狂情の在処(3)


 一秒にも満たない一瞬の静寂。

 耳が痛むような錯覚すら感じさせる無音の静止が広がる中、名無の眼は予期せぬ衝撃によってエルマリアに釘付けになる。


「やっぱり驚かせてしまったみたいね。本当は時間を掛けて色々と気になるよう話題を振っていきたかったんだけど……でも、私が思っていたより落ち着いているわね。冷静さを保ててるみたいで安心したわ」


「……そう見えているなら幸いだ」


 落ち着いて見えるのは頭の中で動揺と混乱が入り乱れているからだ、返した言葉も彼女の言う冷静さから出たものではない、だが、そんなことは今はどうでもいい。

 今、自分が意識を向けなくてはならないのは、エルマリアが異世界(じぶん)の人間(しようたい)を知っているという事実。


「彼方のご主人は俺と同じ世界の…………人間なのか?」


「いいえ、ナナキ君と同じ輪外者よ。あの人も能力を使うときは瞳の色が綺麗な銀色に変わっていたわ、彼方の場合は常時発動型というのでしょう? 片目だけだけど銀色のままだものね」


 正確に言えば別の能力を使っているからだが捉え方としては然程違いは無い。

 名無の左眼を指すように自分の左眼の目元をとんとんと軽く叩くエルマリア。名無を狼狽させる事を口にしながらも、その仕草は何処か幼さと無邪気さを感じさせる。

 そのこの場にはそぐわない雰囲気に名無は肩から力を抜く。


「貴女が俺がどういう存在なのか知っていることで、また幾つか疑問が増えた。住人達の事も含めて説明して欲しいんだが」


「勿論よ。むしろそうしないと話がこんがらがっちゃうもの、ちょっと昔話もまざってしまうけど良いかしら?」


「ああ、頼む」


「それじゃ順序よく行きましょう」


 そう言って膝を崩すエルマリア、名無の疑問を解消するには少しばかり時間が掛かるようだ。


「私が夫と、ユタと・ナギミネと出会ったのは今から八百年前。今も続く長い長い戦争……その戦場の真っ直中だったわ」

 

 戦争の口火を切ったのは人間か、それとも魔族だったのか。その始まりすら自分達の記憶から掠れてしまうほどに続く戦争の中間期。

 当時十四歳という若さで自分は戦場を駆け巡っていた。

 吸血鬼の持つ『魅了』という能力を最大限に駆使して、迂闊にも心を奪われてしまった人間を殺して、殺し合わせて戦争を魔族側の勝利で終わらせるために。



 何処かで誰かが涙を流し噎び泣いていた。



 何処かで誰かが血反吐を吐いて叫んでいた。



 どこかで誰かが音一つたてず横たわっていた。



 生者と死者。

 死によって袂を分けた両者で埋め尽くされ、敵意と憎悪に満ちあふれた戦場に彼は居た。


 ――こんにちわ! こんばんわかな? でも、君は僕の言ってる事分かるよね?――


 阿鼻叫喚に飾られた地獄絵図。

 その場面の中にある事が不釣り合いでしか無い太陽のように明るく、眩しい笑顔を浮かべる年の頃が同じ少年が――薙峰由太が現れたのだ。


「今思い出してもあの人はおかしな人だった。戦場にいながら無邪気に笑ったこともそうだけど、異世界に来たばかりだというのにあっけらかんとしていて私の『魅了』に支配されず普通に話しかけてくるんですもの」


「由太さんはどうやってこの世界に? それに貴女の『魅了』が聞かなかったというのは俺と同じ理由からか」


「こちらの世界に来た事に関しては気がついたら居た、らしいわ。『魅了』の方は彼方と同じ理由ね。でも、異世界の行き来は彼方の方が分かっていのではなくて?」


「俺も大して変わらない。異世界がある、そんな事を想像すらしなかった」


 エルマリアの夫である由太は何の前触れも無くこの世界へ、自分は逃亡直後。状況は違うものの、結果として原因を確定しきれない事故のようなものである点に関してはそう変わらないだろう。


「それもそうね、私もあの人と出会うまではそんなこと考えた事も無かった。まあ、とりあえず私達の出会いはこんな感じね。次は一緒に暮らし始めた頃の話を……って言いたい所だけど、肝心の二つ目の理由にしておきましょう」


「そうしてもらえると助かる」


 まるで堤防の堰を切ったかのように名無の疑問に答えるエルマリア。

 由太との夫婦生活についてもはなそうとしたようだが、今は自粛するべき時だと思いとどまってくれたようだ。

 しかし、肌寒さを感じずにはいられない夜でも変わらなかった白い頬に薄らと赤みが差す。それだけで二人の過ごした時間が掛け替えのないものだったかが分かる。


「二つ目の理由はナナキ君の手助けをしてあげて欲しい、そう夫に頼まれたからよ」


「それは、どういうことなんだ? 由太さんがどうして俺の事を?」


 個人的にも彼との面識は無い。だが、同じ輪外者であるなら自分の事を知っていてもおかしくは無い。しかし、何故自分を名指しできたのか。自分が異世界へ迷い込むことを知っていたのか……また新しい疑問が顔を出す。


