気付いたモノの無意味さ(2)




「……残念だけど、手の施しようが無い。ボクに死者を蘇らせることは出来ない。魔法を自由に使えたとしても無理だ」


 静まりかえる診療所。その中の処置台の上に横たわるレラを前に、グノーは憔悴した声と共に首を振った。

 それはどれだけ科学が発達しようと、魔法が神秘に満ちた物だとしても覆す事の出来ない結果に対する降伏。


『体内血液総量、その内の五十パーセントを超える体外流出を確認。並びに脳波、心臓の完全停止――レラ様に対する処置が無いというグノー様の診断に間違いはありません』


 そしてマクスウェルの抑揚に乏しい声が、この場にいる全員にレラの死を冷たく突きつける。


『現在の状況から人間達が襲撃してきたことは明白。今はレラ様の死を悼むよりも、迅速な防衛行動を取るべきです。このまま時間を無駄にしてしまえば、他の方々もレラ様と同じ末路を辿る可能性が非常に高いかと』


「な、なんだべ! その言い草は!!」


「おめえさんも魔族だべ、何でそったら冷てえこと言うだか!?」


 マクスウェルの物言いにガザ達は怒りと戸惑いの声を上げる、彼等からして見ればマクスウェルは同族。だと言うのに、その同族の死をいとも簡単に話し流せることが信じられなかったのだろう。


『失言だったことは謝罪します。ですが、先程も言ったように今のままではルクイ村全村民が最悪の結果を迎えてしまうでしょう。それではレラ様やペペ様だけで無く、今も戦ってくれている筈のミリィ様達の行動の意味が消えてしまいます。それはアナタ方も本意でないのでは?』


「だ、だども……」


「はい、そこまで。此処はマクスウェルさんの言う通り、積極的に行動しようじゃないかぁ。実際、ボク達に残された時間は殆ど無いからねぇ」


 感情的になるガザ達と正論を持って対応するマクスウェル。噛み合っていない双方の言い合いを冷静に宥めるグノー。しかし、落ち着いた口調に反して頭の上の両耳は忙しなく動いていた。


「ペペがレラを連れてきてすぐに人間達が攻めてきた。今はガロ達が頑張ってくれてるみたいだけど……あんまりゆっくりしてられないなぁ」


 自分達に訪れるであろう暗い未来を脳裏に思い浮かべ、グノーは肩を落としながらも名無の元へ歩み寄り


「ナナキ君、君は逃げるといいよぉ」


 名無の行動を制限している魔法具に触れ解言の言葉を唱え、拘束を解くグノー。


「グノー先生、何してるだあ!」


「そいつを自由にしちまったら、おいら達……」


「この子にその気があったら、もうボク達はこうしていないよぉ。それに、ナナキ君をボク達の都合に巻き込む訳にもいかないって言うのも真っ当な魔族らしいだろう?」


「グノーさん、貴男は一体……」


「難しく考えないの、助ける事が出来る命があるなら助ける。それだけだよぉ」


 グノーは動揺するガザ達の横を通って、診療所の奧にある備品室に姿を消す。姿を消すと言っても、一分もしないうちに綺麗に畳まれた黒い布と刀身の無い一対の持ち手を両手に抱えて戻ってくる。


「はい、これはナナキ君に返しておくよぉ。ボク達が持っていても意味が無いからねぇ」


「貴男が持っていたのか」


「此処には素人に触らせちゃいけない薬が沢山だからねぇ、無いとは思うけど持ち出されないように封印系の魔法具でちゃんと管理してる。そんなボクが君の魔法具を預かってたのは当然の流れだったって話さぁ」


