止まり木の情景(3)




「きょ、今日はありがとうございました。まだ怪我が治ってないのに、ナナキさんに無理をさせてしまって……」


「俺の事は心配しなくて良い、幸い身体は頑丈なんだ。この位どうと言う事は無い」


 時刻は夕方。グノーの元で患者の治療を終えた名無は、結局あれから村の子供達が満足するまで遊び終わるのを待つことになった。

 何度かグノーやレラに一緒に遊ばないかと誘われたが、やんわりと断り一度も交ざること無く時間を過ごした。子供達の中には名無と遊べずにがっかりした子も居たのだが、やはり怯える様子を見せる子も居たのが現実である。

 もっとも、それが当たり前の反応だと分かっているため名無に落ち込んだ様子はない。むしろ――


「………………」


「どうかしたのか? あまり元気が無いようだが……」


 診療所から戻ってきてからというもの、レラに空き地で見せていた明るさが無い。


(子供達と遊んで疲れたという訳でも無いだろうし、体調が悪いわけでも無い。これは、広場の時と……)


 それは広場で自分の手に触れた時と同じ、酷く落ち込んだ顔。とは言っても、あの時とは違って心の色を読み取る力に対して嫌悪される事を怯えている様子はないが……。

 名無は息苦しそう表情を浮かべるレラを見かねて、出来るだけ柔らかい声で話しかける。


「俺がこんなことを言えば何を言っているんだ、と思うかもしれないが……悩み事があるなら聞こう。今の俺は話を聞く事ぐらいしか出来ないが、君が解決を望むなら出来る限り助言する」


「あの……わ、私…………」


「………………」


 相談に乗る言った以上、自分のペースで話を進めるのではなく相手のペースに合わせるのが礼儀である。早く言えと催促してしまえば、たとえ親しい間柄にある者同士でも打ち明けにくくなるのは明白だ。

 言い淀むレラを急がせる事無く、ただじっと待つ名無。

 そんな名無の手をレラは勢いよく握りしめた。それも、


「わ……私、彼方の事が……知りたくて……」


 彼女には似つかわしくない積極性に富んだ言葉を添えて。


「俺の事?」


「その……ナナキさんの小さい頃の事とか、どんな風に旅をしてたのか……とか、です」


(……なるほど、そう言う事か)


 ――『あなた』の事が知りたい



 年頃の男女間で言ったり言われたりした場合、まず間違いなく心が浮き足立ってしまう一言である。それもレラのような魅力ある少女の口から言われてしまえば尚更だ。

 しかし、名無は僅かに眼を細めただけで、それ以外に目立った変化は無い。

 言われたことに対して呆気に取られることも無く、頬朱くし照れるでも無く、まして意味が分からないと聞き返すこともしない。至って冷静にレラの言葉の真意を理解していた。


(牢屋に戻ってきてからレラの様子がおかしかったのもそうだが……彼女達が何も言わずこの状況を見届けているのも、色々と納得がいった)


 名無はレラから視線を外し、注視しすぎないよう自分の様子を窺っているミリィ達に眼を向ける。


(彼女の意志と言うよりは村長の指示と考えるの妥当だな……でなければ、こんな顔はしないはずだ)


 ミリィ達から再び目の前に座るレラに視線を戻す名無。彼の眼に映ったのは精一杯謝るように俯き、ぎゅっと眼を閉じるレラの辛そうな姿。

 ガロの村人達をどんな些細な危険からも護らなくては、と言う至極まっとうな義務感。

 レラの恩人である名無を何度も疑わなくてはいけない事への、逃れられない罪悪感。

 どちらも正しい感情の板挟みに苦しむレラの姿をみれば、浮ついた考えなど思い浮かぶはずも無い。


(……まったく、あの村長は容赦が無い)


