02-05 かの信頼が孕むもの


「もう少しゆっくりしていってくれても良いのよ、お礼らしいお礼も出来ていないのに」


「いや、礼なら充分過ぎる程受けたよ。休養だけじゃなく物資まで提供してもらう上に俺に不足していた一般常識も教えてもらった、礼をしたいのは俺の方だ」


 名無とマクスウェルが由太の遺言を正しくエルマリアへ伝える事が出来た日から五日。名無達は屋敷の玄関先で旅の準備に勤しんでいた。

 五日間の滞在の間、レラの体調を万全にするのに掛かった日数は二日。

 残りの三日間はこれからの旅の先行きを心配してくれたエルマリアが異世界の知識が致命的に足りていない自分の為に指南役をかってでてくれたのだ。

 言うまでもなく自分の異世界に関する情報源は主にレラなのだが、彼女は隠れ里の生まれである。

 彼女が見聞きした知識に間違いはない。だが、隠れ里という閉鎖的な環境で生まれ育ったレラでは、やはり真新しい情報と言えるものを知る事はそうできることではなかった。

 エルマリアが設けてくれた講習から、この世界は製紙技術だけで無く通信技術も発達していない事が分かった。もちろん人と人との間で情報交換することも情報収集の手段として侮れない物ではあるが、秒単位で情報の取得が出来ない以上、見聞きした者を今の自分達に必要なのかどうか比較することは難しい。

 情報という誰かに、もしくは誰かが知覚しなくては意味が発生しない概念。その必要性だけで無く有用性。

 つまり諸資源としての価値と状況判断に置ける有利性はこちらの世界では何よりも得がたい貴重な物であることは確かで、それを再確認出来ただけでも旅の安全性を確保する意味で大きな収穫だ。同時に、今の自分に取ってエルマリアの情報提供は最高の謝礼である。


「いいえ、ナナキ君達には貴方達が思っている以上の恩が出来てしまった。これ以上貴方達から何かしてもらおうとしたら罰が当たるわ」


「……感謝する」


「こちらこそよ」


 お互いに何も失うこと無く日々を過ごせた事に安堵し小さな笑みを向け合う二人。もし少しでも関係性が揺らいだものだったのなら、こうして笑顔を向け合うことなど出来なかっただろう。


「レラちゃんもありがとうね、久しぶりに同族と話が出来て楽しかったわ」


「わ、私も楽しかったです」


「それは良かった、次が何時になるかは分からないけれど今度来てくれた時は二人の旅の話を聞かせて。私とユタが見た世界がどう変わり、その世界を見た貴女達が何を思ったのか興味深いもの」


「は、はい。エルマリアさんの期待に応えられるよう色んな物を見ようと思います」

「ええ、楽しみに待っているわ」


 名無だけで無くレラもエルマリアと良好な関係を築くことが出来た。

 同族で女同士と言う事もあるのだろうが五日間の間にあった彼女達のやり取りは気心が知れた友人のようで、そこにエイシャ達も加わった時は賑やかなものになったのは言うまでもない。


「レラ様。レラ様達に必要な物資の準備が終わりましたので選別と確認をお願いしたいのですが宜しいでしょうか?」


「は、はい。ナナキさん、私ちょっと見てきますね」


「ああ、荷の中身は君に任せる。少しでも必要だと思ったら俺が使わない物でも加えてくれて構わない。荷物が多くなっても俺が持とう」


「ありがとうございます、それじゃエイシャさん」


「では食間の方へご案内いたします」


 レラは名無とエルマリアに小さく頭を下げエイシャと一緒に食間へと向かっていった。


「ふふっ、エイシャ達とも仲良くしてくれて一安心ね――けれど、外の人間達との関わり方はこの街のようにいかない。充分に気を付けて」


 微笑みながらレラとエイシャの後ろ姿を見送ったエルマリア。しかし、レラ達の姿が見えなくなってすぐに厳しい表情が顔を出す。


「この街の住人達は私の力によって彼等が持つ魔族への敵対意識、差別認識。抱く感情の全てを限りなく緩和している状態にすぎない、もちろん魔族の事を思ってくれる心優しい人間がいないとは言わないわ……それでもこの世界の人間に簡単に心を許しては駄目よ」


