第八章 囚われの地雷娘



   1



 ど、どうなっちゃうのよぉおお?

 きららは車の中でひっくり返った姿勢のまま、パニックになりそうだった。

 それでもかろうじて理性を保っていられたのは、たぶん相手には自分をすぐに殺す気はないと思えたからだ。

「どうすんのよ、伊藤さん。このままカメみたくやり過ごす気なのぉ?」

 必死で叫ぶ。

「きらら。おまえ、ほんとは何者なんだ? なにを知ってる? あいつらはおまえを殺したいのか、それとも連れ去りたいのか?」

 伊藤が隣でどなった。

「だから知らないって、そんなこと!」

「重要なことだ。もし殺しちゃまずいなら、やつらにロケット弾は撃てん。カメになるのも悪くないぞ」

 逆にいうと、殺すのが目的だったら、あいつらはこのままロケット弾をぶっ放すってことだ。

「はやくしろ。死にたいのか!」

 車の外では、敵の兵士が日本語でどなる。もちろんロケットランチャーはこっちにねらいを定めたままだし、それ以外の兵士も銃口を向けていた。

「やむを得ん」

 銃を持った男ふたりがひっくり返った車のボンネット下にもぐり込むようにして、運転席の前までやってきた。這った姿勢のままフロントガラス越しにアサルトライフルを突きつける。

「防弾ガラスのようだが、この至近距離からフルオートで弾をばらまいたらどうかな? もうすでにぼろぼろのようだ。簡単に貫通しそうだな」

「まじですか?」

 悲鳴を上げたのは若宮だ。

 きららは銃や防弾ガラスのことはよく知らないが、ひびだらけのガラスはもう見るからに限界だった。そんなことをすれば、すぐにでもガラスは砕けて、運転席の若宮は蜂の巣になるんじゃないだろうか?

 さらに敵は前だけでなく、後ろにもふたりいる。ロケットランチャーはないが、アサルトライフルをやはりこっちに向けていた。

「出てこい。そうすれば撃たない。おまえたちも、その少女もだ」

「信じるなよ。あいつらが町中で警察の車にロケットランチャーをぶっ放したことを忘れるな。こいつら警官を殺すことなどなんとも思っちゃいねえぞ」

 伊藤が叫ぶ。

「好きにしろ。フロントガラスが砕けたら、おまえたちを撃ち殺し、その女を連れ去るだけだ」

「はん。そんな手間暇かけてたら、逃げられなくなるぞ。すぐに包囲される」

「ちっともかまわないさ。邪魔するやつらは皆殺しだ。俺たちの持ってる武器がこれだけだと思うなよ」

「正気か、おめえ」

「みっつ数える」

 フロントガラスに銃を突きつけている兵士がいう。

「ひとつ」

 ど、どうすんの?

