04 気付いたモノの無意味さ(1)
「今日は何をすれば良いんだ? 患者の姿は無いが……」
「ごめんごめん、今日はお手伝いとかでは無いよぉ。ナナキ君の身体の具合を診せてもらおうと思ってねぇ」
変わらず心地よい日差しが木々に降り注ぎ木漏れ日となる昼下がり。
名無は昨日に引き続きグノーの診療所へと来ていた。とは言っても、そう気軽に出歩けるわけも無く監視役にガザとブルの二人に付き添われてである。
「昨日の内にって思ってたんだけど、すっかり忘れちゃってねぇ。今ちょうど手が空いたから二人に頼んで君を連れてきてもらったのさぁ」
「そう言う事なら特に断る理由はない」
「それじゃあ診察を始めるから脱ぎにくいとは思うけど、上を脱いでちょうだい」
「ああ」
両手の動きが制限されながらも、名無は器用にシャツを脱ぎ姿勢を正す。
「包帯を取って触診していくけど、痛かったらちゃんと言うんだよぉ」
そう言ってグノーは自分の右側にある机の上にある治療用器具の中から鋏を手に取った。言わずもがな慣れた手つきで包帯を取り外し、傷の具合を確かめていく。
もう傷はふさがってはいるもののリーザの矢が刺さった右肩を始め、それ以外にも矢を受けた箇所。ミリィの凶悪じみた一撃が入った腹部など、些細な変調も見逃すまいとグノーは入念に眼を光らせる。
「身体を動かしても痛みは無い、俺はとしては問題ないと思うんだが」
『マスター、その判断はグノー様に任せましょう。似たようなことはワタシにも出来ますが、専門家の意見の方がより安全性が高いのですから』
「そう言ってくれるとありがたいねぇ。でも、ナナキ君の言う通り殆ど完治してるかなぁ。前に治療した時に治癒力を高める薬草を使ったんだけど……ここまで早く治るとは思ってなかったよぉ」
君、本当に人間? と、眼を丸くするグノー。
やや不躾な言い分ではあったが、《輪外者》として区別はされているものの名無は正真正銘の人間である。グノーが変に疑ってしまうのは《輪外者》の治癒力が普通の人間よりもずっと高いからだ。
それは魔法の技量が優れている《魔法騎士》を含め、こちら側の人間では有り得ないからなのだろう。グノーが思わず疑問を口走ってしまうのも肯ける。
「人より傷の治りが早いのは生まれつきだ、それ以外に説明できない」
「君は心根だけじゃ無くて身体のつくりも変わってるんだねぇ。でもそうなると、レラ達にはちょっと悪い事したかなぁ」
「悪いこと?」
「うん。体調を整える効果のある薬を君に飲んでもらおうと思って、その材料を森に取りに行ってもらったんだぁ。言伝石に取ってきて欲しい物を言い込めたんだけど、ちょっと量が多くなっちゃてねぇ」
ルクイ村に限ったことでは無く、この異世界では紙と筆の代わりに言伝石という声を吹き込むことの出来る石が使われていた。
一種の録音機器としての性質を持つ言伝石は簡単に手に入れる事が出来る。それこそ村の中や森、草原といたる所に転がっている。
使い方も単純で、手にとって石に向かって喋るだけ。聞き手も持つだけで伝言の内容を聞くことが出来る。その入手のしやすさと利便性の高さは、製紙技術の無いこの世界において正にうってつけの物だった。
「薬を飲むのは構わないんだが……今の森に危険は無いのか? 護衛は誰が? 人数は?」
「そんなに心配しなくても大丈夫、この前みたいにならないよう護衛にミリィとリーザが付いてくれてる。荷物運びにはペペもいるしねぇ」
名無が森でレラと出会った日、あの時もレラはグノーに薬の材料を取ってきて貰うよう頼まれていた。隠れ里と言う事もあり、今まで人間に見つかる事も無かった。しかし、その日ついに人間達の眼に止まってしまったのだろう。