「………………」


 今までマクスウェルが何も気付かなかったのは魔法具の力によるものだったらしい……、名無は迷いつつも愛用していた装備を受け取り身に付ける。


「さてぇ、これでボクがしたかった事は終わり。さっきも言ったけど、ナナキ君は逃げなねぇ。君にはまだ捜し物があるんだからさぁ」


「だが、俺なら……」


 こうして自由の身となった以上、自分を魔族側の戦力として考えてくれるならグノー達にも充分な勝機はある。未だに魔法という力の全容は図れていない。だが――


「ナナキ、坊……」


 このまま村を出て行くことなど出来ない。


 そう考えを巡らせる名無だったが、レラの診察が始まってからずっと無言だったペペがグノーと入れ替わるように名無の前に立った。


「ナナキ坊、お前さんに渡してえもんがあるだ」


「俺に?」


「んだ……レラ嬢ちゃんに頼まれた、願えごとだ」


 己の不甲斐なさに涙ぐみ、強面の顔を破顔させるペペ。その顔を見ただけでレラを助けられなかった事を、ミリィ達を危地に残してきてしまった事を悔いている事が分かる。


「おら何も出来なかっただ。おらに出来んのは……ごれをお前さんにわだすごとぐれぇだ!」


 ペペは前が見えているのかも分からない顔で、懐からレラの血で汚れた言伝石を取り出し名無の手にそれを握らせる。

 すると言伝石は微かな光を灯し、今にも途切れてしまいそうな声を響かせた。


『ナナキ……さん』


「……レラ」


 それはもう覚めることの無い眠りにつく少女の、弱々しい息づかいと共に残された儚い声。

 こうして彼女の命を絶ちきった傷を見なかったとしても、言伝石に込められた声音だけで苦痛に喘ぎ苦しむ姿が容易に想像できた。



   『ごめん、なさい』


       『私は、私を助けてくれた彼方を助けることが出来ませんでした』


『出来る事なら……』


   『ちゃんとナナキさんの顔を見て、謝りたかったんですけど』


          『本当に……』


『ごめんな、さい』



 唇を動かす度に、息をする度に、見目良い顔を歪めながらも必死に懺悔の言葉を紡ぐレラの姿が。



         『私だけ……じゃなくて、村の人達にも優しくしてくれたのに』


『何の恩返しも出来てない……のに』


                    『なのに……』


               『こんなお願いをしてしまう事を……許してください』



「……謝ってばかりだな、君が俺に謝る必要なんて無いだろうに」


 言伝石が奏でるレラの声に、返事が返ってくることが無い事は分かっている。しかしそれでも、死の際に晒されながらも何度も謝っているレラの様子から、彼女が一体何を願おうとしているのか……簡単に想像できてしまう。

 この村は彼女が生まれ育った場所、愛する家族がいて、大切な友人いて。人間の脅威に怯えながらも確かにあった穏やかで暖かな時間……何物にも代えがたい掛け替えのない居場所。

 自分にソそれを護る力があるなら人間達から村と村の住人達を守って欲しい、と――


「君がそれを願うなら、俺は君の願いに応えよう。それが君に助けられた俺の果たすべき事だろうからな」


 名無は未だ明かされていない彼女の最後の願いに応えるかのように囁きを溢す。

 だが、





『――逃げてください』





 その一言は名無の予想を裏切るものだった。


「逃げ……ろ……!?」


 レラの思いがけない言葉を聞き、呆気に取られてしまう名無。

 その言葉を残した彼女も、名無を戸惑わせてしまうと分かっていたのだろう。会話として成り立たなくとも、言伝石はレラの声を再び奏でる。



『ナナキさんは優しい人、だから……きっと村の人達を護ろうとしてくれる』


         『でも、私は……彼方に逃げて欲しい』


『このお願いで、ナナキさんを……困らせてしまう事になっても』


         『彼方に気付いて……欲しくないから』  


『辛い思いを、苦しい思いをして欲しくない。だから、だから――ッ!』



 途切れ途切れでも流れていたレラの声が、濁りくぐもった音に遮られる。それは間もなく彼女の命が消えてしまうことを知らせていた。

 それでも、



『――――逃げてください、ナナキさん…………』



 心からの願いを名無に託し、言伝石はレラの死を告げるように淡い輝きを失う。


「………………」


 その場に残るのは困惑と驚愕の様相。

 名無はレラの言葉の意味が理解出来ず、ガザとブルは彼女の最後の願いに驚き、ペペはもう喋ることがままならない程の涙を流している。

 様々な感情が行き交う場で、グノーだけが達観した眼差しを浮かべていた。


「レラは、君が抱いた願いが何だったのか分かってたのかもしれないねぇ」


「それが……それがどうして俺に逃げて欲しいという願いになるんだ」


「ボクには分からない。でも、今の君なら分かるんじゃない? こうしてレラの言葉を、想いを聞くことが出来た君なら」


「今の俺なら……」


 困惑に染まる眼差しで眠るレラの顔を見つめる名無。

 彼の胸中にあるのは知りたかった物の答え(しようたい)への渇望か、それとも自分を慕ってくれていた少女の死に対する哀しみか、はたまた死の間際まで自分の事を心配してくれた少女を助けられなかった事への後悔か、あるいは少女が残した言葉に対する逡巡か…………恐らく、それら全てだろう。


