第3話 ラズと早朝ランニング

「ちょっとアクロ! 起きなさいよ! 今何時だと思ってるの!」


 アクロの一日は、ラズの怒声によって始まることが多い。耳元に展開している橙色の魔術陣からキンキンと声が響く。

 モーニングコールをしてもらっている訳ではない。規則正しい生活を送っているアクロは今まで寝坊をしたことがなく、休日だからといって昼まで寝ていたり深夜まで起きるといったことはない。平日休日問わず、しっかり八時に起きる日付が変わるまでには就眠する真面目そのものであった。

 その怒声が聞こえるのは日が昇って間もない5時半である。


「……あと1時間半」

「昨日は走ってなかったからぐっすり寝れたはずよ! 今日は来るの! 来て! 来なさい! さあ早く! 来ないと体内の魔力を結晶に変えて串刺しの刑に処すわよ!」


 その脅し文句も何度も聞いて、実際に処されたことは一度もない。だが、何度も怒声を聞くうちにアクロの目は冴えてしまった。

 体をゆっくりと起こし、普段以上に爆発している髪をわしわしと掻きながら尋ねる。


「……今日もランニングか?」

「ランニング以外で呼び出す理由が見つからないわ」

「朝っぱらから精が出てるな……おやすみ」

「そこまで喋れるなら起きなさいよ!」

「明日は早く起きる」

「そのセリフ昨日も聞いた! いい加減にしないと、目に結晶の花を咲かせるわよ!」

「分かったから、朝からグロテスクなことを言わないでくれ」


 ラズに時間を遅らせるように頼んで、聞き入れてもらったことなど一度もない。渋々アクロは起きることにした。

 朝の筋トレは幼い頃からのラズの習慣だった。初めのうちは体力作りの一環だと思いながら付き合っていたアクロだったが、いつの間にか習慣になっていた。とはいえ、今は昔と違いランニングが億劫になってきている。顔には出さないように務めているが、アクロは辞めるタイミングを常に探していた。

 アクロは眠気眼のまま着替え、部屋を出る。

 アクロの住んでいる木造五階建て男子寮は、ジュエリア魔術学園の裏側の森林の中にある。周辺の森は整地されており歩きやすくなっているため、ランニングに適している。部活動でもよくランニングコースとして使われており、夕方はかなり賑やかになる。寮の玄関から伸びる石畳を少し歩くと、噴水が中央にある公園が見えてくる。ベンチと噴水だけがある簡素な公園が、アクロとラズの集合場所になっていた。


「おっそーい! どれだけ待たせるのよ!」


 噴水を背に、仁王立ちするラズ。ピンク色のジャージと白いスニーカーという、いつものランニングスタイルでアクロを待っていた。

 会うや否や、いきなり怒声を浴びせられたアクロは我慢できずに言い返す。

 

「お前が早過ぎるんだよ! 5時半ってなんだ! 俺6時間も寝れてないぞ」


 朝早く集まるものの、ランニング自体は1時間半で終わる。その後自室に戻りシャワーなどの支度をし、学園に向かったとしても30分足らずで着くことができる。

 つまるところ、5時半からランニングしても7時半には終わるため、授業開始までの1時間半手持ち無沙汰になってしまう。仮眠を取るにも微妙な時間である。

 それなら七時からランニングでもいいのではと進言するのだが、ラズは聞く素振りを見せない。


「アクロって12時まで起きてるの? 夜更かししすぎ! 不良! 変態!」

「何を言ってるかよく分からんが……言っとくが、10時に寝るのが早過ぎだ。 子どもか! あと変態じゃねえよ」


 ラズはいつも10時には布団に入っている。アジュール家は早寝早起きに煩いらしく、少しでも夜更かしや寝坊をするとキツイ罰が待ち受けているという話をアクロは思い出した。

 だからといって今は親の目があるわけでもないので、多少なりとも緩めてもいいのではと思っていたが、アジュール家はとことん真面目な性格をしているためそうはいかないらしい。


