あの夜の意味(2)


 夜の帳が降りた庭園で探り合いの結末を望む形で終わらせることが出来てから僅かな時間をおいて、名無は部屋で待たせていたレラを連れ庭園で再びエルマリアと言葉を交わしていた。


「ごめんなさいね、レラちゃん。こんな時間に呼びだしてしまって……寒くない?」


「す、少しくらい寒くても平気です。それよりナナキさんとエルマリアさんの話し合いが上手くいって良かったです」


「レラちゃんにも要らない心配を掛けてしまっていたみたいね。でも、ありがとう。貴女のお陰でナナキ君にお願い事が出来るようになったわ、後で何かお礼をしなくちゃね」


「わ、私は何もしてませんからお礼ならナナキさんに」


「そんな事はない、君のお陰で最悪の事態を回避できたんだ。俺からも礼を言わせてほしい、ありがとう」


「い、いえ…………」


 確かにレラは目立った活躍をしたわけではない。

 だが、彼女主導の行動で無くても名無とエルマリアの間を取り持ち均衡を保ってくれていたのは事実。二人にとってはこれ以上無い助力だった。だと言うのに、レラはそこまでのことだとは思っていなかったのだろう。

 そこに名無とエルマリア。

 二人揃って面と向かって『ありがとう』と言われ、思いもよらない気恥ずかしさにレラは頬を朱く染め照れるのだった。


「そ、それでエルマリアさんのお願いというのは何なんですか? 私でもお手伝い出来ることなら頑張ります!」


「ああ、その事なんだが……」


「ナナキ君からは承諾も得ているわ、後は貴女次第なんだけど力を貸してくれないかしら――マクスウェルさん」


『驚きました、ワタシの存在に気付いていたのですね』


 エルマリアの言葉がレラでは無く正しく自分に向けられている、その事に名無と同じように驚きを表す。


『いったい何時からワタシが心器であると?』


「出会ったときからよ、マクスウェルさんの様に風変わりな心器の事は夫から……ナナキ君と同郷であるユタ・ナギミネから聞いていたから安心してくれていいわ」


『……そうでしたか』


 エルマリアの最低限の言葉にマクスウェルは彼女が自分達の事を知る存在であると察知し何事も無く会話を続ける。


『マスターの助けとなるのがワタシの役目とは言え、ミセス・エルマリアを敵視するような真似をしてしまい申し訳ありません。謝罪の意味も込めて可能な限り要望にお応えします』


「ありがとう、マクスウェルさん」


『礼は不要です、それでワタシの力が必要な要件というのは?』


「この子の事なのだけど……」


 そう言って持っていたチョーカーをマクスウェルに見せるエルマリア。まるでレラに見せているような光景ではあったが、マクスウェルはしっかりと自分に酷似するチョーカーを認識した。


『これは、ワタシの下位互換にあたる魔法具ですね。見たところ保存状態は良好なようですが……』


「あの人が何度かこの子に話しかけている所を見たの。何をしているのか気になって聞いてはみたんだけど、聞く度にはぐらかされてしまってね」


『つまり、ミセス・エルマリアの用件はご主人が隠した行動の意味を知りたいと言う事で宜しいでしょうか?』


「ええ、ナナキ君と貴女ならそれが分かるんじゃないかと思ってね。お願い出来るかしら?」


『結果から言えば可能です。ですが前回の使用からかなりの期間が空いてい空いている上にワタシとは規格が異なります。ミセス・エルマリアの期待に添えられない可能性が大きいですが宜しいですか?』


「無茶なお願いをしている事は分かっているわ、何も分からなくても貴方達を責める気は無いから安心して」


『ありがとうございます。では早速作業に移りますので、その魔法具の水晶体をワタシの水晶体に当ててください。作業が完了次第声を掛けますので』


「分かったわ」


 マクスウェルの指示に従いエルマリアはマクスウェルの機械水晶に自分が持つチョーカーの機械水晶を優しく押し当てる、すると互いの水晶体が微かな光を放つ。マクスウェルが古びた戦闘支援ユニットの解析作業に入ったのだが、同時にエルマリアは苦笑いを溢す。


