第六章 龍と虎と蛇



   1



「乗って」

 謎の敵の襲撃から一日明け、朝、学校に行こうとする端午は、駅の前で車に乗ったリンダに声をかけられた。

 目立たないような配慮か、下位グレードのマークX。色もありふれた白だった。

 リンダの誘いに乗ることは学校をサボることを意味しそうだったが、かまわず乗った。

「どこへ?」

「ちょっとした秘密基地かな」

 リンダは車を走らせながら、冗談めかしていう。

「きららはほっといていいのか?」

「心配しなくても他のエージェントがついてる。北朝鮮か中国か知らないけど、東側のスパイが動いた以上、こっちも表だって彼女を守るわ。こうなったら護衛してることを隠すより、むしろ明確にしたほうが敵も襲いにくくなる。もっとも学校の中は君にまかせるしかないけどね」

「じゃ、俺も学校に行ったほうがいいんじゃ……」

「どうせ、きょうは学校には行かないわよ。あんなことがあったばっかりだし、警察だっていろいろ事情を聞きたいでしょうしね。そうなれば警察も彼女を襲ったのがゴッサムのバーテンだって気づくわ。となれば警察の護衛もつくでしょうね。うちと警察からダブルで護衛されてたら相手が誰だろうと簡単には手を出せないわよ」

 たしかにそうだろうなと思った。なにせ、一日に二回も襲われるわ、夜中、家のまわりを監視していた私立探偵は死体になって転がってるわ、ただごとじゃない。警察だって必死になるだろう。

「ひょっとして、俺、やばいんじゃないのか? 警察にしてみればかなり疑わしいやつだぞ」

 なにせ、きららを助け出したのは端午だ。きららはリンダこそが助けたと思っているかもしれないが、警察にしてみればどうして端午があの店にやってきたか、とうぜん不審に思っているはずだ。おまけに、昨夜、あの男に蹴りとばされた拳銃は鑑識課に拾われているだろうし、それには端午の指紋が付いている。

「だいじょうぶ。前にもいったでしょう。君は逮捕されない。警察の上層部には話を通してあるから」

「きららのやつ、警察に取り調べられて、精神が不安定にならないか?」

 もちろん、それは爆発を心配してのことである。

「それはだいじょうでしょう。彼女はあくまでも被害者だから。おまけに未成年だし。きつい取り調べなんて受けるはずないって。それより、きのう襲われたときのほうがよっぽど危険だったのよ。ずぶとい神経で大助かりだわ」

 リンダは笑いながら軽妙にハンドルを切った。

 車は平凡そうなマンションの地下に向かうスロープを下ると、停車した。駐車場になっているらしい。

「ここは?」

「だからいったでしょう。秘密基地。まあ、CIAとは表向き無関係の個人契約のマンションね」

 こういうところがいくつかあるんだろう。そういえば、しばらく端午がいたあの病院と訓練場がいっしょになったところも、表向きはCIAとは無関係ってことになってたはずだ。

「なんで都内で施設がいくつにもわかれてるんだ?」

「まあ、リスクを分散するというか、いざとなれば簡単に切りすてられる簡易的な施設をいくつか作っておいたほうがいいの。それにここの主はちょっと変わり者で、人間嫌いだしね」

 いわれてみれば、端午がいたところはかなり大きい。いざというとき、簡単に切りすてられないから、重要な気密に関することは扱っていないのかもしれない。

「こっちよ」

 車からおりると、いわれるがままに、リンダについていく。リンダは上に向かう昇降口らしいところまでいくと、ドアのわきのセンサーに手のひらをかざす。それでドアが開いた。

 中に入ると、そこには階段とエレベーターホールになっている。

 最上階でエレベーターから降りると、そこはごく普通のマンションの共用廊下だった。ずらっと一列に玄関ドアが並んでいる。リンダは歩きながら鍵を取り出すと、その内の一室の前で立ち止まり、ドアを開ける。

 中はごく普通の間取りだったが、玄関から入ってすぐの居間には、ところせましとコンピューターが並べられている。モニターは正面に馬鹿でかいものがあり、左右に小型のものをふくめて、合計六つほど設置されていた。

 ちょっとした電子の要塞だが、その中央にある椅子にはまだ二十歳そこそこと思われる眼鏡を掛けたショートカットの女が座っていた。けっこう美人だとは思うのだが、表情が硬いというか笑顔を見せようという意思がないらしい。イメージは人形。といっても日本人形や西洋風の着飾った人形じゃなく、むしろアイドル人形のクールなボーイフレンドに近いかもしれない。冷たい感じの細めの眼鏡が似合っている。服装も男物のシャツにジーンズという恰好だった。

「ま、情報収集用のミニアジトね。彼女はここの主。日本人だけど、CIAのメンバーよ。情報収集にはとにかく強いから。ええっと、ハックって呼んでやって」

 どう考えても本名じゃなかったが、その女はいっこうに気にした様子もなく、一瞬端午に目をやったあと、ツンと顔を画面に戻した。

 そのハックってのはいわゆるコードネームなのか? それもハッカーを略した?