「『宿世後視(アヴニール・フォーサイト)』――それがユタの能力、発動すると同時に最大で一分先までの未来を見通すことが出来るわ。それと時々だけど、あの人の意志とは関係なく何れ何処かで起きる未来を断片的に見ることもあったわね」


「由太さんが俺の事を知っていたのは突発的な未来視によるもので、俺がこの世界に来る事を知っていただけと言う事か」


「ええ、でも何時ナナキ君が私の元に来るかまでは分からなかった。だからあの人と同じ出で立ちをした彼方を見たときは驚いたわ、待ちに待った来訪者が同族の女の子を連れていた事も……待っていて良かったと本当に思ったものよ」


 八百年近くも前の約束を守れたことにエルマリアは安堵の表情を浮かべた。当然のことながら人間は吸血鬼のように生き存えることは出来ない。しかし、仮に長寿を得られたとしてもエルマリアのように愛するものとの約束を忘れずにいられるだろうか……これが種族の垣根を越えた者達の強さなのかも知れない。


「さて、それじゃあそろそろナナキ君が一番気になっている事について話しましょう」


 幾つかの疑問を解消出来たとは言えここまで話したのはあくまで名無とレラを屋敷に招いた理由であり、住人達が豹変してしまった問題の事前解。

 確信と言える事は何一つ明らかになっていない。だが、けっして無関係では無い話でもあったのは確かだ。


「住人の豹変、その根底にあるのは『魅了』による精神支配で間違いないわ。だけど、そこに思ってもみなかった要因が入り込むことで結果としてナナキ君が眼にしたものが出来上がってしまったの」


「思いもしなかった要因というのは貴女個人か、それとも吸血鬼という種族全体でも考えるか無かったものなのか?」


「吸血鬼全体と考えてくれて良いわ、それだけあり得ないと断じる事が出来るものだったから」


 あり得ないと否定的な言葉を口にしながらも、エルマリアの顔には変わらず赤みが差している。


「今の彼等が魅了されているのは私という一個人だけじゃない――私とユタとの間に生まれた愛という名の絆の虜になってしまったの」


「………………」


 どう聞いても惚気られたようにしか思えない答えに無言になってしまう名無。

 だが、名無の視線にエルマリアを咎めるような色はない。それはエルマリアも同じく巫山戯ている訳では無い。


「こんな事、吸血鬼同士でも信じてくれない話だったし君が困惑してしまうのも無理が無いと言う事も分かっているわ。でも本当の事なのよ」


 エルマリアの『魅了』に心を侵されながらもシャルアに住む者達は、ソレとは別に羨望せずには、見ずにいられなかった者を眼にし続けた。敬愛して止まないエルマリアと人間でありながら彼女の伴侶となったユタの、二人の二種族の柵みなど意に介さず寄り添う姿を。言葉にしなくとも互いを想い合う姿を。

 たとえねじ曲げられてしまった結果の上に成り立つ羨望だったとしても、眼を奪われずにはいられなかったのだ。

 そして芽生えてしまった二人の平穏が続くことを祈り護らなくてはと、そんな庇護欲と魅了の洗脳が重ね合いあり得るはずの無い過剰極まりない無意識下び防衛行動を生み出してしまった。

 エルマリアと由太の二人が穏やかに暮らすことの出来る居場所を、ありとあらゆる手段を用いて死守すべし……と。


「私が住人達の変化に気付いたのは、この街に居を構えて十数年も経った頃ね。最初は外に出かけていた由太から聞いて半信半疑だったのだけれど、それを直に眼にして事実なのだと知ったわ」


「その豹変は頻繁に起こるのか?」


「そう多くは無いけれど少なくも無いわ。人間達の主要都市には敵わないけれど人の出入りは多いもの。その分いざこざが起こってしまう、それが度を過ぎたものであるなら……残念だけどこれからも同じ事が続くでしょうね」


 異なる世界の人外達が育んだ愛情、そしてその元に結ばれたエルマリア達と住人達との絆。

 強い者が弱い者を虐げる事が許された世界である以上、住人達の過剰防衛を止める術は無い。いや、街の存続とエルマリアの安全を考えるのであれば止める必要は無いだろう。

 どれだけ歪なものであろうと、エルマリアと彼等の間にある絆は間違いなく互いが望んだもので有るのだから。

 だが……


「私としてはこれで一通りナナキ君の疑問に答える事が出来たと思うのだけれど、まだ他にもあったりするのかしら?」


「もう一つだけ答えて欲しいことがある」


 争いを望まない以上このまま話を終わらせる事もできたが、名無にはどうしても確かめておかなければならない事があった。

 ……この問いかけで互いに手を取り合い探り続けた信頼が壊れる最悪の事態を招くきっかけになったとしても。







「一週間程前、魔法騎士の一団がこの街に来たはずだ――奴等を魔族の村に差し向けたのは貴女か?」



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