落命の胎動(3)


「わあ……レラお姉ちゃん、おようふく作るのじょうずだね。魔法みたい」


「褒めてくれてありがとうございます、ティニーちゃん。もう少しで出来ますから待っててくださいね」


「うん!」


 ティニー用の服に必要な材料と宿屋で籠城する為の物資を揃え終わった名無達は宿屋の自室へと戻ってきていた。

 宿へ戻ってきてすぐにティニーの服の制作に入ったレラ。

 何の練習も下準備も無く布地に鋏を入れ、糸を通した縫い針を淀みなく流れるような手つきで操り縫っていく姿は実に手慣れた物である。そんなレラにティニーは驚嘆と尊敬の眼差しを向け、レラもティニーの期待に添えるように着々と服を縫っていく。

 作業を始めてから早三時間、驚くべき早さでティニーの服が完成しつつあった。


(…………周りの様子を気にして気疲れくらいはするかと思ったが、心配いらなかったようだな)


 レラの服作りに興味を引かれているのだろう。

 ティニーに名無の心配したような様子はない、食い入るようにレラの手元を見つめている。大きな翡翠色の瞳に今朝までの陰りは無く子供らしい好奇心という輝きに彩られていた。

 小さくしたティニーを運んでいたレラからもティニーの心色に強い負の色は感じられなかったと確認も取れている。ティニーの気晴らしは概ね成功したと思って良いだろう。名無は目の前で形づくられていく自分の服に夢中になっているティニーを見て小さく笑みを溢す。


「…………これで良し、です!」


 最後の一針を縫い終えたレラの力強い声が上がる。


「少し時間が掛かりましたけど可愛く作れたと思います。これを着てみてください、ティニーちゃん」


「え……ティニーがきていいの?」


「そうですよ、これはティニーちゃんに着て欲しくて作ったお洋服ですから。あっ、もしかしてこういうお洋服は嫌いでしたか?」


 ティニーに似合う服を作る事しか頭に無かったレラ。服が完成した今になってティニーの好みを聞いていなかったのは初歩的なミスだが、それだけティニーを思って服作りに挑んだという事でもある。だが、服を着る本人の好みに合わない物を無理矢理着せるわけには行かないと糸切りばさみを構えるレラ。


「ち、ちがうの! こんな綺麗なおようふくきたことないから……うれしくて」


「そうですか、なら良かったです」


 普段から何の飾り気の無い病衣のような服ばかり着ていたティニーには、レラが作った何気ない普段着でも妙妙たる一着に見えているのかも知れない。勿論、名無から見てもレラがティニーの為に縫い上げた服は品質の良い物である。

 しかし、そんな品質の話とは別にレラお手製の服はティニーの心を打ったと言う事なのだ。


「それじゃ浴室の方で着替えましょうか、着てみて変だなと思ったら遠慮しないで言ってください。すぐに直しますから」


「ありがとう、レラお姉ちゃん……ナナキお兄ちゃんも」


「俺は何もしていないさ、それより早く着替えてくると良い。着ないまま終わってしまっては折角の服が勿体ないからな」


「……うん!」


「さっ、行きましょう」


 レラは縫い上げた服を手にティニーと一緒に浴室へ。

 浴室に隣接している洗面所には名無の全身も映し出せる姿見の鏡が置いてある。ティニーと服の全体的な雰囲気と丈や裾の長さの具合を確かめるのには持ってこいだ。何も問題が無ければ時間的にもそう掛からないだろう。


『……今後の行動を考えるとレラ様達とも情報の共有をしておくべきです』


 だからだろう、名無達の知らぬ所で降りかかっている問題について一切の前置き無しで話をきりだしたのは。


『ティニー様の精神安定、籠城に必要な物資の確保。この二つは無事に果たすことが出来ました。しかし、新たに発覚した問題への対処は籠城するだけでは解決出来ません』


「時間を稼ぎつつ情報を集める猶予はあると思っていたんだが……判断を誤った、このまま護りに入っていても身動きが取れなくなる。レラ達には悪いが、こちらも動くしかなさそうだ」


 今日の外出で概ね目標は達成出来た。

 だが、その達成出来た物を手放さなくてはならない情報が舞い込んできてしまっては否が応でも攻勢に出る決断しなければならない。

 名無は最後に立ち寄った大衆酒場でのやり取りを思い出す。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――