 ひょっとして、ハッキングなどのコンピューター犯罪者で、警察に捕まる前にスカウトして匿ってるんじゃないのか?

 もっともそういう説明は一切なかった。

「誰?」

 ハックは目をモニターにやったまま、ぼそりという。リンダに向かって、連れてきたその男は誰だと聞いたらしい。

「端午よ。例の」

 それで納得したのか、ハックは興味なさそうな顔のまま、追加質問はしなかった。

「じゃあ、頼んでた事件のデータを出して」

 リンダに命令されると、ハックはなにやらパソコンを操作しだした。中央の大画面にいろいろデータが表示されていく。

「事件に関する警察のレポートね。ま、ぶっちゃけ、警察内部にあたしたちの仲間がいるんだけどさ」

 無言のハックにかわって、リンダが説明した。

「それだけじゃ、ここまで探れない。あたしの腕があってこそ」

 ハックが面白くなさそうにいう。侮辱と受け取ったらしい。リンダは苦笑する。

 なんにしろ、そこには「ゴッサム」の事件と夜中にきららを襲った事件に関することが書かれてあった。

 まず、ゴッサムの事件。

 逮捕された大半は、ただのごろつきや不良学生で背後になにかがいるとは思えないようだ。

 死んだ加藤に関しては、死因は脳挫傷。頭頂部に一撃を食らったらしい。

「あいつか?」

 端午はあの男の技を思い出した。そうとう使い込まれたテコンドー。一撃で屋根をぶち破った踵落としを、加藤の脳天に喰らわしたにちがいない。

「そうでしょうね。あそこに残っていたのは、あのバーテンと雨園だけ。雨園なら刀を使ったでしょうし」

「バーテンの名前は?」

 ハックがキーボードを操作し、無愛想にいう。

「林泰三。たぶん偽名。表向きは日本人。在日コリアンということにはなってない」

 さらに表向きのデータでは、雨園はあの店と関係はないらしい。どうやら警察は雨園こそがあの店の真のオーナーであることには、まだ気づいていないようだ。

「ま、きのうのきょうだからね」

 まあ、リンダのいうとおりなのだろう。いくら日本の警察が優秀だろうと、まだ事件から二十四時間すらたっていない。

 さらにきのうの夜中の事件。

 きららの部屋に犯人の指紋は残っていない。そういえば、手袋をはめていたかもしれない。ただ、血痕が残っている。端午が手を撃ったせいだ。

 つまり、警察にはやつのDNAが残ってるってことだ。

「部屋に残っていたナイフは北朝鮮軍の特殊部隊が使うものと同じ」

 ハックがつまらなそうにいう。

「まあ、そうだと限ったわけでもないわ。あえてそう思わせるために残したのかもしれないし。たとえばほんとうは中国のスパイかもしれない」

 リンダはそういったが、どう考えても、あいつの技は中国拳法というよりテコンドーだった。中国人でテコンドーを使うやつはあまりいないだろう。

「それと屋外に、コルト・ガバメントの本体と45ACP弾の薬莢。まあ、これは君のね。指紋は抹消しておいたから」

 リンダはさらっといった。

「それと屋外で殺されていたのは、まちがいなくうちでやとった私立探偵。死因はやはり脳挫傷。だけど加藤のように頭蓋骨が陥没はしてない。ただ、両耳のまわりの骨にひびが入ってる」

 ハックがまた新たな情報をモニターに出す。

「どういうことだ?」

「さあ? 両拳で耳を左右から同時に打ったのかも」

 リンダがそういうのを聞いて、端午は違和感を覚える。それはテコンドーというより、むしろ中国拳法。太極拳にそんな技がある。

「それは太極拳の双風貫耳そうふうかんじだ。やっぱりやつは中国人か?」

 しかしどうも実際戦った感じからは、あいつが太極拳を使うようには思えない。

 同じ打撃系とはいえ、テコンドーと太極拳はかなり雰囲気の異なる技なのだ。

 接近戦を得意とし、相手に粘っこくまとわりつくようにして、掌や拳を急所に打ち込んだり、ときには投げ技を使ったりもする太極拳。

 中間距離を得意とし、回し蹴りなど派手な蹴り技を多用するテコンドー。

 もし両方使えるのなら、まったく油断がならない相手だ。

 それとも端午が気づかなかっただけで、もうひとりいたのか?

