信用ではなく信頼を(2)


 高い天井にシャンデリアのような魔具が幾つも下がる食間で、名無とレラはエルマリアと食後の紅茶に舌鼓をうっていた。


「食事の方はどうだったかしら? 専門のシェフがいるわけではないから、ふだんからエイシャ達に作ってもらっているのだけど」


「凄く美味しかったです、特にお野菜がたくさん入ったスープがとても」


「気に入ってくれたみたいで良かったわ」


 出された食事は豪勢な物ではあったが、華やかさと言うよりも手が込んでいるといった意味合いの方が強かった。レラが気に入った具沢山なスープや色鮮やかなサラダ、蒸したり焼いたりと色々な工夫が一目で分かる魚と肉料理の数々。

 明確な目的や目的地が無い放浪の旅では、日持ちする物や採取や狩猟などの現地調達で食事を賄うことになる。レラが手持ちの調味料等を上手く使って、ちゃんとした物を出してくれるので名無も食事その物に不満は無い。

 だが、毎回空腹を満たす量を口に出来るかと言えばそうではない。毎日違う物が食べられる訳では無い。そう言った点に関してはやはり、持てなされた品々には敵わないのだ。


「ナナキ君はどう? 嫌いな物は無かったかしら」


「嫌いな物を見付ける方が難しい位だった、不満は無い」


 二人の答えにエルマリアの口元に柔らかい笑みが浮かぶ、それは部屋の片隅で待機しているエイシャ達も同じようで自分達の持てなしが成功をした事に安堵している様だった。


「ただ、俺達を屋敷に招いた本当の理由を教えて欲しい。レラはともかく俺は人間で、それも男だ。人に良心的な対応を取れると言っても、あったばかりの人間を優遇する事で貴女が何か得られるとは思えない」


 不躾な問いかけと分かってはいても、口にした質問は今後の行動を決める為には必要不可欠な物だ。エルマリアの答え次第で自分達は今ここで彼女と彼女のメイド達と敵対する事になるかもしれない……争う気が無かったとしても。


「差し支えないなら答えて欲しい」


「そうね、食事も済んで後は休むだけですもの。子供に聞かせる寝物語と言う訳では無いけど、休む前に屋敷に招いた理由を教えてあげましょう」


 ティーカップを置き、小さく右手を挙げるエルマリア。彼女の動きを見て側で待機していたエイシャ達は静かに一礼して部屋を出て行った。


「安心して、あの子達を仕事に戻らせただけよ。貴方達の部屋のベッドメイキングに、食器の片付け、あしたの朝食の下拵え。やる事は沢山あるのよ、やって貰っている私が言えたことでは無いのだけれどね」


 いなくなったエイシャ達に無意識、というよりはほぼ反射的に眼を向けた名無。そんな彼の心を見透かしたかのようにエルマリアは敵意は無いと名無を窘める。


「それじゃあ私の無実を証明する為のお話しをしましょう……と、由々しく言ってみたけれど何かを企んで貴方達を招いた訳では無いの。私が貴方達を招いた理由は二つあるわ」


「それは?」


「まず一つ目の理由だけれど、そうね……貴方達が私を幸せな気持ちにしてくれた事へのお礼かしらね」


 エルマリアのお礼という言葉に思い当たる節がかった二人は互いに戸惑った顔を向けあう。


「……俺達は何かしたつもりは無いんだが、貴女を幸せな気持ちにしたというのは?」


「正確には貴方達を見て自分の若い頃を思い出した……そう言った方が良いかもしれないわね」


 勿体ぶっているとは違うエルマリアのゆったりした口調から悪い物は感じられない。気を張った様子も微塵もなく、本当に名無が危険視するような理由では無いのだろう。だが、次いで語られた言葉は言葉の通り、警戒を続ける名無だけでなくレラも巻き込んだものだった。





「貴方達を見て年甲斐もなく胸が熱くなったわ、まさか私と私の夫のように魔族と人間の夫婦に会えるなんて思ってもいなかったんですもの」





「「っ!?」」


 危険視するようなものでは無かったが、思いもしなかった理由に二人は揃って手に持っているカップを落としそうになる。


「あら、何か変な事を言ったかしら?」


「いや、何故そう思ったのか分からないが、俺とレラはそう言った関係では無いんだ」


「そう、ごめんなさいね。私ったら少し先走っちゃったみたい、まだ恋人関係なのね」


「い、いえ! そ、そういう訳でもなくてですね……」


「夫婦でも恋人でも無いなら……ああ、本当にごめんなさい。深く聞くようなものではなかったわ」


 要領を得ない二人の返事に眉を寄せるエルマリアだったが、何か納得したように手を叩く。


「お互いに気になってはいるけど、中々先に進めなくてやきもきするような甘酸っぱい時期なのね。まだ若いつもりだったのだけど、察しが悪くなったのは年を取ったと言う事なのかしら」