帰りが遅いと心配になって探しに出たガロ達と《魔法騎士》達が鉢合わせてしまい、その結果の誤解とは言え名無がレラを襲っていると勘違いしてしまい今に至る。
そんな同じ轍は踏まないと、グノーは名無を安心させるように微笑む。
「村からもそんなに離れてない所に行って貰ったし、そろそろ帰ってくると思うから安心しなよぉ」
「だが……」
ミリィとリーザの実力は知っている。
あの二人であれば自分が撃退した《魔法騎士》程度であれば問題ないだろう。しかし、戦いは何が起きてもおかしくない。僅かな隙が最悪の事態を招くこともある。
身を持って体験したことで、名無の不安はグノーの柔らかな返答を聞いても拭いきれなかった。
「ふふっ、やっぱりボクの眼とレラの力に間違い無かったねぇ」
「……? 何の事だ?」
急な話題転換についていけず、名無は眉をしかめる。
「君のことだよ、っと。はい、これで診察は終わり。特に悪いところはなさそうだし、もう上を着ても良いよぉ」
怪訝な顔を浮かべながら着替える名無をよそに、グノーは診察を終え座っていた椅子の背もたれにゆったりと寄りかかった。
「ナナキ君が優しい子だなって再確認出来たのがちょっと嬉しかったって話さぁ」
「優しい……俺が?」
繰り返した言葉に名無は顔を顰め戸惑い、そんな反応が返ってくるだろうと思っていたのかグノーは苦笑を溢す。
「どうして今そんな話を?」
「レラ達が戻ってくるまでの暇つぶしっていうのもあるけど、う~ん……これも治療の一巻だからかなぁ」
「治療……」
「そう、身体じゃなくてこっちのねぇ」
グノーはぽんぽんと自分の胸を軽く叩く、その手の下にあるのは心臓――では無く『心』と言う眼には見えない不確かな物。
「レラの力は説明するまでも無いよねぇ」
「ああ」
「あの子から君の色の話を聞いて思った事がある。君の心色は普通の人よりも色が見やすくなってるんじゃないかな、それも良くない意味で」
「良くない意味とは?」
「そうだねぇ、ボクもレラみたいに力を使えたら話がしやすかったんだけど……」
グノーは腕を組み名無にどう説明したものかと考えを巡らせ、
「えっと、卵を思い浮かべてみてぇ」
「卵……鳥の卵でも良いのか?」
「うん、それで良いよぉ。でも、出来るだけ模様が無い物でお願い」
グノーが何を言いたいのか分からなかったが、とりあえず馴染み深い卵を思い浮かべてみる名無。
外は白い殻、中には卵白と黄身が入っている鶏の卵を。
「良いかい、卵の中身が心。殻に覆われてるから当然、中身は見えない。これが心を読み取る前の状態」
「それで?」
「次に心色を見るために相手に触る。ブルーリッドの力に反応して心色が殻の色を染める、赤、青、黄、緑、紫、色は何でも良いよぉ……想像できる?」
「ああ、大丈夫だ」
「それが君以外の人達の例え。君の場合はちょっと――じゃないねぇ、かなり酷い。卵の殻が限界ギリギリまで薄くなってて、そこに亀裂が幾つも入ってるしまっている……ボクが言いたいこと分かるよねぇ」
「俺の心が壊れていると言う事なら、それは――」
「ううん、違うよぉ」
グノーの猫特有の瞳がスゥッと細まる。だが、それは獲物を狩る物とは違い名無を気遣う視線だった。
「ナナキ君ってさ、年はレラと同じくらい?」
「そうらしいな」
「なのにナナキ君、君がこの村に辿り着くまでに過ごしてきた日々は……きっとボクが想像している物よりずっと酷い物だったはずだ。常人であれば、早々に気が狂ってしまうようなねぇ」
「……仲間の為に戦う事が間違いだったと?」
「それも違うかなぁ……仲間を護りたい、その気持ちが間違いなわけがない。でも、それと同じくらい誰も殺したくなかった。そう言う気持ちもあったんじゃないの?」