 だが不思議と怒りは感じない、むしろ感心させられてしまった。

 昨日今日の出来事で自分がレラやぺぺ、友好的では無い村人を含め全員に危害をくわえないと確信したのだろう。

 敵意が無いのだから当然と言えば当然なのだが……面と向かって話をしたとは言え、異なる種族の、それも別世界の人間である自分の心理を読み切った役割分担である。


(捕虜が接する割合が多いのは看守役に世話係、それに医者。その中でも世話係が一番多い。その仕事を任された人物が温厚な上に見知った相手であれば、警戒心はかなり薄れる)


 自分はレラを助け、レラはそんな自分をこの村の誰よりも早く信用して手を差し伸べてくれた。だからこそ、彼女は要らない警戒心を起こさせず可能な限り自然に言葉を交わすことが出来る。

 捕虜である自分に対して、レラが情報を引き出す為の交渉役に選ばれるのは当然の帰結と言えるだろう。


(また情報を集める為、とは考えにくいか。村長であれば昨日の尋問で俺が魔族側にとって有益な情報を持っていないのは分かったはずだ。だとすれば考えられるのは……どうして俺が人間を殺していたか、か)


 あの場でガロの問いに応じたのは『心器』として信用を得られたマクスウェルだ。答えとして話した事は、自分が何故レラを助けたかについて。その最大の要因とも言える生い立ちである。

 だが、その中で人を殺した理由には触れてはいない。それを今度はレラを使って直接聞き出そうとしているのだろう。

 同族殺しは、この異世界において禁忌の一つ。

 敵対種族の内情を知るという意味も含まれているとすればレラが――いや、ガロ達が自分に探りを入れようとするのはなんら不自然な事では無い。


「………………」


「あ、あの……っ」


 しばし黙考する名無ではあったが、今にも涙が溢れてしまいそうな程に瞳を滲ませてるレラを見て小さく溜め息を吐き、胸の底に僅かな抵抗感を抱えながらも口を開いた。


「今から話すのは特別な事じゃ無い、俺の居た場所では何処にでもあったありふれた話だ。内容は……あまり良い物じゃ無い。聞いていて気分が悪くなったらすぐに言ってくれ、それだけ約束してくれるのなら話しても良い」


「は、はい。約束します」


「……分かった」


 とは言っても、広場でマクスウェルが大体の事情を話してくれた。それをもう少し詳しく話すことくらいしか出来ない。


(話すにしても何処から話せば良いか……やはり俺が軍に入った辺りからか?)


 必要以上に誤魔化すような事はしまいと、名無は話を切り出した。


「今から十年前、俺がまだ七歳になったばかりの頃の話なんだが――」


「ちょっ、ちょっと待ちなさい!」


「何だ?」


「あんた今、十年前……七歳って言ったわよね」


「ああ、確かに言ったが……何か問題でもあったのか?」


「も、問題があるってわけじゃ無いけど……」


 話し始めた直後、何か驚いたような顔をしているミリィに先を止められ首を傾げる名無。しかし、驚いているのは彼女だけで無く、レラとリーザも眼を点にしている。

 自分は驚くような事を口にしただろうか、名無は三人の反応に開いたばかりの口を閉じてしまう。


「あんたって愛想の無い仏頂面でしょ、だからあたしやレラと同い年なんて思わなかったのよ」


「わ、私も……です」


「見た感じ二十歳は超えてるかなって思ってたんだけど、私とも二つしか違わない年下君だとは予想外だよ」


 三人が驚いていたのは名無の端然とした態度と影のある外見とは釣り合っていない年の若さだった。名無にしてみれば、特に気に掛けるようなことでは無い。しかし、その実年齢は三人の予想を裏切っての同年代である。

 出会ってからずっと名無を年上だと思い込んでいた彼女達の立場になって考えれば、色々と衝撃的な事実なのかもしれない。


(少し驚きすぎだと思うのは俺だけだろうか? 年齢と外見の不一致を指摘するなら魔族である彼女達の方がずっと常識外れだと思うんだが……)


