02-03 狂情の在処(1)


 温かな陽気を放つ太陽が空高く登り、穏やかな風が吹く昼下がり。

 日の光を受けた美しい花々が庭を彩り、そよ風に混じり漂う上品な香りが見る者の鼻を擽り一時の休息を与えてくれる。


「すみませんでした、お借りしたドレスに皺を……それに寝坊までしてしまって」


「別に気にしなくて良いのよ、何もドレスを駄目にしてしまったわけじゃないんだもの」


「で、でも……」


 そんな庭園を見下ろすことが出来るテラス席には、首元にマクスウェルを付けたレラとエルマリアの姿があった。

 気持ちを朗らかにしてくれる風景と芳香、それを持ってしても重ねた失敗に落ち込むレラのどんよりと沈んだ気持ちを晴らすことは出来ず、言葉を交わすエルマリアもどうしたものかと苦笑を溢す。


「ドレスの事だけじゃ無くて寝坊の事もそう。旅の疲れがあったのに話に付き合わせちゃった私が悪いのだし、レラちゃんが落ち込む必要なんて無いわ」


 そう、エルマリアの言うようにレラに非らしい非はない。一週間程度では長旅とは言えないが、意識するしないに関わらず気を張り続けての道程だ。常に気を張り続けていなければならない状況で疲れを見せなかっただけでも、レラの頑張りは充分な成果とも言える。

 だが、レラはレラで自分達に良くしてくれているエルマリア達に迷惑を掛けない様にと心がけていた。その矢先にドレスのまま就寝、そして遅めの起床。

 招かれている側だとしても初日からここまでゆっくりするのはどうなのか、と責任感のある彼女らしい考えと言える。


「それに昨日も言ったけれど、家にいる間は好きなように過ごしてくれて構わないわ。むしろそれだけ疲れているなら、ちゃんと疲れを取らないと旅を続けるのは大変よ……ね?」


 説得と言う程のものでは無かったが、エルマリアは肩を落とすレラを励ますように笑みを浮かべ彼女の手を取った。


「あ、あの……」


「どう? 私が嘘を言っていない事が分かるでしょ」


「……はい」


「なら、嘘を言っていないって事で今は納得してちょうだい。じゃないとせっかくの可愛い顔が台無しだわ」


「ありがとう、ございます……本当に」


 手を握られた事に驚くレラだったが、エルマリアの言葉と心色に嘘はない。本当に自分達を気遣ってくれていると知って少しだけ表情から堅さが抜けるレラ。だが、エルマリアに感謝の言葉を口にしながらもレラの視線は不安げに揺れ、何か探しているのか落ち着きが無い。

 その様子を見たエルマリアはくすりと笑みを強めた。


「ナナキ君ならルルカと一緒に買い物に行ったわ。彼だけじゃ大変だと思ってね、ルルカにお手伝いを頼んだの」


「うぅ、またナナキさんに負担を……それにルルカさんにもご迷惑を。帰ってきたら謝らなくちゃ……」


 エルマリアの頑張りもあって落ち込んでいた状態から抜けかけていたレラだったが、寝坊してしまった事でまた一つ連鎖的に失敗してしまっていた事に気づき溜め息を溢す。それはそれは重たい溜め息を。


「ふふっ、貴方達は本当に仲が良いのね。彼も貴女と同じ事を言って出かけていったわ」

「ナナキさんが、私と同じ事を?」


「ええ」


 触れていた手を離し、エルマリアは話を続ける。


「今日まで貴女に助けて貰わなかった日は無い、それなのに無茶ばかりさせて申し訳ないって」


 レラにしてみれば名無の旅に無理矢理付いてきてしまった形だったが、名無としてもそれは同じだった。言うまでもなく名無はレラを気遣いながら動いている。だが、その基準はどうあっても《輪外者》よりになってしまう。

 魔族ではあってもレラは肉体的にも精神的にも普通の少女と何ら変わりない。だと言うのに、そんな彼女の疲労を見抜けなかったことに名無も気を落としていた。


「そうやってお互いを想い合えるのは良いことだけど、相手に迷惑を掛けたくないからと言って変に隠し事をしちゃ駄目。これからも旅を続けるのなら、どんな些細な事でも話し合うことが大事よ。後でゆっくりナナキ君と話し合ってみると良いわ、出来る?」