「それとこれが林の写真」

 ハックはなにやら操作し、冷たい切れ長の目をしたあの男の写真を写しだした。

「とりあえず、CIAのデータベースで、北朝鮮や韓国、中国の工作員を調べたけどヒットしない。もしそういうやつらだとしても、すくなくとも面の割れてる連中じゃないってこと」

「そいつはともかく、雨園のほうはどうなんだ?」

「たぶん、八頭蛇神会にかくまわれてるんでしょうね。こんなことになるんなら殺しておけばよかった」

 リンダが物騒なことを真顔でいう。

「まあ、雨園とつながりのありそうなやつは、八頭蛇神会の若頭、蓮見慎太郎。こいつをさらって吐かせるわ」

 リンダはサディスティックな笑みを浮かべた。



   2



 雨園は八頭蛇神会の下部組織に匿われていた。

 といっても、組の看板を出しているわけではない。古びたマンションの一室に、数台の電話を引き込んだ事務所。早い話が振り込めサギの根城だ。

 雨園は若頭の蓮見に見込まれたおかげで、ここを隠れ家にすると同時に一気にここのナンバー2になった。仕事を覚えれば、そのままここのしのぎを管理する立場にする気らしい。

 もっとも雨園の本名や素性を知っているのは蓮見ただひとりで、ここの連中には蓮見の弟分の天城あまぎと紹介されている。警察に追われている身だとは知らされていない。

 雨園にしてみれば、ここでの立場やしのぎなどはワンステップに過ぎず、表街道を捨てた以上、裏のトップまでのし上がるつもりでいた。いずれは蓮見すら使う立場にならなければ話にならない。

 実際、ここの責任者の吉田はしょぼい中年やくざで、才覚も度胸もなかった。下のやつらはただのチンピラで、年も雨園と同じか、むしろ若いやつらばかりだった。ここに来るなり剣のデモンストレーションをさんざんしたので、みな雨園には一目置いている。そうでなくても、この若さで実質店を一軒経営し、かなりの利益を得ていたのだから、ちんぴらどもに先輩面されるいわれはないのだ。

 かんじんの振り込めサギにしろ、天性の演技力で、たった一日でトップの成績をたたき出した。

「ふん、さすがだな、天城君よ。その年で店を経営してただけのことはある」

 ここの吉田がおもしろくなさそうにいう。内心、自分の立場が危ういことを感づいているふうだ。一応この男には、ゴッサムの名は出さず、店をひとつ経営していたがつぶれたため、ここに来たと説明してある。

「もっともつぶれちゃったけどね」

 太っていてただでさえ醜悪な顔をしかめ、にらみつける。

 敵意を隠す気もないらしい。露骨に調子こいてるとつぶしてやるぞといってるようなものだ。

 雨園は無視した。こんな男に媚びを売ってもなんの役にも立たないし、かといって、今はあからさまに暴れるわけにもいかない。

 自分のいた学校の生徒リストをながめると、次の作戦を練った。

 一週間だ。一週間でこの間抜けなデブに格の違いをわからせてやる。

 そのためには、かたっぱしからカモに金を振り込ませることだ。

 雨園は自分のクラスメイトや後輩達の親をねらうつもりことを考えた。自分はドロップアウトしたのに、のうのうと高校生活を続けられるやつらにいやがらせをしてやりたい。

 もちろん、手始めにやるのは端午ときららの家だ。

 あいつらに対する復讐はもちろんそんなものではすまないが、前菜としては悪くない。とことん追いつめてやる。

 吉田のスマホが鳴った。尊大な態度は消え失せ、見えない話し相手にぺこぺこお辞儀をしだした。

 やがてスマホを切ると、「蓮見の兄貴が来た。迎えに行ってくる」といいのこすと、部屋を飛び出ていく。

「天城さん、あいつやっちまったらどうです。俺ら天城さんにつきますよ」

 下っ端連中の金髪坊主頭がいいだした。吉田は人望がないらしい。じっさい、頭の切れも、腕っ節も、度胸も、雨園のほうがはるかに上だ。下の連中は一目で見ぬいたようだ。

「そのうちな」

「天城さん、蓮見の頭と仲がいいってほんとですか?」

「ああ。殴り合った仲だ」

 雨園は二年前、たまたま蓮見とその手下たちと喧嘩することになった。蓮見は子供のころから空手をやっていて喧嘩では負けたことがなかったらしい。そいつを手下ごと叩きのめし、普通なら恨まれるところをなぜか気に入られ、一目置かれた。