「ふたつ」

 ヤバいって。

「みっつ」

「待った。降参。降りる」

 そう叫んだのは若宮だった。ひっくり返った状態で両手を上げる。いや、下げるか。

「今出るから、撃たないでね」

「おい、若宮!」

「しょうがないでしょう。俺死にたくないですから」

「よし、降りろ。ゆっくりだ」

 若宮がドアロックを外し、すこしだけすき間を空ける。

 前にいたライフルの男が運転席の横にまわり、開いたドアのすき間に銃口を向けた。

 その瞬間、ドアがはげしく開いた。ドアの腹が兵士の下半身にぶち当たり、わずかにはね飛ばした。

 若宮はほとんど逆立ちの恰好から、転がるように外に出る。いつの間に抜いたのか、その手には拳銃が握られていた。

 若宮はたった今突き飛ばした兵士には目もくれず、しゃがんだまま、後ろに控えていた兵士に向けて銃を撃った。二発。

 真後ろからふたりの兵士の断末魔の声。

「野郎」

 前からフルオートの弾丸の雨。しかし、それは開いたドアを盾にした若宮には届かなかった。

 敵は前に出る。扉の上から若宮に弾丸の雨を浴びせようと。

 その瞬間、若宮の手がライフルの銃口をつかんだ。同時に若宮は立ち上がる。必然的に敵の銃口は天を向いた。

 無防備になった敵の顔面に一発。若宮は無情に弾丸を撃ち込んだ。

「な、なに?」

「なんだあ?」

 あまりのことに驚いたのはきららだけではないらしい。伊藤はそれ以上に仰天していた。

「なんなのあの人?」

「じつは俺もよく知らん」

 伊藤もたんなる運転主役の若造だと思っていたらしい。しかし、若宮の超人ぶりはとまらなかった。

 ロケットランチャーの男はたんなる脅しでじっさいは撃つ気がなかったのだろう。状況に対応できず、若宮の放った弾に倒れる。

 さらにボンネットの下にくぐり混み、フロントガラスをねらっていた男がようやく下から這い出て銃口を向けようとした瞬間、頭が不自然に揺れて、そのまま倒れた。これも若宮の銃弾が頭を貫いたらしい。

「もうだいじょうぶですよ、伊藤警部補」

「あの表にとまってたトラックは?」

「逃げたみたいです」

 伊藤は扉を開けると、のそのそと這い出た。それからようやく銃を抜くと、あたりを見まわす。

「よし、出てきていいぞ、お嬢ちゃん」

 きららも習って芋虫のように外に這い出た。

 たしかに表通りにあった例のトラックは逃げたらしくもうない。この一方通行の細い道には、テロリストの死体が五つ。とても現実のこととは思えなかった。

「課長、襲われました。大至急、迎えに来てください。できれば武装ヘリで。敵はテロリストどころか完全な軍隊ですよ。アサルトライフルにロケットランチャー装備。……ええ、そうです。場所は……」

 伊藤がスマホに向かって怒鳴り込んでいる。

「あれは?」

 きららは、すこし離れた歩道に建物に寄りかかるようにして人がひとり倒れているのに気づいた。オールバックの痩せた若者で、ジーンズにシャツといったカジュアルな恰好だが、胸のあたりに血がついている。

「通行人を巻きこんだのか?」

 伊藤がヤバそうな顔をした。

 若宮がそばによる。怪我の状態を確認しようかがみ込んだ瞬間、壁に寄りかかっていた男の脚がはね上がった。

 それはものすごいスピードで若宮の顎を横から打ち抜く。

「な?」

 その男ははね上がると、猛スピードでこっちに突進してきた。

 伊藤が拳銃を向ける。しかしその瞬間、男は前にいなかった。

「上よっ!」

 きららは叫んだ。男は鳥のように高々と空を舞っている。ものすごいジャンプ力だ。

 伊藤が銃口を向けたとき、急降下してくる男の跳び蹴りが炸裂。伊藤は引き金を引くこともできずにふっとんだ。

「この!」

 きららは反射的に回し蹴りを放つ。だが、簡単にブロックされた。

「ふん。生兵法は怪我の元だ」

 腹にものすごい鈍痛が走った。男のパンチが炸裂したらしい。

 きららは胃液を吐いた。

 な、なによ。強いじゃない、こいつ。

 そういえば……。

 きららはこの声に聞き覚えがあった。夜中にきららの部屋に侵入して襲ったのは、他ならぬこいつだ。

 そう思ったとき、きららは首になにかを巻き付けられた。それはカチッとロック音をたてる。

 気づくとネックレスのようなものをしていた。もっともしゃれた代物ではなく、細長いワイヤーとゴルフボールのような丸いものが飾り代わりについただけのもので、装飾品とはいいがたい。

「な、なによ、これ?」

「爆弾だ」

「じょ、冗談でしょ?」

「しずかにしろ。死にたいのか?」

 男が氷のような目でにらみつける。それだけで逆らう気がなくなってしまう。

 それでも首に掛けられたものは、なんとか外してみようと試みた。

「無駄だ。長さはちゃんと計算してある。外れねえよ。もちろん、そのワイヤーは人間の力じゃ切れん。特殊なカッターでも使わない限り無理だ」

 もちろん、きららは今、そんなものは持っていない。

「その丸いやつが爆弾だ。威力はないが、それでも爆発したらおまえはまちがいなく死ぬ。そしてその起爆装置は俺が持っている。俺に逆らえないことも、逃げられないことも理解したな?」

 きららはうなずくしかなかった。下手にリモコンを奪おうとして首がふっとぶのはごめんだ。

「だったら、もう逆らうな。逃げようとするな。大声だそうとするな。いいな?」

 ふたたびうなずく。

 男は突きつけていたナイフをしまう。もう必要ないということだ。

「……なぜ、こんなことをするの?」

 きららはからからに乾いた口で質問する。

「質問するのは、こっちのほうだ。おまえは何者だ?」

 そういえば、この男は部屋に侵入してきたときも同じことを聞いた。

「だから、あたしは……ただの女子高生よ」

「嘘をつけ。じゃあ、なぜ、CIAや警察が必死になって守る。中国のスパイがどうしておまえを探る?」

「な、なにをいってるの?」

 この男は頭がおかしいのだろうか?