「えっ、えっと……そうしてみます」


「素直で宜しい! でも、要らないお節介ばかりでごめんなさいね。私が言わなくても貴女ならナナキ君の気持ちを分かってあげられるでしょうけど、ちょっとぎこちなさが心配になっちゃってね」


「あの、その事なんですけど……」


「ナナキ君との関係の事かしら?」


「はい、ナナキさんとは本当に……ふ、夫婦とか恋人とか、そんな関係じゃ無いんです」


 もう一つ付け足すなら恋人未満ですら無い。

 エルマリアやエイシャ達の誤解を解決するのなら少しでも早いほうが良い、そう思っているの自分だけでなく彼も同じはず……。

 誤解されたままにしておけば、自分達に既視感を抱いているエルマリアと良好な関係のままでいられる。その間に休んで疲れを取ったり旅の準備をする事が出来る。しかしそれでは、同じ魔族である彼女を騙していることになる。

 お互いの距離を保つという意味では決して悪い事ではないと思う。けれど、悪意はなくても騙すような真似はしたくない。


「でも無理矢理ナナキ君に連れ回されているわけでも、嫌々付き添っている訳でも無いのでしょう?」


「そうなんです……けど……」


「それじゃあ、レラちゃんが彼と一緒に旅をする理由は何なのかしら?」


「それは……」


  話すべき事、話さなくて良い事、話してはいけない事……彼が傍にいない状況で迂闊なことはすべきでは無いのは分かっている。けれど、目の前にいるのは自分とは比べものにならない時間をい起きた吸血鬼の女性。変に嘘を吐けば、きっと本心でない事が分かられてしまう。なら、自分が言える事はそう多くはない。


「恩返しが、したかったからです」


「恩返し?」


「私はナナキさんに助けて貰いました。安保人はその事を私の為じゃなくて自分の為だって……助けた事で私を辛い目にあわせることになってしまった。そう思っていますけど、私は嬉しかった。私を助けてくれたのがナナキさんで良かったって思っています」


 魔族は使い勝手の良い幾らでも替えが利く道具、そんな酷い考え方しか出来ないのが人間なのだと……あの人に出会うまではずっと思っていた。

 人間が魔族を助けても何一つ良いことは無い、助ける事自体あり得ないと。

 それをしてしまえば気が狂ったかと同族に罵られ、出来損ないの烙印を押され一方的に殺されてしまう。助けたはずの魔族にも何かを企んでいると勘ぐられ、無抵抗だとしても信じては貰えない。そうなる事が当たり前の世界で、彼は心の底から自分の事を心配して助けてくれたのだ。

 

村の仲間に襲われても傷つけようとはしなかった。


 いっぱい傷つけたのに気にしていないと笑ってくれた。


 何より、死に捕まった自分を救ってくれた。


「少しでもナナキさんの役に立ちたくて、この気持ちを伝えたくて、知って欲しくて……」


 彼と旅をしてから今日までずっと感じている安心感は、エルマリアの言う誰かを好きになる気持ちとは……違うと思う。安心するのは強要される死から遠ざかることが出来るから。時折、彼が見せてくれるぎこちない笑みに心が温かくなるのは恩返しが出来ているから。

 そうでないのなら今感じている不安に説明が付かない。

 彼が一人になってしまうと分かった時に感じた胸を締め付けるような痛みは、彼と一緒にいる時に感じる上手く言葉にすることが出来ないでいる心を暖かくしてくれる感情は……きっとあの人に対する感謝なのだと思う。


「迷惑を掛けてしまうかもとも思いました。それでも『一緒に旅がしたい』……そう思ったんです」


 レラが何から助けられたのか、何故それを辛そうな表情で話すのか、一緒に旅をする事がどうして恩を返す事に繋がるのか。思いの核になる部分が隠された曖昧で要領をえない独白は、半ば何気なく振られた質問だとしても、当事者で無ければ判らない穴だらけのものだった。

 それは問いかける相手に対して当然の如く非礼と取れる答え。


「………………」


 しかし、その非礼を咎めることも無く叱咤する事も無く静かに耳を傾けていた。まるで叙情詩人が謳い奏でる恋物語に聞き入るように。


「私とナナキさんの間であった事を全部ちゃんと話せれば良かったんですけど――ごめんなさい、これが今の私に言える精一杯です」


 弱々しく、とても力強い声とは言えないか細い声。だが、確かな芯の強さを秘めたレラの想いがテラスに響く。


「早とちりしてしまった上に包み隠さず事情を話せ、なんて厚かましい事は言わないから安心してちょうだい。それにしても助けられた恩返しの為に一緒に旅をねえ……レラちゃん、意外と強引なのね」