 蓮見は純粋にけんかの強いやつが好きだったようだし、高校生という雨園の立場を利用しようという目論見もあったようだが、二年間、うまくやってきた。

「すげえ。ほんとすげえな」

 金髪坊主頭はしきりに感心する。こいつもけんかが強いやつには無条件にあこがれるタイプだ。

 やがて、ドアが開くと、吉田、それに部下三人を引き連れた蓮見が中に入ってくる。

 下っ端連中はみな立ち上がり、あいさつをする。雨園も一応それにならった。

「いい、いい。座れ。仕事を続けろ。ちょっと様子を見に来ただけだ」

 蓮見は豪快に笑い、いい兄貴ぶりを強調する。

 もともと、若いやつらにはいいかっこしたいところがあるやつだ。

 三十歳なのに、みょうに若い顔をした色男で、白いど派手なスーツがよく似合う。それでいて強く、頭もいい。若いやつには人気がある。

 雨園は座ると、受話器を取った。蓮見に自分の有能ぶりを見せつけておこうと考えたからだ。

 だが、そのとき玄関より、予定外の侵入者が現れた。

 全員、黒ずくめの恰好で、黒い覆面までしている。いずれも大した大男ではなく、長い手足をしたのっぽ、細身、肩幅が広い筋肉質、チビ。合わせて四人だった。誰も武器など持っていない。

「なんじゃ、おめえるぁあ!」

 吉田がせいいっぱい強がった。もし相手が銃でも持っていれば真っ先に逃げたかもしれない。

 真っ先に動いたのは、蓮見のボディガード役の三人だった。出入りではないので、拳銃は持ち合わせていなかったようだが、腕に覚えがあるらしく、蓮見の前に立つ。

「どこの組のもんだ?」

 そのうちのひとりがドスのきいた声で恫喝すると、黒ずくめの一番小さいやつがするりと前に出た。

 あっという間に、ボディガード役の男が崩れおちる。そのチビがなにをやったのか、雨園の位置からはよく見えなかった。

 だがその威力は強烈らしく、床でもんどり打っていた男はすぐに動かなくなった。

「や、野郎」

 残ったふたりが臨戦態勢に入る。

 肩幅の広いやつと細身のやつがいきなりジャンプする。

 怒り肩は肘打ちを片方の男の脳天に打ち込むと、べつの男は、飛び蹴りをもうひとりに食らわした。

 肘打ちを喰らった男は頭から噴水のように血を噴き出しながら崩れおち、もうひとりはすでに床に倒れていた。ただし、首が変な方向に曲がっていたが。

「あひゃひゃひゃひゃあああ」

 吉田が奇声を発し、自分のデスクに逃げた。

 蓮見は一歩下がりながら、左半身に構える。

「中国拳法? 中国人か、おまえら?」

 蓮見は冷静に相手を観察しているようだ。この男は普段やくざに似合わないほど陽気なのに、いざ戦う前には急に冷静になる。そのくせ、いざ戦いが始まると、逆に熱くなる。残虐なことも平気でできる。そうなるともう一匹の野獣にしか見えない。そんなやつだ。

 若い下っ端連中は脅えきっていた。雨園は慌てず立ち上がると、ロッカーに隠し持っている日本刀をとりだした。

 いきなり銃声が鳴りひびく。吉田が机に隠し持った拳銃をいきなり敵めがけて乱射したのだ。

 敵の肩幅が広い男ががくんと揺れる。たしかに弾は当たったようだ。しかし、そいつはなにごともなかったかのように起きあがる。

 それを見ていたのっぽが稲妻のようにかけだすと、吉田の目の前まで走る。

 吉田はそいつも撃った。しかし当たらない。

 信じがたいことに、のっぽは弾丸をよけた。正確には銃弾の動きを目で見てよけたわけではなく、銃口の向きと引き金を引くタイミングでよけたのだろうが、それにしても人間離れしている。

 そいつは吉田が三発目を撃つ前に、間合いをつめ、銃を持った手首をつかむと、反対の肘を脇腹にたたき込んだ。

 肘がありえない深さまでめり込んでいる。

 吉田は血を吐くと、そのまま動かなくなった。男は拳銃に興味がないかのように、放り出す。

「おもしれえ。勝負しろ、のっぽ野郎」

 蓮見はのっぽこそリーダーで最強と踏んだのだろう。のっぽの前に飛び出すと空手の技で戦いだした。「ひゃははは」と笑いながら、長い足を扇風機のようにふりまわす。しかしのっぽはそれ以上に長い手足で器用にすべての打撃を叩き落とした。