「同じ人間でも容赦が無いことは良く知っている、魔族を擁護する者なら尚更手厳しいこともな」


 手厳しいという言葉では温い悪行を向けることに何の迷いも一片の慈悲もない、有るのは自分達とは違う『異端』を処分するという無機質な悪意だけ。そんな輩を相手に躊躇いを覚えれば如何に名無と言えど命を落としていたかも知れない。

 レラがいないこの時にその事実を持ち出すと言う事は、彼女には聞かせるべきでは無い助言が続く事は明白だ。


「これから先、旅路の途中で彼方は少なからず争いに巻き込まれるはずよ。それが大なり小なり、魔族側と人間側。どちらの味方になろうとも、どちらの味方にならなかったとしてもね」


 先程まで心地よく耳に響いていたエルマリアの声音は低く重いものへと変わっていた。

 若かりし頃、戦う事無く落ち着いて暮らす事が出来る安住の地を求めて由太と共に世界を放浪していた時の事を思い出しているのだろう。

 その声音からは彼女の吸血鬼として力を出し惜しみした又は由太が輪外者として戦う事を躊躇ったことで何か取り返しの付かない事を経験したことが伝わってきた。


「本当なら戦わず済ませられる時でも、相手が善人の部類だとしても彼方の敵として立ちふさがったなら力を振るう事を躊躇わないで。その一瞬の迷いが彼方を殺すかもしれない、そうなればレラちゃんも只では済まないもの」


「……貴女が思っているほど俺は理性的じゃない、でなければ俺は此処にいない」


「そうだとしてもナナキ君が優しい事に変わらない、じゃなかったらレラちゃんが彼方と一緒にいる筈がないわ」


「………………」


「ナナキ君が旅をする理由は分からないし、きっと私が聞いて良いような物ではないかも知れない……だからこれはおせっかいでしか無いでしょうけど聞いてちょうだい」


 険しい表情を浮かべたままだったエルマリアの視線が僅かに緩む。


「彼方はあまり気が進まないと思うけど、まずは『ラウエル』を目指しなさい。日数は掛かってしまうけどシャルアを通る川に沿って下れば迷うこと無くに辿り着けるわ」


「……そこは人間の街なんだな」


「ええ、そこならレラちゃんも比較的安全に過ごせるはずよ。あくまで比較的にと言うだけだから出来る限り単独行動は控えた方が賢明ね」


「そう、か……」


 野生動物や川魚、自生している果物等。旅路の途中で食糧の確保が出来ないわけでは無いが、常に物資の補給を気に懸けなくてはいけない状況で身を隠している魔族達の街や集落を探し身を寄せるというのは色々と問題が多い。

 人間側の街を目指すのもそれはそれで後々問題が起きてしまう可能性が高い。しかし、レラの体調を考えるのであれば多少危険でも定期的に身体を休める時間をつくった方が支障は出にくいだろう。


(レラの精神的負担は大きくなるが彼女の言う通り背に腹はかえられないか……)


 名無は内心重いため息を吐き、彼の歯切れの悪い返事にエルマリアも名無の心境を察し苦笑を溢す。


「私の経験上この方針が一番堅実よ、この世界で生きていくのであれば尚更ね。直に戦ったわけでは無いけど《輪外者》であるナナキ君なら身の安全を確保するくらい訳は無いでしょ? ……ごめんなさいね、もう少し穏便な手があれば教えてあげたいのだけれど」


「大丈夫だ、貴女が俺達の事を心配してくれているのは理解しているし助言は素直に心強い」


 必要な情報が手に入ったとは言っても現実は常に変化し続ける、その中で由太とエルマリア。自分に取って先駆者と言える人物の経験は情報と同じく力や金にも勝るものだ、それを無碍にして手痛い失敗をしてしまうよりずっと良い。


「ナナキさん」


 名無がエルマリアからの忠告と助言を受け取り終わった時、薬や食糧など必要な物が詰まっている麻袋を乗せた荷車を押すエイシャと共にレラが戻ってきた。荷車の上に乗っている四つの麻袋はどれもはち切れんばかりにパンパンだ、すぐ次の街に辿り着けなくても心配せずに済むよう可能な限り詰め込んだことが分かる。