(彼女は俺に逃げろと言った、それは彼女が俺の願いの本質に気付いたから。なら、彼女が残してくれた言葉に……答えがある)


 様々な感情(いろ)が入り乱れ、限りなく停滞(くろ)に近い状態に陥りながらも、名無は頭と心を必死に突き動かす……レラの想いに応える為に。



(受け入れろ、彼女が残した言葉を。その意味を)

 ――――――――【ダメダ】――――――――


(考えろ、理由を問われ口にすることが出来なかったのは何故だ?)

 ―――――――――【カンガエテシマエバ】―――――――――


(思い出せ、どうして俺は『誰かを助けたい』と願った?)

 ―――――――【キヅイテシマッタラ】―――――――



『私は、私を助けてくれた彼方を』


                         『出来る事なら……』


            『恩返し』



 ―――――――――――――――【モウ、ニドト】―――――――――――――――



        『ナナキさんは優しい人、だから……』


                     『気付いて欲しくない』


『辛い思いを、苦しい思いをして欲しくない』



 胸に抱いた願いの根幹を求める度に、それを拒めと囁きかけ思考に歯止めを掛けようとする自分がいる。


『――――逃げてください、ナナキさん…………』

【――――【誰かの為には、戦えない(モドルコトハデキナイ)】――――】


 レラの純粋なまでの温かな優しさ。

 己の胸の奥で怯えた子供のように騒ぎ立つ焦燥感。

 自分の中で相反する二つの感情の鬩ぎ合い、眼に見えない葛藤と言う名の自問自答。その決着が付いたとき、強ばっていた名無の身体から力が抜けた。


「今まで、こんな簡単なことに気付けなかったなんて…………俺は大馬鹿者だ」


 その呟きはレラが遺した言葉の意味を、自分の願いの始まりを理解した証。だが、名無の声には答えを知った驚きや喜びは無い。あったのは他の感情が入り込む余地など一切感じさせない自分自身に向ける落胆だけ。