「や、やっぱり強引だったでしょうか? でも、それ位しか思い浮かばなくて……うぅ……」


「レラちゃんくらいの年の頃ならそれくらい強引な方が良いわ、何をするにしても相手に自分の気持ちが伝わらなくては意味がないもの。でも、心配はいらない。過程はどうであれ、こうして貴方達は私の所まで来れた。それにレラちゃんの気持ちはしっかりと彼に届いているわ、自信を持って」


「……はい!」


「さて、少なくてもこれで私の早とちりは解決したと言う事で遅めの朝食は如何かしら?」


 席の間近にあるサイドテーブルの上に置かれたハンドベルを手にとって鳴らすエルマリア。レラが目覚めた時間が中途半端だったと言う事もあるが、さすがに深刻そうな顔つきで話を切り出した彼女の誠意に水を差すわけにもいかず食事を用意出来なかったのだ。

 そして、それが今終わったのだ。今日と言う一日はまだ半分も残っている、その時間を過ごす為にも朝食をかねた昼食は必要だろう。


「あと少ししたらエイシャが食事を運んできてくれるわ。たくさん眠れたなら今度はいっぱい食べなきゃ駄目よ、ナナキ君を助ける為にもね」


「い、頂きます」


「その意気よ、レラちゃん」


「はい!」


 どちらからともなく形の良い唇を綻ばせ、二人は弾んだ笑い声を溢すのだった。

 

 



 レラが屋敷でエルマリアの誤解を解くことに成功した時刻、名無は屋敷のメイドであるルルカの同伴を得てシャルアの商店街へ足を運んでいた。


「今朝仕入れたばかりの新鮮な魚はどうだね! 生で喰っても良し、焼いて喰っても良し、酢漬けにしても良し! さあさあ、今買っていかなきゃ損だよー!」


「保存に利く乾物類は当店で! 肉や魚以外にも乾燥させた果物も沢山用意してまーす!!」


「何処に行くにも武器の手入れは忘れずにな、少しでも使い心地が悪いと思ったら今すぐうちの店に寄ってきてな、安くしとくよ!」


 商店街に飛び交う威勢の良い声、そしてその往来を行き来する多くの住人。街に住む人々に混じって行き交う行商人は運搬人。


「……君に付いてきてもらったのは正解だったな」


 その活気ある光景に圧倒されたのか、名無は心底ほっとした声を溢す。


「シャルアは山から伸びる川沿いに造られた街ですから、人の出入りは多い方ではありますが王都や城塞都市に比べれば栄えてはいないかと。……ですが、ナナキ様は人混みが苦手なのですね」


「苦手と言う訳じゃない。ただ、こう人が多いと動きにくいのが気になってな。それに何処に何が有るか分からない分、余計にといった所だ」


「その点につきましてはエルマリア様から街を案内するよう仰せつかっておりますのでご安心ください、他にも色々とレラ様に代わってお手伝いさせて頂きますので心配は無用です」


「ああ、よろしく頼む」


「承りました。それで、これからどうなさいますか?」


「飲み水を入れておく革袋、肉や魚を捌く為の調理道具を少し。荷物になりそうな物に関しては下調べ、と言ったところだな」


 食糧や薬は少しでも長く品質を保たなければならないので街を出る時に買うのが一番良いだろう、武器もマクスウェルが刀身を随時構築してくれるお陰で買う必要はない。むしろ日々の食事や睡眠時に必要になる道具を出来るだけ揃えておく必要がある。

 調理の際に使う水や火打ち石等は魔法で代用できるが、包丁や鍋といった器具の代用品を魔法で用意しようとすれば余計手間だ。

 寝袋等の備品も同じだ、魔法は利便性が高い物だが出来ない事は必ず出てくる。


「それなら旅に必要な道具を扱っている雑貨店があります。まずはそちらに行ってみると言う事で宜しいですか?」


「ああ」


「分かりました、私に付いてきてください」


 向かうべき目的地が決まり、ルルカは颯爽と足を進める。

 土地勘の無い自分の為に、先だって歩く姿を頼もしく感じつつ名無は街の様子に眼を配った。


(看板や値札が全部絵で表記されているのには驚いたが、店側と客側のやり取りも思った通り俺達の世界とそう違いは無い。売り出された物を通貨で取引している、違う点があるとすれば物々交換も可能なところか)