「子どもってどこ見て言ってんのよ!」


 ラズの顔が真っ赤になり、叫び出す。

 しまった、とアクロは思ったが後の祭。ラズが子どもらしい体型を酷く気にしていたことを忘れていた。姉のセフィアが背が高くプロポーションがいいため比べられる事も多かった。

 “子どもらしい”“小さい”といった言葉はラズの地雷になっていた。


「どこか見て言ったわけじゃねえ! その早く寝すぎることを言ったんだ!」

「そんなことない! 私の体見て言ってたでしょ!」

「言ってねえよ!」


 朝から騒ぎ合った二人は、まだ走ってもいないのに肩を震わせ息を乱していた。

 

「……ランニング、しましょうか」

「……そうだな」


 準備運動を行い、二人は並んで走りだす。寮前の公園をスタートし、学園から遠ざかるように森へと入り込む道へと進む。なだらかな山をぐるりと回りこみ、再び公園に戻るのがいつも走っているルートになる。ランニングが面倒だと思っているアクロではあるが、鳥のさえずりや爽やかな風に心地よさを無意識ながらも感じていた。走り終え、気怠さと息苦しさに包まれながらも、胸が空くような感覚に充実感を覚えているのも事実。

 全て無自覚であるため、決して言葉にすることはないが。

 公園の時計を見て、ラズは満足そうに微笑む。


「ふう、なかなかいいタイムだったわね。もうちょっと早く走っても良かったのよ?」

「勘弁してくれ」


 走り終えたラズは、息を整えながらベンチへと座る。少し遅れて、アクロはラズの隣で立ち止まる。

 今日はいつもより走る時間が短かかった。いつも足が遅いアクロのペースで走っているため、アクロの走る速度が早くなっているということになる。

 早く走れたところで、魔術が使えなければこの世界では生きていけない。アクロは悲観的なことを考えながらため息を付いた。


「にしても、走ると暑くなるわね」


 ラズは手をぱたぱたと仰ぎ、自分の顔に風を送る。

 ディアモンド王国は四季がはっきりと分かれている。今は冬と春の変わり目で、段々と暖かくなる時期である。朝の冷え込みも弱まり、日によっては走れば汗がでるくらいには暖かくなっていた。


「よいしょっと」


 額の汗を拭ったラズは、上着を脱いで体温の調整を図る。

 運動直後で火照った頬、小さい口から紡がれる荒い息遣い、首筋に伝う汗、体のラインが現れているインナー。

 どことなく色っぽさが出ていたラズに、アクロは思わず目を逸らした。何かと突っかかってきてアクロを卑下してくるラズだが、黙っていればかなりの美少女である。長年見てきたアクロでさえ、意識せずにいろというのは無理な話であった。


「どうかした?」

「いや、別に……」


 きょとんと首をひねるラズに、アクロはあさっての方向を見ながら答える。


「……ふふ」

「なんだよ」

「走った後の気分って最高じゃない? すっきりとしない?」

「ぼちぼちだな」

「連れない答えね」


 ランニングの後のラズはいつも機嫌がいい。アクロが嫌味を言っても聞き流してしまうほど、だ。逆に、ランニングをサボったり雨で走れなかったりすると機嫌がかなり悪くなる。ラズにとってどれだけランニングはストレス発散的な効能もあるのだろう。


「もう少ししたら、私の足に追いつけそうね」


 ふとラズは、タイムが短くなった話を掘り返す。


「そうか? でもラズ、全然本気で走ってないだろ?」

「本気よ。短距離走なら話は別だけど、長距離走なら私を追い越せるんじゃない?」

「ご謙遜を」

「謙遜じゃないわよ。……楽しみね」


 ラズは本当に楽しげな笑みを浮かべる。

 アクロはその顔を見ながら、足が早くてもこの世界では生き残れないのに、とまた悲観的な感情に囚われていたが。

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