「『誓約封書(プロメテア・リスト)』、『身体劣化(キヤパシティ・ダウン)』――解除」


 そして、落胆に続いた言葉は淡々とした音の波紋となって広がる。


『マスター・ナナキ……その選択は実現可能なだけであって正しい物ではありません』


 空しく響いた主の声に名無が何をしようとしているのか理解したマクスウェル。常に名無の側に立っていたはずの彼女が、初めて批難するような言葉を向けた。


『レラ様を思っての行動だとしても、それは彼女に取って救いとは言い切れません。むしろ――』


「分かっている。今しようとしていることが彼女の遺した願いを踏みにじる物だと言う事も、押しつけがましい物でしかない事も」


『それを分かっていながら、何故……』


「それが俺の求めていた物だったからだ、俺が今までしてきたことも全て……。だから、これで良いんだ」


『本当に、本当にその選択で宜しいのですか? まだ他に選ぶ事の出来る物もあります』


 重ね重ね止めようと語りかけるマクスウェルの言葉に名無は俯き静かに横に首を振る。その仕草は苦しげではあったが、迷いは感じられなかった。


「俺は彼女の願いに応えられない、応えられる資格も無い」


 今も少しずつ熱を失っていくレラの身体――血に染まった腹部に右手を添える名無。

「『造血促進(ブラツティ・プラス)』、『施療光包』……『共命連鎖(レゾナンス・ジェイル)』」


 再び名無は独り言のように言葉を紡ぐ。

 弱々しくも明確に、名無の口から溢れ出た音の羅列は能力の発動を意味している。しかし、グノー達には名無が何をしたのか分からず訝しげな表情を見せる。

 分かったのは死んだレラの傷を治したと言う事だけ。


「ナナキ君、今何をしたんだい?」


「しばらくすれば分かる……マクスウェル」


『……イエス、マスター』


 グノーの問いをいなすように一言だけ答え、名無はマクスウェルに触れそのまま首から外しレラのすぐ横に置く。


『……行くのですね』


「ああ」


『アナタが自分の意志で決めたのなら、その選択が揺るがない物だと言うのなら……ワタシにはもう言う事はありません』


「お前の言うような立派な物じゃないさ、これは……ただの我が儘だ」


「待ちなよ、ナナキ君。もしかしなくても奴等と戦うつもりだね? それはいけない、君がガロ達と一緒に立ち向かっても結果は変わらない。君が此処でボク達の為に戦う必要は――」


「関係ない」


「関係ない、関係ないって……何がだい?」


「これから先、俺が何をしようと貴方達には関係ない事だ」


 力が有るようで無い、無いようである。そんなどっちつかずな声でグノーの言葉をはねのけ、名無は明確な拒絶を示した。


「もう一度言う、俺がすることに貴方達は何の関係も無い。誰の為でも無い、全ては俺のためでしかないんだ」


「ナナキ君――――ッ!?」


 執拗にと言うわけでは無かったが、名無の様子がおかしい事に気づき尚も引き留めようとしたグノー。しかし、引き留める言葉を口にする前にグノーは声を詰まらせる。


「ナ、ナナキ坊……どうしただ、それ……」


 いきなり声を詰まらせたグノーの心境を引き継ぐように、まだくぐもった涙声に驚きを込めてグノーの眼に映る物と同じ物を眼にするペペ。


「何で両眼が銀色に光ってんだべっ!?」


 ペペとグノー。そして、その場にいた他の二人の眼に映ったのは、酷く暗く重い……まるで凍り付いたかのような酷薄な面持ち。

 それ以上に熱を感じない、何処までも冷酷な輝きを灯す銀の双眸を体現する名無の姿だった。





 人を寄せ付けない深い森と険しい山肌を見せる山々に囲まれながら、それでいて穏やかな時間が流れる人ならざる者達の隠れ里。そんな魔族達の集落から上がる甲高い悲鳴とけたたましい怒号。そして、それらをかき消すように耳をつんざく爆発音が断続的に鳴り響く。


「まだ戦える男衆は武器を持て! 一人でも多くの人間達を討ち、女子供を逃がすのじゃ!」


「「「「「おおぉぉぉっ!!」」」」」


 無秩序に燃えさかる火炎が緑豊かな森を蹂躙し、意志を持ったかのように舞い蠢く火の粉が村のあちこちで新たな大火と化す。

 文字通り、逃げる事の許されない――することもままならない焦熱の戦場と姿を変えたルクイ村で、ガロと数人の村人達は奮起の声を上げ続ける。

 しかし、戦況は良くない。

 レラを抱えペペが戻った直後、魔法騎士達の急襲にあったのだ。村の戦力、その内の主力であるミリィとリーザは今も、森で騎士側の最大戦力と交戦中。

 充分な戦力として数えることが出来るのはあと一人、村の長にして魔狼のガロのみ。その力を持ってしても屠ったのは十と二。他の八十を超える外敵を討つには力が、時間が、手段が、戦場におけるあらゆる要素が足りていなかった。

 その中で微力な力しか持たない村人と共に奮戦しようとも、すでに勝敗は決していた。


「残りは魔狼一匹と雑魚が五匹だ、隊長が到着する前に終わらせるぞ!」


 自分を除き残る八十七人の騎士を指揮する男の言葉が非情な現実を物語る。彼等の背後では逃げる事が叶わなかった村人達が、強大な檻の中へと収監されていた。それは名無を拘束していた物と同系統、中でも多人数を対象にした魔法具。

 村に燃え広がる戦火と害意に満ちた人間達に怯える子供達、碌な抵抗も出来なかった女人達、勇敢に戦い敗れた男達。

 取った行動は違えど、悲しくも奴隷の如く捕らえられた村人達の姿がそこにはあった。


(逃がす事が出来たのはたかだが数人、殆どの者が捕まったか……)