 この世界の人間達が現金として活用しているのは『リッド』と呼ばれる硬貨である。

 材質や見た目は金貨、通貨としての価値は金貨の中央に刻まれたローマ数字に似た模様で区別されていた。Ⅰであれば一枚一リッド、Ⅹであれば一枚Ⅹリッドと言うように。最大で一枚千リッド。

 他には売り出している商品と同じ価値の物との交換による取引も行われている、ぱっとみではあるが店側や商人に不必要な品物でも他の誰かが必要とするであろう事を見越して商売を行っているようだ。

 そんな通貨事情の中で店先では行商人から下ろし売り出している商品を高く、多く売ろうとしている店主と安くて品質の良い物を買おうと考えている地元民が、値段交渉とういう駆け引きに熱を上げてる。それは街の外からきた者も同じで、シャルアでは手に入りにくい物資を高く買い取って貰おうと取引を続けており活気を上回る熱気が迸っていた。


「どの店でも交渉に熱が入っているようだが、いざこざは起きないのか?」


「ご指摘の通りそういった問題が生じる事もあります。しかし、常に警備団の方々が街の中を巡回してくれていますから騒ぎが起こっても仲介や荒くれ者の捕縛をしっかりとしてくれています」


「治安は良いという訳だな」


「はい……ナナキ様、目的地の雑貨店に着きました」


 人混みを抜け辿り着いたのは街の出入りをする門にほど近い一角に佇む店。

 緑鮮やかな蔓植物が朱煉瓦の壁を飾り、取り扱っているであろう商品が店内、店先と自慢げに並べられていた。

 ナイフやフォークといった金属食器に、花や動物を象った装身具。木材を中心とした家具、希少価値のありそうなアンティーク雑貨等々。一目で扱っている品が豊富である事が分かる。


「ご覧の通り品揃えが豊富で街一番の雑貨店と言っても過言ではありません。それに気の優しい方がお店を切り盛りしていますので、他にも探している品があればきっと力になってくれると思いますよ」


「確かにこの店なら一通り揃えられそうだ、品物は手にとって見ても構わないのか?」


「大抵の物であれば大丈夫だと思います。ただ価格が高い物は店主のローエンさんに聞いてみて下さい、こればかりは私が判断して良い物ではありませんから」


「分かった」


 基本的な店側の規則を確認し名無はルルカを店先に残して店の敷居を跨ぎ店内へ。

 店の中は外の倍はあるであろう品々が並んでいたが、空間の使い方と品物の見せ方が上手いのか窮屈さを感じない。見る側の快適さが良く考えられており、ルルカの言う通り客への細やかな気遣いが出来る人柄が滲み出ているようだった。


「いらっしゃい……おや? あんた初めて見る顔だね、旅の人かい?」


 そんな店の最奥にあるカウンターの向こう側、木で出来たロッキングチェアに座る老人――店の主であるローエンが名無に声を掛ける。


「そうだ、この街に着いたのは昨日なんだが少しばかり必要な物があってな訪ねさせて貰ったんだが」


「そうかい、そうかい。こんな年寄りがやってる店に来てくれたんだ、ゆっくり見ていってくれ。何か聞きたい事があれば遠慮せんでいい」


「なら、ありがたく」


 短い接客トークではあったが、自然と気安い声がけに気を楽にして商品を見て回る名無。

 見て回ると言っても、そこまで大量の商品を買いに来たわけではないので買い物自体に時間は掛からない。今日はあくまで最低限の出費に抑え、本格的な物資購入は街を出る際にレラと一緒に決めれば無駄な買い物をせずにすむだろう。