「まあ、いい。尋問は専門家に任す。俺の役目はおまえを連れていくことだ」

「ど、どこに?」

「それは秘密だ」

 いやだ。いやだ。いやだ。

 きららはよほど大声で叫びながら逃げ出そうかと思った。

 それができず、かろうじて理性が残っていたのは、そんなことをすれば首がふっとぶとわかっていたからだ。

「来い」

 男はきららの腕をつかみ、歩きだす。

「ね、ねえ。あんたもさっきの兵隊たちの仲間なの?」

 きららは話しかける。黙ったままこいつについていくのは恐ろしくて仕方なかった。

「そうだ。だから爆弾というのが脅しやハッタリと思わないことだ」

 男はにやりと笑う。

「あんたたち、何者?」

 それには答えなかった。まあ、とうぜんかもしれない。

「じゃ、じゃあ、あんたの名前は? なんて呼んでいいのかわかんないし……」

「呼びたければ、朴と呼べ」

 朴? 韓国人? それとも……。

 朴はきららを引きずるようにして歩く。しばらくすると、きららは自分たちが駅に向かっていることに気づいた。

 まさか、電車で移動するつもり?

 それは十分にありえた。なぜなら、きららは爆弾のせいで隙を見て逃げ出すことなんてできないのだから。

 いきなり後ろのほうから爆音が轟く。ふり返ってみると、さっき自分たちがいたあたりのところから火柱とともに黒煙が立ち上がっていた。

「証拠を消した。立ち去るとき、時限爆弾を仕掛けておいたのさ」

 証拠。つまり仲間の死体?

「け、刑事さんがいたはず……」

「あ? ああ、爆発に巻きこまれて死んだだろうな。俺の蹴りをまともに食らったんだ。一時間は起きん」

 男は、「くっくっく」と声を出して笑う。

 だめだ。こいつはほんとうに人を殺すことをなんとも思ってないんだ。それどころか、殺人が好きなのかもしれない。

 許せない。こんなやつ許せない。

 きららは拳をぎゅっと握りしめる。

「さあ、こい。楽しい旅のはじまりだ」

 こいつをぶちのめしたかった。だけどそれは無理だ。たとえ爆弾がなくてもこいつのほうがはるかに強い。今のきららは、倒すどころか、逃げることも、助けを呼ぶことさえもできないのだ。