「邪魔するぞ」


 そのたった一言で昼時の賑わいに包まれていた酒場が痛いほどに静まりかえる。

 声の主は昨日、自身よりも屈強な男をまったく意に介さず下した青年――名無だった。本人にしてみればやや強い口調で店の中に入っただけに過ぎないのだが、名無の力を目の当たりにした者、第三区画を錯綜する証言に踊らされる者。そんな者達で席が埋まっていた酒場が名無が来店した事で静寂に支配されてしまうのは当然の結果と言えるだろう。

 名無自身もこうなることが分かっていたが、比較的に第三区画の情報が手に入れやすいのもこの酒場である。昨日の今日で欲している情報が転がり込んでくるとは思ってはいなくとも服屋の時とは違い期待度は高い上に昼食の調達も兼ねている。別の店でも構わないのだが騒ぎを起こした店とは言え一度訪れた事のある場所であれば、有事の際に何処に何が有るのかが分かっている分対処がしやすい。

 以上の点を踏まえれば名無がこの場所を訪れないという選択肢はないとも言えた。


「昨日のお客人じゃねえですか! こ、こんなボロい店にまた来てくださったんですかい!?」


 名無の一声で静まりかえる店内、そんな店の奥で忙しく料理の腕を振るっていた店主がその異変に気づき顔を出すと同時にカウンターを飛び越え名無の元へと駆けつける。


「機会があればまた来ると言ったはずだが?」


「す、すんません。昨日の今日で来てくれるとは思っていなかったもんで……」


「そうか……だが、この店の料理は口にあったからな。寄っただけの事だ、そう身構えるな」


「へ、へえ……それで今日は店ん中で食っていきますかい?」


「いや、今日も持って帰る。周りの視線が鬱陶しい事に変わりは無い」


 店主の男から視線を外し自分達に視線を向ける者達を一瞥する名無。その不快感にギラつく銀の双眸を遠慮無く見せつけると、コソコソと隠れ見ていた者達は身体を小刻みに震わせて一斉に視線を逸らす。

 その光景に鋭い視線を向けつつも、昨日のような事にはならなさそうだと安堵する名無。


「今回も品は任せるが、量は多めに作れ。昨日持っていた分では足りなかったからな」


「分かりやした、出来るまでちっとばっか待っててくだせえ」


 名無の注文を受けた店主は颯爽と厨房へと戻り調理を開始、このやり取りも昨日と同じものだったが今日は別件も兼ねている。


(……昨日、追い払った五人組は居ないようだな)


 店主が厨房に戻り料理が出来上がるまで時間が出来た。それまで他の客から情報を聞き出すにはちょうど良い……のだが、話しかけようにも全員が自分から目をそらし背を向けている者が殆どだ。


(さすがに恥を晒した店に顔は出せないか)


 恥の他にも名無から痛い眼に合わせられたのだ、どれだけ面の皮が厚かろうと恥の上塗りをしかねない場所に出入りすることは無いだろう。だが、名無にしてみれば気さくとはほど遠くても声を掛けるきっかけがある者達だった。

 今この場にいたのなら昨日のことなど気にせず話しかけていたに違いない。


「レラ」


「は、はい」


「注文した物が出来上がるまで時間が出来た。お前は此処で待っていろ、俺は他の客共に暇を潰して貰う事にする」


「分かりました……………………き、気をつけてくださいね」


 目当ての人物は居なくとも話をする事は出来る。

 レラを入り口付近で待たせ行動を起こす名無、小さな声囁いたレラの言葉に首肯し足を進める。


「………………」


 コツコツと静かに響く名無の足音、話し声は無く食器がぶつかる音も無い。

 それが余計に音の無さを際立たせている中、背を向けて震える者達に眼を向ける名無。こんな状態では誰を選んでも怯えさせてしまうのは話す前から分かりきっている。しかし、決して話が出来ないというわけでは無い、背を向ける者達にしてみれば死刑宣告でしか無いが名無は話しかける相手に目星を付けて声を掛けた。


「お前達はこのラウエルで暮らしている住人だな」


「「――ッ!?」」


 名無が声を掛けたのはカウンター席に座る一組の男女。

 出入り口付近に立つレラとはほぼ一直線の位置、その間に障害物になる物は無くレラ達に異変があれば一秒も掛からず対応できる席に腰掛ける二人。

 そんな二人の服装は周りの冒険者達の様な何度も着回したような物では無く、女性に関しては露出の少ない至って普通の物だ。違うとすればただ一点、女性の腹部が眼に見えて分かる程に膨らんでいる事。