同じ境遇に立つ仲間達を護る為に、名無は自分の大切なものを奪った者達と同じ側に立った。それはそうするしか無かったとは言え、彼が自分の意志で選んだものだ。
しかしながらグノーの言うように、殺したくなかったのもまた事実。
前者を選び敵を殺さないという選択肢を捨てたことで、名無は自分でも気付かないうちにその本心を押し殺してしまっていたとしたら……その結果が今の例え話に掛かると言う事なのだろう。
「心色が見えすぎてしまうと言っても、君の心が壊れてるってわけじゃない。心という核を護る為に君の感情がすり減ってすり減って、いつ壊れてしまってもおかしくない状態の表れが今の君なんじゃないかってボクは思う」
十七歳という若さで、何処か達観し落ち着きのある態度。それを大人びていると一言で終わらせることは出来る。だがそれこそが、名無の心が限界に達しようとしている前触れなのではないかとグノーは考えていた。
「さっき、診察しながら君に飲んで欲しいっていった薬があるって言ったの覚えてる?」
「……ああ」
「君はそれを飲んでくれるって言ったけど、もう一度その事を考えて欲しい――君に使おうとしたのは眠るように死ねる薬だからねぇ」
「………………」
「「――――っ!?」」
その言葉に驚いたのは名無……では無く、診療所の隅で控えていたガザ達の方だった。彼等にしてみれば、名無には絶対に知られてはいけない決め事を惜しげも無くグノーに公にされてしまったのだから当然だ。今も驚きのあまり声も出せずあたふたしている。
しかし、名無の表情に変化は無い。
「……ここはガザ達みたいに慌てなくちゃ駄目だよぉ」
そんな彼等の様子に苦笑を浮かべるグノーだったが、名無に視線を戻すと苦笑いに哀しみが交ざった。
うまく立ち回れないもどかしさと悔しさが篭もるグノーの翡翠色の瞳に映ったのは、死の宣告を突きつけらても尚、落ち着きを失わなかった名無の姿。
「レラ達から君が話してくれた事は聞いたけど君は今、何を支えに生きてるのぉ。もしかしなくても死んでも良いって思ってる?」
「そうなっても構わない、とは思っている」
「その気持ちは今でも変わらない?」
「それは……」
変わらないと口にしようとした名無だったが、それ以上の言葉が出ない。
自分が死ぬことで犯してきた罪を償うことが出来るなら、残された者の心を少しでも癒すことが出来るのなら、始まったばかり逃避行の終着点であるのなら……。
死んでも良いと思う度に、自分の脳裏に思い浮かぶのは昨日見た光景。求めて止まなかった確かな温もりと穏やかな日常の中で笑うレラ達の姿。
奪う事しか出来なかったからこそ、誰かを助けたいと願った。
その願いは、この世界で果たすことが出来た。だからこそ思い残す事など――
「あるんだよねぇ、死ねない理由が。誰かを助けたいという願いの他に叶えたい物が」
「…………そう、なのか?」
「叶えたい物がどんな物かは分からないけど、そんな顔してたよぉ」
自らの生死を問われ言い倦ねている名無の姿に、グノーはほっとした表情を浮かべる。
「ナナキ君の願いがどんな物でも、村の総意をボクには変える事は出来ない。でも、他の誰でも無い君自身が追い詰められたこの状況を覆す事が出来るかもなんだ。……ゆっくりで良いから、その願いを声に、言葉に出してみよう。それがきっと君の――」
「先生! グノー先生!?」
喜色満面の笑みを浮かべていたグノーの声を遮る悲痛の混じった叫びが診療所に響く。名を呼ばれたグノーだけでなく、その場に居た名無達全員が声が上がった方を見る。
「グノー、先生……レラ嬢ちゃんが」
そこには動揺と焦燥に瞳を揺らし肩で大きく息を切らすペペがいた。