 きららは唇を噛みつつ、男とともに、駅の雑踏の中に入っていくしかなかった。



   2



 車の流れが完全に止まっていた。昼間の都内とはいえ、ここまで前に進まないのははめずらしい。そのことが端午を無性にいらつかせる。

『犯人の車、北に向かって逃走中』

 盗聴している警察無線によると、警察はパトカーに連絡を取って犯人の車を追いつめようとしているようだ。

「おかしい。犯人の車と、きららにつけた発信機の動きが一致しない」

 リンダはハンドルを握りながら、やはりいらついた口調でいう。

「どういうことだ?」

「きららの位置は動いていない。やつら、さらうことをあきらめて、逃げたのかもしれない。でも、やっぱり変。きららについてる護衛と連絡が付かない」

 リンダは耳に押しつけていたスマホを切った。

「やられたんじゃないのか? そいつはきららのすぐそばにいるのか?」

「同じ車。運転していたはずよ。彼は警察内部に潜入してるCIAのエージェント」

「運転手が連絡に応じない? だけど、きららは動いてない。犯人は逃げてる。変じゃないか?」

「だから変だっていってるじゃない!」

「くそ」

 端午はカーナビのモニターでもう一度、発信器の位置を頭にたたき込むと、ドアを開けようとする。

「どうする気?」

「そんなに遠くない。走ったほうが速い。いざとなればバイクをかっぱらう」

「待って。きららが動いた」

「動いた? どこに?」

「まだ、わからない。でもゆっくりね。歩いてるのかも」

 電話できるのなら電話したかったが、今のきららはスマホを持っていない。

「駅。電車で移動する気だわ」

「電車だって?」

 たしかにモニター上で点滅するポイントはゆっくりと近くの駅に向かっていた。

「ひょっとしてきららはひとりだけ助かって、警察に電話するために駅に向かってるんじゃないのか?」

「甘いわね。乗ってた車がやられて、こっちの護衛と連絡が付かない。どう考えても敵がきららをさらったと考えるほうが妥当よ。逃げてる車は囮ね。警察の注意をそっちに引きつけておいて、きららを連れて電車でどこかに移動する。そこから本格的にどこかに行くつもりなのよ」

 そうなったら発信器だけが頼りだ。もし、敵が途中でそれに気づいたら……。

 もう追いようがなくなる。

『犯人車両、自爆! あたりを巻きこんで自爆しました~っ!』

 警察無線で警官の絶叫。

「なんてやつらだ」

「捕まるわけにはいかないってことね。まあ、北にしろ中共にしろ、スパイがあれだけの事件を起こしたとなるととうぜん国際問題になるし、そうするしかないわよねぇ」

 リンダのスマホが鳴った。

「若宮? 無事なの?」

 リンダはなにやらうなずいている。さらに指示を飛ばしたあと、電話を切った。

「やっぱりきららはさらわれてる。さらったやつは、使う技や顔かたちからして、おそらく朴ね」

 朴。ゴッサムのバーテンをしていたあのテコンドー使いか。

「このエージェントには朴を尾行させる。あたしたちは連絡のやりとりをしながら、この車で追うわ」

 たしかに仲間がひとり間近についていけるのなら、自分たちはこのまま車で追ったほうがいいのかもしれない。電車で移動するということは、敵にしたところですぐにきららを殺したりする気はないのだろう。

 端午はすこし安心した。

 盗聴していた警察無線が絶叫する。

『また爆発発生! 銃撃戦現場で爆発。巻きこまれた犠牲者がいるかもしれません』

「ふん、まるで戦争ね」

 そういうリンダの顔が楽しそうに見えたのは気のせいだろうか?

「あいつら自分たちがねらってるものの価値すら知らないくせに、やりたい放題だ。頭おかしいんじゃないのか?」

「証拠隠滅に必死なんでしょうね。ここまでやってしまったら、もう、国籍不明のテロリストの仕業にするしかないものね。ま、戦争なんて案外そうやってちょっとしたことがエスカレートしてはじまるものなのよ」

「冗談じゃない」

 これ以上好き勝ってやられてたまるか。絶対落とし前つけさせてやる。



   3



「降りろ」

 きららは朴にそういわれ、目隠しをされたまま車から降りた。

 あのあと、電車に連れこまれ、降りた駅で迎えにきた車に乗せられていた。あとは目隠しをしてのドライブ。ここが旅の終着駅らしい。

 朴はきららの腕をとり、引っぱる。

「ね、ねえ。歩きにくい。目隠しを外していい?」

「ふん。まあ、いい」

 朴はあっさりと願いを聞いてくれた。

 目隠しをとっても、あたりは真っ暗だった。陽は完全に落ちている。都会のように街の灯りに満ちあふれているわけでもない。

「海?」

 たしかにそこは海だった。暗いとはいえ、向こうに月明かりが海面に反射している様がかすかに見えるし、波の音からも明らかだ。そして、男に引っぱられ、今自分が歩いているところは砂浜だ。

 朴は砂浜から海に向かっている。よく見ると、すこし沖合には十数人乗れそうな大きさの船が一艘とまっていた。形こそクルーザーっぽいが、はっきりいって豪華なものではなく、イメージとしてはむしろ古い漁船に近いかもしれない。

「ど、どこへ連れていく気?」

 きららは心底恐ろしくなった。

「祖国だ。それともここでなにもかも白状するか?」

 祖国ってまさか。……じょ、冗談じゃないよ。

「しゃべったほうがいいぜ」

 車で迎えに来ていた運転主役の男がいう。まともに顔を見たのはこれが最初だが、朴と似たような感じだ。冷たくて、なにごとにも動じなさそうなロボットのように見える。もっとも服装はやはりカジュアルで、髪は銀色に染めてはいたが。