 名無は商品棚に並んでいる物の中から、お目当ての品を見付け迷うこと無くローエンの元へ向かった。


「支払いを頼む」


「どれどれ……飲み水用の革袋が四つ、肉切りに使うナイフが一本、魚用も一本。全部で五百リッドになるけど他に入り用な物はないかい?」


「今の所はこれで……いや、この店の商品で疲れた身体を癒やせる物はあるだろうか? あればそれも買いたい」


「そうさな、ちょっとした按摩道具に疲労回復の効果があるお香や茶葉と色々ある。店にある物を試してみて、好みにあった物を買っていくといい」


「貴方の言う通りなんだが、使うのは俺じゃないんだ。一緒に旅をしている女の子に渡す物なんだが……」


 屋敷を出てからそれなりに時間は経つ。

 すでに昼時だ、レラも起きている頃だろうが疲れは取れただろうか……。まだ疲れが抜けきっていないなら、少しでも体調を戻す手助けになる物を買って帰りたい。


「その連れの娘さんは今一緒じゃ無いのかい?」


「ああ、エルマリアさんの屋敷で休んで―」


「何と! あんた、エルマリア様のお客人だったのかい!?」


 ゆったりと椅子に腰掛けていたローエンだったが名無がエルマリアの名前を口にした瞬間、揺れの不安定さなど意に介さぬ勢いで一気に立ち上がった。


「客人と言われれば、そうだが」


「まさかエルマリア様のお客人がうちの店に来てくれるとはねえ、その連れの子も人間かい、それとも魔族かい?」


「……魔族だ」


「なら、これを持って行きなさい」


 差別的な扱いを受けてしまう事になるかと警戒する名無。しかし、その心配は杞憂のようでローエンは意気揚々とカウンターの裏スペースにおいてあった小さな木箱を名無に手渡す。


「これは?」


「それは代々うちの店で常連中の常連にしか出さない特製の茶葉だ。身体だけじゃなく精神的な疲れにも効く物だけでブレンドした特注品でな、これの代金は良いから連れの娘さんに飲ませてやってくれ」


「そんな貴重な物を何故……」


「なに、相手が人間だろうと魔族だろうとエルマリア様のお客人なら持てなすのは当然だ。本当ならエルマリア様にも飲んで欲しいんだが、屋敷におる娘さん達の仕事を取るわけにもいかんでな。それに誰も損をするわけじゃ無い、遠慮せんで持っていきなさい」


「………………」


 エルマリアへの信頼を口にするローエンに虚偽的な物は……やはり感じない。


(……また彼女の方から、と言ったところか)


 端から見れば今の自分は買い物をしているだけにしか見えない。だが。こうしているだけで自分はエルマリアから『魅了』という力がどういう物なのかを教えられてもいるのだ。

 ルルカやローエン、そして街の住人の様子を見る限り、誰もがエルマリアから洗脳を受けていることに気付いていない。一度『魅了』の支配下に置かれれば洗脳を自覚することすら出来ない、それが正しく証明されたと言える。

 他にも魔族に友好的になるという相乗効果があり、効果範囲で言えば距離的な制限が無いと言うことも分かった。範囲に関してはエルマリアを見た後という前提だが。彼女は一度シャルアを離れ湖で自分達と出会っている。その間に『魅了』の効果が減退、もしくは途切れていたのなら高い確率で争いに巻き込まれていたはず。

 そうならなかったと言う事は『魅了』の解除法はないと考えるべきだろう。

 しかし、自分やレラの様に何らかの要因を有していれば精神支配に抵抗、または支配されずに済むようだが……


(さすがに其所までは分からない。だが、街の様子をマクスウェルに話せば何か分かるか?)


 『魅了』に対する抵抗力、と言って良いのだろうか。その要とも言える要因……自分とレラに共通する物はそう多くはない。

 性別は違う、性格も違う、趣味趣向も違う、種族も違えば生まれ育った世界も違う。そんな自分達に京津するのは、魔法を使う為のエネルギーである魔力と命を繋いでいる『共命連鎖』という能力の二つだけ。

 二つだけとは言っても街の住人やシャルア立ち寄ったことのある人間に魔族。彼等一人一人と話し合い共通点を探し支配されてしまう条件を検証するよりも、支配から脱せている自分達を起点に模索した方が断然効率的だ。

 だが、そのたった二つの共通点も確証を得る決め手としては弱い。

 まず魔力に関してだが、吸血鬼の『魅了』は魔力によって強化された魅力という概念の強制干渉。魔力と強く結びついていると言っても良い能力だが。他人の魔力を通して作用する物であればレラも自分のように少なからず影響が出ているはずだ。

 それが無いと言うことは魔力による干渉説は除外しても良いだろう。

 『共命連鎖』についても同じ事が言える。

 あくまでこの力は命を共有する物であって精神、つまり心まで共有する物では無い。心も共有しているのであれば自分を通してレラも自分がエルマリアに感じている違和感を感じているはずだからだ。

 これらの店を踏まえ現時点で出せる答えは――――曖昧な力、だ。


(人の欲望に作用する精神干渉、そこからの支配。欲望に作用するという時点で防ぐ手段はない。出来るとすればエルマリアさんを視界に入れないことだが……そもそも、どんな欲望に作用しているんだ?)