「必要な物は全部揃えられたか?」


「はい、エイシャさんとも相談しながらだったので大丈夫だと思います」


「そうか、ならそろそろ出発しよう」


「ナナキ様達の荷馬は門前で待たせてあります、荷物を積むお手伝いも致しますのでこのまま外の方へどうぞ」


「ああ」


 荷車を押して先導するエイシャに続く名無とレラ、すると門前には名無達を見送ろうとルルカやコイネだけで無く屋敷で働くメイド達全員の姿があった。この屋敷を訪ねた時には本当に驚いたが今回は二度目だ、奇妙な壮観さは感じるものの前回ほどの衝撃はない。

 名無とレラは苦笑いを溢しながらも落ち着いてルルカ達の元へ歩み頭を下げた。


「今日まで行き届いた配慮に感謝する」


「皆さんのおかげでゆっくり休むことが出来ました、本当にありがとうございました」


「顔をお上げください、ナナキ様、レラ様。仕える主が直々にお連れになったお客様に快適な生活を送って頂けるようにするのが私達の役目、どうかお気になさらず」


「少しでもお役にたてたのなら幸いです」


「です!」


 エイシャだけで無くルルカとコイネも謙遜とは違った嗜みで二人の言葉を受け止める、後ろに控えている他のメイド達も特に喜ぶ様子はない。それでも自分達が行うべき仕事を完璧に全うすることが出来た事への満足感はにじんではいたが。


「荷物の方も積み終わったみたいね、忘れ物はないかしら?」


「俺は大丈夫だ」


「私も大丈夫です」


「そう、なら良かったわ。………それじゃ、お別れの挨拶くらいは威厳有る吸血鬼らしくしてみましょうか」


 別れを名残惜しみながらも名無とレラを送り出そうと門前に並ぶエイシャ達の列に加わり、佇まいを但しコホンと咳払いをするエルマリア。


「我が夫、ユタ・ナギミネの同族にして真正なる同郷の徒である来訪者ナナキ」


 そこに誰の目も惹きつける気品と優雅さを纏いながらも親しみやすかった彼女の姿は無い。今、名無達の眼に映るのは人間と魔族の未だ終わらぬ闘争を生き抜いた歴戦の吸血鬼としての姿。

 鋭い眼光を向けられている訳では無い、殺気をぶつけられている訳でも無い。それでも目に見えない重圧が名無達だけで無くこの場全てを包み込む。


「長きにわたる我が閨怨の念を癒してくれた事に心からの感謝を」


 だがそれは決して殺伐とした物では無い。


「そして我が同族であるブルーリッドのレラ、刀自との語らいは久しく感じ得なかった喜楽に満ちた心躍るものだった……両名が再びこの地を訪れし時は吸血鬼エルマリア・ノイン・ヴァルファールの名に懸けて何の出し惜しむ事なく助力する事を此処に誓いましょう」


 気さくな振る舞いだけでなく戦いの場に赴く顔もエルマリアの持つ本質。ただ自分の名に恥じぬ誓いを掲げる場と名無達の旅立ちを見送る瞬間に相応しい佇まいが二人に見せることの無かった精悍な姿だったと言うだけのことなのだ。

 現に厳かな雰囲気を醸し出しながらも、エルマリアの口元にはたわやかな笑み浮かんでいる。


「貴方達の旅の無事をこの地より我が従者と夫と共に願っています……では、何時か訪れる再会の日に」


「ああ、また何れ」


「ぜ、絶対にまた会いに来ます! 本当に、本当にありがとうございました!!」


「「「「「またのお越しを心よりお待ち申し上げております」」」」」


 再会と歓迎の言葉を背に、名無とレラはエルマリアが示してくれた次なる目的地『ラウエル』へと向かうのだった。















――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 


 