「だって、ほんとうになにも知らないもん。っていうか、あなたたちぜったいなにか勘違いしてる。CIAとか、中国のスパイとか、わけわかんないよ」

「黙れ」

 朴はきららの頬をはり倒した。

「おまえがなにかとんでもない秘密を握っているのはわかっている。それを探るために、同胞が何人も尊い犠牲になったんだ。知らないですむとでも思ってるのか?」

「そ、そんなこと……」

 あたしに関係がない。そういいたかったが、いえなかった。朴の氷のような目の奥に、燃えるような憎悪の炎が感じられたからだ。

「よせ、朴。あとは祖国にまかせよう。俺たちの任務はここまでだ」

 銀髪が取りなした。もっともその目は明らかにきららを見下したようなものだったが。

 朴はもうなにもいわなかった。ただひたすら、きららを海に向かってい引っぱっていく。

 いや。やめて。助けて。

 声にならない。

 奇襲攻撃をかけて逃げようか?

 だめ。こいつらは強い。そんなもの通用しないし、そもそも首の爆弾のリモコンは朴が持ってる。リモコンがどこにあるか、どんな形をしているのかすら、きららは知らない。

 波打ち際まで連れてこられ、きららは沖合の船から小さいゴムボートがこっちに向かっているのに気づいた。エンジンがついていないのか、音を立てたくないのか手こぎだ。

 それには例のアサルトライフルを手にした兵隊姿の男が乗っている。しかもゴムボートは一艘じゃなかった。ぜんぶで四艘ほど。兵士は合わせて十二人。

「な、なによ、これ……」

 なんかおかしい。あたしを連れてくだけでどうしてこんな?

「大げさすぎるか? べつにおまえを連れていくために、これだけの兵士を呼び寄せたわけじゃない」

「じゃ、じゃあ……なんで?」

「おまえの体には発信器がついている」

「え?」

「知らなかったとでもいうつもりか? まあいい。俺たちがそんなものに気づいていないと思ったら大間違いだ。逆におびき寄せたのさ」

 朴はにいっと笑う。

「じつはあらかじめ、兵士たちはこのまわりにも潜ませておいた。おまえを餌に連中が中に入りこむのを待ってたんだ。やつらは内と外から包囲された」

 いったいなにをいってるの、この人?

 きららは半信半疑だ。ほんとうにこのまわりには、きららに発信器を取りつけ、尾行してきた人がいるのか? そしてそれを朴の仲間たちが外から取り囲んでいる?

 現実離れしたことだった。とてもほんとうのこととは思えない。

 見まわしてみると、砂浜のまわりは岩場だし、その先には林がある。誰かが隠れていてもわからない。

 上陸した兵士たちは二手に分かれ、左右の林の中に消えていった。

「CIAか、中共国家安全部か? 何者だろうが、俺たちの同志を犠牲にした代償を払わせてやる」

 ダダダダッ。

 突如、林から音とともにわずかな閃光が走った。音に合わせて断続的に。

 同時に断末魔の悲鳴。

 さらには別の方向からも同じような音が。

「さてと、殺し合いがはじまった。ここは民家から離れているから、だあれも通報とかはしないだろうな」

 朴が可笑しそうにいうと、今兵士が乗り捨てていったゴムボートの前で立ち止まった。

「乗れ」


   *


 おかしい。

 毛は林の中に隠れながら、そう思った。

 北朝鮮の工作員二名が沖合の船に、少女を乗りこませようとしているのはわかる。だが、なぜ複数の武装兵士が船から下りてくるのだ?

 大げさすぎる。ひょっとして発信器に気づかれたか?

 毛たちにしたところで、少女の体にCIAが発信器を取りつけていることに気づき、その電波を追ってきたのだ。となると、やつらが気づいていてもなんの不思議もない。

 尾行に気づいていないふりをして、待ち伏せしたのかもしれない。

 だが、もし、俺たちを殺す気なら、あのまま船に潜んで、俺たちが近づいたときを見はからって狙撃したほうがいい。つまり、尾行には気づいていないが、万が一の追っ手に手を出されたくないから、これ見よがしに兵力を見せつけたのか?