 日本刀を抜いた雨園の前には一番小さいやつがおどりでた。

 もっとも小さいからといって油断などできないのはいうまでもない。

 雨園は袈裟懸けに日本刀をふり下ろす。

 チビはそれをかいくぐってかわす。

 こいつを近づけてはならない。

 雨園は本能的に思った。

 剣をあらん限りのスピードで振りまわす。縦に横に斜めに。

 だがチビはそのたびに、信じられない身体能力でかわす。まるで水を切っているかのようだ。

 もう、雨園にまわりを気にする余裕はなかった。

 しかしそれでもまわりから断末魔に悲鳴が聞こえてくる。

 まともに戦えているのは、雨園と蓮見だけで、あとの連中はなすすべもなく殺されているらしい。

「ちくしょう」

 雨園は相手の足を払うように斬りつけた。

 ジャンプしてかわすチビ。

 すかさず、空中の敵めがけて剣を振るう。

 絶対にかわせないはず。しかし、敵はそれすらもアクロバティックに体を捻り、切り抜ける。

 化け物め。

 着地をねらって打ち込む。それすらも後ろに下がってかわされた。

 間合いが開いたことで、ようやくまわりを見まわす余裕ができた。

 蓮見は男ふたりに担がれている。

 やられたのか、あの蓮見が? こんな短時間で……。

 信じられなかった。あののっぽはそんなに強いのか?

 蓮見はおそらく死んでいないようだが、すくなくとも意識は失っているようだ。それ以外のやつらは残らず床にはいつくばっていた。かろうじて動いているやつもいる。全員死んだわけではないらしい。

 外からパトカーの音がした。銃声を聞いて、誰かが通報したのだろう。

 覆面の男たち三人は蓮見をかかえて外に逃げだした。目的は蓮見の拉致らしい。つまり、蓮見はまだ生きている。

 残ったチビは雨園に飛びかかってきた。

 雨園は突く。のど元をねらって。

 チビはするりとそれをかわすと懐に入りこんだ。

 雨園は反射的に蹴った。

 懐に入れば勝ちと油断したのか、チビはまともに雨園の前蹴りを喰らう。

 次の瞬間、雨園は今まで経験したことのない強烈な殺気を感じた。

「くそう、死ね」

 もう、雨園はわけもわからず、剣を振りまわした。もはや完全に己を見失い、まわりが見えず、ただただ必死で弾幕を張るかのように。そうしないと、相手が飛びこんできて殺されると本能的に感じたのだ。

 気づいたとき、チビはいなかった。警察が踏み込んでくると考え、逃げたらしい。目的を果たした今、あえて雨園を殺す必要もないのだろう。

「くそ、くそ、くそ」

 小馬鹿にされた気がした。殺そうと思えば殺していけたはずなのに、あえてやらなかったのはどうでもいいと思われたのだろう。

 じっさい、あいつは憎き端午よりも腕が上だ。端午のときはやられこそしたが、もっと余裕があった。端午なら次に戦えば勝てそうな気はするが、さっきのやつはそうじゃない。何度やっても勝てるとは思えない。

 しかし今はそれどころじゃない。負けたことは屈辱だが、もっと現実的な危機が迫っている。

 仲間を殺され、蓮見を連れていかれた。もう、八頭蛇神会は自分にとって必ずしも味方とはいえない。

 自分を擁護するやつがいなくなった今、たんなる疫病神。それどころか、みすみす若頭をかっさらわれた無能。あるいは裏切り者あつかいされ、殺されるか、よくても追放だ。

 助かるためには、蓮見を救い出すしかない。あの中国人らしき賊の首をそえて。

 どうする?

 雨園は必死で考えた。どうすればあいつらにたどり着くのか。

 閃いた。端午、そしてあの謎のアメリカ女だ。

 あいつらがなにか関係してるに決まってる。無関係だなんてありえない偶然だ。

 やつからたどれ。端午はこの時間学校にいるはずだ。

 そう思ったとき、雨園のスマホが鳴った。足のつかないプリペイドだ。番号は組員の一部しか知らない。

『雨園さん? 端午とあのアメリカ女が今どこにいるか、知りたくないか?』

「おまえは?」

 若い男だ。聞き覚えがある声だが思い出せない。

『だれだっていいだろう? それより、知りたくないのかい?』

「教えろ」

 そいつはふたりがいるというマンションの住所と、ついでに使っていた車種と番号を告げ、電話を切った。

 そのとき、やっと相手がゴッサムのバーテン、林であることに気づいた。

 なんでやつが?