 つまりは女性は妊婦であり二人は夫婦の関係にある。


(身ごもった女性を連れて街を転々としているとは考えづらい、それに見た限り疲れている様子もない……この街の住人で間違いないはず)


 店の従業員に聞くという選択肢もあるが、昨日の今日でもこの混み具合なのだ。客の話し声が聞こえるとは言え、次々とあがる注文を聞き逃す事の無いよう動き回っている女給達ではいちいち内容まで覚えてはいないだろう。厨房にいる店主達も喧噪は聞こえても世間話程度の話し声が聞こえるわけがない。

 その中で目の前の二人の身なりが至って普通だったからこそ名無の眼にとまったのだ。


「お前達の生活圏はこの第三区画か、それとも別の区画か?」


「い、いえ……私達は第三区画の者です」


 触らぬ神に祟り無しと、夫婦に声を掛けた瞬間に我先にと逃げ出した冒険者達の席に腰を下ろす名無。名無が座ったのは夫であろう男性の隣、流石に怖がりすぎでは無いだろうかと思いながらも身重の女性に掛かる負担を少しでも減らすためだった。

 それでも二人の顔色は青白く今にも倒れてしまいそうである。


「ここでの暮らしは長いのか?」


「は、はい。生まれも育ちもこのラウエルになります、妻も同じで……」


「他の区画で生活したことは?」


「あ、ありません」


「そうか」


 服飾店では空振りに終わったがラウエルで生まれ育った夫婦であればより日常の変化に気付くだろう、何より身ごもったいるのであれば環境の変化には敏感にならざる終えないはずだ。

 どんな些細な事でお腹の赤ん坊に悪影響を及ぼすか気を配らなくてはならないのだから、母胎と胎児の事を考えて自分の質問に迅速に応えてくれるに違いない。

 名無はカウンターに右肘をついて震える二人に問いかける。


「昨日、俺が此処で騒ぎを起こしたのは知っているだろう。それ以外で何か目に付いた事は無かったか?」


「何かと言われても……第三区画は貴方の事で持ちきりです。二つ名持ちの魔法騎士様達を歯牙にも掛けず叩き伏せ、他の冒険者の方々全員を相手に戦いにすら持ち込ませなかった類い希無い力の持ち主だと……」


(……妙だな)


 不必要な接触を避ける為に実力差を見せつけたとは言え、昨日の事で直接関わっていない人間にまでここまで強い印象を与えるものだろうか。目の前にいる夫婦や服飾店の女主人は騒ぎを目の当たりにしたわけではない、人から人へ流れた話だけでここまで怯えるのは些か度が過ぎている。

 ラウエルへ立ち入る際にも魔法騎士同士の争いは事故解決するよう釘を刺されたのだ。であれば当事者達の生死に関わらず自分が起こした争いくらいは眼にする機会が多いに違いない、だが自分に対して周囲の人間達が抱く恐怖感がほぼほぼ同程度で浸透している様子からして少なからず情報操作や人心掌握の類を行っている者がいるようだ。

 流れからして自分への対応を注意して回っている憲兵達が情報操作をして回っているのだろうが……こちらの行動に制限を掛ける為だとしたら弱い。


(奴等の目的はティニーを取り戻すことだと思っていたが監視や情報操作の質が低い、俺達を孤立させるつもりで動いているにしても雑だ。ティニーの他にも何か目的があるのか?)


 あるとすれば自分が所持している魔法具として認識されているマクスウェルや対輪外者武器(ノーティス)、心器の材料として眼を付けられているブルーリッドのレラ。あとは冒険者として身分を偽っているものの、周りからすれば冒険者は貴重な金銀財宝を発掘を生業にしているのだからと何かしろの金品を狙っている。

 今のところ思いつくのはこのくらいだが、ティニーの事を含めて考えても他に自分達を狙う要因は思い当たらない。名無は自身の中で迷走し始めた思考に眉を寄せた。


「き、期待に応えられず申し訳ありません! 何とぞお許しを!!」


 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた名無を見て、夫である男性は慌てて立ち上がり人の眼も気にせずそのまま床に膝をつき頭を垂れた。どうやら思い悩んでいる名無の様子を怒りを堪えていると受け取ったらしい。