そして、そんな彼の腕の中には腹部を黒ずんだ緑血で染め上げたレラの無残な姿があった。
◆
――僅かに時を遡り、名無が診療所に着いた頃。
村からさほど離れていない森の中で、レラ達は名無に飲ませる安楽死薬の材料を集めていた。
『……あとはネイジア草にイタナシ草、それとユータナの実。今言った三つで全部だから取ってきてちょうだい、量が多くて悪いんだけど材料を集める時は周りに気をつけるんだよぉ』
「………………」
首から提げている言伝石に触れ、石に込められたグノーの声を聞きながら黙々と材料を集めるレラ。今、彼女達がいる場所に全ての材料が揃っていると言う事もあり作業その物は簡単なお使いとも言える。
しかし、ミリィとリーザは鋭い視線で周囲を警戒、ペペも荷物持ちをこなしながら忙しなく視線を動かしている。簡単なお使い程度の事でも三人に気を抜く様子は無い。
(ユータナの実……お薬に使う材料はこれで全部、ですね)
樹高二メートルも無い木の細い枝になる色鮮やかな橙色の木の実。一見するとアケビの実のように見えるそれは、美しい色に反して強い毒性を持っていた。
名無が受けたリーザの矢の先端に仕込まれていた毒も、この実から抽出された物である。一度でも体内に入ってしまえば、その毒性は《輪外者》でも命の危険が伴う。
「………………」
薬の材料を集め終わったレラの眼に、毒樹のすぐ隣にある別の低木が映る。その木にもユータナの実に似た木の実が付いていた。
こちらは黒と黄色が入り交じった何とも危険な見た目。だが、この森に樹勢している毒性植物の殆どを解毒することが出来る唯一の実である。
(これをお薬と一緒に飲んでもらうことが出来れば……)
ミリィ達が周囲に気を配っていることを確認したレラは小さく息を呑み、音を立てないよう隣の低木に成っている解毒の実を取ろうと――
「駄目よ、レラ。それは先生に取ってくるように言われてないでしょ」
「……っ」
名無の命を救うことが出来る解毒の実を手に掴む直前、ミリィに手を捕まれるレラ。それほど力が入っているわけでは無かったが、レラはミリィの手を振りほどくことが出来ず顔を俯かせた。
「レラがあの人間を助けたいって思ってるのは知ってる、あんたが本当に優しい子だって事も」
「ミリィ、ちゃん」
「でもね、その優しさが村のみんなをもっと危ない目に遭わせちゃうかもしれない。だからその木の実を持って帰らせるわけにはいかない――絶対に」
「……ごめんなさい、ミリィちゃんも……辛いのに」
「別に、レラが謝る事なんて無いわよ」
「でも……」
自分の手を握るミリィの心色が黄色みがかった青から暗い藍色に変わっていくことに気付くレラ。
口にした言葉は強い物だったが助けられるかもしれない命を助けられない現実にレラが苦しんでいるように、ミリィもまた友達であるレラの思いを踏みにじっている自分を嫌悪していたのだ。
例えレラが助けようとしている相手が名無だとしても……、その行いが正しい事だと理解しているから。
「こらこら二人とも、そんなに暗くならないの」
気まずげに話をする二人を見かねてか、リーザは努めて明るく振る舞いレラ達の意識を自分へと向ける。
「今回ばかりはどっちが悪いとかじゃ無い、どっちを優先しなくちゃいけないって事なんだから。レラもミリィもあんまり思いつめちゃ駄目だよ」
気落ちするレラ達の頭に手を優しく乗せて撫でるリーザ。さほど年齢差の無いレラ達ではあるが、この三人の中でお姉さん的な立場である彼女の言葉と行動には不思議な頼もしさが感じられた。
「変に勘ぐらないでよ、あたしは思った事を言ってるだけなんだから」
「うん、お姉ちゃんはミリィも優しい子だって知ってるから安心しなさい」
