィアにかぶせた。乱れた服装のセフィアを直視できないというのも合ったが、これ以上すさんだセフィアを見るに耐えられなかった。


「ふふ……やさしいね、アクロ」


 初めて見るセフィアの無垢な笑みに、アクロは悲しさを抱いた。

 実の妹にすら敬語を使い、一切の弱みを他人に見せないセフィアの面影は今はどこにもない。規則正しく真面目で塗り固められたセフィアの印象は消え失せていた。


「どうしたんだ、昼間っから酒を呑んで。セフィアってそんなに酒が好きだったか?」

「うん、だぁいすき。この部屋に置いてたの、頭がふわふわしちゃって幸せになれるの……アクロものむ?」

「呑まねえよ! ってか、本当に大丈夫か? 記憶すら怪しいだな……」


 酒が大好きだと豪語したセフィアだが、それはあり得ない。あの生活習慣に厳しいアジュール家は禁酒も徹底されていた。いつ何が起きても対処できるよう、例え王自身が催した会であっても決して酒を口にしなかった。

 規律に従順なセフィアなら、尚更呑んだことが無いはずである。


「これ以上酒はダメだ」


 酒に手を伸ばそうとしたセフィアの手を、アクロは掴む。


「えぇっ! あと十本!」

「“あと”で頼める本数じゃないよなそれ! ったく、怖いなアジュール家は……初めて呑んで、ここまで溺れられるなんてある意味才能だ」


 すがりつくセフィアを払いのけながら、まだ残っている酒をアクロは片付け始める。これ以上酒を呑ませてしまっては、身体に良くない。幸い腕で抱えられる本数であったため、アクロは全て部屋の外に運び出し、近くに居た宿の従業員に渡す。セフィアには一切のアルコールを与えないよう周知するよう伝えた。おそらく、近くに酒があればセフィアは際限なく呑むだろう。次の日にどうなるか分からないからこそ質が悪い。


「うぅ、アクロのけち」

「はいはい、ケチで良いよ」


 続いてふらふらなセフィアを抱き上げ、ベッドへと移した。


「ふふ、お姫様抱っこだ」


 幸せそうな笑みを浮かべるセフィア。アクロは泣きそうになる気持ちを必死に押し殺す。


「いいから寝てろ」

「え、でもまだ寝る時間じゃないよ?」


 アクロは窓際に立ち、遮光カーテンを閉める。部屋に差し込んでいた光がなくなり、夜になったかのように暗くなる。


「ほら、暗くなった。もう10時になったぞ」

「そっか……じゃあ寝ないといけないね」


 子供だましにもならないだましだが、今のセフィアには効いたようだった。アクロは子供をあやしている気分になった。

 だんだんと瞼が落ち、そして完全に目を瞑る。


「おやすみ、セフィア」


 出来れば寝入るところを確認してから部屋を出るべきだが、ラズの様子も気になる。

 アクロは物音が極力しないよう忍び足で移動し、ドアノブを開けた。


「……アクロ、私を嫌いにならないでね」

「嫌いになんかなるものか」 




 続いて、アクロはラズのいる部屋へと向かう。あのセフィアがあそこまで弱っているのであれば、ラズは一体どうなっているのか想像も付かない。正直、あそこまで弱ったセフィアは見たことがない。

 フィルに教えられた部屋に行き、ノックをし呼びかける。が、やはり応答がない。

 おそるおそるドアを開けると、部屋は真っ暗になっていた。

 先ほどセフィアの部屋でしたように、遮光カーテンが閉じられ一切の灯りがついていない。

 ベッドの上でもぞもぞと動く気配がした。ドアの隙間から差し込んだ光で、それがラズであると辛うじて視認できた。


「……なによ」


 毛布の隙間から、ジト目でラズがアクロを見ていた。


「いや、えーっと……何してるんだ?」

「寝てるのよ。ふて寝。もう一生寝てるわ。力が戻るまで冬眠するわ」

「そうか……ってちょっと待て! どれだけ寝るつもりなんだよ!」

 

 酒飲みになっていたセフィアに対し、ラズは引きこもりになっていた。


「夢って素敵よ? 力も使えるし、敵は殲滅できるし、民は私を崇める! ……そうよ、それこそがラズ=アジュールよ」


 酒の力でもなく、ラズは素の状態で現実逃避をしている。

 徹底して意識を現実から遠ざけたラズに、セフィア以上に矯正するのが難しいのではとアクロは思った。


「日課のランニングは?」

「知らないわよ。もうやる意味ないわ」

「あんなに楽しみにして、走ってたじゃないか。なんなら、俺も付き合うぞ?」

「っ! ……何言われても走らないから」


 少しだけ動揺が見えたが、ラズは寝返って身体を壁側に向けてしまった。ラズの背中がいつもより小さく、細く感じた。アクロはその背に手を置こうとしたが、引っ込めてしまう。脆いガラスのように、少し触れただけでヒビが入りそうだった。

 あれだけ楽しみにしているランニングをしないと言い切る日が来るとは思いもしなかった。ランニングを面倒に感じていたアクロだが、このような終えられ方をすると寂しさを覚えてしまう。

 

「それよりラズ、セフィアが大変なんだ。あいつ、酒を飲み過ぎて……別人のように酔いつぶれていたんだ」


 あの惨状を事細かに説明するアクロであったが、ラズは驚くこともなく話を聞いていた。


「そう。まあ無理もないわね」

「無理もないだと……?」


 まるで些細な事だと言わんばかりの口調に、怒りがこみ上げる。


「お前の姉だぞ! 今日は俺が止めたが、あのままじゃ絶対身体を壊す!」


 アクロは思わず大声で言い返した。

 いつも姉を慕っていたラズが、無理もないの一言で済ませた。その態度が信じられなかった。許せなかった。それでもラズは冷ややかな態度を貫いた。


「あのお姉ちゃんがそうしたのなら、私は何も言えないわ」

「あのなあ……」

「私も成人していれば、お姉ちゃんみたいに酒に逃げていたかもしれないわ」


 アクロはこれ以上、言葉を続けられなかった。元々力のなかったアクロには、力を喪失した感情が分からない。だから今のアクロには、決して二人が負ってしまった傷は癒やすことが出来ない。


「って、眠いんですけど? いつまでいる気なの?」


 ぼーっと立っていたアクロに、ラズが毒を吐く。


「……分かったよ。おやすみな」


 アクロは感情を押し殺して部屋を後にしようとした時、ラズが呼び止めた。


「ねえ」


 アクロは怒りのままに無視しようかどうか悩んだが、足を止めた。


「何だ?」

「ランニング、したかった?」


 暗いためかラズの表情が見えず、その質問の意図がアクロには掴めなかった。

 だから、素直に応える。


「そうだな。なんだかんだ言って、お前とのランニングは好きだからな」

「……そう」


 それ以上言葉を続けないことを確認し、アクロは静かに扉を閉めた。

 ここまでアジュール姉妹が変わってしまったことに、アクロは動揺を隠せないでいた。

 フィルの言う自傷行為には程遠かったが、別の意味で重度な状態だった。


「俺が……俺が魔族を倒して、二人を元に戻さないと」


 アジュール姉妹を変えてしまったのは、十中八九魔術が使用できなくなったことが起因だろう。

 それを元に戻すには、魔族を倒し元の世界に戻ること他ならない。

 決意を更に強めたアクロは、勇み足で宿のフロントに行く。


「至急、オリヴィア師団長と連絡がとりたい。魔族のことを……敵のことをもっと知りたい」

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