 酷い勘違いではあるのだが彼等の認識からしてみれば至極まっとうな受け取り方だった。コレは名無も予想しておらず対応に頭を悩ませる。


「お、お待たせしやした。うちの店で売れ筋のもんをいくつか見繕って作ったんで持っていってくだせえ」


 頭を下げる男を前にどうしたものかと悩む名無だったが、タイミングを見計らったかのように店主が姿を見せる。作る量を多めにとの注文ではあったが以前とそう変わらない時間で造り上げたようだ。

 額に汗を浮かばせ両手で持たなければならない程の量の料理が包まれている包みを抱え、溢したり落としたりしないよう慎重にカウンターの上に包みを置く店主。


「思ったよりも早かったな」


「使ってる材料なんかは第二区画の店に負けてますが腕にゃあちっとばっかし自信があるんでさ、作るもんを任せられたからには応えにゃ料理人の名折れってやつですよ!」


 汗に濡れた顔は強ばってはいても同時にやりきったという確かな充実感が店主の顔に浮かんでいた。


「頼んだ物を要求通り出してくれるなら特に口出しするつもりは無い、貰っていくぞ」


「どうぞどうぞ、包みの下の方に板を入れときましたんで運びやすいと思いまさあ」


「そうか、その気遣いは素直に感謝しておく」


 流石にティニーの服を作るための材料を手にしているレラに大の男が両手で運ばなければならない量の料理まで運ばせるわけにはいかない。咄嗟の対処も考えると片手で運ばなくてはならなかったが、店主の気遣いのお陰で片手で運びやすくなっただけで無く包まれている料理を嵩張らせること無くて済む。


「もう用は済んだ、帰らせてもらうが……質問に満足な答えが返ってこなかったからと言ってお前達に手出しするつもりは無い。分かったら立て、いつまでもそうしていられても不快だ」


「は、はい!」


 これで跪く男性との会話を打ち切れると安堵しながら席を立ちレラの元へと向かう名無。しかし、レラの元へ戻るその途中で気の抜けた夫に寄り添い声を掛ける妻の言葉が名無の耳に届く。それは安堵に満ちた物ではあったが、その言葉が名無に言い知れぬ危機が近づいていることをハッキリと告げる。







 ――あなた……良かった、本当に良かった。あの冒険者達の様に殺されずにすんで――







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――







 思いがけず……いや、幸運にも知る事が出来た冒険者達の落命。

 レラ達と夫婦の距離は充分に離れていた、輪外者である自分だけが聞き取ることの出来た危険の知らせ。


「念の為に確認するが、俺があしらった男達のダメージは致命傷になるものだったか?」


『いえ、あくまであの場において戦闘不能になる程度のものだったと。肉体強化による筋肉の増強を確認出来たました、骨にも異常は無かったと思われます』


「なのに死んだ事になっている、それも俺が手に掛けた事に」


 当然の事ながら自分は彼等を殺していない。殺さないよう加減をしたという事もそうだが『虐殺継承(リスティス・マーダー)』による取得が成立していない以上、あの冒険者達の命は奪っていないという何よりの証明だ。

 しかし、第三区画内に行き渡っている話では冒険者達はもうこの世にいない。であるなら、自分以外の何者かの手によって命を散らしたことになる。


「考えられるのは俺に負けて恥を掻いた鬱憤を他の誰かで晴らそうとしたが相手も奴等よりも強かった。その結果、相手の機嫌を損ね命を落とした……せめて死亡推定時刻だけでも分かれば」


『マスター、その彼等の生死は後回しにしましょう。今は敵勢力にこれ以上策を弄される前にどう動くか考えるべきです』


「……そうだな、こちらもすべき事は多い」


 マクスウェルの言うとおりあの冒険者達が生きていても、死んでいても自分達の行動にさほど影響が有るわけでは無い。むしろ自分が冒険者達を殺したという情報によってこれから何が起こるのか警戒しなくてはならない。

 外出から戻り一人情報を整理している最中に相手側に動きは無い、そのおかげでレラとティニーが休める時間が出来たのはありがたかった。

 だが、楽観視できる状況で無くなったのも事実。

 このままレラ達に監視者達の動向を黙っているのも限界、ここから先はティニーが抱える問題を解決するまでレラだけで無くティニー本人にも負担を強いることになるだろう……名無は迫る決断の時に小さく溜め息を溢す。