「人の話聞かない姉を持った覚えは無いんだけど……って言うか、あたしに姉はいないから」
「照れなくても良いよ、お姉ちゃんの胸に飛び込んでおいで! これ以上無いって位に慰めてあげちゃおう♪」
「……そう、それじゃ拳で語り合おうじゃない。お姉ちゃんの骨の二、三本でも折ればきっと心が軽くなるわ」
「すみません、調子乗ってました!!」
男勝りを超え年頃の少女とは思えないミリィの買い言葉、嘘でも冗談でも無いその声音から身の危険を感じたリーザは先程の頼もしさをすぐさま返上。姉としての余裕と威厳をあっさりと捨て掌を返す。
「……ふふっ」
そんな二人のやり取りを見ていたレラの口元から小さな笑い声が溢れる。
今まさにリーザの骨を砕かんとするミリィの足が止まり、同時にあたふたと逃げ回っていたリーザにも笑みが浮かぶ。
「よーし! リーザさんの作戦通り丸く収まったね!!」
「はいはい、そう言うことにしておいてあげる。言っておくけど次は無いからね」
「次が無いことは私も願ってるから、ミリィに殴られたら骨の二、三本どことか全身バキバキにされちゃうもの。……それはともかく、必要な材料は揃った、ぺぺさん?」
「グノー先生に言われたもんは全部入ってるだよ。後は帰るだけだ、さっさと帰るべ」
「うん、あんまり長居するわけにもいかな――
「ようやく住み家に帰んのか? なら、そのまま案内してくれや。手間が省けてちょうど良い」
「「「「――――ッ!?」」」」
不意に上がった声にレラとペペは眼を大きく見開くも、ミリィとリーザはその動揺を抑え戦えない二人を自分達の後ろに下がらせ戦斧と弓を構える。
「一匹外れが交ざってやがるが……へえ、結構な上玉だ。それにあの馬鹿共が言ってたブルーリッドの雌もちゃんといるな、今回の刈り取り任務は当たりだな」
レラ達がいる森――村とは反対の位置にある草原が広がっている側から銀の鎧に身を包んだ金髪の騎士が剣も抜かず姿を現した。
言葉だけで無く卑しい顔つきもそうだが、全身を舐めるような下卑た視線にレラは顔を引きつらせミリィとリーザも顔を顰める。
「なに、一人で来たの? 手柄ほしさに先走るなんて随分と器の小さい男ね」
「本当のこと言っちゃ駄目だよ、軽そうな見た目と違って気にしてるかもよ?」
「おっ、もしかしなくても喧嘩売ってんのか? 良いねえ、そう言う強気な雌を躾けるのは嫌いじゃねえぜ」
「趣味が悪い事この上ないわね」
「うん、私もそう思う」
平然と男に挑発を続けるミリィちリーザではあったが、その心中は穏やかでは無い。
二人は自分達の前に現れた男が、ただの《魔法騎士》では無いことを本能的に悟っていた。
二人だけでは相打ちに持ち込むことも出来ないと。
本能が感じ取った如何ともしがたい力の差にミリィとリーザの頬に汗が伝う。レラとペペに至っては見ているのも憐れな程に震えている。
「なんだよ、強気な事言っててもちゃんと分かってんじゃねえか。どっちが上でどっちが下か」
そんな四人の姿に気を良くした男は歪んだ笑みを浮かべた。
「俺が此処に来た時点でお前等は、お前等以外の魔族も全員もう詰んでんだ。お前等に出来る事はただ一つ、黙って俺達人間の足下で這いつくばって生きる事だけなんだよ!」
「はっ! 勝手に言ってなさい、そうなるのはあんたの方だって事を教えてあげる!!」
ギチリと両手で力一杯戦斧を握りしめ、奇しくも事実でしか無い言葉に挑発を返すミリィは自分の後ろにいる二人に小声で語りかける。
「レラ、ペペさん。二人は逃げて。逃げて村のみんなに人間達が攻めてきたことを知らせてちょうだい」
「で、でも……」
「おらも残るだよ!」
「ペペさんはレラを護ってあげて、敵はこの人間だけじゃ無いはずよ」
