05  ありのままに(2)



 彼女の言葉に場が静まりかえる。


「…………………………? こ、声小さかったですか? あ、あの私も一緒に――」


「大丈夫だ、ちゃんと聞き取れた。だが、少し待ってくれ」


 数秒の沈黙の後、レラは慌てて同じ言葉を繰り返そうとしたが、言い切る前に名無はそれを制した。レラの唐突過ぎるお願いに名無が戸惑い、幾ばくかの猶予を求めてしまうのも無理は無い。


「君は自分が何を言ったのか分かっているのか? 俺に付いてきても意味は無い、むしろ危険なだけだ。村長、どうして彼女を説得してくれなかったんだ!」


「説得しなかったのではない、説得できんかったんじゃよ」


「なっ……」


「儂も心底驚いておるよ、レラがこんな事を言い出すとは思っとらんかったからのう」

 やれやれと大きく気を吐き、ガロはこんな状態になってしまった事に首を振った。





『――ナナキさんと一緒に旅をしたいです』


『レ、レラ! あいつに付いていくって気は確かなの!!』


『ミリィの言う通りだよ、村長達だってそう思うよね!?』


『……グノー』


『さすがの君でも混乱しちゃうのは分かるけど、ボクに聞く意味は無いよぉ。ボクはレラのしたいようにすれば良いと思ってるから……でも、そうしたい理由くらいは聞かせて欲しいなぁ』


 レラは自分の口走った言葉に四者三様の反応を見せられるも、グノーの理解ある態度に幾らか安心したような表情を浮かべる。


『ナナキさんは私を、村のみんなを助けてくれました。何か、何か私に出来る事でお礼がしたくて……』


『それが旅とは、お前さんらしいと言えばらしいが』


『でもぉ、それだけじゃ無いでしょ?』


『……ナナキさんが一人になってしまうかもしれないからです』


 明るくなった表情はすぐに消え、打ちひしがれたように視線を落とすレラ。だが、そのまま黙り込むことは無く言葉を続けていく。


『ナナキさんは私達を助けてくれました。なのに、それを自分の我が儘だって、自己満足だって言って、一人で辛いことを抱え込もうとしてる……そんな気がしたんです』


 自分を救ってくれた事も、村のみんなを護ってくれた事も、本当に彼が彼自身のためにしたことなのだと思う。でもそれは、誰かが傷つき悲しむ姿を見たくなかったから。


『それに村長やミリィちゃん、リーザさん達でもあの人間達には勝てなかった。なら、その人達を返り討ちにしたのは誰なんだろうってなると思うんです。そうなったら何時かはその犯人がナナキさんなんだって分かってしまうんじゃないでしょうか』


 ガロやミリィ達の様に人間と戦える魔族は確かに居る。だが、隠れ里という小規模な集落に《異名騎士》が率いる部隊を返り討ちにすることが出来る力を持った者がいるなど滅多に無い。

 するとレラが言った通り誰がマリス達を返り討ちにしたのかと言う話になる。

 順当に考えれば魔族で無いなら人間、それも自らの意志で同族殺しという禁忌を侵した裏切り者。状況証拠でしか判断できないが、余計な情報に振り回されること無く何れ名無へと辿りつくだろう。


『ただ護ってくれただけじゃ無くて、人間達の悪意が私達から自分に向くように戦ってくれた。それに私達を巻き込まないように一人になろうとしてる』


 誰かの為に一人になる、孤独である事を選ぶ……それが自分の為になるのだと言い聞かせて。

 それはどれだけ辛いだろう、どれだけ恐いだろう……戦いが何もかも終わってしまった時に見た彼はそれを泣いて耐えていた様に見えた。今にも消えてしまいそだった彼の姿を思い出すだけで、胸が締め付けられる、苦しくてたまらない。

 胸の奥に重くのし掛かる鈍い痛みに耐え、レラは下げてしまった視線を上げガロ達を金の瞳に映した。


『あの人だって本当は苦しいはずなのに、ナナキさんだけそんな目に遭うなんて、そんなの……嫌だって思ったんです』


 彼女の瞳には自身が口にした道程の苦難に怯えながらも、進むことを選んだ揺るがない決意が灯っていた。


『色々言いたい事はあるけど、ナナキ君が心配だから付いていくって事だよねぇ?』


『はい、そうしたいんです』


『レラが優しいのは知ってるけど、そんな理由であいつに付いていくなんてあたしは反対よ、絶対に反対!!』


『私も反対。人間と魔族が一緒にいるって、それだけでも悪目立ちしちゃうもん!』


 やはりと言うべきかミリィとリーザはレラの言葉に反対の姿勢を見せる。だが、それは名無を敵視しているからでは決して無い。純粋に彼女の身を案じているからだ。二人は自分達側であろうガロにレラを説得するよう視線を向ける。