 名無もレラもエルマリアの誤解を解こうと正直に答えたのだが、彼女にはどうしても二人がそう言った関係に見えるらしい。しかし、よくよく考えればその思い込まれても納得出来てしまう物だ。

 人間と魔族という種族の問題は別にしても、親しくない男女が一緒に旅をする事もそうだが、大岩で間を仕切っているとは言え無防備に水浴びが出来るはずが無い。そして、本能的にエルマリアに危険を感じた時、名無は迷うこと無くレラを抱き抱え彼女を護る為に剣を抜いた。

 止めとばかりに二人一部屋という扱いを受けても、断ることも嫌がる素振りも一切見せない。そんな姿を見せては二人の間に何も無いと考える方が不自然だろう。


(参ったな……こんな時は、いったいどう答えれば理解してくれるんだ?)


 どう誤解を解いたものかと内心困り顔でレラに眼を向ける名無。


「――――っ!?」


 しかし、眼が合った瞬間に慌てて顔を俯かせるレラ。名無としては助けを求めただけだったのだが、今は逆効果だったようだ。


「ふふ、これ以上は聞かない方が良いかしら?」


「……ああ、そうしてくれるとありがたい」


 自分はともかくレラの方が持ちそうにない。からかっているわけでは無いのだろうが、どことなく楽しそうに微笑むエルマリアに名無は小さな溜め息をこぼした。


「それで、二つ目の理由は?」


 この手の話となると経験の無い自分ではどうしようもない、頼みの綱だったはずのレラも色恋話には疎いようだ……むしろ、疎いからこそ過剰に反応してしまっている。

 耳まで赤くして俯いているレラを助ける為にも話題を逸らすと言うより、脱線してしまった話を戻そうとエルマリアに問いかける名無。


「二つ目の理由だけど……ごめんなさい、二つ目に関してはまだ答えてあげられないわ」


「それは、俺が――」


「ナナキ君がどうこうと言うわけではないの。答えられないと言ったてまえ言いにくいのだけど、純粋に私個人の事情ね。先に言っておくけれど種族間の問題でもないし、貴方達に危害を加えるつもりもないから安心してちょうだい」


「……レラに心色を確認してもらう事は?」


「ええ、構わないわよ。と言うよりレラちゃんがいなかったら、どうすれば良いか困ってしまう状況じゃないかしら」


「……そ、それじゃ……」


 あっけらかんとした様子でエルマリアはレラに左手を差し出す。

 レラもエルマリアのあまりにもあっさりとした反応に戸惑いながらも席を立ち、遠慮がちに彼女の手に触れる。


「白です、エルマリアさんは嘘を吐いてません」


 まだ二つ目の理由を答える事が出来ないと言われた事に戸惑ってはいるものの、何一つ嘘を吐いていない色が見えた事でレラの表情が幾分か和らぐ。安堵ともにエルマリアの手を離そうとしたレラだったが、レラが手を離すよりも先にエルマリアがレラの手を握りしめる。


「あ、あの……」


「心配しないで、まだ聞きたい事があるのでしょう? 何を聞きたいのかは大体予想が付いてるわ。それについて話をしてしまうから」


 その方が効率が良いでしょ、と名無に黒の双眸を向けるエルマリア。心の色を見られる事は同じ魔族でもあまり良いものではない……筈なのだが、彼女の顔に不満や不安は一切無かった。


「ナナキ君はもう気付いていると思うけど、こうして何気なく話をしている間も彼方には私の吸血鬼としての力が作用しているわ。それは自覚出来ているわよね?」


「ああ、この部屋に入ってすぐに貴女を視認した瞬間からだ。湖では背筋がざわついた、今はざわつきはしないが妙な違和感を感じている。レラにも確認を取ったが精神に作用するものなのだろう」


「ええ、彼方が感じている違和感の原因は私達吸血鬼が持つ『魅了』なの。これは私達の肉体その物が放つ精神支配の力ね」


 この世界においても吸血鬼と呼ばれる種は、性別に関係なく類い希無い美貌を持っている。吸血鬼が持つ『魅了』とは、その優れた姿形が放つ蠱惑的な美しさが魔力によって他者の欲望を刺激し操作できる程に誇張された魅力その物。