 『魅了』の効果は言わずもがな街の住人全てに作用しているだろう、その中にはまだ善悪の判断が拙い子供もいる。

 欲望とは性別に関係なくい目的の実現が意識的、無意識的に抑制されている精神願望だ。女を抱きたい、いい男を捕まえたい、金が欲しい、美味い物を食べたい、名誉が欲しい、贅沢な暮らししたい。

 これらは全て言い換えれば生きるための原動力だ、そんな絶えず変化し広がり続ける感情から支配条件を特定するのはほぼ不可能。支配条件を絞ることが出来たとしても人手も時間も足りない。

 こうして自分が考えを巡らせることも読んでの情報と問題の提示なのだろう。


(器の大きさ? 懐が深さが違うと言えば良いのだろうな……心理戦では彼女の方が上だ)


 どれだけ戦う力があっても、こればかりは重ねてきた時間と経験が物を言うのだろう。

自分を取り巻く疑念は拭いきれるような物では無いが武器をエイシャ達に預け、レラと別行動を取った。マクスウェルをレラの傍に残してきたとは言え、これで少し位はエルマリアの考えに報いられていれば良いのだが……。

 名無は悩ましげに手にした木箱をしっかりと握りしめる。


「どうしたね? そんな難しい顔して……もしかして連れの娘さんは茶が苦手だったかい?」


「いや、そんな事はない。少し考え事を、それだけだ」


「そうかい。まあ、他に必要なものがあったらまた店に来なさい。安く売れる物なら、それなりに優遇してやれるでな」


「感謝する」


 必要な物資以外にレラへの手土産も手に入れる事が出来た名無は小さく頭を下げ店の外へと出た。


「必要な物はありましたか?」


「ああ、今日の所は無事に終わった。それより待たせてしまってすまない」


「それほど時間は経っていませんので気にしないで下さい。予想よりも早く予定が終了してしまったみたいですが、どうなさいますか?」


「屋敷に戻ろう、此処の店主から疲労回復に役立つ茶葉を貰った。これを早くレラに飲ませてやりたいと思ってな」


 買った物が入っている紙袋から特製の茶葉が入った木箱を取り出してルルカに見せる名無。木箱は何の変哲も無い只の箱だが、雑貨店で手に入れた物の中で一番高額な物のはず。

 屋敷で飲んだ紅茶の茶葉もルルカやエイシャ達が吟味して用意した品だろう、もしかしたら大体の値段が分かるかもしれない。その時は、恩返しの意味も込めて次の機会に少しばかり散在してみるのも悪くない。


「分かりました。そう言う事であれば屋敷へ戻りましょう、レラ様もナナキ様が自分の為の品を見付けてくれた事を知ったら喜んでくれるはずですよ」


「大袈裟だな、一緒に旅をしている相手を気遣うのは当たり前の事だろうに」


「ですが、気になっている殿方から贈り物であれば女は心が浮き立つものです。きっと魔族の方も同じだと思うのですが……違うのでしょうか?」


「俺に聞かれても答えようが無いんだが、と言うより俺と彼女はそう言う関係では無いと昨日の夜もエルマリアさんに――」




「弁償できないというなら、その小娘を渡せ!」




「何だ?」


 ルルカ達にも自分達の関係を勘違いされていると知り、溜め息交じりに弁解をしようとする名無。しかし、弁解をするよりも早く商店街に立ち並ぶ一軒の店先で一人、武装した二人のお供を付けた恰幅が良すぎる商人が声を荒げていた。


「何度も言うが落ち着けと言っているだろう、何も外套が少し汚れたくらいで佐波郡じゃない。彼女達も謝っているじゃないか」


 いきり立つ商人を前にシャルアの憲兵二人は、自分達の後ろで縮こまっている親子を護るように交渉を続けていた。様子を見る限り騒ぎの原因は親子、それもまだ幼い少女が持っていた白い色の氷菓子。

 アイスクリームのような物が商人の悪目立ちしかしていない光沢を放つ真っ赤な外套を汚していた。状況からして通行量の多い人混みで歩いていたところ少女が商人に運悪くぶつかってしまったのだろう。


「馬鹿を言うな! この外套は百万リッドの高級品なんだぞ、貴様等のような下流市民が一生掛けて稼いで漸く払える額だ。それを子供一人差し出すだけで済ませてやると言っているんだ、ありがたいと思え!!」