今この場にいるのは一人だけだが、平原には多くの《魔法騎士》達が陣地を築いていたはずだ。村の正確な位置を把握するために、この男が単独で乗り込んできたのか、はたまた魔法を使って姿を消し身を潜めている仲間が居るのかも分からない。だが、すでに人間側はルクイ村を攻め落とす為に行動を開始したのは確かだ。
レラを一人で村に返すのは彼女だけで無く村にとっても危険が大きすぎる、ペペが一緒に行けば迂りなりにも不測の事態にも対応できるはず。此処で全員があの男の軍門に降ってしまっては、村にいる者達が碌な抵抗も出来ず蹂躙されてしまう。
そうさせない為には如何にリスクが大きかろうと行動に移すしかない。
リーザもミリィと同じ考えなのだろう、弓を引いた状態を維持し敵に狙いを付け続けていた。
「ここは私達が死んでも時間を稼ぐから。その間に二人は村に戻って……お願い」
「…………うん!」
「わ、分かっただ」
「なら、三つ数えたら仕掛ける。それを合図に走って、薬の材料なんて放り出して良いから……行くわよ。一、二の……三!!」
三つ目のかけ声と共にミリィは地面を蹴り男の頭上へと飛びかかり、リーザもすかさず矢を放ちすぐさま次射の準備に入る。そして、レラ達は少しでも早く村の仲間達の元へ向かおうと踵をかえ――
………………ずしゅ
「……っ……ぅあ……!?」
そうとする前に鈍い音ともにレラの表情が苦痛に歪み、薄い唇からはか細い声と大量の緑血が溢れ出た。
「作戦なんか立てても無駄だぜ。下っ端連中ならいざ知らず、俺とお前等じゃ話になんねえ。俺がどう動いたのかも見えなかったろ?」
「「「ッ!?」」」
男の動きは見えなかった、それは言われなくてもミリィ達も理解している。
自分達の傍を駆け抜けた姿も、足を踏み出した姿も、何よりレラの細く程よく引き締まった腹部を貫いている剣に手を掛けた姿すら。
「本当は殺す前に楽しみてえところなんだが、せっかく相手の心を読める『心器』が手に入るんだ。さくっと始末して……」
「レラから!」
「離れて!!」
男がレラの息の根を止めようと更に剣を押し込もうとするよりも前に、リーザは予備の武器として持ってきていた短剣を腰の鞘から引き抜き躊躇うこと無く振り下ろす。ミリィもレラを巻き込まないよう戦斧を振るうも、男は二人の攻撃を苦も無く躱し後方へと跳びすさる。
「惜しい惜しい、あと一呼吸ありゃあ止めをさせたんだがな。まあ良い、どうせそいつはもう助からねえ」
手に持つ剣に付いた血を振り払い、恰も一仕事を終えたと言うように一息吐く男。その姿には、か弱い少女を手に掛けた罪悪感など微塵も感じられなかった。そもそも、そんな物を持っているかも疑わしい。
「ぺぺさん、レラは!?」
「腹から凄え血が出てるだ! このままじゃ死んじまうだよ!!」
「何とかならない、ミリィ!?」
「あたしに聞かないでよ! こんなの、あたし達じゃどうしようも無い!!」
ミリィ達は男に最大限の警戒を向けながらも、腹部を抱えて悶えるレラの元へ駆け寄り慌てふためく事しか出来なかった。
何の躊躇いのない凶刃に貫かれた腹部――急所の一つである鳩尾を中心に、止め処なく流れ出る血が服を染め上げている。
急激な出血のせいでレラの呼吸が浅く弱くなっていく……レラの容態がどんどん悪くなるにすつれ、ミリィ達の顔色も悪くなっていった。
(傷が深すぎる。これじゃ、幾ら先生でも――――っ!)
医療の心得が無い素人目でも明らか、レラの傷が致命傷だと分かる。そんな傷を見て諦めかけたミリィの脳裏に一人の青年の姿が浮かぶ。
言わずもがな、名無である。
(あいつの治癒魔法ならレラを助けられるかもしれない、先生が驚くくらいの使い手なら!)