 いや、ちがう。

 毛の勘がそう告げた。

 とたんに毛の神経が研ぎ澄まされる。もちろん今までも少女と北の工作員に神経をとがらせてはいたが、次元が違った。前だけでなく、左右、そして後ろまで、レーダーのように見えない敵の気配を探る。

 反射的に懐からナイフを抜く。

 同時にジャンプすると頭上の枝をつかみ、そのまま体を持ち上げた。

 後ろから断続的な射撃音。

 ふり返ると点滅する白い閃光。

 毛はそれにめがけてナイフを投げつける。

 叫び声とともに、掃射はやんだ。

 北の野郎。内と外からはさみうちにする気か? そっちがその気なら皆殺しだ。

 離れたところからも、掃射音と閃光。味方のいるあたりだ。

 毛とその仲間三人は、距離を置いてやつらを取り囲むような配置をとっている。

 殺ったのか、殺られたのか?

 間近ならともかく、これだけ距離があれば、気配だけではわかりかねた。

 今、自分が倒した男のところに行くと、装備を確認する。

 銃は58式。ロシアのAK47のコピー品で、北朝鮮で使われているアサルトライフルだ。弾倉が三十発。もちろんフルオートで撃てる。

 タクティカルベストの下にはボディアーマー。もっとも拳銃弾程度は止められても、アサルトライフルには無力のはず。

 さらに目には暗視ゴーグル。これがあればライトを使わずとも、こっちの動きはまるわかりだろう。

 こんなものは俺には不必要だ。

 こんな状況で目に頼るのはかえって危険だと考えた。

 もっとも武器に関しては、敵がアサルトライフルを持っている以上、こっちもないと話にならない。

 殺しにこんな野暮なものを使うのは趣味じゃないがな。

 毛は心にそうつぶやきながら、死んだ北の兵士からアサルトライフル、それに予備の弾丸が入ったマガジンをうばう。

 まわりからは断続的な射撃音が響き、閃光が走る。

 毛は猿のように樹の上に登った。ほとんど音も立てずに、するすると。

 さあて、やつらはどこだ?

 樹上でふたたび神経を研ぎ澄ます。目に頼るよりはるかに確実だった。動きが手に取るようにわかる。

 殺気をまき散らしながらこっちに近づいてくるやつがいた。それもふたり。とうぜん敵だ。

 そいつらは仲間の死体のそばまで来ると、互いに背を守るようにしつつ、あたりを確認した。

 だが、見つかるはずもない。連中が見ているのはほぼ平面。真上に敵が潜んでいるなど考えつきもしないのだ。

 毛は真上から弾丸の雨を降らせた。

 ふたりは「ぎゃっ」と短い叫び声を上げるとその場に崩れおちる。

 さて、仲間は無事かな?

 とはいえ、じつはそれほど心配などしてない。仲間の三人は常人を遥かに超えた能力を持つ。兵士としても拳法家としても、はたまた殺し屋としても。

 とくにリーダーの黄は、仲間内で唯一、毛すらを凌ぐ超人的な能力を持つ男だ。

 対して敵は訓練されているし、武装しているが、それだけだ。

 つまり、かなりの確率で生き残ってるはずだ。とくに黄は、たとえほかのふたりがやられても、殺されることなど考えられない。

 そんなことよりもお楽しみタイムがやってきたのだ。

 毛はふたたび敵の気配を感じ取る。

「さあって、狩りの時間だ」

 毛は枝から枝へと、猿のようにとんだ。



   4



「近いわ」

 リンダは車を運転しながら、モニターで発信器の位置を確かめた。

 日本海側の海沿い。林の向こう側に砂浜らしきものが見える。暗くて詳細はわからないが。

「あいつら、ひょっとして船で北朝鮮まできららを連れていく気か?」

「かもね。だけど、まだだいじょうぶ。きららは砂浜にいる。だけど急がないとヤバいかも」

 そういいつつ、リンダは車を止めた。

「なんでとまる?」

「場所はわかった。すぐそこよ。こっからは気づかれないように車は置いていったほうがいい」

「わかった」

 端午はポケットから拳銃を出す。

「こんなに暗くなると思っていなかったから、暗視ゴーグルを持ってこなかった。失敗ね。気づかれたくないから、ライトは使いたくないし」

 リンダはぶつぶつ文句をいいつつも、小型ライトをポケットに入れると、車を降りる。端午もそれにつづいた。

 夜だし、海岸には民家の灯りもないとはいっても、道路に街灯がまったくないわけではないし、空は晴れてる上に満月だ。真っ暗闇というわけではない。目が慣れるにつれ、まわりの様子はそこそこ確認できる。

