第4話 セフィアと朝食タイム

 ランニングを終え、部屋に戻ろうと扉を開けると香ばしい香りが中から漂ってきた。

 アクロは小さくため息をつきながら、部屋へと入る。


「……セフィア、また不法侵入か?」

「人聞きの悪い……幼なじみのお姉ちゃんが朝食を作ってあげているというのに」


 セフィアが青いエプロンを腰に巻き、鼻歌を歌いながらキッチンで朝食の支度をしていた。

 アクロに強く当たりがちなラズとは正反対で、セフィアはアクロに対して過保護なところがある。アクロにとってはこの年にもなって甲斐甲斐しく料理をしてもらうなど気恥しかったが、断ると一日部屋に引きこもる勢いで落胆するので断れないでいた。

 朝食を作ってもらっている間、アクロはシャワーを浴びることにした。壁に設置されている魔術陣に手をかざすだけで、シャワーが出る便利な作りになっている。魔術が使えなくとも、ただ少量の魔力を注ぎ込むだけで発動するのでアクロでも扱うことができる。

 この世の全ての魔術がこれくらい簡単だったらいいのに、と思いながらアクロはいつもシャワーを浴びる。

 10分ほど浴びて髪と体を洗い終えた後、脱衣所に置いてあるタオルで水分を拭き取る。そして学園の制服を着て、部屋へと戻る。テーブルの上には既に配膳がされており、セフィアが正座で待っていた。


「いつも言ってるけど、別に俺を待たなくても先に食べてくれれば……」

「ダメです。ほら、ゆっくりしてたら遅刻しますよ。早く座って食べましょう」

 

 セフィアに急かされ、アクロは床に座り朝食を食べ始める。

 名家出身の人は、使用人や調理師に料理をさせているため料理できないことが多い。セフィアは幼いころから何かを作るのが好きで、その1つとして料理が含まれていた。親の反対まで押し切って料理教室へ通ったことがあるほど、料理好きになっていた。その頃からアクロは毒味役として呼ばれることがあったが、習い始めた当初からセフィアの作る料理は美味しかった。天は二物を与えずというが、セフィアには一体何物あげているのだろうか。

 淡々と料理を口に運んでいると、隣から放たれている熱い視線にアクロは気づく。

 セフィアは体の前で手を組み、じっとアクロを見つめている。大きな紺色の瞳を揺らしながら、何かを求めるようにアクロを見続けている。


「美味しい」

「っ! ほんとですか!」


 ぱあっと輝くセフィアの顔に、つられてアクロの表情も緩む。

 セフィアの手料理を食べるたびに、アクロは感想を求められていた。セフィア自身は感想を強要してるつもりは無いようだが、あの態度を取られては感想を言う他無い。

 普段は冷静な理屈屋で、あらゆるパターンを計算して行動を起こすセフィアとはまるで別人である。

 もちろん、美味しいという感想は嘘ではない。朝食らしい控えめな味付けでありながら、コクがしっかり出ている。申し訳なくなってしまうほど美味しかった。


「セフィア、別に毎日作らなくてもいいからな」


 朝食を作るために早起きしていることをアクロは知っている。 


「ダメです。私が作らないとアクロは朝食抜きますから。ランニングの疲労と空腹で注意散漫になっているあなたの姿は見ていられません。それに毎日というのは誤りで、正しくはラズとランニングをしてる日のみです。ラズの物音で私も起きてしまうので暇なんです。そうです、だから朝食を作ることは私の暇つぶしだとでも思ってください」


 有無を言わさぬ勢いで、セフィアは言葉を捲し立てる。

 セフィアの過保護っぷりは今に始まったことではないが、ここまで重篤であると気付いたのはつい最近だった。思えば、親元を離れジュエリア魔術学園の寮に棲むことになった際には、それこそ毎日家事をする勢いだった。その時は親を交えての説得でなんとか宥めたが、それでも数日に一回は何らかの家事を手伝いに来る。


「いや、でも朝早くから――」

「暇つぶしなのですから、気を遣わないでください」


 有無を言わさぬ笑顔を前に、アクロは頭を垂れた。


「……そうだな。暇つぶしなら仕方ないな」

「ええ、仕方ないですね」


 考えようによっては、悪い話ではない。セフィアの言うとおり、ランニングした日は朝食を抜くため空腹で午前中は頭が回らなくなる。ランニング云々を覗いても、一人では決して作らないような、豪華な朝食が食べられる。食器洗いなどの簡単な家事もしてくれる。