――人間である名無に頼る。
その事に少なくない抵抗感を感じたが、それは今の状況の置いて只の独りよがりでしか無い。ミリィは胸の内にあった我慾を一蹴するように声を張り上げようとするも、
「ペペさんはレラをお願い! あの人ならレラを……っ。此処は私とミリィで何とかするから!!」
それよりも早くリーザが自分とまったく同じ考えを言ってのけた。
正直、殺そうとした相手に救いを求めるのはお門違いも甚だしい。その上、桁が違いの力を持った手練れが相手では自分達が残ろうと結果はそう変わらないだろう。
だが、村に異変を知らせるつつレラを助けるには名無に頼る以外に考えつかない。
視線を重ねず、言葉の真意を確かめなくとも、その判断が出来たのはひとえに二人の間に確固たる絆があればこそだった。
「リーザ、やるわよ!」
「うん、分かってる。ペペさんも早く行って!」
「……すまねぇ、二人とも!!」
苦渋の選択を選ばざる終えなかったペペは息も絶え絶えなレラの肩と膝裏に腕を通して抱き抱え、脇目も振らず村へと駆ける。ミリィ達は振り向くこと無く二人を見送った。
これが最後に交わす言葉になる、そう思ってはいても振り向くようなことはしなかった。互いに互いの想いに答えるには何をすれば良いのか、充分すぎる程に分かっていた。
「少しの間、あたし達と一緒に遊んでもらうわよ。駄人間」
「中々勇ましいじゃねえか、どうせ『心器』の材料になりそうなあの雌以外は下っ端共にやらせるつもりだったからな。良いぜ、お前等の無駄な悪足掻きに付き合ってやる」
「これだから人間は嫌いなのよ……」
「……ほんとにね」
今の口ぶりからして、やはり他の《魔法騎士》達は近くに潜んでいたらしい。
しかも、ペペ達を追いかけていった筈だ。結局、敵戦力を村まで導いてしまうことになってしまったが、それでもこの男を今すぐ村に行かせる訳にはいかないとミリィとリーザは退こうとはしなかった。
「でも、他の人間達を下っ端呼ばわりするって事は、あんたが頭って事よね?」
「だったら尚更ここに居てもらった方が好都合だよ」
ミリィは戦斧を、リーザは三本の矢を弓に番え不敵に笑ってみせる。その笑みを向ける相手が誰なのかは言うまでもない。
(……魔法を使っても動けなくなるのが関の山、どっちにしろあたし達に勝ち目は無い)
(でも、だからこそ頑張らなくちゃ)
正確な戦力差を考えるまでも無く、自分達が圧倒的に不利な状況である事は間違いない。けれど、自分達が此処で戦う事で少なくとも最大戦力であろうこの男を引き留めておくことが出来る。
その間に村長達が敵の数を減らす時間を作ることが出来るのなら、やらないわけにはいかない。
この逆境を覆すなど淡い期待でしか無いことは分かっている、分かってはいるが願わずにはいられない。願いで挫けそうな心を奮い立たせなくては、碌に身構える事もままならなくなってしまう。
(村のみんなを助ける事が出来るなら、あたしの命くらい懸けてやろうじゃないの!)
(さあ、ここが生きてきて最大の正念場だよ……私!)
酷く脆い希望を手にする武器に託し、ミリィ達は命がけの時間稼ぎに身を投じる。
自分達の悪足掻きが、一人でも多くの村人達を救う事に繋がると信じて。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「……はあ…………はあ…………」
「レラ嬢ちゃん、気をしっかり持つだよ!!」
刻一刻と弱っていくレラの意識を繋ぎ止めようと、ペペは必死に声をかけ続ける。
応急処置すらする間もなくあの場を離れた事もあり、今も傷口から流れ出る血が彼の足を急がせレラの命を蝕んでいく。
「あと少し、あと少しで先生とこさ着くすけ!!」
「……っ……」
レラは涙ぐみ声を震わせるぺぺに、やっとと言った状態で返事を返す。
声に力は無く、金の双眸に宿る輝きも弱い。
「ぺぺ、さん……っ」
ぺぺの名を呼び、自分の首に提げていた言伝石を握りしめるレラ。たったそれだけの動きでさえ、激痛が腹部に走り表情を歪ませる。が、レラは必死に言葉を紡ぐ。
「ぺぺさん……お願いが、あるんです」
「喋っちゃ――いんや、喋れ! 喋って寝るでねえ! お願い、お願いってなんだ? 何でも言ってけろ、レラ嬢ちゃん!!」
「頼もしいです、ぺぺさん……」
血に濡れた唇を震わせ、霞む世界を見つめ、身体を蝕む痛みと迫る死の恐怖に晒されても――
――それでも尚、彼女は優しく微笑んだ。
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