「目眩や痺れ、その他身体の異常は?」

「ない。だいじょうぶだ」

「いくわよ」

 リンダは林にそって道路を走る。端午は追った。

 ちょうど林の切れ目にきたとき、リンダはとまった。そのまま唇の前で人差し指を立てる。さらに人差し指と中指で、自分の両目を指さしたあと、海岸を指さす。

 音を立てないように気をつけて、海を見ろってことだ。

 砂浜と奥の海岸が見えた。

 沖合には十数人は乗れると思われる船。その灯りのおかげで、砂浜も多少見える。

「きらら」

 遠い上に暗くて顔までわからないが、学校の制服姿の少女はまちがいなくきららだろう。その両脇にふたりの男。ひとりはたぶん朴だ。さらに武装した兵士が海から上がってくる。ぜんぶで十二人。全員がアサルトライフルを持っていた。

「まずいわね。火力じゃ勝負にならない」

 リンダは小声でささやいた。

 地下駐車場でやくざどもを皆殺しにしたときとはわけがちがう。こっちはふたりとも拳銃二挺ずつ。だが相手はアサルトライフルで八人。おまけにど素人のやくざと違い、おそらく本職の軍人だ。ひょっとしたら特殊部隊かもしれない。

「よく見えないけど、まちがいなく暗視ゴーグルをつけてるはず。となれば、まっすぐ行けば丸見えね。林経由で海にはいるしかないわ」

 なるほど、やつらはきららをあの船に連れこもうとしているのだろうから、海から船に先回りして待ち伏せれば、勝機はある。

「善は急げよ。極力音を立てないように」

 リンダはそういうと、率先して林の中に入った。端午もそれにつづく。

 とたんに前のほうから、ダダダという連射音と白い閃光。つづいて叫び声。

「なんだ?」

 今のが自分たちをねらったものでないのは明確だ。何者かが、この暗闇の林の中で戦っている。

「若宮? 若宮が単独で入ったの?」

 リンダがつぶやく。たぶん、朴を尾行した警察内部のCIAの男のことだ。

「なんにしろ、あいつらの仲間がアサルトライフル持って、この林の中にいるってことだな?」

 撃ち合いは一カ所ではなかった。複数の箇所から炸裂音と一瞬のきらめきが起こる。

「考えてるひまはない。朴がきららをクルーザーに乗せて発進されたら終わり」

 リンダは走った。端午にも異存はない。

「油断しないでよ」

 いわれなくてもわかっている。飢えた猛獣の住むジャングルに入っていくようなものだ。

 端午の神経は研ぎ澄まされていく。

 全身が夜行性動物の目のようであり、耳であり、コウモリのように自分が発した超音波を体で感じているような気すらする。

 不思議な感覚だった。地下駐車場で撃ち合ったときも感じたが、相手の危険度が桁外れに高いせいか、今の自分は野生の獣並みの超感覚を持っていると思える。

 小脳のもともとの持ち主、CIAのトムの能力、そして自分自身に眠っていた力。たぶん両者が融合したせいで突然変異的に発生したものなんだろう。ただし探求する余裕もない。