「先にマクスウェルさんを外してもらえば良かったわね、そうすればレラちゃんも楽だったのに」


「気にしないでください。でも驚きました、エルマリアさんの旦那さんとナナキさんが同じ出身の方だったなんて」


「それには俺も驚かされた、エルマリアさんから話を聞かされたときは頭が真っ白になったよ」


 この異世界に迷い込んだ状況と時間軸に大幅なズレはあるものの、こうして思い出してみても自分と同じ世界の人間と関わりを持った人物と出会う確率は無いに等しい。

 直接由太自身に会えたとしたら、それこそ奇跡といえるだろう。


「あの人が生きていてくれたら私もこんな回りくどい真似をせずに済んだのだけど、そこは無い物ねだりというやつね」


「その……旦那さんはどんな方だったんですか?」


「どんな方って言われても魔族からみれば常識外れで何を考えているのか分からない人間、人間にしてみれば魔族に組する人間社会の爪弾き者ね」


「この世界の常識に囚われる事無く臨機応変な対応を取ることが出来る人物と言うことか」


「良い意味で取ってくれてありがとう。でも、それはナナキ君みたいな子であって決してユタみたいな自己中心的な人の事では無いわよ」


「そう、なのか……?」


 互いの胸の内を探り合っていた時、由太との生活を思い出し幸せそうな表情を浮かべていたエルマリアの様子とはかけ離れた厳しい評価だ。

 が、物事に向き合う人物だと聞いて自分が想像した人物像とはかけ離れているのはどういうことなのだろうか。矛盾がはっきりと見て取れるエルマリアの言葉に名無は瞼を瞬かせた。


「最初は私達もあなた達のように世界中を旅して回っていたの、二人で落ち着いて暮らせる場所を捜す旅をね。そしてこの街にたどり着いた」


「旅の途中、二人の意見が分かれて大変だった……って事ですか?」


「それもあるわ。でも本当に大変だったのは定住してからよ、あの人ったら荒事に遭う機会が少なくなってから一気にだらけて出してね。食べたい時に食べて、遊びたい時に遊んで、寝たい時に眠って。私を抱きたい時は満足するまで抱いて……胸が弱い事をしった時は執拗に胸を弄ぶ意地の悪さにも困った物だったわ」


「そ………そですか…………………………っ」


 由太との思い出に頬を赤くしてはにかんでいたエルマリアは何処に行ったのか。

 今はもうその面影すら無く眉間に皺を寄せ苦々しい表情を浮かべるエルマリアから嘘は感じられず、それでいてあまりに自然に溢れでた夫婦の営みとそれに対する不満に顔を真っ赤にして声を詰まらせるレラ。

 エルマリアが平気でもこのまま精神衛生上よろしくない猥談が続いてしまえば、レラが色々な意味で良くない影響を引きずってしまうのは眼に見えている。

 すぐさま話題を変えなくては自分も大惨事に巻き込まれかねない。名無は迅速にかつ明確にエルマリアの耳に届くよう咳払いを仕掛けようとする――


「でも、そんなあの人が今も恋しくてたまらない」


 それは過度な色事に染まりかけた場を塗り替えるには小さすぎる声。

 しかし、口に出したのではなく思わず溢れ出てしまった焦燥の言葉、エルマリアの口から溢れ出た偽りの無い心の音が静粛をもたらす。


「あの人の姿を眼に映す事も、あの人の声を聞く事も、あの人に触れる事が出来なくなっても変わらない。もう一度あの人を、ユタを感じたい……そう思わせ続けてくれる人。そしてそれを許してくれなかった狡い人」


「許してくれなかった、と言うのは?」


「私達吸血鬼は自分の血を他者に分ける事で血を与えた相手を吸血鬼化させ同じ時間を生きられるようにする事が出来る、血液操作の応用というだけで決して難しいことじゃない。相手が望めばすぐにでもと言うくらいに気軽に出来る……でもユタはそれを拒んだわ」


「ど、どうしてですか? 二人はその、愛し合っていたんですよね?」


「ええ、私もレラちゃんと同じ質問をしたわ。私を愛してくれているならどうして一緒に同じ時を生きてくれないのってね」


 由太とエルマリアの様な純粋な感情が無くとも人は永遠を求める生き物だ。

 変わらぬ若さ、衰えない力、続き続ける時間……人が求めて止まない不老不死に限りなく近い老いの遅延。それら全てを可能をとする術が。そしてエルマリアはそれを黒い欲望では泣く温かな願いのために使おうとした。

 しかし由太はそれを拒んだ、エルマリアへの愛が確かな物であるのにも関わらず。


「彼は何と答えたんだ?」


「『――簡単だよ、僕は人間としてでは無く人外としてでも無く君を愛した。『薙峰由太』として君を愛したんだ、なのに自分の在り方を変えてしまったら君への愛を否定してしまう事になるだろう?』 ってね。本人は満足そうにしてたわ」