 それも本人達が精神操作を受けているという事実を知られずに、強制的な敬愛を抱かる事が出来る程の精神干渉。


「誤解が無いように言っておくけど、この力は自分の意志で操作出来るものでは無いわ。基本的に魔族が持つ特殊能力はその類ね、レラちゃんも制御が出来るわけではないでしょ?」


「は、はい。でも、私の力は相手に触れるかどうかなので……出来ると言えば出来るといった感じだと思います」


「相手に触れるという行為に対して選択の意志がある……そう考えれば確かにレラちゃんの言う通りかもしれないわね。けれど、私や他の吸血鬼達の場合は違うの。私達の姿を見た者は人間であれ魔族であれ、その瞬間に『魅了』の力に取り込まれてしまう。この街の人間のようにね」


 一目見ただけで精神を支配できる吸血鬼特有の特殊能力『魅了』。

 初見殺し以外の何物でも無いその力を持っているからこそ、たった一人の魔族であるエルマリアが一万を超える人間を統治出来ている最大の理由。屋敷だけでなく街の人間がレラにも危害を加えることは無い言ったエイシャの発言にも説明が付く。

 しかし同時に、名無に疑問がわき上がる。

 それは、どうして自分とレラに彼女の特殊能力が通じていないのかという事実。正確に言えば名無には少なからず『魅了』の影響は現れているが、レラにはそれが無かった。もしエルマリアの言う無自覚の支配に蝕まれていたなら、マクスウェルがそれに気付かないはずがない。

 まして、害意が無いとは言えエルマリアの真意を見定めるようと彼女に疑いを向ける名無の頼みを、支配下に置かれているレラが抵抗なく受け入れる事も無かったはずだ。

 現にエルマリアの一番近くで彼女の姿と心の色を見ている状態だが、話を合わせるような素振りもなく至って普段通りの様子を見せている。

 人間であれ魔族であれ支配下に置かれる、その言葉に嘘はないだろうし男も女も関係なく『魅了』の影響を受けることも今の話で本当の事だと簡単に予想が付く。

 だが、能力の発動条件と効果かからして自分達がエルマリアに魅了されていないと自覚出来ている理由だけが名無にはどうしても分からなかった。


「俺は多少影響を受けているが、それでも俺達は貴女の『魅了』が効いていないんだ?」


「ごめんなさい、二つ目の理由とは別にその質問には答えられないわ。私達の『魅了』も決して対処法が無いわけではないし、今はナナキ君以外の人間に対する自衛の為と思ってくれると嬉しいのだけど」


「俺も武器の携帯を許してもらっている身だ、貴女自身の安全対策に不満を言うつもりはない」


「ありがとう、そう言ってくれると助かるわ。答えられなかった質問の代わりにはならないと思うけど、他に聞きたいことはあるかしら? 答えられるものであれば答えてあげる」


「…………いや、大丈夫だ」


 自分達を屋敷に招いた理由、街の人間との関係、能力の制限。どれも中途半端な返答ではあったが、確かめなくてはならない事は聞くことが出来た。少なくても差し迫った危険が降りかかる事は無い、それが分かっただけでも充分な収穫と言える。

 不用意な詮索を続けてエルマリアの心証を悪くしてしまっては本末転倒、引き際を見誤るわけにはいかない。


「そう、なら今日は此処までにしておきましょう。旅の疲れもあったでしょうに、年寄りの暇つぶしに付き合わせてしまってごめんなさい。後は部屋でゆっくりしてちょうだい」


「ああ、お言葉に甘えて先に失礼させて貰う事にする」


 今日の歓談は此処までと三人はぬるくなり始めていた紅茶を飲み干し、エルマリアに見送られながら名無とレラは部屋へと戻るのだった。





「マクスウェル、お前はどう思う?」


『マスターやレラ様と会話をしている最中でも、特にヴァルファール氏のバイタルに変化は見られませんでした』


 エルマリアとの対話を終え、名無とレラは宛がわれた部屋へと戻ってきていた。時間にして約一時間半。食事から雑談を含めれば、そう長くは無い時間で見聞きした彼女の様子を灯りが消えた部屋の窓辺から見える庭園を眼に映しながら、名無はエルマリアの動向についてマクスウェルと議論していた。