「ナナキさん、ティニーちゃんの着替え終わりましたよ」


 名無の小さいとは言え重いため息とは反対に明るく弾んだ声と共にレラが浴室から戻ってきた。


「その様子だと何も問題なかったみたいだな」


「はい、手直しするような所も無くてティニーちゃんも気に入ってくれて良かったです。それに自分で言うのはちょっと図々しですけどティニーちゃんとっても可愛くなりましたよ」


「それは何よりだ……それでティニーはどうしたんだ?」


 喜ぶレラを見て笑みを溢す名無ではあったが肝心のティニーの姿が無い。

 レラの様子からしてティニーも彼女が作った服を気に入って着てくれているのは間違いないのだろうが、何故か浴室の扉越しで顔を出しては引っ込めるという奇妙な行動を繰り返していた。


「ティニーちゃん、恥ずかしがらなくても大丈夫です。とっても似合ってます、ナナキさんも達もきっと褒めてくれますよ」


「……うん」


 今まではとは様変わりしてしまった自分の姿にティニーが一番戸惑っているのだろう。だが、優しく微笑みながら手を伸ばすレラの手を取ってティニーはいそいそと浴室から姿を見せる。


「これは……大分印象が変わったな」


 ティニーの小さな身体を包みこむの二重のレースが特徴的な白のブラウスと淡い橙色の生地一面に花の刺繍が施された幅広のスカート。そのシンプルな装いながらもティニーの愛らしさを引き出している一着。

 無造作に伸びていた髪はレラの手によって綺麗に手入れされ、前髪は髪留めでとめられ大きな翡翠色の瞳があらわになり伸びっぱなしだった後ろ髪も後頭部で纏められ顔周りの雰囲気が活発的な印象に。

 着替える前と後を比べるとまるで別人のような代わり映えに名無もレラと同じような笑みを溢した。


「ティニー、へんじゃない?」


「ああ、変じゃない。おかしなところを探すのが大変なくらいだ」


『ええ、とても可愛らしくなりました。誰が見ても批判のしようは皆無です』


「ほんと? ありがとう! ナナキお兄ちゃん、マクスウェルお姉ちゃん!」


「良かったですね、ティニーちゃん」


「うん! レラお姉ちゃんもおようふくつくってくれてありがと!!」


 名無とマクスウェルの賞賛に満面の笑みを浮かべて喜ぶティニー。

 見た目が変わっただけで随分明るくなったものだと思ってしまうかも知れないが、きっとこの明るい表情こそがティニー本来の正確なのだろう。浮かべる眩しい笑みにぎこちなさは無く自然に溢れでたものだという事が分かる。


「もう一着の方も着てみましょう、そっちのお洋服もきっと似合いますよ」


「はーい!」


 そんなティニーを見て名無とレラは嬉しそうに笑みを溢すが、名無の笑みはすぐに重苦しい表情に変わってしまう。


(これだけ喜んでいる二人に物々しい話を聞かせるのは気が進まないが、何も知らせず荒事に直面させてしまうよりは良いはずだ)


 ルクイ村での一件でレラにはある程度だが耐性が出来たはず。しかし、ティニーの場合は少し事情が異なってくる。自分を傷つけた者達の巣窟に自らの意志で向かわなければならないのだ。

 これは子供も大人も関係ない、自分の身に降りかかる驚異と向き合うのはそう簡単なことでは無い。そうせざる終えない状況になるまで動かなかった自分の判断ミス、そのツケを彼女達に強要する事になると分かっていても名無は重く閉じる口を開かざる終えなかった。


「レラ、ティニー……これからの事で少し話しておきたいことが――――」


 だが、それは間に合わない。

 名無が和気藹々と言葉を交わすレラ達に声を掛けると同時に隣接する部屋側の壁が轟音と共に吹き飛び、巻き起こった雲煙が三人の部屋を灰色一色に染め上げた。


「えっ……な、何が起きたんですか?」


「ティニーたち……何でおそとに?」


 しかし、名無達の姿は宿屋の外。

 第二区画の本通りに三人の姿はあった、レラとティニーは名無に抱えられた状態で何が起きたのか理解出来ない様子だったが名無の銀の双眸は借りていた部屋の割れた窓――そこから漏れ出る煙に注がれている。