『……むぅ……』


 そして、その視線にガロは苦い表情を浮かべた。





「――儂だけで無く、ミリィ達でも説得出来なかったのじゃよ。お主が説得してくれればと期待しとったんじゃが……その様子だと出来そうに無いのう。すまんが、レラも連れて行ってやってくれんか? 身よりもおらんし、何よりその子の意志を尊重したい」


「だからと言ってレラが俺と一緒に旅をする理由にはならないはずだ」


「あ、あります。ナナキさんと一緒に旅をする理由、ちゃんとあります!」


 すでにレラが自分に同行することを納得してしまっているガロに異議を唱える名無だったが、レラは慌てて名無の前に歩み出る。


「恐いからです、何も出来ないまま死んでしまう事が」


 彼女が口に出したのは名無の反論を問答無用で押させ込めるものだった。そんな話の切り出し方は卑劣だと分かってはいても、レラは引き下がる事はしなかった。


「ナナキさんは蘇生魔法を使ったのが、私が初めてだって言ってましたよね?」


「ああ」


「どんなに離れても大丈夫だとも言ってくれました。で、でも……本当に何も心配しなくてもいい、大丈夫だって思えなくて、凄く恐くて」


 能力や魔法に限らず、予想外の事態が起きてしまうのが世界の共通認識の一つである。

 名無がこの異世界に来てしまったのが例の一つに挙げることが出来る以上、距離的な問題、能力による命の安定的な共有にも何かしろ障害が発生してしまうかもしれない。しかし、レラの不安はそれに限ったことでは無かった。

 レラは【死】がどういうモノなのかを知ってしまっている。

 剣に貫かれる痛み、流れで血の光景、時間と共に冷たくなっていく身体の感触。死の間際まで自覚できてしまう終わりはそれだけで充分以上に恐怖だ。そして今、レラが怯える死の形もまた不条理に満ちているのだ。

 名無が死ねばレラも死ぬ。それは何の痛みも感じずに、何の前触れも無く死ぬことを意味している。考え方によっては苦しむこと無く死ねる分、幸せな死に方だと言う者もいるだろう。

 だが、眼を覚ました次の瞬間、食事を取ろうとした次の瞬間、親しい相手と話をしようとした次の瞬間、眠りについた次の瞬間に死ぬかも知れない。何時訪れるかも分からない死に防衛手段を講じることは出来ない、何も出来ないまま命の火が消える。

 それは生きようと抵抗する意志すら意味を持たないと同義。レラが身を持って知った死よりも惨い最後だ。


「死ぬと言う事がどういうことなのか知ってしまってから……ずっと怖くて」


 死して途切れたはずの意識がソレを思い出してしまい、か細い肩を震わせるレラ。しかし、止まりそうに無かった震えはゆっくりとではあったが確実に治まった。


「でも、ナナキさんと一緒に旅をして自分の最後を迎えることになっても……その最後の瞬間を見ることが出来るなら……怖くても恐くは無いって思えたんです。だから、お願いします。私を一緒に連れて行って下さい」


「君が付いてくることを望んでも、俺はもう……」


「良いんです」


 誰かの為には戦えない、そう名無が口にする前にレラは名無の右手を取った。


「誰かの為じゃ無くて良いんです、自分の為に戦ったり逃げたりして良いんです。私がナナキさんと一緒に旅がしたいのだって、私自身のためなんですよ」


「………………」


 今の言葉がレラの嘘偽りの無い本心だと言う事は分かった、そして同時に自分の為を思って出た建前である事も。そうだと分かっていながら、名無はレラの言葉を遮ることが出来なかった。