 ――ヴァルファール邸宅、二階テラス


 名無達が屋敷を後にして数時間。

 昼食を済ませたエルマリアは一人、由太の形見であるチョーカーを優しい手つき弄りながら眼下に広がる花々を眺めていた。


「二人とも騒がしい子達では無かったけれど、見知った子達がいなくなるのは寂しいものがあるわね」


 屋敷には総勢六十人を超えるメイド達が従事しているとは言え、魅了の支配下にあるせいで敬われすぎてしまい名無やレラの様に立場も年も関係なくただの友人として接してくれる事は無い。

 そんな代わり映えの無い水面のような毎日に波紋を起こしてくれた二人が居なくなった事で、エルマリアはまたも刺激の無い日々に逆戻りしてしまった。

 しかし、彼女の表情が落胆と喪失感は無い。


「寂しいと思うと言う事は楽しかったと言うこと、ユタが死んでしまってから楽しいと思えたのは何時以来かしら……本当にあの二人には感謝だわ」


 自分達とは姿も性格も違う二人。

 だが、魔族と人間。本来なら敵対する種族の女と男が互いが互いをぎこちなくも敬い支え合う姿は若かりし頃の自分とユタを見ているようだった。それだけでも思わず涙しそうになった回数は如何ほどか。

 これでも何百年と生きた吸血鬼だ、涙の気配は上手く隠せていた筈……レラに関しては気付いていたかも知れないが二人を見送った時も毅然とした態度で送り出す事も出来たのだし年長者としての威厳は保てていただろう。


「ナナキ君達がこの街に永住してくれたら……ふふっ! きっとユタと一緒に過ごしていた時と同じように毎日が楽しく思えるのでしょうね」


 この世界に疎い名無を相手に先達者として知識を説く真似事をして過ごすのも良い、少なからず彼が本気にしてしまってもおかしくない冗談を交えてみるのも興が乗るだろう。そして悪戯にこる自分をレラが懸命に窘め、そんな彼女も巻き込んで面白おかしく話に花を咲かせる。

 そんな『もしも』の日々を思い浮かべ表情をほころばせるエルマリア。




「――珍しいねぇ、君がユタ以外の人間を其所まで気に掛けるなんて」




 エルマリアが楽しげに有り得たかも知れない日々を想像する中、鮮やかな庭園を見下ろすことの出来るテラスに舌足らずな声が響いた。


「ユタが死んでもう二度と確かめることが出来ないと思っていたあの人の愛を知る事が出来た、その手助けをしてくれた恩人ですもの。別におかしなことでは無いでしょう」


 エイシャ達とは全く異なる人物の声が自分の背後から唐突に上がったと言うのに、エルマリアは驚くことも警戒することも無く弾んだ声を返す。


「あのおてんばだった君が随分と大人になったものだねぇ、昔の君なら礼は口にしても恩を感じることは無かったと思うけど」


「それこそ昔の話よ、恋をして愛をしった女はみんな等しく淑女よ。貴男もいい加減に番を見つけたらどう、少しはその捻くれた物言いも柔らかくなると思うわ」


「二千年近く働きっぱなしなんだからちょっとした嫌味の一つや二つ溢すくらい多めに見てくれない? 見てくれないと絶対鬱になる自信があるね、あと自分を淑女だというのなら目上の相手には優しくすべきだと思うなぁ」


 今も顔を向け合う事もなく話を続ける二人。その様子だけでなく話の内容からして相手は魔族、それも古くからの知り合いである事が分かる。


「そんな事より良かったの?」


「ああ、ボクの切実なお願いをそんな事で済まされたぁ~」


「もう真面目な話よ……あの子達を追いかけるのでしょう?」


「うん、うまく行けばボクのお仕事は今回で終わる。終わってしまうとも言えるけど、手を抜いて良いことでは無いし気合いはちゃんと入れなきゃねぇ」


 ふざけ合っていた雰囲気はなりを潜め、二人の声音に緊張にも似た硬さが混ざり込む。


「貴方の……いえ、『彼』の計画では私はナナキ君に殺されなくてはならなかったのにそうはならなかった。それにナナキ君と一緒にいた女の子……あの子は何者なの? 私の元にはナナキ君が一人で来る手はずだったはず」


