第7話 救援と驚愕

 倒れていたはずのセフィアとラズが庇うようにアクロの前に立つ。今にも飛び出そうとしていた四人だったが、ラズに剣で威嚇され足を止めた。


「なんで……」


 二人は魔族の手によってすぐには動けそうな状態ではなかった。


「私達がそう簡単に倒されるはずありません。いくら不意打ちでも私の服には対精神魔術の効果が、ラズの剣には強化魔術の効果が少なからず残っていましたから」

「それで私たちは気絶しているふりをして、反撃のチャンスを伺ってたわけ。ま、いらなかったみたいだけど」

「そ、そうだったのか……俺はてっきり……」


 アクロは仰向けに倒れた。安心感によって、体を支えていた緊張が解けてしまった。同時に、再び頭痛に襲われ思わず頭を手で抱えてしまう。


「アクロはそこで休んでいてください。後は、私たちが片付けましょう」

「頭痛もそろそろ慣れてきたし、反撃させていただこうかしら」


 セフィアは肩にかかっていた髪を払い、両手を大きく広げる。ラズは剣を顔の横に構え、突進の体勢を取る。


「私は信じてました。アクロがいつか魔術の才能に開花することを。今すぐにでもぎゅっと抱きしめて褒め回してあげたいところですが……」

「それはこいつらを吹き飛ばしてからよ!」


 二人は己の内にある魔力に意識を向ける。

 アジュール姉妹最強の魔術を発動せんと結果を想像する。

 そして、二人は声高らかに魔術名をこの世界へと響き渡らせる。


“蒼玉の死霊”サファイア・デスカルネヴァーレ!」

“青金の結晶”ラズライト・クリスティナ!」


 魔術名の宣言は、魔術の存在をより明確にイメージさせるための手段であり、魔力効率を良くして発動するための所作である。

 二人は基本的に魔術名を宣言することはない。そのようなことをせずとも、卓越した知識と魔力コントロールにより、威力が高く且つ効率のいい魔術を使用できるためである。

 故に二人にとっての魔術名の宣言は、相手を必ず仕留める時のみ使用する。

 勝敗が決したと誰もが思った時、予想外の展開が訪れる。


「……あれ?」


 ラズは首を傾げる。

 青金の結晶に必要な魔術陣が展開しない。セフィアも同様で、死霊が一体も出ていない。二人は互いに顔を合わせ、そしてあることに気付く。


「ちょっとこれ、どういうことよ……私達の魔力が全然ないじゃない!」

「ラズ、落ち着いてください。もしかしたら転移に使用されていたのかもしれません」

「そういうのは先に言うべきよ。あのジジイ帰ったらぶん殴る」


 ラズは拳を震わせるが、目には怒りより不安が混じっていた。

 魔力がなければ、魔術は使えない。

 ラズの“青金の結晶”ラズライト・クリスティナは魔術よりも更に高位な、常識を超越した“魔法”である。しかし魔術と同じく魔力が必要であるため、使用することが出来ない。

 周囲の魔族が滲み寄る中、セフィアが口を開いた。


「それより、この状況を打破しましょう。……何か良い案ありますか?」

「お姉ちゃんがいい案浮かばないなら、私に浮かぶ筈無いわ。一対一ならこの剣でどうにか出来るかもしれないけど、ちょっと多人数相手は厳しいわね」

「やはりここはアクロを抱えて逃げるしかありませんか。ラズ、お願いします」

「え、私!? ……しょうがないわね」


 為す術が無くなった二人が逃走の準備に入ろうとした時だった。


「待て、魔族軍!」


 荒野に凛とした声が響く。砂丘の上で一人の女が仁王立ちしていた。

 濃い緑色の髪を首元で一括りにまとめ、線の細い凛々しい顔。鉄のような冷たい銀の瞳が四人を見下ろしている。臙脂色のコートに白い手袋をはめ、胸元には複数の勲章が縫い付けられており、いかにも軍人の指揮官といった服装をしていた。

 