「しかし、それは……」


「言葉遊びのような答えだって思ったでしょ?」


 人間が人以外のモノになろうと、魔族が魔族以外のモノになろうと、輪外者が身体を造り替えられたとしても本質は変わらない。

 名無がレラと出会った事で胸の内に抱いていた願望を正しく認識したように、己という存在を形づくり支えとなる心の在り方はその身が何であれ不偏なのだ。


「だけどあの人はただ自堕落に過ごしたわけでも巫山戯ていたわけでも無い、ユタは何時だって自分の眼に映る物と真剣に向き合い心が求めた物を選んだ……それがユタに取って『生きる』と言う事だったから」


「貴女はそれで良かったのか?」


「当時の私には当然良くない事だったわ。私がユタと同じ立場で、同じ問いかけに向き合ったとしても彼と一緒に生きる事を選ぶ」


 自分を愛してくれているからこその選択だと言い切られてしまっては、それが言葉遊びのような言い回しだったとしても其所に籠められた思いは否定できるものでは無い。少しでも迷いや後悔があれば多少強引にでも由太を吸血鬼に変えていたのだろう。

 だが、そうはならなかった。


「吸血鬼になる事を選ばなかったユタの瞳に嘘はなかった、結局はあの人の意志を尊重することにしたの。ユタがユタらしくいられないのなら彼を傷つけ続ける事でもあったから。まあ、ようは惚れた者の弱みと言ったところね」


 エルマリアは小さく肩をすくめ、名無は張り詰めた雰囲気が緩んだのを感じ取る。


「二転三転してしまった感は否めないけど、これでユタの人となりは分かって貰えたかしら?」


「少なくても悪い人物では無い事と貴女が彼を愛していた事は分かった。由太さんの全体の人物そうは何となくぼやけてしまったが」


「それで充分よ、根は真面目なのに自由を満喫したがる人でもあったから」


 掴み所が無いという言葉がそのまま当てはまる人物なのだろう。本当ならもう少し踏み込んだ話をと思わないでもないが、またレラが朱くなるような話を聞かされるのは拙い。このままそれとない話が続いてくれれば良いのだが……。


『――――マスター』


「終わったか?」


『イエス、内蔵されていた音声データを確認しました。少しだけですが稼働出来るようエネルギー供給も済ませておきましたので楽な体勢になられて大丈夫です、レラ様』


「ご苦労様、マクスウェルさん。レラちゃんもありがとうね」


「いえ、私は立っていただけですから」


 名無やレラを助けると言う意味で申し分ないタイミングで解析作業が終わったことを告げるマクスウェル。エルマリアも彼女の言葉に手に持つチョーカーをゆっくりとマクスウェルから離し、レラは苦笑を浮かべながら一歩下がって肩から力を抜く。立っていただけとは言え動けばマクスウェルの邪魔になりかねないと気を張っていたようだ。


『それでチョーカー内に保存されていた音声データですが、彼女させ良けれすぐにでも音声記録を再生できます』


「だそうだが……心の準備は必要か?」


「大丈夫、必要ないわ。長い間待ちに待った瞬間ですもの」


「マクスウェル」


『イエス、マスター。ではエルマリア様、チョーカーの水晶体に触れてください。そうするだけで再生するよう調整を掛けておきましたので』


「ええ」


 長らく動く事の無かったチョーカーに触れるエルマリア。彼女の細い指の先が触れた瞬間、チョーカーの水晶体が淡い光を取り戻し――




 ――あー、あー。おはよう、こんにちわ、こんばんわ、エルマリア。これを聞いてるって事は僕と同じ故郷の子からうまく助けて貰えたって事で話をさせてもらうね。それと何時聞いているか分からないから取りあえず挨拶は全部言わせてもらったから――




 データとして保存された音でありながら、この場にいる誰よりも温かく柔らかな青年の声。それはエルマリアが求めて止まなかった今は亡き伴侶、肌寒い空の下でも聞く者の心を温めてくれる……そんな由太の声が庭園に響く。


「………………」


 八百年近い時が過ぎ去っても機能を失わなかったチョーカーから聞こえてくる由太の声に耳を傾けそっと瞼を閉じるエルマリア。




 ――さて、当然の事ながら僕は君より早く死ぬ。『宿世後視(アヴニール・フォーサイト)』を使うまでもなく分かりきった結末だ。だからコレは僕がエルマリアに遺す遺言、死んでも僕が君を君をおもっ――