「あぁ、ちゃんと話すから一片に聞かないでおくれよぉ。ボクも色々と予定が変わっちゃってハラハラしてたんだから。でも……」


 エルマリアの不穏な問いかけに大きなため息を溢す魔族。だが、言うほど声の調子に揺らぎは無い。


「彼に確認を取ったけど、君一人を殺せなかったからと言って特に問題はないってさぁ」


「なら、計画の進行に支障は無いと考えて良いのね?」


「うん。効率が悪くなったのは予定外ではあったけど、同時に自分が求める以上の物に仕上がる可能性も出てきたって喜んでた。怒られなくて良かったとは思うけど、まさかレラに狂わせられるとは」


「やっぱりレラちゃんは彼や貴男が用意した訳では無いのね」


「そうだよぉ」


 自分達だけで無く『彼』もレラの介入は予期していなかったようだが、計画に変更が無いのなら彼女の存在は然程問題視する必要は無いと言うことだろう。

 しかし、


「計画に支障は無いと言ってもレラちゃんを無視するわけにもいかないでしょう?」


「まあねぇ……本当ならナナキ君の旅の目的を『誰かの為だけに』で括り付けたかったんだけど、レラが一種の緩和剤になっっちゃったみたい。そのせいで彼の心の根底にこびりついていた浅ましい欲求が顔を出してしまった。のっけからこうも思い通りに進まないのは随分と久しぶりだ」


 それも変化があって楽しいには楽しんだけどねぇ、と笑い声をあげる魔族にエルマリアは肩をすくめた。


「話を戻すけど私はお役御免と言う事で良いのかしら?」


「ああ、自由にしてくれて構わないだってぇ。後はボクと他の子達で続けるから好きにすると良いよぉ」


「それなら安心ね、事後承諾になってしまうけど個人的にナナキ君達に手を貸すことを約束してしまったのよ。これでまだ『彼』から手伝って欲しいと言われたらどうしようかと思っていたの」


「よく言うよ、次の目的地をさらっと変えといてぇ」


「ちょっと言い間違えちゃっただけじゃない、それに何れは向かわせる場所の一つだったんですもの問題は無いはずよ」


「調整をさせられる身にもなって欲しいねぇ、まったく……」


「ふふっ」


 不満たらたらな言葉を掛けられてもエルマリアは悪びれること無く微笑を浮かべる。

 彼とのやり取りは名無が聞けば築き上げた信頼を瞬く間に破綻させてしまう物ではあったが、自由の身となった事でエルマリアなりに名無達の身を案じて策を講じたのは偽りない本心なのだろう。


「さてぇ、ボクはそろそろ行くよ。あの二人を見失っちゃうと大変だしねぇ」


「あら? 《遍在の妖精描王》とあろう者が付きまとう相手を見失うはず無いじゃない」


「ちょっとちょっとぉ! やんちゃしてた頃の二つ名で呼ばないでくれるかなぁ。今のボクは何処にでもいる普通の妖精猫なんだ」


「何処にでもいる、ね」


 謙虚なのか、それとも自身に対する世間の評価に疎いのか。そのどちらとも言えないかも知れないが、今それを言っても意味は通じないだろう。エルマリアは自分の後ろで話し続けた人物へと振り返り呆れたと冷ややかな視線をぶつけた。


「やんちゃだったのは認める事が出来るけどそれ以外は同意しかねるわ、だってただの妖精猫なら『彼』の為に働こうとは思わないもの」


 確かに自分の眼に写る魔族の呼び名を知るものは殆どいなくなった。しかし、彼自身の事を知るものは今の時代において種族に関係なく多いはずだ――別世界の住人である名無でさえ彼の事を知る一人なのだから。


「君が何と言おうと今のボクはしがない流れの薬師だ、次にボクの事を呼ぶ時は親しみを込めてグノー先生と呼んでよぉ」


「はいはい」


 目麗しい吸血鬼の双眸に映るのは汚れてはいないが着古した白衣に身を包み、髭袋から伸びる髭を撫でずんぐりとした姿を晒す黒い妖精猫。

 ルクイ村で名無を助け名無の良き理解者でもあった魔族――薬師グノーシス・サーベインの姿だった。




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