逃亡罪科(3)


「……失敗だったか」


『その様です。しかし彼等にこちらの言葉が通じない以上、アレしか方法が無かったと思われます。それよりも彼女、怪我をしているようです』


「なら、一刻も早い治療が必要だな。箇所は?」


『右足首ですが、彼女の近くでないと正確な生体スキャンができません。どの程度の傷なのか判断するには近くにいく必要があります。スキャンしている間は他の機能が使えなくなりますがどうしますか?』


「今は彼女の治療を優先しよう」


『イエス、では彼女の傍に。状況が状況だったので出来るだけゆっくり、穏やかに優しく。ですが、力強く迅速にお願いします』


「……矛盾してるぞ」


 とは言え、少女を気遣うと同時にこちらの意図を分かって貰うにはハッキリとした意思表示が必要である。

 名無はため息を吐きながら腰に手を回し、対輪外者武器(ノーティス)が収まっているホルスターを外しゆっくりと少女の元へ歩きだす。

 すると、少女は小さく悲鳴を上げ地面を這いずり名無から離れようとする。


【■■■■! ……■■■!!】


「落ち着いてくれ、俺は君の敵じゃない。だから逃げなくて良い」


 言葉が通じないと分かっていても名無は害意はない、そう諭すように両手を広げ声をかける。が、それでも少女は名無が近づく度に逃げようと距離をとった。

 しかも、身近にあった木の枝や小石を名無めがけて投げつける。

 少女の細腕と体勢の悪さから、それらが名無に当たることはなく、精一杯の抵抗も空しく空回っていた。


「大丈夫、大丈夫だ。何も痛いことはしない、ただ君の近くに行きたいだけなんだ」


『第三者にこの状況を見られた場合、彼女を襲おうとしているようにしか見えない状況ですね』


「言うな、反論出来ない」


 名無は力なく肩を落とすも、諦めず少女に声をかけ距離を詰める。そのたびに名無めがけて投げられる物体は多くなっていく。何より距離が縮まっていくにつれ少女が投げるつける物が名無に当たり始め――


「っ!」


 少女が投げつけた小石の一つが名無の右眉の辺りに当たり、ツゥっと血が流れる。

 さすがにこれには名無も顔を歪めた。


「……このままだと埒があかないな」


 溜め息を溢しつつも名無は血が眼に入らないよう瞼を閉じ、歩幅を広げ遠慮を捨て怯える彼女の元へ歩み寄りしゃがみ込む。


【――――!!】


「………………」


 手を伸ばせばすぐにでも触れ合う距離、少女は眼をぎゅっと瞑り自分の身体を護るように抱きしめる。その怯えきった様子に名無は小さな苦笑いを浮かべ手を伸ばす。

 ――少女の青みがかった烏羽根色の髪が揺れる頭の上に。


【…………? ??】


 名無は何も言わず彼女の頭をなで続けた。出来るだけ優しく。

 自分が君に危害を加えることはない。ただ、そう伝えたいが為に。


(これで俺が敵ではないと伝われば良いんだが……我ながら安直な思いつきだ)


 だが、そんな名無の思いつきが功を奏したのか、少女は身体を震わせ視線を何度もきらしながらも名無を見る。


『心拍数はまだ高いですが落ち着いてきています。……警戒は解いていませんが、こちらに敵意が無い事は伝わったようです』


「それで傷の具合は?」


『主な外傷は右足首の傷だけです。アキレス腱を剣で切られ逃げられないようにされたのでしょう。朗報、と言って良いのか分かりませんが強姦は最悪の状況を免れたようです。衣服は破かれていますが体表、体内に性的痕跡はまったくありません』


「そうか、なら今は慰めにもならないだろうが傷だけでも治しておこう」


 少女の頭を一定のリズムで撫でながら、視線を右足首に落とす名無。

 視線の先にはきゅっと締まった足首があり、そこには男他達の手によってつけられてしまった痛々しい傷――空と同じ色をしたきめ細かい肌につけられた傷、そこから流れ出る緑色の血が眼に映る。


「……本当に他に外傷は無いんだな?」


『スキャンした限り他に異常は見受けられません。ただ、人間とは異なる細胞物質がいくつか検知しました。ですが、ウィルスによる変異では無いようです。なので血液に触れてしまっても問題はないと判断します』


「特異体質か?」


『ですが、マスターと同じ《輪外者》という訳でもありません。申し訳ありません、情報が不足している現時点ではこれ以上の事は何も』


「気に掛かることだらけだが、話し合いは後だな。今はこの子の手当てを優先しよう」


『では、ワタシはスキャンを続けます』


「ああ、頼む。俺も治療に移る」


 名無は少女の頭を撫でるのを止め、着ていた黒のロングコートを脱ぎ服が破れ露わになっりかけている豊かな胸や肌を隠す。次に自分と少女の傷を交互に、何度も指さしてみせる名無。


