逃亡罪科(2)



「彼女から離れろ、今すぐ」


 二人の男が少女の両腕を地面に押さえつけ、もう一人の男が少女の身体に馬乗りになりなっている。少女の上に乗っている男が邪魔で彼女がどんな状態なのかは分からない。それでも自分が居合わせなければどうなってしまうのか……、その先を想像した名無の表情は険しく口調には怒気が混じる。


【――、――■■――■■!】


【■■――? ――――!?】


【――、――■■――?】


 警告をした名無ではあったが、おそらく反論であるはずの言葉を理解できず眼を細めた。


「マクスウェル、男達が何を言っているのか教えてくれ。同時に彼女から離れるよう警告しろ」


『了解しました。言語翻訳開始します………………? これは……』


「どうした?」


『登録言語に該当するものがありません。日本語はもちろん、英語や中国語。ドイツ語にアラビア語、そのどれとも違うようです……??』


 世界各地で戦い渡り歩く名無の為に、マクスウェルの記憶中枢に記録されている言語は全部で六十四カ国語。しかし、男達の口から発せられたものは彼女の中に内蔵されている言語のどれにも類似しない未知の言葉。

 そんな男達の言葉を解読できずマクスウェルは機械らしからぬ戸惑い振りを見せる。


「解読はできそうか?」


『出来なくはありませんが今の状況では困難です……、とにかく彼等を喋らせてください。言語サンプルを少しでも多く採取できれば何とか可能かと』


「そうか、だが……」


【■■■■、――――!?】


 理解が難しい言葉の対応にあぐねる名無とマクスウェルをよそに、少女に馬乗りになっていた男が立ち上がり腰に差していた西洋剣を鞘から抜き大声で怒鳴りちらす。


「話し合うつもりはないようだ……仕方がない、武力行使であの子を助ける」


『イエス、マスター。戦闘状況を開始しま――! 第一級戦闘態勢を進言します!!』


 名無の首元で、チョーカーに取り付けられているマクスウェルの核。その機械水晶が激しく赤く点滅する。


『攻撃対象の肉体外に発光現象、体内での筋組織の質量増加を確認。これは身体強化? 同時に彼の持つ剣の周囲、刀身付近の温度が急激に上昇……燃焼現象確認! まさか熱量操作まで!?』


「《輪外者》か、だが……どうして瞳の色が変わらない?」


 《輪外者》が能力を発動する際、人種や瞳の色に関係なく瞳は銀色へ変わる。彼等と戦う場合においてそれが戦闘開始の合図であり、能力を使っていると知ることが出来る唯一の前兆特性だ。

 だが、自分達の前にいる男はその特性を出すことなく二つの能力を発動させている。


『それだけではありません! 応用性の広い能力であれば取れる手段は広がりますが、身体強化と熱量操作、全く異なる能力を同時に使える筈がない。マスターという例外を除いて《輪外者》が持ち得る能力は一つだけのはずです!!』


「落ち着け。あの男がどうして二つ以上の能力を同時に使えるのか、理由は後回しだ。今はどう対処するかを考えよう……何時だってそうしてきただろう?」


 どの戦場でも複数の《輪外者》を相手に戦ってきた。むしろ一対一で戦ったことの方が少ない。そう考えれば一人の能力者が二つの能力を持っていたからといっても、自分が取るべき行動は変わらない。

 そう……誰が相手でも、どんな能力を持っていようと戦うだけだ。


「まだ、別の能力も持っている可能性もある。その事を考慮しつつ戦う……もう大丈夫か?」


『申し訳ありません、取り乱してしまって。これではどちらがサポートされているか分かりませんね』


 マクスウェルは自身の不甲斐なさに苦言を零す。


「お前が慌ててくれるから俺が冷静でいられる、その逆もまた然りだ」


『では、充分に警戒してください。武装はどうしますか? 現段階での敵戦力は不確定です、こちらが先に手の内を見せるのは得策ではありません』


「素手でいく。能力の同時併用には驚いたが……剣の構えや立ち姿に緊張感がない、それに後ろにいる男達は戦いに加わる気がないらしい」


 自分に向かって剣を構える男に警戒しつつ、その背後にいる男達の様子を覗う名無。

 男達は戦闘状態に入ったというのに今も口元に嫌な笑みを浮かべながら少女を拘束している、どうやら自分達の勝利を微塵も疑っていないようだ。


(油断している間に押し切る……それで引いてくれればいいが)