『――申し訳ありません、マスター。索敵は続けていましたが、転移魔法による襲撃では即時報告は』


「気にするな、それより周囲の索敵を。敵が一人とは限らない」


『イエス、マスター』


 結果から言えば名無は部屋の壁が吹き飛ぶよりも早くレラとティニーを抱え外に飛び出したのだ、秒にも満たない僅かな時間で室内から屋外へレラ達が自分達の身に何が起きたのか理解出来ないのも当然だった。

 それは通りにいた住人達も同じく突然の爆発に驚き戸惑う者、状況を理解し悲鳴を上げ逃げ惑う者とが入り乱れていた。名無は視線はそのままにレラ達を地面に下ろし対輪外者武器(ノーティス)を両手に携える。


「マクスウェルは刀身構築、レラはティニーとはぐれないようにして俺の後ろに」


「わ、分かりましたっ!」


 澄んだ音ともにノーティスの刀身が構築され戦闘態勢に入る名無。

 そんな名無の姿と言葉にレラも遅れながらも状況を飲み込みティニーを隠すように抱きしめる。


(まったく動いて欲しくないときに動いてくれる…………だが、これで奴等の目的がはっきりと見えてくるはずだ)


 これだけ人が多い状況下で仕掛けてきたのだ、力尽くで問題を解決しようとしているのは明らかだ。もしかしなくても周囲の被害など考えていないだろう、そこまでしなくてはならない目的がティニーなのであれば此処の住人達には悪いが最優先でティニーを護る。

 もしティニーでは無く自分達を狙って動いているのであれば、事を企てた黒幕を突き止め理由を問いただす。

 この後の展開がどちらに動こうとも全ては自分達の前に現れた刺客を捉えてから……名無は薄れる煙の向こうに見える人影に意識を集中、一挙一動見逃すまいと眼を細める。


(……レラ達を俺の後ろに下がらせて正解だったな)


 そして、同時に胸を撫で下ろした。

 撫で下ろしたとは言っても文字通りの意味では無い。鈍い輝きを纏う対輪外者武器(ノーティス)を構え変わらず鋭い視線で敵の姿を捉えたままである、だがそれでも名無の眼には確かな安堵の色が浮かんでいた。


「……あ゛、あ゛、だれが……だれ、が……っ」


 完全に霧散した雲煙の中から現れたのは見知った顔の男――元異名騎士『豪腕』のイディオット。

 第三区画の大衆酒場で名無に敗北した大柄で屈強な体つきの冒険者……だが、今のイディオットにその時の面影は無い。


「だじ……げ……だれ……が……なに、も見え……だれが…………あ゛あ゛あ゛あ゛っ」


 名無を見下ろしていた傲慢さに染まった両眼は無残にも潰され、攻撃的な言葉を投げかけた口元は何かに食いちぎられたかのように数本の歯と血を滴らせる歯茎がむき出しとなっていた。

 そして『豪腕』の二つ名に恥じない両腕は――潰れた眼よりも、惨たらしく血に染まった口元よりも直視するにはおぞましいモノへと変わっていた。





 ――――――――――ギョロリ





 豪腕と賞賛されたであろう腕に張り付く幾つもの眼。

 爬虫類の有鱗目を思わせる大小様々な眼が膨れあがったイディオットの右腕を覆い尽くしていた、恰も潰れてしまった彼の眼の代わりだとでも言うかのように蠢く視線はあらゆる方向を捉えている。だと言うのにもう一本の左腕は餓死者のように干からび力強さどころか血の流れも筋肉の動きも、代謝すら感じられない。

 歪なその両腕は痛々しい傷さえ可愛らしく思える程の畏怖を曝け出していた。だが、何よりも名無に胸を撫で下ろさせたのは異形へと化した右腕が手にしている……手にさせられている大剣。

 剣と判断しながらもその刀身は心臓のように脈打ち、その柄からは貪っていると言う言葉が似合う触手がイディオットの右腕を侵食していた。そして彼の右腕同様、本来金属であろう刀身にさえあの血走った眼が蠢いている。

 右腕の眼と違う事があるとすればただ一つ、刀身に巣くう眼全てが名無を捉えていると言う事。


「………………」


【――――――】


 変わり果てたイディオットの姿に高まる嘆声に包まれながら、名無と異形の剣――常識という枠から外れた者同士の眼孔が静かにぶつかり合う。

 


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