 まさに、理想の家政婦である。名家の者に対して家政婦呼ばわりは断頭の刑に匹敵する行為であるが、脳内で発するだけならば何の罪でもない。

 朝食を八割ほど食べた頃、ふと思い出したかのようにセフィアはつぶやく。


「そういえば、魔術の方は上達しましたか? 前の依頼から一週間経ちましたが……体力作りも継続して行っているようですし」

 

 知識を得ても魔術が使えない。実技で何度も特訓しても使えない。であれば、命の危機が迫っている場面で一か八か試すしか無い。セフィアはそう信じ、任務では常にアクロを前線に立たせていた。

 魔術の発動は精神面に大きく影響される。戦争中、命を奪われる直前に強力な魔術に目覚めるという例はいくつもあり、理論的にも奇跡ではないと立証されている。

 セフィアが魔術の話をし始めると、決まってアクロの背には冷や汗が伝う。


「それがその……なんというか……まあぼちぼちといったところで」

「煮え切らない答えですね。使えるようになった魔術があれば、それを言っていただけませんか?」

「……えーと……」


 アクロは宙に目を泳がせ、何か言葉を出そうと考えこむ。


 どれだけ危機に瀕したところで、アクロは何の魔術も使えるようになっていない。学校の授業以外でも、魔術を使えるよう努力していた。しかし、どれもかしこも途方に終わった。アクロの使える魔術はマッチ程度の火を出したり、壊れた蛇口のように水滴を垂らす程度のことしか出来ない。魔力コントロールが激しく苦手で、体内の魔力を、発現させたい現象のイメージに当てはめることができない。結果、魔力は何の変化をきたすこともなく、イメージは妄想に終わる。


「やっぱり、今回もダメでしたか」


 目を下に落とすセフィアを見て、アクロは思いっきり立ち上がる。


「違う! そう、コツを掴んだんだ。魔術を使うコツをな。あれを俺のモノにできれば絶対に使える魔術が増えるに違いない!」


 何の根拠もない自信だったが、アクロは必死に虚勢を張る。

 何故ここまでアクロは必死になってセフィアに見栄を張るのか、その答えは次の一言に凝縮されていた。


「では、もっと難しい任務を受けなければいけませんね」


 セフィアは魔術の話になった途端、非常に厳しくなる。この世は魔術が使えなければ生きていけない。これは貴族同士の争いでも同等のことである。

 それを間近で見てきたセフィアは、人間は魔術を極め続けるべきだという考えを持ってしまっていた。そして、いつまで経っても魔術が上達しないアクロに対しては、危険な目に合わせてでも魔術を上達させようとしていた。

 “獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす”とはまさにこのことを指すのだろう。

 

「そういえば、昨日学園長からアクロにふさわしい任務があると教えていただいてました。今日受けに行きましょう」

「今日!?」


 アクロの声が思わず裏返る。

 セフィアが受ける任務は、森の守護者や人を食らう大型獣の討伐など命の危険が伴うものばかりである。アジュール姉妹がいる以上、実際に命を落とすことは無いが、いつも特訓だと言って囮にされるアクロにとっては常に死と隣り合わせのように感じている。


「せめて一ヶ月後に!」

「残念ですがラズにはもう話をつけていますし、学園長にも今日行うと伝えています。つまりリーダーたる私の権限を持ってしても、拒否できない段階にきているのです」

「ちょっとまってくれ。それでも俺は拒否権を使用させて――」

「それにアクロ、私の作った朝食を食べてますよね?」


 こんこんと、セフィアは手に持ったフォークで皿を叩く。

 アクロは言葉に窮してしまう。朝食のことを引き合いに出されると、アクロは何も答えられなくなる。


「まあ、朝食は冗談ですけどね」


 くすりと笑うセフィアに、アクロは訝しげな目を向ける。


「とりあえず、そういうわけです。今日の昼休憩中に、学園長室に行きましょう」


 どういうわけだ、とツッコミたくなるがその言葉に理論もひったくりもない。あるのは、抗うことの出来ない決定事項のみ。

 セフィアはテーブルの上に残っている料理をひょいと掴み、口の中に放り込む。そして食べ物を掴んだ指を舐めながらアクロを見て微笑む。


「拒否権を使っても構いませんが……今までもなんだかんだ言って付いてきてくれますから。私は待ってますよ」


 アクロは今日一番の大きなため息をつく。

 どうせ抗っても結果は変わらない。ならば、任務をどうやってやり過ごすかという思考に切り替える。


 この時、アクロたちはまだ知らなかった。

 難易度が高いだけだと思っていた任務が、アクロたちの人生を大きく変えることを。

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