 ブツッ、と雑音を立てて由太の声が途切れる。故障したのかと眉を寄せる名無だったが、またすぐにチョーカーから由太の声が流れだす。




 ――しばらく中断してしまったままにしてごめん。エルマリアが途中で入ってくるとは思ってなくて驚いて切ってしまってね――




 仕切り直された声さっきよりもずっと落ち着きをはらんだものだった。同一人物が発する物でも短くない年月の経過を感じさせる。


 


――それで前の続きになるけれど、僕なりに何が君の為になって僕自身が少しでも悔いなく死ぬことが出来るのかを考えた結果……僕の故郷に伝わるある言葉を君に贈ろうと思う。でも、それを聞いた後で怒らないで欲しい、僕もまさかあんな締まらない別れをするとは思ってなかったからね――




 狡い終わり方と色濃く未練に染まった声音。

 自分の最後を『宿世後視』で見てしまった事で我ながら情けなく思ったのかも知れない。そしてそんな最後を遂げてしまったことでエルマリアを酷く傷つけてしまう事も。




 ――では、死にゆく僕が君に送る最後の贈り物だ。エルマリアは当然だけど傍にいるでろう同族君もしっかりと聞いて欲しい。こればかりは君に頼らなくちゃいけ――――




「ま、また声が」


「マクスウェル」


『保存状態が良かったとは言え経年劣化はどうしようもありません。ですが、音声を再生するだけであればまだ何とか』




 ――ううん、ま……た――もう長くは話せ……みたいだね、エルマ……思い出して欲しい、僕が死…………日の事を。僕が君と一緒に見た星…………って言った事を、同族君に――ブチッ――――




 一際大きな音が鳴り由太の声が途切れる。

 残ったのは肌を刺す冷たい空気と静寂に身を委ねるエルマリアの姿と、それを見守る名無達の姿。その光景は図らずも名無が体験した物と同じだった。

 想いを残してくれた相手の為に何かをしたくても何もすることが出来ない無力感、あの時にこうしていればとと言う罪悪感が自分の胸の中で暴れ回るどうしようも無い焦燥と後悔。

 そこにエルマリアが聞きたかったはずの言葉が籠められていなかった事実は、不安定な心に重い追い打ちをかける……それに耐え続けるしかない苦渋の時を思い出した名無は眉を寄せる。


「ナナキ君、ユタが何を言いたかったのか分かるかしら?」


 だが今この時、エルマリアは落胆すること無くする由太の真意を名無に投げかける。それは苦々しい表情を見せる名無にもとっても張り詰める心の緩和剤となった。


「今の由太さんの遺言、二度目の途絶以降の内容が彼が一番貴女に伝えたかった事なのは間違いない……質問しても良いだろうか?」


「ええ、何でも聞いてちょうだい」


「貴女は由太さんが死んだ日もこの場所で星空を眺めていたみたいだが…・…その時どんな話を?」


「普段と変わらず星を見ながら出会ってから見送るまで色々あったと愚痴をこぼして、あの人の最後の我が儘を聞いて、私から愛している事を伝えて……それくらいかしら」


「………………」


 特に変わった事があった訳では無いようだが、由太は自分が死んだ日の事を思い出して欲しいと言い残した。なら、由太に取ってその日のやり取りは特別な何かをしたはずだ。でなければこんな遺言は残さないだろう。

 星明かりに照らされる庭園に視線を彷徨わせるも見た限り昼間と何か変わった場所は無い。自分がここに来ることでなにか変化が起きるような仕掛けは見当たらない、何かしろ変わった現象が起こればエルマリアとマクスウェルが気付くはず。


「エルマリアさん」


「何かしら?」


「こんな事を聞くのはどうかと思うが、空に輝く星に何か変わった名前や特別な意味を持った物はあるのか?」


「星は星じゃないかしら、確かに宝石のように輝いて美しいとは思うけれど」


「レラも同じか?」


「は、はい。とっても綺麗だとしか」


「そうか……」


 自分の眼だけでなくマクスウェルが座標確認の為に星の位置を調べても星の羅列に星座という意味合いは無かった。星座以外に星へ意味を求めるなら星単体に特別な意味合いがあるか、何かの比喩的意味をもった名前を付けられた星があるかだと思ったのだが、レラ達からしてみれば星空に景色以上の意味は無いらしい。


(星に風景以上の意味が無いのなら後は俺の協力次第と言う事になるが……何か見落としているのか?)