『湖で得られたバイタルデータと比べてみても、然程違いは見られませんでした。身体的症状だけで考えればヴァルファール氏はマスター達に嘘は吐いていません。ですが……』


「試されている、のかもしれないな」


 エルマリアは自分が疑問に感じた事全てに答えてくれた、それも明かす事が出来るものと出来ないものを明言してだ。口にした情報が正しい物のなのかと判断する前にに、あちらから正否を示されては考える暇も無い。

 もちろん、聞く事が出来た情報全てが嘘であるならなにかしろ対策を取らなくてはならない。が、レラとマクスウェルのおかげで彼女の発言が虚偽ではない事が証明された。つまり、自分は無理をして探りを入れる必要が無い状況に置かれてしまった事になる。


「俺を騙す気なら、薄々気付かれていると分かっていても『魅了』の事は伏せておくべきだ。まして対処方法があるという情報も……それをしなかったと言う事は」


『マスターの信頼を得る為、でしょうか?』


「同時に俺が信頼出来る相手なのか、もな」


 たとえ相手にどんな思惑があっても、差し出された手を握る位の事が出来なくては疑心暗鬼に陥り続ける。そんな状態が続けば些細なきっかけで不必要な争いが起きてしまうのは眼に見えている、ならば早い段階からお互いの目的と立ち位置を明確にして行動することを選んだ方が賢明だ。

 強い者こそが正しく絶対であり、弱き者はただ従う。

 この公然たる事実がより顕在的なものである世界において、シャルアはルクイ村よりも顕著にその構図を体現している。

 異なる点があるとすれば、この街の在り方だ、街の人口比比率は一対一万弱。言うまでもなく一がエルマリア、万が屋敷のメイド達や街の人間。

 本来であれば蔑視される側のたった一人の魔族が人口密度、魔法の使用制限という不利な条件を持ちながらも人間達を統治している。

 話せた時間はそう長くはないが口調や表情だけでなく物腰も柔らかい、見ず知らずの相手にも親身になれる奥ゆかしさをもったエルマリアがそれをしている時点で歪さを感じざるおえないが……彼女が話さなかった事情がこの街の在り方を作っているのかも知れない。

 そして、自分達を思い破格の待遇を提供する事で確かめようとしているのだろう。

 秘密はある、話せないこともある、それでも敵であるかも知れない相手の言葉を信じる。私にはそれが出来ると可能な限りの援助でエルマリアは示し、同時に自分がエルマリアを信じる事が出来るのかを見定めている。

 そうでなければレラの力を苦も無く受け入れる事も、駆け引きのしようがない交渉に持ち込むこともしないはずだ。


(レラの力、マクスウェルの生体スキャン。たとえ二人の判断がなかったとしても、俺は彼女の言葉を信じたい。だが……)


『――ヴァルファール氏を信頼出来る方だと判断するには早計だと思われます、それはマスターも分かっているのでは?』


 マクスウェルは名無の迷いをくみ取り、全く淀みの無い声で胸の内で揺らめく主の淡い期待をきっぱりと否定した。

 それは機械であるが為、と言うだけでは無い。本当にエルマリアが名無を試し信を預けるに相応しい相手か見定めているのなら――あと一つ。歓談の場で名無とレラに明かさなくてはならない事柄があった。


『正確な座標確認が出来ませんので絶対とは言えません。が、ここ一週間ほどの移動記録を元に位置関係を演算しました。その結果からすると直線距離で約二百キロ、ワタシ達が今滞在しているシャルアは広大な草原と二つの山を挟み、ルクイ村とほぼ直線上に位置します。この街に来るまでの道程において他の集落を発見することは出来ませんでした。おそらく、唯一ルクイ村の近辺にある街です。あの拠点に残っていた物資の量からしても彼等はシャルアに立ち寄っている可能性は大きい――そして、この街の在り方を見たなら何も行わないはずがない』


「……………」


 マクスウェルの言う彼等とは、ルクイ村を襲撃したマリスが率いた魔法騎士の一団の事である。名無は魔族に味方する出来損ないの人間として奇異され、聞くに堪えない醜悪な思想と共に剣を向けられた。

 結果的には名無の勝利で終わったが、この街は間違いなく彼等の琴線に触れる。しかし、シャルアにマリス達による暴虐の爪痕は何一つ無い。


『ワタシが確認した限り彼等が来た形跡はありませんでした。結果だけで言えば、ワタシの考えすぎと言う事も否定出来ませんが……マスターはどう思われますか?』


「……難しいな、お前が行った通り奴等がこの街に立ち寄った可能性は大きい。だが、それを決定づける物も情報もない。俺に言えるのは彼女は間違いなく強い。だが、争いを好むような人物じゃないと言うことだけだ」