 しかし今の端午には必要な力。使わない手はない。

 左斜め前の木陰から強烈な殺気。

 考える前に、体が勝手に動く。

 目で確認することもなく、走りながらその気配に向けて引き金を引いた。

 苦痛の悲鳴。そいつの殺気が一瞬ゆらぐ。しかし意識はある。

 リンダから銃声二発。ダンダンとつづけざまに二発。それでそいつの殺気は消えた。

「敵はボディアーマーを着込んでる。頭部にはヘルメット。こっちの銃じゃ貫けない。ねらうのは顔よ」

 リンダはそういいつつ、足を止め、倒した男からアサルトライフルと暗視ゴーグルをうばった。

 来る。寄ってくる。今の銃声につられて、血に飢えた獣どもが餌を求めて四方八方から。

 見えなくてもわかった。

 先に撃たれればそれでゲームエンド。やつらが引き金を引く前に、引けなくするしかない。

「来るぞ」

「わかってる」

 暗視ゴーグルのおかげでリンダには見えるはず。

「注意を引く。ねらい撃て」

 端午はそういい残すと飛び出した。技と茂みを突っ切り、がさがさと音を立てながら。

 とたんにやつらの殺気が端午に集中する。

 位置を計算し、でかい木の陰に隠れる。バラララと弾がばらまかれ、木の幹がささくれ立つ。

 殺気のひとつが消えた。リンダが撃ったらしい。

 そのせいで敵の意識が分散される。端午はその隙をついて、樹上に登った。

 弾丸はさっき端午がいたあたりに集中する。端午が上に行ったことに気づいていないのだ。

 リンダをねらうやつの殺気。端午はそいつのひたいをぶち抜いた。

 とまどう敵。銃口をあちこちに向け、標的を探している。

 そいつらは端午のいい的だった。一発一発確実にしとめていく。

 敵はようやく端午が樹上にいることに気づいたらしい。殺気がこっちに向く。

 端午は樹上を飛びうつった。いくら暗視ゴーグルをつけているとはいえ、葉っぱが姿を覆えば見つけるのは困難だ。

 敵の銃弾は、端午からすこし離れたあたりに集中した。

 端午は枝を揺すって、先の葉を鳴らし、敵のねらいをそらすと同時に、近くにいるやつの額を打ち抜いた。

 もう敵は明らかに動揺している。動きも散漫になり、ひとりは真後ろからリンダに蜂の巣にされた。

 それに気づいて、後ろにふり返る敵。そいつがリンダにねらいを定める前に、首のあたりを後ろから撃った。

 そのとき、端午はふと気づいた。

 敵の減りが早い。

 最初に感じた敵の数、そして自分とリンダが倒した敵の数を考えても、まだもっとたくさんいるはずなのに、いつのまにかほとんどいなくなった。

 そのとき、敵のねらいが正確に自分に向いているのを感じた。反撃も回避も間に合わない。

 だが、そいつは引き金を引くこともなく意識を途絶えさせた。

 なんだ?

 九死に一生を得た端午だが、安堵よりもまず疑問を感じだ。

 見ると、倒れたその男の首筋にはナイフが刺さっている。

 俺たちを囮にして、ナイフで倒していたやつがいる。

 端午ははじめて自分と同じ樹上に気配を感じた。とりあえず、こっちに殺気は向いていない。そいつはさらに下の敵にナイフを投げた。

 とりあえず、この周辺からアサルトライフルで武装された敵は排除された。しかし、木の上にいるのは……。

 兵士たちとは異質な気を放っている。

 兵士たちはいわば訓練され、人間の感情を殺した殺人マシーンだ。こいつらは任務のために動いている。

 だが樹上の男はなにかちがう。こいつも任務を帯びているのかもしれないが、むしろ狩りを楽しんでいるように思えた。

 リンダはこの男の存在に気づいていないのか、まっすぐ海に走った。

 まずい。

 端午は援護するため、謎のハンターのいるあたりに銃を乱射する。

 一瞬、ふり返ったリンダに、端午は叫ぶ。

「きららを頼む」

 リンダはそのまま走り抜けた。

 端午はもう一度、樹上の得体の知れない気配に向けて発砲しつつ、枝を飛びうつってそっちのほうに向かった。

 もっとも枝を伝って近づいてくるのは相手も同じだった。

 互いに隣接する樹の枝に乗ったとき、はじめて相手の姿を見た。

 姿からして北朝鮮と思われる兵士とはべつの恰好をしていた。

 ヘルメットはしておらず、黒ずくめ。背格好はむしろ小柄だ。顔は暗くてよくわからないが、端午とさして変わらない年に思える。しかしアサルトライフルを担いでいる。

 何者だ?

 そいつは端午に向けて殺気、いや、獲物を見つけた獣の歓喜の気を発した。

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