 身に付けている物の趣味も悪ければ言動も野蛮。

 見た目からして戦えるような殻ではないが、強気な態度からして魔法の扱いに長けているのか。それともお付きの男達が相当な実力者なのか。

 しかし、言い争っていると言う事は互いに戦力が拮抗していると分かっているからかも知れない。


「では、こちらも言わせてもらうが馬鹿な事を言っているのは貴男だろう。この街に立ち入る際、待ちに置ける法に同意した事を忘れたか!」


「滞在中に問題が発生した場合。問題の処遇は我々に任せてもらう決まり。同意した際の声もしっかりと残っているぞ」


 憲兵の手には商人達と同じ分の言伝石が握られていた。

 製紙技術が発達していないこの世界特有の方法ではあるが、書面を提示してみせるよりも余程効果的と言えるだろう。こう言った騒ぎの馬では書面をだしたとしても破られてしまうか、捏造したと言いがかりを付けられる可能性が大きい。しかし、言伝石であれば本人の声をそのまま再生できる上に易々と壊すことも出来ない。

 それでも怖そうとしようものなら、その行動はそのまま商人達が自分達の非を認めた事になる。諍いの原因は少女の不注意による物だが、待ちの法に従うと確約立てておきながら身売りを強要するなど本来人として許されない行為だ。


(……付き人の二人は商人違って理性的なようだ)


 今やどちらの立場が悪くなっているのか理解しているのだろう、騒ぎ立てる商人とはちが他のふたりはそろって口を閉ざしたまま事の成り行きを窺っている。あの二人が戦う気を見せなければ。、いずれ事態は収集出来るだろう。

 話し合いで済まない状況であれば割って入るつもりだったが、その必要はなさそうだと屋敷へと踵を返す名無。


「この低脳共が!! 良いだろう……貴様達が非を認めないというなら、それ相応の報いを受けさせてやる――『昇り立つ火の峠(ヴォルカ・ベル・イア)』!」


 名無が安堵したのも束の間、商人は怒号と共に暴挙にでる。

 商人の魔法は最大威力を引き出す完全詠唱では無かったが、近くの店に放った下級は見る見るうちにテンポと店の商品を焼き上げていった。


「何をぼさっとしている。お前達もやるんだ! いったい何のために高い金を払ってやってると思ってるんだ。さあ、この街の馬鹿共に身の程を分からせてやれ!!」


 頭に血が上りきった商人の師事に不機微との二人は困惑した表情を浮かべながらも、携えていた剣を抜き戦闘態勢に入る。


(どの世界にも道理が通じない輩はいる者だな)


 もうこれ以上は野放しにしておくことは出来ない。下手に被害が広がってしまう前に鎮圧しようと駆け出そうとする名無だったが、予想もしなかった相手に右腕を捕まれ動きを止めてしまう名無。


「なぜ止め――」


 名無を引き留めたのは隣で不安そうに騒ぎを見ていたルルカだった。名無であればルルカに手を捕まれようと即座に振りほどくことが出来る。しかし、それが出来ないばかりが体感するルルカの力に名無は困惑せざるおえなかった。

 自分の腕を掴むルルカの力が華奢な身体には不釣り合いな程に強い物だったからだ。


(この腕力、人間の彼女がドワーフよりも強い筈が……魔法による肉体強化? いや違う、これは……っ!)


 魔法による強化も無しに見せるルルカの異常な腕力もそうだが、名無はもう一つの異常に気付く。


(……悲鳴が、上がらない?)


 聞こえているのは今も身勝手な罵声をあげる商人の声と、魔法と剣による破壊音だけ。

 ついさっきまでは不安に嘔吐く少女の声と泣きじゃくる我が子を宥める母親の声。そして商人達に制止を促していた憲兵の声に、気の毒そうに声を潜め成り行きを見ていた周りの話し声……その一切が聞こえなかった。

 まして、暴動を起こした商人とは別に外から来た行商人達の声すらも。


「は、離せ! 離さんか、小娘っ!?」


「エルマリア様の、為に……エルマリア様の為に……」


「くっ、こいつら何なんだ。様子がおかしいぞ!」


「くそ、何なんだこの馬鹿力は!?」


 ルルカ以外の者達はすでに商人だけで無く他の二人にも掴みかかっていた。数秒、名無が眼を離した間に周囲にいた住人達が三人に群がっていく。彼等ももがいて抵抗してはいたが、振りほどく事ができないでいた。