 ミリィ達のお陰で一番危険な輩の姿は無い。二人の頑張りの甲斐あって一網打尽にされてしまうことだけは防げたのだ、まだ牙を納めるには早い。


(無駄死にでしか無いが死なば諸共じゃ。何人逃がせるか分からんがあの魔法具を止めるとしよう)


 この劣勢を覆せる策は無い、ただ自身が出せる最高速度での突進。

 最短距離で駆ける以上は敵方に大きな損害を出す事はできないが、確実に村人達が捕らえられている檻には辿り着ける。

 幸い、良く聞こえる耳のお陰で解言の言葉は知ることが出来た。


「行くかのう……」


 疲弊していることを気取られぬよう息を吐き、身を低く構え四肢に力を込めるガロ。そのあからさまな突撃の構えに騎士達は身体に纏う蒼光を強め迎撃体勢に入る。

 仕掛けるタイミングを逃すまいと耳と、眼と、鼻。身体のあらゆる感覚を研ぎ澄まし、ガロは緊張を高めていく。緊張が最高潮に達し一歩踏み出そうとするも、


「さっすが魔狼、意地汚く粘ってんじゃねえか。やっぱ下っ端共じゃ生け捕りは難しかったみたいだな、失敗失敗」


 猛火に包まれ深紅に染まる戦場にそぐわない軽薄な声に踏みとどまるガロ。

 声のした方向に眼を向け、忌々しげな眼光を強める。


「……まったく、好き勝手暴れおって。人間というのは節操が無くて困るわい」


 ガロの琥珀色の双眸に映るのは、熱風に金の髪を靡かせ銀色の鎧に身を包んだ騎士。声音通りの顔つきをした騎士にガロは苦言を溢した。


「おいおい、犬っころの分際で人間様に説教垂れてんじゃねえっての。あんま嘗めた口利いてると、こいつ等みたいになっちまうぞ」


 ガロの小言が気に入らなかったのか金髪の騎士は両手で引きずっていた物を自分達の間に放り投げる。まるで塵を投げ捨てるような様だったが、投げ捨てられたのは塵などではなくボロボロになるまで痛めつけられたミリィとリーザだった。


「……っ、ぁ……」


「……ぅ…………」


 地面に打ち付けられ苦悶の声を漏らすミリィとリーザ。

 二人の身体には刃物による切り傷や打撲痕、魔法による火傷や凍傷。そして人体の関節では有り得ない方向に折れ曲がった手足……その他にも年頃の少女の柔肌に刻み込まれた痛々しい傷の数々にガロの後ろで武器を手にしていた村人達は怒りに身を震わせる。


「惨すぎる」


「ひ、酷え……」


「女子相手になんと言うことを……っ!」


 動くどころか満足に喋る事も出来ない二人の無残な姿にガロ達は悲痛な声を上げるが、ミリィ達を降した男は平然と楽しげに語り出す。


「いやー、けっこう粘ってくれてたぜ? ぶちのめしてもぶちのめしても懲りずに反抗してきやがってよ、勝てもしねえのに必死になって向かってくる馬鹿さ加減は本当に笑えたなあ」