「誰だって自分の為に生きていると思います。そうやって生きて、誰かの助けに繋がった……それだって誰かの為にって言えるものでも良いって私は思うんです」


「自分の為に生きて、それが誰かの為に……なる」


「私がこうして生きている、それじゃ証明になりませんか?」


「ただ助けただけなら君の言う通りなのかもしれない。だが、俺が君にした事は……」


「辛いことばかりに、悪いことばかりに眼を向けないで下さい。私はナナキさんの我が儘に救われました、そのお陰でワタシは彼方の手を握る事が出来る。私を助けてくれた彼方の優しい手を……それが今の私にとって一番大切なことで嬉しいことなんです」


「………………っ」


 自分の手を握りしめるレラの手の感触と温もりに満ちたレラの微笑みに、名無は唐突にそれでいて鮮明に赤い悪夢を思い出す。

 命を落としていたら本当に辿り着いていたであろう罪科の世界。永遠に続く亡者達の嘆きと呪詛で身も心も、魂までも蝕む愚者の為だけに用意された煉獄。

 捨てることは許されない後悔をはっきりと思い出す。だがそれ以上に名無の脳裏を埋めつくしていたのは、自分の右手の中で輝いていた淡くちっぽけな光。

 ――今、右手に感じているものが自分を赤い悪夢から救い出してくれた光だったのだと断言できる。

 それでも……


「……俺は、俺の為に生きる。それしか、出来ない」


 自分を救ってくれたレラの瞼の裏に焼き付けたモノと何一つ変わらない陽だまりのような笑顔を見据え、名無はレラを突き放す為の言葉を吐いた。


「はい、どうか自分の為に生きて下さい。私も私の為に頑張ります。いつか私やナナキさんが、自分の為に生きても誰かの為になれる……胸を張ってそう言える日が来るまで、彼方と一緒に」


 返ってきたのは、巡り巡って自分が抱える矛盾と言う名の押し問答。

 自分の為だと、誰かの為には戦わないとどれだけ口にしてもその根本にあるのは自分の為になってしまう他者の幸福を願う自己満足の自己犠牲。

 そしてそれが自分の救いとなり得るのなら建前のままに救えば良い。みっともなくとも、惨めだろうと縋り付いてでも手放さなくて良い……それをレラは身を挺して伝えようとしてくれている。


「……………………君には、敵わないな」


 突き放す筈の言葉が、そのまま返ってきてしまった事で名無の強ばった表情から力が抜ける。微笑みと言うにはあまりにも淡いものを口元に浮かべて。


「そ、それじゃ……連れて行ってくれるんですか?」


 恐る恐るといった声音で聞き返すレラに名無は静かに頷き、その姿にレラは満面の笑みを咲かせた。


「あ、ありがとうございます! 私、ナナキさんのお役に立てるか分かりませんけど、一生懸命お手伝いします!!」


(礼を言うのは俺の方だろうに)


 許されなくても、救われなくてもいい……そう思っていた自分を救ってくれた。しかも救ってくれただけで無く、自己満足の為だけに旅をしようと決めた自分に付いてきてくれようとしている。

 それは酷く残酷なまでの優しさだ。だが、今はその優しさを支えに前に進もう。旅路の果てが夢に見たあの場所だったとしても。

 名無は口にすることの出来ない感謝を伝えるようにレラの手を――





「お主等、いつまでそうやって身を寄せ合っておるつもりじゃ」





「んっ?」

「えっ?」


 握り返す前に、ガロの呆れた様な声が名無とレラの耳に届く。


「番いでも恋仲でも無いのは分かっておるが、端から見れば蜜月振りを見せつけているようにしか見えんぞ?」


「つが、い? こい――っ! いえ、これはちが、違うんです!! ご、ごごごごめんなさいっ!?」


 からかうでも無く見て思ったありのままの感想を溢すガロの言葉に、レラは自分が無自覚に名無と間を息が触れ合うような距離まで詰め、必要以上にしっかりと彼の手を握りしめていた事に気付く。そこからは顔から火が出るのではないかと思わせる程に顔を赤らめ、彼女らしからぬ荒っぽさで名無の手を離し後ずさった。


「いや、俺の方こそすまなかった。君が俺を元気づけようとしてくれているのは分かっていたんだが……お互い様ということにしておこう」


 このままでは謝り謝られの繰り返しになりかねないと、名無は羞恥に俯くレラに苦笑し話の流れをやんわりと切る。


「無事に話が纏まったのなら儂は戻る、楽な旅にはならんじゃろうが……達者でのう」


 すでに一度、別れを済ませたこともありガロは後ろ髪に惹かれること無く自分の帰りを待つ村人達の元へと駆けていった。必要以上に言葉を交わさずに戻ってはいったが、それはガロなりに名無を信用していることの表れでもあった。