 名無は自分に向けられている剣に臆することなく男との距離を詰める。

 それは森を駆け抜けた時とはまったく反対の、街路を歩くようにゆっくとした足取りで。


【■■? ■■■■!?】


「………………」


 炎を纏う剣に全く怯むことなく歩く名無に男は戸惑っているような声を上げる。しかし、何を言っているのか分からない名無に当然通じるわけもなく二人の距離は確実に狭まっていく。

 そして、名無は男の剣の間合いに入る。それでも名無に緊迫した様子もなく、自然体のまま更に距離を詰める。


【■■■■!!】


 とうとう名無の態度と行動に業を煮やしたのか、男は握っていた剣を上段に掲げ名無目掛けて振り下ろす。


「遅い」


【――!?】


 渦巻く炎を纏う剣が名無の額をその刃で焼き切ろうとした次の瞬間、まるで申し合わせていたかのようなタイミングで左足を起点に右半身を逸らし攻撃を避ける名無。

 それどころか、身体を逸らした反動を利用し握りしめた拳を男の顔面にお見舞いする。防ぐことも躱すことも出来なかった男は、仲間と少女の真上をまるで大型車に跳ねられたように吹き飛び、地面を転がり二度三度痙攣した後そのまま動かなくなった。


【■■!? ■■――!!】


【■■■■!!】


 少女を地面に押さえつけていた男達は名無に殴り飛ばされた仲間の元へ慌てて駆け寄り声を上げる。


「すまない、お前達が何を言っているのか分からないんだ。お前達も俺の言っていることは分からないだろう? だが……」


 自分に向かって荒々しく動揺が籠もった声を上げる男達。言葉は通じなくても声の抑揚や態度で、彼等が何を思っているのか何となく読み取ることが出来る。なら、こちらもそれ相応の態度を示せば分かるはず。

 名無は眼を閉じ小さく息を吐き――



――――ピシィ!



 閉じた眼を開き、何の感情も感じさせない表情で無機質な瞳を男達に向ける。

 それと同時に、森の木々に止まっていたであろう鳥達が何か亀裂が入ったような音と共に一気に空へと飛び立つ。


「ここで退くならこれ以上お前達に危害は加えない。まだ続けるというのなら……これ以上の手加減は出来ないぞ」


【【――――ッ!!】】


 名無と少女に害を為そうとしていた男達、互いに言葉は通じない。

 それでも名無が見せる人形を思わせる無機質な顔と瞳、そして何の抑揚もない声で放つ言葉の一つ一つに込められる濃密な殺気と冷徹な響きに男達は気圧され息を呑み後ずさる。


「言葉は分からなくても十分理解しているはずだ……失せろ」


 これが最後の警告であると名無は右足をあげ、再び地面へと叩き付けた。

 静かな最終宣告と共に振り下ろされた一撃は、意ともたやすく地表を砕き土埃を巻き上げた。この蹴りがもし殴り飛ばされた男に向けて放たれていたら最悪の場合、命は無かっただろう。


【――――!?】


【――――!!】


 男達はまざまざと見せつけられた名無との実力差に悲鳴をあげ、気絶している男を背負って脇目もふらずにその場から逃げ去っていった。


「……何とかなったか」


 男達の姿が完全に見えなくなり名無は小さくため息を吐き、先程の冷酷無比な表情とは似てもにつかない安堵した表情を浮かべる。


『お疲れ様でした、マスター……ですが悪いお知らせです』


「男達が戻ってきたのか?」


『いえ、そうではありません。あそこで座り込んでいる少女の事です。……どうやら彼女も怖がらせてしまったようです』


 気まずそうな声と共に弱々しく点滅するマクスウェル。

 距離はあるものの彼女の言う通り名無と向かい合うように座り込んでいる少女は、名無が男達に放った殺気に当てられガタガタと華奢な身体を震わせていた。


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