「我が名はオリヴィア=カーライル! スタライプ共和国第4師団師団長である!」


 名を名乗り終えると、彼女の立つ丘に続々と兵士たちが集まる。重厚な兜に鎧、剣を装備した彼らが地平線にずらりと並ぶ姿は圧巻だった。

 敵の四人の男たちは互いに頷き合い、一目散に逃げ出した。

 だが、オリヴィアは容赦なく殲滅の命令を部下に下す。


「逃がさん! 砲撃部隊構え!」


 オリヴィアの横に並ぶ兵士たちが、剣を鞘から引き抜き目標へと剣先を向ける。先端に赤と青の光で交じり合う魔術陣が展開し、地が揺れる程の魔力が収束する。


「対象魔族四人……軍式雷魔砲、発射!」


 オリヴィアの合図と同時に、天が割れたかと思うほどの轟音が鳴り響く。それは魔術発動の音であり、同時に着弾による爆発音でもあった。魔族がいた場所には大きなクレーターが出来ており、肉片一つすら残っていない。

 アジュール姉妹はそれを固唾を呑んで見守っていた。

 目の前にいる軍はかなり熟練された魔術師が集められていた。おそらくディアモンド王国には、この師団に太刀打ちできる隊は片手で数えるほどしかいないだろう。そして、軍の指揮官であろうオリヴィアもまた相当な手練であることは違いない。


「……なんなんだ、あいつらは」


 アクロは体を起こして、姉妹に問いかける。少し横になっていたおかげで、上半身を起こすくらいの体力は回復していた。


「私が聞きたいくらいよ。ただの軍人じゃない、ってことくらいしか分からないわ」

「相当な実力者で構成された師団ですね。私達の世界には、あれほど見事に収束魔術を使える軍はいません」


 収束魔術とは、複数の人間が一箇所に魔力を集めて発動する魔術のことである。自分以外の魔力に併せて、劣化なく魔術を発動させるのは至難の業で、生まれてから共に生きてきた双子でさえ手を焼くと言われる程である。それを目の前にいる軍隊は、三十名もの人数で行った。


「特に先頭に立っているリーダーらしき人は、凄まじい魔力の持ち主です。おそらく私に匹敵するくらいに」


 その言葉に、アクロの鳥肌が立った。国の中でも最高峰の魔力を誇るセフィアと同程度の魔力量。そのような人間が従える兵が、ただの兵であるはずがない。

 オリヴィアは軍とともに、アクロらの元へと行進し始めた。セフィアはラズとアクロを自分の後ろに立たせた。彼らは先程までの男とは違い角も羽も生えていない人間であるが、味方だとは限らない。

 そしてオリヴィアは三人の前で歩みを止める。


「私の名はオリヴィア=カーライル。スタライプ共和国の第4師団長をしている者だ」

「私はセフィア=アジュールと言います。こちらはラズ=アジュール、そしてアクロ=アイトです」


 二人の間に緊張が走る。が、オリヴィアはセフィアを横切る。

 そして立ち止まったのは、アクロの目の前であった。


「えっと……俺に何か?」


 モデルのような整った美しい顔にアクロは目を凝視してしまう。

 オリヴィアは一拍置いた後、ゆっくりと頭を下げた。


「アクロ殿。先程は魔族王の幹部であるキムランを倒して頂き感謝する。あの素早さは、我が隊を持ってしても敵うか分からなかった……本当に感謝する」

「いやいやそんな……。即興で発動したからそんな大した術でも無いですから」

「謙遜をされるな。遠くにいた私たちにはっきりと認識できたほどの魔力量、四人がかりの幻術を壊す破壊力、そしてキムランをも上回る魔術速度。そのような技量を持つ魔術師は、我々の国に五人はいないだろう」


 いつも人に感謝されるのはアジュール姉妹の役どころであり、アクロは後ろからそれを眺めているだけだった。だが、今は違う。アクロが敵を倒し、この世界の人から感謝を述べられている。まさか人生でこのような機会があるとは思わなかった。今まで身につかない魔術に対して嫌悪感を抱いていたが、考えが改まった。


「幹部を倒すなど、ここ一年ぶりのことだ。どうだ、私の指揮下に入らないか? 待遇面は保証しよう。部屋も豪勢で大浴場付きだ。なんなら貴方を奉仕させるメイドの一人や二人、侍らせても良い」