【…………?】


 その行為の意味が分からず少女は表情を曇らせ首を傾げた。


「見ていてくれ……と言っても分からないんだったな」


 もう何度目かも分からない苦笑を浮かべながら名無は右手で眉上の傷を覆い、たった一言呟く。


「――『施療光包(メディク・チユール)』」


 呟きと共に名無の左眼が銀色の輝きを放ち、傷を覆っている手は空に浮かぶ太陽と同じ暖かな陽光に包まれていた。その光景を少女は何度も瞬きをしながら食い入るように見つめる。

 暖かな光が消えると、名無は手を退かし傷跡も残らず完治した部位を少女に見せた。


「これで君の傷を治す、痛みはない……意味は分かるか?」


 少女の足首に右手をかざし、何度か目配りをする。

 手振り身振りの説明でも、自分が何をしようとしているのか分かってくれるはず。焦らずに少女の答えを名無は待った。


【…………】


 名無の行動の意味を理解したのか、警戒しながらも小さく頷く少女。

 少女の首肯を傷の治療をすることを承諾した、と受け取った名無は少女の足首にかざす右手に光を灯す。

 光に包まれた傷は数秒もしないうちに塞がっていき、名無と同じように傷跡は癒え真っ青な肌は傷一つ無い状態に戻ったのだった。


「これで傷の方は大丈夫だな……すまないが触らせてもらうぞ」


【――!】


 驚いたように眼を瞬かせている少女を気にしながらも、名無は傷が消えた足首に触れる。剣でアキレス腱を切られてた、症状は断裂に近いだろう。

 本来なら外科手術を行い、長いリハビリをこなして漸く完治だ。能力であればそう言った術後経過は気にしなくても良い。しかし、もしかしたら何らかの不具合があるかもしれない――この能力も元々自分の物ではないのだから。

 名無は少女の足を上下に動かしたり軽く捻りを加えたり、動かした拍子に痛みが出ないか様子を見ながら確かめていく。痛がる様子はなく、今も戸惑っているような表情を浮かべる少女の姿を見る限り心配はいらなさそうだった。


(これなら傷の方は問題ないな……それにしても、変わった色の肌だな。肌の上に迷彩塗料の類を塗っているのかと思ったがそういうわけでもない)


 最初、この眼で見た時は能力による何らかの影響下にあるのかと思ったがそう言うわけでもなく、ただ単に特異体質の一種だと分かった今でも思わず見入ってしまう程に澄み切った蒼い肌。

 その特徴的な肌もそうだが、思わず指を入れたくなる首の後ろで束ねられた艶のある烏羽根色の髪に宝石のような輝きが宿る大きな金の瞳。不可抗力とはいえ、コートを羽織らせた時に眼に入ってしまった華奢でありながら豊満で蠱惑的なボディライン。


(可憐な容姿と均整の取れたスタイル、こうして触れている手に吸い付くような肌の感触もまるで上質な生地のようだ。無自覚に放っている魅力のせいで災難に遭うとは、いたたまれないな……?)


【…………っ……】


(判りづらいが……顔が朱い)


 念には念をと他に傷がないか観察していた名無は、何故か頬を朱くしている少女に気づいた。


「マクスウェル、彼女の様子が少しおかしい」


『心拍数が高い事を覗けば特に異常は見られませんが?』


「だが、顔が朱い。熱があるんじゃないのか」


 名無は自分と少女の前髪を掻き上げ額をピッタリと合わせる、顔が朱いのなら熱があると疑うのは至極当然な考えである。


『心拍数、体温共に急激に上昇中……。……成る程、そう言うことですか。マスター、とても言いにくいのですが原因はアナタの行動によるものです』


「俺が原因……何故だ?」


『右足首の治療に関する接触は仕方が無いとは言え、年頃の男女が吐息が掛かる距離で顔を付き合わせていれば当然の結果だと思いますが』


「熱を測っているのが問題だと言うことか?」


『い、いえ……そうではなくて』


 こうしてマクスウェルと話をしている間にも、少女の顔は赤みを増し体温も絶賛上昇中だ。少女の不調の原因は彼女を心配する気持ちはあっても、初対面の異性に対してはデリカシーの無い大胆すぎるとも言える行動。簡単に言えば距離感を無視した名無の気遣いに何も言えず、ひたすら羞恥心と緊張に耐えているのだ。


「まずいな、どんどん熱が高くなっている。神経毒か何か盛られていたのか!?」


『そう言うことでは無くてですね……』


 普通の感性の持ち主であれば異性との触れ合い、それも互いの顔がゼロ距離で目の前にあれば恥ずかしさに顔を朱くしてしまうことくらい分かるはずなのだが。名無がその事に気づく様子は全くない。

 マクスウェルは鈍感極まっている主にどう説明したものかと思考回路をフル稼働させる。

 だが、微笑ましくもあるそんなやり取りは束の間の安穏でしかなかった。


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