狂情の在処(2)
空気は冷たく澄み渡り、音の波紋一つ無く、冷気と静寂に包まれた夜。
散りばめられた宝石のように輝く星々が浮かぶ空を一人、可憐さを潜めた花の庭園で眺める麗しい女性がいた。
夜空よりも暗く、影よりも黒いドレス身に纏った麗人は、遠く連なる星を慈しむ様に見つめ続け……瞼を閉じる。
「………………」
鼻を擽る花の匂い、肌で感じる冷たい空気、静まりかえった静寂に響く小さな音。眼を瞑った事で閉じられた暗闇がより強く感じさせてくれる身体の感覚、その全てを懐かしみ、愛おしむように佇む姿は正しく見る者達の心を魅了して止まないだろう。
「――エルマリア・ノイン・ヴァルファール、貴女と少し話がしたい」
そんな、えも言われぬ美しさが広がる一夜を無粋にも壊す声が響く。
「あら、まだ起きていたの? 彼方なら大丈夫でしょうけど、ちゃんと休まなきゃ駄目よ」
星が輝く夜空を眺め物思いにふけっていたエルマリアの黒い瞳が捕らえたのは、鋭さの中に誠実さが篭もる面持ちを見せる名無の姿。
「貴女の言う通りなんだが、気がかりが出来た。それをはっきりさせないと、気になってな群れそうに無い」
「そう、なら少し長くなりそうね。見ての通り此処に椅子はないから芝生の上になるけど構わないかしら?」
「問題ない」
「じゃあ早速話をしましょうか」
エルマリアはドレスが汚れる事を気にする素振りも見せず腰を下ろし、名無も同じように芝生の上に座る。
「それで、ナナキ君は何が気になってるのかしら?」
「単刀直入に聞く、貴女はこの街の住人達に何をした? 『魅了』の効果を完全に把握したわけではないが、俺が街で見たものは貴女の口から出たもの、俺の憶測からも外れたものだった」
街で起きた猟奇的な事件を街の住人達と買い物に同行していたルルカは何一つ覚えてはいなかった。なら、あの一件に関する情報はエルマリアに耳には届いていないはず。
エルマリアがこの質問にどう答え対応してくるかは分からないが、名無は話を濁させまいと明確な疑問を投げかけた。
「街で見た・・・・・・成る程、ナナキ君が私の所に北野も納得ね。それに関しては時間を掛けて知って貰おうと思っていたのっだけど、ちょっと予定が変わってしまったみたい」
街で見た、その一言を繰り返しただけでエルマリアは名無が何を問い詰めているのか理解したようだ。しかし、彼女の様子に緊張や警戒といった様子は見られない。
隠していた何かを話す事が本当に早まった程度の認識なのだろう。
「ナナキ君が街で眼にしたのは街の住人達の豹変。そしてそんな彼等の手によって死んだ者の末路……で、合ってるかしら?」
「そうだ、あれは――」
「アレも私の能力が原因よ、でも『魅了』がもたらした意外な副産物と言った方が正しいでしょうね。これは昨日、私がまだ話せ無いと言った二人を屋敷に招いた理由の一つとも関係してくるわ」
「………………」
自分が提示した疑問、それはエルマリアが答えなかった二つ目の理由に繋がるものだった。その可能性を考えていなかったわけではないが、まさかこうもピンポイントで引き合いに出すつもりなかった話に触れてしまうとは……。
住人達の豹変した原因だけで無く、気に掛かっていた自分達の世話を焼いてくれる理由もはっきりさせることが出来る。
しかし、自分の疑念を晴らす必要が有る状況とは言え、昨日の今日でそれを口にするだろうか。
(……長引くか……)
話せない理由は種族間の問題は関係ないと言っていたが個人的な事情とも言っていた。それが吸血鬼という種族が秘密にしなければならない事に起因しているものであれば、話し合いでの決着は難航するかも知れない――
「この際だから話してしまいましょうか、その方がナナキ君も気を揉まなくて済むでしょうしね」
――と、身構える名無の予想に反しエルマリアは事も無げに言えないと言っていたはずの二つ目の理由について語ろうとしていた。
「俺が言い出したことは言え簡単に話して良いものなのか?」
「大丈夫よ、単にタイミング的なものが大きかっただけだもの」
「……そうか」
自分の考えすぎだったのかと苦い表情を浮かべ、名無は目頭をそっと押さえる。
戦闘状態で無くても殆ど条件反射の意気で戦闘思考に入ってしまう癖もそうだが、今の様に物事に対して深読みしすぎてしまうのも悪い癖のようだ。
いらなく状況をややこしくしてしまうようでは、今後のことも考えると出来るだけ早く直すようにしなくてはと溜め息を吐く名無。
「悪いことをしちゃったわね、そこまで悩ませていたなんて」
「いや、また一つ改善すべき事が分かった。礼を言う」
「自分で気付いたのだから私にお礼を言う必要は無いでしょうに……ふふっ、彼方を見ていると本当にあの人のことを思い出すわ」
「あの人……それは亡くなったご主人か?」
「ええ、死んでしまったのはもう大分前の事だけれど。私の夫もナナキ君のように些細な事でもしっかりと向き合う人だったわ。ソレで悩みすぎたときは、こうして一緒に星空をお眺めたものよ」
「………………」
哀愁と共に今は亡き夫の面影を自分に重ねるエルマリアに名無は口を閉ざす。
自分が誰かの大切な人を奪ってしまったのなら彼等の怒りや哀しみ、憎しみが篭もった罵詈雑言を受けることは出来る。だが、自分以外の要因で死んでしまった者達を想い悼む誰かへ……エルマリアに掛けるべき言葉を名無は言えなかった。
知っていたとしても、そうする事が名無には許されていなかったから。
しかし、
「ナナキ君はあの人より真面目だから余計に悩みすぎちゃうみたいだけど――異世界の人間はそういう人が多いのかしら?」
当たり前の事を口にするように出たエルマリアの言葉に、出来ない慰めに行き詰まった名無の沈黙は息をする事さえ忘れてしまう刹那の空白へと意味合いを変えるのだった。
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