 戦いに敗れた本人達だけでなく、戦意を高める村人達さえあざ笑って男は喉を鳴らした。


「でもまあ、魔族の雌にしては善戦した方だ。《異名騎士》の俺を相手に、迂りなりにも時間稼ぎが出来たんだからな」


 嫌な笑みを浮かべ、男は徐に右手を振り上げる。

 すると右手の先の空間が僅かに歪み、そこから魔法陣が浮かび上がる水晶が五つ。その姿を現した。


「魔法陣に剣を突き立てた紋様旗にミリィ達を物ともしない実力。そしてその魔法具の数々……お主、『法具狂』のマリスか」


「おっ? 犬っころの癖して物知りじゃねえか。おつむもそれなりって事は、そこの雌共より期待できそうだな」


 出現した魔法具に歯がみしながらもマリスの正体を溢すガロに対し、マリスはけらけらと楽しそうな笑みを浮かべる。

《異名騎士》マリス・ハーヴェイ、またの名を『法具狂』のマリス。

 人間の中でも魔法使いとして優れた素質を持った者だけが騎士の称号と地位を与えられる。そして、その騎士にも優劣が存在する。

 騎士と呼ばれる者達の階級は全部で六つ。

 《選定騎士》・《精霊騎士》・《異名騎士》・《優魔騎士》・《魔法騎士》――。

 レラを襲い名無に一蹴された《魔法騎士》は最も低い下位騎士、ミリィ達やガロのように戦闘に秀でた魔族であれば《優魔騎士》までなら互角に戦う事が出来るだろう。

 が、マリスの力は上から三番目。

 人間族の頂点に立つ魔法使いの王――《魔王》に二つ名を名乗ることを許され、下の二階級とは比べるまでもない支配階級者側の一員。ルクイ村の総力を持ってしても勝つことは出来ない実力者である。


「んじゃまあ、仕事も詰まってることだし始めっか。お前等、さっさと仕事を終わらせんぞ? じゃねえと一仕事終わった後のお楽しみが何時まで経っても楽しめねえからな」


 森でもそうだったがマリスの口元は下品極まりなく歪み、後ろに控えている他の騎士達の顔も卑しい欲望に歪む。


「……お主等のような人間が相手であれば何の遠慮も要らんな」


「おー、死ぬ気できな犬っころ。死なない程度に遊んでやっからよ」


「言われんでもそのつもりじゃ……皆の者! 此処が儂等の死地じゃ、なればこそ力の限りを尽くすのじゃ!!」


 数だけで無く個人個人の実力差を考えれば、ガロ達に勝ち目など無い。だが、その事実に萎縮し屈する事なくガロは数少ない同族に発破を掛けた。そして雄々しい叫びを吐露し



 ――――ずぶり



「――――ッ!?」


 悠然と飛び出したガロの足が地面に、足下で蠢く自分の影に沈んだ。


「な、何じゃこれは!?」


 影に沈む足を引き抜こうともがくガロ。しかし、動けば動くほど足は沈んでいく。それどころか身体の自由を奪うように、影の中から幾つもの触手のような物が飛び出しガロの巨体を押さえ込む。

 しかも周りに眼を配れば、ガロと共に戦いに身を投じようとした者達や、マリスの部下によって捕らえられ檻の中にいる村人達にも同じような事が起きていてた。


「貴様、一体何をした!!」


「そりゃこっちの台詞だ! 何なんだよ、その気色悪いのは!?」


 予想だにしなかった現象にガロだけで無くマリスも疑問の声を上げる。

 自分の影に沈み飲み込まれる……そんな不可解な現象にあっているのは魔族だけ。これだけ見ればマリス達が何らかの魔法、もしくは魔法具を使って攻勢にでたとしか思い当たらない。

 だが、魔族達が次々と影の中に引きずり込まれていく様子にマリス達も動揺を隠せず慌てふためいていた。


「ぐ、うおぉぉぉっ!?」


 ガロの苦しげな叫びを最後に、戦場の中心となっていた広場から一人残らず魔族だけが消えた。目の前で起きた異質な光景。その一部始終を見ていることしか出来ず呆けるマリス達だったが、それもすぐに終わりを告げる。


「今度は何だ?」


 影とは物体や人などが光の進行を遮った結果、壁や地面に出来る暗い領域の事を指す。だと言うのに、その物理法則を無視して猛火によって造り出された建造物の影、倒れ伏した騎士の影。