 オリヴィアはアクロに手を伸ばし、蠱惑的な話を持ちかけた。

 アクロのいた世界では決して味わえない高級な暮らしが、目の前の掌を握るだけで手に入れられることができる。


「「ちょっと待って下さい!」」


 アクロとオリヴィアの間に、アジュール姉妹が割り込む。


「アクロは私達の物です。勝手に取らないでくれませんか?」

「あと、顔近すぎよ。初対面なのに図々しすぎないかしら?」


 アジュール姉妹は不愉快そうにムッと顔をしかめる。

 しかしオリヴィアは涼しげな顔をして受け流した。


「アクロ殿は、この方々の物なのか?」

「違います。ってセフィア、俺をモノ扱いするなよ!」

「違うらしいが? それに、顔を近づけても不愉快どころか満更でもない顔をされていたように思えたが?」


 挑発的なオリヴィアの言葉に、姉妹はさらに目尻を吊り上げる。

 

「いたっ! ラズ、つねらないでくれ」

「ふん、空気を読みなさいよ……でも、考えてみればこのなんとか師団と協力するのは好都合ね。私達も魔族の王を倒しに来たわけだから」


 ラズは腕を組み、そっぽを向いた。

 ラズの胸中が理解できなかったアクロはラズに追求するのをやめ、セフィアへと話を振った。


「セフィアもどうだ? オリヴィアさんの力を借りれば、いち早くクリアできると思うんだけど」

「そうですね。若干負けた気がしますけど、その方がいいですね。なにせ、私たちはこの世界の常識を知りません。それを知ればより有利になるでしょうから」

「負けた気?」

「いえ、こちらの話です」


 セフィアはいつものように笑みを浮かべているのだが、目は笑っていなかった。

 二人の様子に釈然としないアクロであったが、オリヴィアと協力することに対しての同意は得たため、話を進めることにした。


「オリヴィアさん、協力をお願いできますか?」

「別に構わぬが……一つお尋ねしてもいいだろうか?」

「ああ」


 オリヴィアは何度もアジュール姉妹を眺める。足のつま先から頭のてっぺんまで、探しものを見つけようとする時のように隈なく視線を彷徨わせる。


「この二人、魔力が全く無いみたいなのだが大丈夫か?」


 アジュール姉妹はぷっとその言葉に吹き出した。


「私たちは魔力自然回復力に定評のある一族ですよ」

「先の戦闘で少なかったけれど、あれから既に十分弱経っているわ。そんなことあるわけ……」


 アジュール家は代々は魔術センス・体術センスが高い一族と言われているが、本当に優れているのは魔力が自然に回復する力“魔力自然回復力”である。普通であれば一時間かけて回復する魔力を、アジュール家ならおおよそ十分で回復できる。

 だから姉妹は、そんなのありえないと思い自分の体内にある魔力を探る。


「「魔力が全然貯まってない……!」」

「だから言っただろう。それに、活きている魔力回路もかなり少ない。率直に言わせてもらうが、魔族の王どころか下っ端すら相手にできるか怪しい程だ」


 オリヴィアの言葉は、姉妹には届いていなかった。顔を青ざめながら、互いに何度も魔力の確認をしていた。それでも結果は変わらない。

 その落ち込みようは相当なもので、見るに耐えなかったアクロは二人に励ましの声をかける。


「大丈夫、おそらく異世界の影響を受けているだけだ。少し経てば回復するはずだ。それまでは、俺が二人を守るよ」

「私が願っていた展開と違います……」

「なんか屈辱なんだけど。いつものポンコツなアクロに戻りなさいよ」

「酷いな! あとポンコツ言うな」


 アクロはがくりと項垂れた。

 だが、それでもアクロは二人が復帰するまで守りきると決意していた。

 こんな見ず知らずの世界から早く帰り、セフィアとラズには力を取り戻さなければならない。


 ――手に入れてしまったのか、力。


 最強の力を手に入れたアクロは両手を見ながら、大きく肩を落とした。アクロは先頭に立ち闘うことに恐れは感じていた。

 使い方をよく知らない力に未知の環境、経験の浅さが大きな失態を招くのではないか。力を手に入れても尚、アクロの肝の小ささは変わらなかった。

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