 しかし今はそんなことはどうでもいい。罠とは考えなかった。

 すかさず、八頭蛇神会に電話を入れる。

「天城です。謎の敵に襲われました。若頭は連れ去られました」

 叱咤の声がひびく。

「そいつらはおそらく、端午と謎の女の仲間に違いありません。居所は……」

 今聞いたばかりの住所を復唱する。

 逃がすか。やつを捕まえて、蓮見の居所を吐かせるんだ。

 そうしないと、俺は終わりだ。

 雨園は事務所を飛び出した。



   3



 きららはうんざりしていた。

 なにしろあれから部屋には鑑識課とかが入って、犯人の遺留品とかをずっと調べていたし、けっきょく眠ることさえできずに夜が明け、そのまま警察署に来ている。

 さらには、侵入者と自分の遺留品を区別するために、指紋やらDNAやらを取られ、犯人のモンタージュ作成に協力させられた上、取調室のようなところで状況を何度も確認されている最中だ。

「なるほど、放課後、ゴッサムで雨園に拉致され、気づくと同級生の黒猫端午君と、その親戚と名乗る謎の白人女性に助け出されたあとだったと」

 話を聞いていた伊藤とかいった角刈りの中年刑事の目が光る。

「ということは、昨夜、君を襲った男は、ゴッサムの関係者である可能性が高いな。襲われる心当たりはあるのか?」

「ぜんぜんありません」

 じっさい、きららはなぜ自分が執拗にねらわれるのかまったくわからなかった。同時に薄ら寒くなる。雨園といっしょに自分を拉致した加藤は、殺された。昨夜襲ったやつこそが、その犯人なのかもしれないのだ。

「で、その端午君はどうして君のさらわれた場所がわかったんだ?」

「そ、それは……」

 きららも不思議に感じていたことだった。助け出された直後は頭が回らなかったが、夜いろいろ考えてみると、つじつまが合わないことに気づいた。

「まあ、いいさ。それはあとで直接本人に聞こう」

 なんか面倒なことになったと思った。まさか、端午が誘拐に関わってるなんてこれっぽっちも疑っていないが、その謎を解きたいと思いつつ、端午にあらぬ迷惑をかけてしまったという気もする。

「それと、昨夜、君を助けたという男だけど、そっちは顔は見てないんだったな。一応、心当たりを聞いておこうか」

「ぜんぜんわかりません」

 それもほんとうだった。なにしろ、賊のナイフをあわやというところで撃ち落としたのだ。そんなことができる人間はとうぜん自分のまわりにはいないし、かといって、そういうプロみたいな人が自分を陰から守っているなんてありえそうにない。

「まあ、いいさ。で、君を襲った男は君になにかいったのか?」

「そ、そういえば……」

 なにかをいっていた。きららは必死で思い出そうとする。

「たしか……、おまえは何者だって聞いたような」

「おまえは何者だ? そう、君に聞いたのか?」

「は、はい。たしかに、あたしにそういいました」

「で、君は何者なんだ?」

「何者って、ただの高校生です」

「……まあ、そうだろうな。そうとしか見えない。で、その男はどうしたんだ?」

「どうしてか知らないけど、信じませんでした。それでそいつはあたしの喉にナイフを突きつけて……」

 それからなにかいったのを聞いたような気もするが、思い出せない。

「わかりません。なにかいってたかもしれませんけど……」

「ふん。まあいいさ。思い出したら教えてくれるかな」

「はい。あの……まだ、帰っちゃいけないんですか?」

「そうだな。だいたい聞くことは聞いたけど、もうちょっと待っててくれ。君にはしばらく護衛をつける。そっちの準備がまだ終わってないんだ」

 ドアがノックされ、エリートっぽい感じの刑事が、「伊藤」と中年刑事を呼ぶ。そのままドアのそばでこそこそとなにか話した。

「なんですって?」

 伊藤刑事は明らかにおどろいた様子だった。

「悪い。きららちゃん、もうちょっとここで待っててくれないか」

 そういうと、ふたりは部屋から出て行った。


   *


「拳銃についていた指紋が抹消されたですって?」

 伊藤は取調室を出ると、課長にもう一度確認した。

「ああ、どうも国家機密なみのトップシークレットらしい。少女を襲った男のほうは追っていいが、それを助けたやつはだめだ。手を出すな。それと黒猫端午もだ」

「いやですよ。そういうことを聞くとなおさら引き下がれませんね。大物政治家でもからんでるっていうんですか?」

「そんなレベルじゃないらしい」

「は?」

「国家存続のレベルの非常事態に関係があるそうだ」

「まさか?」

 だが課長の顔は真剣だった。

「それからあの少女には四六時中護衛をつけろ」

「それは今段取りしてるところです」

「いや、おまえが考えてるレベルじゃだめだ。もしテロリストが襲ってきても、彼女を守れる態勢を敷け」

「テロリスト?」

「そういう上からの指示だ」

 あの少女は何者だ?