「止めるんだ!」


 ルルカをだけでなく、暴動にはしった商人達以外の全員が一人の例外もなく目から意志という光を失っていた。表情もなく感情もなく、ひたすら三人の元へ向かっていく。


「少し手荒くなるが許してくれ」


 細い腕に見合わなむ怪力を発揮するルルカの腕を力ずくで解こうとする名無だったが、それよりも早く他の住人達が名無に飛びついて自由を奪っていく。信じられないことに全員がルルカと同じように異常な膂力を発揮してだ。


「ぐっ、下手に抵抗すれば彼女達を傷つけてしまうか。だが――」


「こうなったら魔法で吹き飛ばして――がっ!」


「おい、どうし――おぶっ!?」


 様子が豹変しようともルルカ達を傷つけるわけにはいかない状況の中、三人に群がっている住人対の拳が、手に持っている道具が、道端に転がっている石すらも掴んで情け容赦ない凶器として男達の身に降りかかる。


「た、たすけ――ごふっ、あがっ!! ぐぅんっ!?」


「待て、それ以上は――」


 悲鳴を上げ藻掻き苦しむ商人達を助ける為に魔法を発動させようとする名無。しかし、それは発動することなかった。


「これは封印魔法の……いったいいつの間に」


 名無の眼に入ったのは自分の足下――街全体に展開されている封印魔法の魔法陣。この中では如何に強力な魔法であろと、対象者は魔力を封じられ魔法を使うことが出来ない。 名無や魔法騎士の上位階級であれば可能なのだろうが、個人で街全体という規模で展開できる訳がない。つまり意識はなくとも豹変した住人達が総出で発動させていることになる。

 意識がないというのに、統一された様に動くルルカ達。これも『魅了』の効果であるというなら……名無の予想も認識も甘すぎたと言わざるおえなかった。



『エルマリア様の為に、エルマリア様の為に、あの方の想い……護る、エルマリア様、エルマリア様、エルマリア様の、二人の……、残す為に……、続ける為……は、エルマリア様エルマリア様エルマリア様エルマリア様エルマリア様エルマリア様エルマリア様エルマリア様エルマリア様――』



 時間にしてみれば数秒。だが、老人も、若者も、子供も。男も女も関係なく《輪外者》に引けを取らない腕力で全身を滅多打ちにされてしまった商人達。

 殴りつけられた顔はすでに元の顔が分からない程に変形し、腕や足の骨も折れている……もはや息も満足にできないだろう。

 そして、不気味な静寂に包まれていた筈の街には名無の失態を嘲笑うかのように鈍く濁った音は奏でられ続け……



「「「…………………………」」」



 三人の悲鳴は途切れ、辺り一帯に終わりを告げる静寂が残る。


「おい、早く全員で水魔法を唱えて火を消せ!! 他の店にも飛び移っちまうぞ!!」


「なんでいきなり火の手なんか上がってんだ。おい、子供達を安全な場所まで離れさせろ!」


「こっちも手を貸してくれ、また喧嘩で死んだ者達がいる! お前は詰め所にいって他の者達を読んできてくれ」


「分かった、すぐに応援を連れて戻ってくる。それまで頼んだぞ!」


 しかし、その余韻に浸る間も無く無音の異常は騒がしい日常に立ち戻った。


「火事だけでなく喧嘩騒ぎまで……治安が良いと答えておきながら申し訳ありません。ですがお気になさらず。後の事は街の方々や憲兵の皆さんが対処してくれますので、今は屋敷に戻ってレラ様にお茶を振るいましょう」


「…………っ…………」


 名無の眼に映るのは数分前まで身を置いていた光景。

 それは見間違いようのない違いであり、歪さであり、誰の眼に映っているはずの不浄。

 自らの手で殺めた者達の返り血で汚れた自分自身の姿に何の疑問も感じず、火事騒ぎや無残な死体に変わり果てた商人達の姿に顔を硬くするも、我関せずと行き交う者達の姿。

 そして猟奇的とも言える行動を一切覚えていないだけでなく、名残の返り血で衣服を汚していながら、自分達の言動が事の原因を排除してしまっていながら、その事実さえも微塵もおかしいと思わず何ら変わらない活気と平穏な謳歌する人々で溢れるシャルアの日常だった。


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