 それら全てが主とも半身とも言えるモノの元を離れ、生者の如く蠢き一カ所に集まった。異質の元凶を深く暗いその身の底から一時の静寂に包まれた戦場へと導くために。


「……てめえか、要らねえちょっかい入れやがったのは」


 勝敗の決まっていた戦いを邪魔した存在を眼にしたマリスは、苛立たしげな瞳でその相手を睨み付けた。


「………………」


 その眼に映り込んだのは、まるで階段を上がってくるかのように影から姿を見せる一人の青年。

 白でも黒でも無い曖昧な灰色の髪を揺らし、影よりも濃い黒のロングコートを身に纏い、熱気立ちこめる戦場でさえ冷たく輝く双眸と共に焼け焦げた地を踏みしめる名無の姿。


「おい、黙ってないで俺の質問に――」


「マリス隊長」


 自分の言葉に何の反応も見せない名無の態度に苛立ち、威嚇するように声を上げようとするマリスだったが、不機嫌を隠しもしない彼の元に一人の騎士が駆け寄り耳打ちをする。


「奴です、あの男が……」


「……へえ、うちの下っ端連中を可愛がってくれた野郎か。さっきの横やりは、この村はてめえの縄張りだって主張かよ?」


「お前の言う人間上位の立論は持ち合わせていない」


「だろうな。じゃなきゃ、魔族共が俺達に息巻いてくる訳がねえ。ったく、それなりの力を持ってるくせに出来損ないとはな。処分すんのに手間が掛かるじゃねえか、質が悪いったらありゃしねえぜ」


「処分、か」


 肩をすくめ煩わしそうに溜め息を吐くマリス。そんな彼の溢した言葉の中で聞き逃せない一言に名無は眼を細めた。


「処分するというのは俺を殺す、と言う事だろう。それは同族殺しの禁忌に触れるが……お前達はそれで良いのか?」


「人間になり損なった出来損ないを処分するのが禁忌に触れるだあ? まさか、てめえ……『人間』がどういうもんなのか分かってねえのかよ。可哀想とかって問題じゃねえぞ」


 より大きく、深い溜め息を吐き額に手を当てるマリス。名無の反応に呆れ果てていることがよく分かる。


「冥土の土産をくれてやるよ、出来損ない。着いてるのが疑わしい耳をかっぽじって良く聞きな」


「………………」


「てめえも含め、逃がした気でいる魔族共は『種族』として欠陥品なんだよ。俺等人間と違って魔法をまともに使えねえ。二、三回使っただけで打ち止めだ。しかも抱えた欠陥をどうにかしようとして数だけ増やして何にも変わらねえ」


 ゴブリン、蜥蜴人、獣人達は人間と比べて丈夫な身体を持っている。が、持っている魔力量は魔族の中でも非常に少ない。魔法を一回使えるかどうかだ。

 魔狼や妖精猫など、魔獣に分類される者達は、高い戦闘能力と知能に恵まれてはいるが環境の変化によって、その力を十全に発揮することが出来ない。

 限りなく人間に近い外見を持つ亜人種。風の流れを見ることが出来る有角族は非力では無いが、元となる身体能力が人間に劣る。ドワーフは絶大な膂力を持ちながらも白兵戦に不向きな矮小な体躯をしている。ブルーリッドも魔力消費の無い特殊能力を持っていながら、その力を使いこなせるだけの才能が無い。


「つまり人間は魔族よりもあらゆる面で優れている、だから何をしても許されると?」


「その通りだ、まあ奴隷としてなら充分使える。雄は死ぬまで扱き使う、雌は飽きるまで犯す。どっちも使えなくなったら次のを使えば良い」


「……それで、俺を殺しても禁忌に触れない理由は何だ」


 聞くに堪えない耳障りな建前に拳を堅く握りしめる名無。細められた瞳も一度も瞬きすること無くマリスを捕らえていた。


「今ので分かれよ馬鹿、使い潰すしか使い道がねえ消耗品に情だの何だのかけるなんざ頭がどうかしてるって事だろうが。いや、もしかしてアレか? 割と上等なのもいるからな、愛着が湧いて長持ちさせたいって口か? なら話が変わってくるんだけどよ?」


「人間と魔族の優劣がどうであれ、その不愉快な理屈は理解するつもりは更々無い」


「そうか、なら処分決定な。せいぜい魔族共の為に足掻け、そして死ね。その役に立たない同情心と一緒にな」


「違う」


「はっ? 何が違うって?」


「お前の言う魔族の為にという言葉も、役に立たない同情心という感情も。俺が此処に立つ理由じゃ無い」


 自分にもあった平穏と呼べる日々。それを形作っていたモノ全てを失い、同じ《輪外者》と戦うための道具になったあの日から……自分は滑稽な道化に成り下がったのだろう。

 家族、故郷を、仲間を失って、戦う理由が無いと言いながらも人を殺し続け、その先にある『何か』を求めた。

 それが自分の中に芽生えた物で、どうしても叶えたいと願った物で、『誰かを助けたい』……人としての尊い願いがまだ自分には残っている――などと都合良く思い込んでしまう道化に。