 庭園に変わりはなく星空にも目立った変化は無い。だが、自分がいる事で解決する何かは変わらずあるのだ。

 名無は星空を見上げ由太が自分に何をして欲しかったのかを考え続ける。


「…………………………まさか星を代わりに?」


 由太の真意が分からず眉を顰め悩む名無、このまま無言の時が進むかと思ったが色違いの瞳が僅かに見開かれた。


「何か思い当たる事があるのね、ナナキ君」


「固定観念に縛られてすぐには思いつかなかったが、おそらく間違ってはいないはずだ。……エルマリアさん、由太さんは夜空を見上げて星が綺麗だと言っていなかったか」


「ええ、言っていたわ。あの人が息を引き取る夜、今日よりもずっと綺麗な星空が広がっていた。それを見てあの人は星が綺麗だと、それがどうかしたの?」


「その言葉が由太さんが貴女に残し、その意味に気付いて欲しかったものなんだ」


「どういう事かしら?」


 由太がエルマリアに残したものが何だったのかを名無が気付いた事は分かっても、肝心のそれが何なのかやはり彼女は分からないでいた。しかし、それは無理も無い事である。名無達の世界であれば誰もが知る措辞であっても異世界でもその言い回しがあるとは限らない。


「由太さんが言った星空が綺麗という言葉は本来『月が綺麗ですね』と言うべきもので、それは言葉通りに受け取っては言葉に籠めた意味が伝わらないんだ」


「言葉通りに受け取っていけない……なら、教えてちょうだい。あの人はあの日、私に何を伝えようとしていたの」


 掌が真っ白になるまでぎゅっとチョーカーを握りしめるエルマリア。

 声も態度も平静を保っているように見えるが、その姿からは隠しきれていない欲求が痛いほど伝わってくる。

 そんなエルマリアを見て答えを先送りするような真似はしない。名無は由太がエルマリアに知って欲しかった言葉をはっきりと彼の想いに相応しい声音で紡いだ。




――――愛してる――――




「………………」


 静まりかえる庭園に響いた名無の――由太の残した言葉に名無達の前で一切動揺を見せなかったエルマリアが眼を見開き息を飲む。それはユタの口から毎日のように言われた言葉、そして別れの日に聞くことが出来なかった想い

 長い間待ち続け求めた言葉があの日と同じ場所で聞くことが出来たから。それを証明するように見開かれたエルマリアの瞳が潤み今まで溜まっていた気持ちが溢れるままに涙を溢れ続ける。


「その言葉に……嘘はない?」


「無い、嘘だったならこんな方法を選ぶはずが無い」


 由太は何百年もの時間が経ってもチョーカーが正常に機能すると楽観視しなかった。だからこそ時間が掛かりすぎると分かっていてもこの方法をとったのだ、必ずエルマリアへ想いを伝えられる為に。


「貴女なら星空を見る度に自分の言葉を思い出してくれると信じていたんだろう、由太さんが死んでもなお貴女の事を愛していると言う事を……」


「……ええ、あの人の事はどんな事だって思い出せる。それが、それが幸せな思いでならなおさらね。でも、私が聞きたかった言葉をどれだけ先走って口にしてるのかしら。私が分からないんじゃ意味ないでしょうに」


 頬を涙で濡らし由太への不満を口にしながら後ろを振り向き星空を見上げるエルマリア。

 止まる事の無い涙に霞む視界では星の輝きすらまともに見えていないだろう。しかし、涙に濡れる黒の双眸はそれでも星の輝きを捉えていた。

 病めるときも、健やかなるとき、変わらず隣で見続けてきた燦々と輝く星々が夜空を埋め尽くす星空を。


「こんな方法で私に愛してるって伝えるなんて…………勿体ぶるのは悪い癖だってあれだけ言ったのに、本当に……本当に狡い人ね」


 涙と共に漏れ続ける不満に怒りは無い。

 あるのは由太への恋を自覚し、由太との愛を育み続け、避けられぬ別れに引き裂かれても変わること無く思い続ける女の姿。


「でも、それでも私はそんな彼方を愛しているわ……ユタ……」


 それは絶世の美貌を持つ吸血鬼でも、魅了という魔性の力でも到底及ばぬもの。

 エルマリアという一人の女性が見せる見るもの全ての心を掴む離さない清らかな愛の具現。

 そして、エルマリアの限りない情愛の囁きに星空は変わらぬ輝きで彼女を優しく照らす。その光景は今は亡きエルマリアの夫、由太が決して色あせる事の無い愛を持って抱きしめている……そんな幻想を見てしまう程の温もりに包まれた光景を名無とレラは眼に焼き付けるのだった。


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