 襲った犯人ではないが、伊藤自身同じことを聞きたかった。

 だが、あの少女がとくに嘘をついているようにも見えない。あの少女自身知らないなにかがあるのだ。

 ゴッサムでの誘拐事件の裏には、八頭蛇神会がいるのはわかっている。おまけに昨夜は殺し屋。あげくにテロリストまで出てくる可能性があるのか?

「自宅、学校、もちろんその行き帰り。二十四時間、かならず複数の武装警官をつけろ。護衛班のリーダーには後日誰かつけるが、それまでは伊藤、おまえが陣頭指揮をとれ。命に代えても彼女を守れ」

 冗談のような命令だが、課長は見たこともないほど真剣な顔つきだ。

 伊藤は知らぬ間に、手に汗をかいていた。


   *


 きららは帰ることを許されたが、さっきまでいっしょにいた伊藤という中年刑事がついてくるらしい。

 警察署を出ると、正面玄関には車が一台止められていて、きららと伊藤の姿を見かけると、中から若い警官が降りてきて、敬礼した。

「若宮巡査です。よろしくお願いします、きららさん。それに伊藤警部補」

 若宮と名乗った男は、大学生といっても通じそうな感じの若々しい男で、スーツもぱりっとしている。

「どうぞ」

 若宮はまるで専属の運転手のように後ろのドアを開ける。

 きららはとまどっていると、伊藤に「乗って」とうながされた。いわれるがままにすると、伊藤がとなりに乗りこみ、ドアを閉める。

「ええっと、家まで送るのにふたりもついてくるんですか?」

「気にしないでくれ」

 伊藤はそういうが、きららだって馬鹿じゃない。それが普通じゃないことくらいわかる。

 っていうか、ひょっとしてあたし、悪いやつらにねらわれてんの?

 車は走り出し、じきに大きな通りに出る。道順からしてとりあえず家には向かっているらしい。

「あの……、あたしってひょっとして見ちゃいけないものを見ちゃったりしてるんですかね?」

「そうなのか?」

 伊藤がいきおいこむ。

 自分でいってはみたものの、そんな覚えはない。

「いやあ、自分では意識してなくても、なんかお偉いさんが人でも殺してる現場に偶然居あわせて、あたしは見てないけど、見たって思われてるとか……」

 伊藤は考えこんだのか、押し黙った。

 しかし、逆にいえば、それはきららが誰かにねらわれてるってことを、暗に認めたも同然だった。

 冗談じゃないよ、まったく。なんであたしがそんな目に。

 もっとも、どう考えてもそんな危ない場面に遭遇したとは思えない。となると……。

「ねえ、刑事さん、あたしひょっとして人違いでねらわれてるんじゃないんですか?」

「まだ、ねらわれてるって決まったわけじゃない。あんなことがあったあとだから、警戒してるだけだ」

 そういわれても納得できなかったが、ねらわれる覚えがない以上、反論しようがない。

 車は交差点で止まった。片側二車線で、こっちは歩道よりの車線。となりの車線には、乗用車、前には幌つきのちょっと大きめのトラックがとまっている。

 いきなり、その幌から人が飛び出てきた。ふたり。まるで軍人みたいな恰好をしてる。それどころか手に銃を持っている。それも拳銃なんかじゃなくて、ライフルだか機関銃だか知らないが、両手で持つ長いやつだ。

「な?」

 おどろいたのはきららだけじゃなく、伊藤も若宮もすっとんきょうな声を上げた。

 兵隊のようなやつらはボンネットに飛びのると、銃口を運転席と伊藤にそれぞれ向けた。

 伊藤が拳銃を抜く。

「バックだ。バックしろ」

 若宮がギアを入れ替えようとしたとき、外の男の銃が火を噴いた。

 単発でなく、ダダダダだと断続的な耳障りな音をひびかせ、銃弾は雨あられのようにフロントガラスに突き刺さった。



   4



 ビー、ビー、ビー。

 パソコンが異様な音を発した。同時にモニターに新しい情報が流れてくる。

「八頭蛇神会が襲われて、若頭の蓮見は連れていかれた」

 ハックがそれを読み上げる。

「なんだって? 相手は?」

 端午は叫びながら、自分も顔をモニターに近づける。

「それはさすがにまだわからない。生き残った組員の話だと、覆面をした黒ずくめの四人組。防弾チョッキを着ているらしく、銃は効かなかった。全員が全員、不思議な技を使い、素手で十人ほどの組員を殺して、若頭を連れ去った」

「つまり、先を越されたってことか?」

 反射的に、リンダを見た。

「そうみたいね」

 端午はなにか釈然としなかった。連中はなにを考えてるんだろう?