「お前達は自分の欲望が何かを知り、それを満たす為に自分よりも劣る弱者を虐げてきた。そんなお前達よりも、俺はずっと醜悪な存在だろう」


 そんな己を偽ってきたのは他の誰でも無い自分自身。

 誰もが正しいと肯定し、共感するであろう高潔な嘘で自分を偽っていたことを知っていながら気付かないふりをし続けていた――誰かの為に(コワレテイル)どころか、自分の事だけを考えて(クルツテシマツテ)いる救いようのない妄言者が自分の正体。

 自分が願ったのは誰かの為の物では無く、何処までも浅ましく、憐れで、愚かな欲望。そして人間も魔族も、生きとし生けるもの達全てが抱く何て事のない感情。死に絶える最後の瞬間ですら、無自覚なまでに付きまとい続ける不憫な欲求。



 ――【ただ、寂しかっただけだった】――



 それは願いなどでは無い。

 一人になる事を恐れた、一人残されてしまう事を、孤独を怖れた子供の我が儘……それが抱き続けてきた物の本性。


「さっきからわけ分かんねえこと言い並べやがって、要は魔族共のために戦うって事だろうが」


「違うと言っている、俺がお前達と戦うのは彼等の為なんかじゃ無い」


 欲しかった物を求め足掻く程、拙い願いは遠ざかり消えていった。自分では手にすることが出来ないのだと知り、戦場にソレを求め戦い続けた。埋めようのない空白に身を置くことを怖れ、身勝手にも血で満たした泥黎に逃げ込んだのだ。



 その先にある物が、数え切れない敵意に塗れた物でも。


 例えそれが、度しがたい罪に汚れた物でも。


 己の狂気によってもたらされた……仮初めの温もりであっても。



 …………そんな自分が他者を思い戦うなど烏滸がましい。


「俺がお前達を殺すのは、愚かにも抱いてしまったモノを肯定するためだ。誰かの為という綺麗なモノが俺の戦う理由に、お前達が死ぬ理由で良いはずがない」


 獰猛な獣の如く肌を焼く熱を感じながら、名無は自分の手に残るレラの冷たい感触を思い出す。

 ……今度こそ、同じ過ちを繰り返さないために。


「ぐだぐだくっちゃべりやがって……ご託並べるだけ並べて満足ってか? 巫山戯てんじゃねえぞ、この出来損ないが!!」


 脈絡の無い名無の懺悔に痺れを切らし、こめかみに血管を浮き上がらせたマリスは宙で停滞していた五つの魔法具の一つ――赤黒い水晶を乱暴につかみ取り詠唱も無しに禍々しい剣を握りしめる。


「うぜえ、うぜえ、うぜえ! 勝ち目がねえ事も理解出来ねえ分際で自分に酔ってんじゃねえよ! ああ、胸くそ悪い!! てめえは殺す! 泣き叫ぼうが、命乞いしてこようが絶対に殺す。自分の馬鹿さ加減を後悔しながら死んでけや!!」


 極まった苛立ちと共にマリスは握った魔法具を空に突き上げ、それを合図に後方で構えていた《魔法騎士》達がいっせいに駆け出す。その中で真っ先に名無へと剣を振り下したのは森で追い払われ、無様な姿をさらした騎士だった。

 はからずも、その光景はレラを助ける為に戦った時と同じ。

 しかし、そこから先は何一つ同じにはならなかった。

 名無は自分の身に迫る凶刃に向かって右手を払い、まるで薄氷を砕くかのように刀身を破壊。そして未だ振り下ろした剣が折れたことに気づいてもいない騎士の顔面を左手で掴み、そのまま地面へと叩き付ける。

 その威力は森で見せた警告の一撃を遙かに上回り、地表は轟音と共に砕かれ叩きつけられた騎士の頭部は見る影も無い。

 名無の手にあるのは、べったりと纏わり付いた赤い血と僅かな肉片だけ、勇ましく先陣を切った騎士が首から下を残して逝った無残な光景。


「始めようか……互いに望んだ殺し合いを」




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