「さ、さあ私達も行きましょう。荷物、私の分も良いですか?」


「ああ、それなら俺が積もう」


「だ、大丈夫です! 自分で出来ますよ! あ、ありがとうございます!!」


「そうか? だが、手が必要なら遠慮無く言ってくれ」


「は、はい」


 しかし残された二人――主にレラの方がガロが何の気なしに溢した言葉に照れてしまっていた。確かに名無とレラは夫婦でも無く恋人ですら無いが、年頃の少女がその手の事を言われてしまっては意識しないわけがなかった。

 そんな心境を隠そうと、レラは待ちぼうけを食らっていた馬へと早足で近づいていく。とは言え、慌ててはいても馬への対応は適切なもので、馬を驚かせないようなるべくゆっくり近づき首の辺りをぽんぽんと優しく叩く。

 ぎこちなさを感じない触れ合いに馬の方もレラに害意が無いと理解し、そっとレラに頬をすり寄せた。

 その微笑ましい光景をみれば、これからの旅においてより良い信頼関係を築けていける事が分かる。


「………………」


 レラと馬の和やかなやり取りを静かに見守っていた名無は、不意に自分の右手に視線を落としそっと握りしめる。

 色違いの瞳が映すのは、自分の手を握ってくれたレラの小さくも柔らかな手の感触。確かに触れ合うことの出来る生者の間違いようのない命の熱。それを見つめる名無の眼には、本人でさえ滲み出ている事に気づいていない未練とまでは行かない心残りが浮かんでいた。

 それは……


「お待たせしました、ナナキさん。荷物、積み終わりました」


「わかった、それじゃ早速出発しようか」


 落ち着きを取り戻したレラの声に、名無は何事も無かったように視線を彼女に戻す。


「マクスウェル、まだ心配はいらないだろうが周囲の警戒を頼む。俺も可能な限り用心しておく」


『イエス、マスター。何かあればすぐに報告します、それまではレラ様と今後の活動方針についての確認を推奨します』


「そう言われても今の所、俺達以外の人間か魔族に出会うまでは野営をしながら歩き続ける。俺にはその位しか思いつかないんだが……レラは何か案はあるか?」


「え、えっと……あの山を見てくれますか?」


 レラはひたすら続く草原のずっと向こうに見える山の一つを指さす。かなり距離がある為、なだらかな山の稜線が見て取れる。


「山道はそんなに大変じゃないそうなんですけど、見えている山の向こうにも小さな山がもう一つあって、その山を越えた先に街があるんだよって村を出る前にグノー先生が教えてくれました」


「街か、それは人間と魔族どっちのものなんだ?」


「それがルクイ村に来る前の話らしくて……八十年も前のことだから今はどうなってるか分からないそうです」


「…………他に有力な情報もない、とりあえず今はその街を目指すことにしよう。二人もそれでかまわないか?」


 グノーにしてみれば餞別のつもりだったのだろうが、情報の鮮度としては言うまでもなく干物並にからっからだ。

 しかし、全く意味が無いわけでは無い。

 少なくても自分達のつぎの目的地とそこまでの経路が決まり、有る程度だが事前に危険を回避する準備も出来る……そう思えばだが。


「わ、私は賛成です」


『ワタシも問題ありません。現状では、これ以上の案を模索する方が難しいでしょう』


「決まりだな。歩きながらですまないが、グノー先生から聞いた話をもう少し詳しく聞かせてもらえるか?」


「はい、グノー先生の話だと二つ目の山の事で気をつけなくちゃいけない事が幾つかあって……」


 馬の手綱を引いて、名無は今後の方針についてレラと話し合いを始める。

 その姿に先ほど見せた惜しむ様子は微塵もなかった。

 しかし、名無は胸の内で思っていた。レラの手の感触が残っていた自分の手を見つめていたあの時……



 ……もう少しだけ触れていたかった、と。



 それは名無が、この異世界で初めて見せたもの。奇しくも誰の目にも止まる事の無かったそれは、慟哭に塗れた幼すぎる欲求でも、後悔で押し固められた達観から来る願望でもも無い。

 名無という少年の見せた年相応の望み(よわさ)だった。




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