 自身の血と影を自在に操る能力、そして魅了という初見殺しに近い能力。その力でどれだけのことが出来るのかにもよるが、吸血鬼である事を考えてもエルマリアは魔族の中でも戦闘に特化した存在だろう。そこに精神干渉の能力もとなると略奪した魔法騎士達の力を扱えるとは言え、制限を掛けた自分では分が悪いかもしれない。

 とは言え、あくまで戦う事になればの話だ。だが同時にマクスウェルの思考演算も無視できないのもまた事実。


「あちらに敵意が無いことが今の状況を保っているといったところか……しかし、何が起きるか分からないのはお前の言う通りだ」


『では、可能な限り先手を打ちましょう。試されているというのであれば受け身に回るのも拙いでしょう、旅の準備を整えるだけでなく街の構造を確認する上でも迅速な行動が必要です。これなら物資補給という最重要目的を達成すると同時にヴァルファール氏、ひいては街の人間達がどう動いてくるかも確認出来ます』


「ああ、そうしよう。レラ、済まないが今話した通り……」


 明日は早めに起床し街へくり出すそうと考える名無だったが、それは出来そうになかった。


「…………すぅ…………すぅ…………」


 振り返った直後、名無が見たのは椅子の背もたれに身体を預け、いつの間にか寝入ってしまったレラの姿。小さく静かに繰り返される規則正しい呼吸が、レラの眠りが深いものである事を教えてくれる。


『レラ様の体力を考えての移動でしたが、やはり疲れが溜まっていたのでしょう。この屋敷に招かれてからも、ずっと気を張り続けていたようですから…………どうしますか、マスター?』


 強行軍では無かったとは言え、ルクイ村からシャルアまでの距離はかなりの物である。《輪外者》の名無は特に疲労の蓄積も無く歩き続けれるペースではあった。しかし、充分な休息を取りながらでもレラには大変な道程だっただろう。

 如何に名無達と一緒だと言っても、村の外の事を知らない少女が見知らぬ外の世界へ飛び出したのだ。それは生半可な気持ちで出来る事では無い、体力だけで無くレラ自身も気付かないうちに気持ちを張り詰め続け周りの変化に神経をすり切らしていたはずだ。

 完全に心安まるとは言えない街ではあるが、名無達に気付かせない様にと溜め込んだ疲れが此処に来て出てしまったのだろう。しばらくぶりしっかりとした休息を得られると分かって気が抜け、心地よい環境と満たされた食欲が引き寄せた睡魔に負けてしまっても仕方が無い事である。


「レラの体調が万全になるまで、この街に留まろう。この先、こういった機会があるとは限らない」


『イエス、マスター。では、レラ様をベッドへ。比べるまでも無くその方が体力を回復出来ますので』


「ああ」


 このまま寝かせてしまうとドレスに皺が付いてしまうが、気持ちよさそうに眠っているレラを見ると起こしてしまうのは忍びない。ドレスの事は後でちゃんと謝ることにしよう。


「ん…………、…………すぅ……すぅ…………」


 眠るレラを起こさないよう優しく抱き抱え、天蓋付きのベッドへ運ぶ名無。寝苦しくないよう首元を飾るリボンは外し、シーツをかけ……名無は苦笑を溢す。


「君を巻き込んでしまった俺が言えたことじゃないが……今はゆっくり休んでくれ」


 レラの安らかな寝顔に今日という一日の終わりを実感し、名無も礼服のまま椅子に腰を下ろし背もたれに背を預ける。


(彼女が何を思って俺達に良くしてくれているのかは分からない。けれど、きっと今度は俺の番と言う事なのだろう)


 グノーやガロがレラを預けてくれたように、真っ直ぐに自分と向き合ってくれるレラのように、今度は自分がエルマリアの良心を信じ応える番なのだ。


(それが『信頼』と言えるもののはずだ)


 エルマリアが隠す秘密、語らなかった事実。彼女との間にある問題から眼を逸らしただ信用(しんじる)のでは無く、不可解な疑問を感じたとしても、それら全てを含めて差し出された手を握る――エルマリアなら大丈夫だと。

 何の根拠もない感情論かもしれないが、不思議と不安はない。


(生き延びるために敵意を向け合うのではなく、手を取り合うために真意を探り合う……こんな戦い方は初めてだ)


 刃を持たず、血も流さず、敵意ではなく敬意をもって語り合い、互いに信頼を勝ち取るための戦い。今まで感じた事の無いむず痒さを胸に名無は静かに瞼を閉じた。




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