「なんでそんなに必死なんだ? あいつらはきららの秘密を知ってるわけじゃないだろう?」

「なんだかはわからない。だけど、国家存続に絡むとてつもない秘密だってことには気づいたみたいね」

 だとするとそうとう鼻がきく。しかし、あいつらは自分たちのしていることが、自分たちを追いつめる結果になることを理解していない。

 きららが爆発するようなことがあれば、日本は破滅だが、それは北朝鮮も同様。中国だって甚大な被害を免れることはできない。

「北朝鮮だか中国だか知らないが、いっそ教えてやったほうがおとなしくなるんじゃないか?」

「馬鹿いわないでよ。そんなことしたらなおさら彼女が危ないわ。日本では爆発させられないけど、アメリカまで連れていけば話はべつ。ニューヨークやワシントンなんかの東側で爆発させれば、アメリカに壊滅的な打撃を与えられるだけでなく、津波でヨーロッパにまで大災害が及ぶわ。ぜったいにだめよ」

 なるほど、それなら中国や朝鮮半島は無傷だし、欧米は一気に滅亡寸前になる。

「なんにしろ、その蓮見だかはもちろん、雨園をさらったところできららの秘密なんかわかるはずもないし、ご苦労なこった。そんなやつらがどうなろうと知ったことじゃないしな」

「どうかしら? そうなったら、八頭蛇神会は死にものぐるいで蓮見を取りもどそうとするはずよ」

「だが、相手は誰だかわからないし、手がかりもない」

「いえ、雨園の立場になって考えてみなさい。たまたまきららを拉致したら、君とあたしが乗りこんで、ゴッサムは壊滅。八頭蛇神会に逃げ込んだら謎の武術を使う連中が自分とつながりのある蓮見を連れ去った。とうぜん、無関係とは思わないはず」

「つまり、雨園は俺たちを探す?」

「それだけならいいけど、あるいは、もう一度……」

「きららを襲うってか?」

 嘘だろ? わけのわからん連中に加えて、やくざまでもがきららを襲うなんてことは悪い冗談以外のなにものでもない。

 ふたたびパソコンから警告音。ハックがキーを操作する。

 モニターにはふたたび、驚くべき情報が表示された。

「きららが警察からの帰路、謎の武装集団に襲われた」

 ハックが冷静に読み上げる。

「なんだって? それで無事なのか?」

「現状では不明」

 その説明をリンダがさえぎった。

「爆発してない以上、死んでないのはまちがいない。とにかく現場に向かうわよ、端午」

「待って、地下の駐車場に誰かが待ち伏せしてる」

 ハックが冷静な声でいった。

 複数あるモニターのいくつかに駐車場の映像が出た。

 このマンションのセキュリティというより、ハックが無断で仕掛けてあるのだろう。いろんな角度から映されている。

 けっこうな数だ。ただどう見ても外国の特殊工作員とか殺し屋の類じゃない。やくざそのものだ。

「エントランスとそのまわりにもいる」

 ハックにいわれてべつのモニターを見ると、エントランスの中に怪しい人影。さらに表に黒い車が何台か止まっている。

「八頭蛇神会? ……なんでやつらが?」

 端午にはもうわけがわからない。やつらにCIAのアジトを見つけ出せるとは思えないからだ。そもそもやつらにCIAと戦争をする理由があるとは思えない。それともリンダがCIAのエージェントだって気づいたのか?

「たぶん、北か中国の差し金ね」

 リンダは冷静にいう。

「ハック、武器あるわよね」

 ハックは引き出しの中から拳銃を取り出すと、二挺取ずつリンダと端午に放った。

「グロック17。マガジンに弾が十七発、チャンバーにすでに一発入ってる」

 ひとり計三六発マガジンを交換しないで撃てるってことだ。

「端午。セフティロックは引き金に付いてる。引き金を引くだけで弾は出るから」

 リンダはそういうと、スカートの下のガンフォルダーにさし込んだ。

「予備のマガジン。それとこれを付けて」

 ハックが渡したのは弾の入った予備マガジンと二個ずつと、イヤホンと連動した小型のマイク。片耳につけるタイプだ。ハンドフリーの無線っていうところだろう。

「敵の情報を教える。お互いの声もマイクで拾うから」

「わかった。頼りにしてるから」

 リンダはそういって部屋を出た。端午は追う。

 待ってろ、きらら。絶対助けてやるからな。

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