 表情が硬く、背が高い上に声も低い。同じ年頃の少年に比べれば自分の外見が少々大人びている事は自覚している。だが、それは此処に居る三人――特にミリィに言える事だ。

 背が低く小柄で、女性らしい起伏が無い肢体に子供特有の高い地声。戦っていた時でさえ、幼さが消えきらなかった大きな瞳。

 この外見で自分と同じ十七歳の少女だと誰が想像できるだろうか。少なくても一目で年齢を見極めるのは難しい。

 ミリィ以外にも例を挙げるのなら、ガロとグノーだろう。

 動物としての外見を持っている事もそうだが、ガロは自分でも手を焼くであろう脚力を。グノーはミリィとさほど変わらないハリのある声を。どちらも百を超えた老人が持っている物だとは思えない。

 魔族達は人間と違って種としての特徴がハッキリと分かれている。そのせいもあってその都度、年齢に見合った対応が取れるようになるには相当な時間が必要になるだろう。


(ここは下手に食いさがって話をこじらせない方が良いな……それに、雰囲気も幾らか和らいだ)


 今のやり取りでレラの表情が少し明るい物になった、他の二人も変に構えること無く自分と話せている。


「話を戻すが構わないか?」


 続きを再開するなら今だと三人に確認を取る名無、レラ達も自分達がすべきことを思い出し気を引き締め静かに頷いて見せる。


「今から十年前。俺が七歳の子供だった頃、俺は家族と生まれ故郷を心ない人間達に奪われた」


「……えっ」


「はっ?」


「なっ……」


 レラ達の口から出たのは同族殺しという禁忌を犯した名無が、名無自身も禁忌の所行を受けていた事に対する戸惑いの声。年齢のことで空気が柔らかくなったとは言え、やはりそれはすぐに霧散してしまった。


「ナ、ナナキさんのご両親を……人間が?」


「あんたの親ってあたし達魔族との戦いで死んだんじゃ……」


「違う、人間と人間。同族同士の争いで死んだ」


「う、嘘とかじゃ無いよね?」


「ああ、紛れもない事実だ。人間同士の争いで俺は両親と故郷を失い、俺だけが生き残った」


「そ、そんな……」


 雑談をするかのように言い出された悲劇の始まりと、その内容にそぐわない名無の態度。そのあまりの温度差に混乱し、レラ達が声を漏らしてしまったのは仕方なかっただろう。それでも名無は特に表情を変えること無く口を動かし続ける。


「死なずにすんだとは言っても、生き残った事を幸か不幸かで問うなら不幸だったと答えるのが正しいだろうな」


 能力を持たない人間と人を超えた肉体と超常の力を持った《輪外者》、この同種二系統の種族が存在する世界に名無は生まれた。

 人口八十五億人、《輪外者》の総数はその内の一割にも満たない。

 だが、その身に宿る力と知力、能力は武力だけでなく人口差すら覆してしまえる程のものだった。それによって《輪外者》達は、力を持たない普通の人間達に対して戦争を仕掛けた。自分達こそが生態系の頂点であり、世界を支配するに相応しい人間を超えた種であると宣言して。


「何百、何千、何万とと数えられないくらいの死傷者が出た戦場で生き残ったしまった俺は、俺の家族達を殺した奴らに捕らえられた」


 自分が捕縛されたのは《輪外者》達に対抗すべく結成された人間達の軍事組織。

 世界各地で起きる普通の人間と《輪外者》の種の存続を掛けた抗争。その戦いに巻き込まれてしまった民間人の避難と保護を基盤に起きながらも、その活動は徹頭徹尾輪外者の完全排除を目的としていた。

 そんな組織の一員に自分は保護という名目の元、碌な抵抗も出来ずに捕らえられたのだ。


「それからは《輪外者(同じ人間)》を殺す為の訓練をひたすら受けさせられた。やりたくは無かったが、従わなければすぐにでも殺されていただろうな」


 人間に取って《輪外者》の力は脅威以外の何物でも無い。

 故に人間側は彼等との戦力差を埋めようと善悪の区別が定かでは無い幼い《輪外者》達を集め、自分達の都合に合うよう教育を施したのだ。

 ――強い者が、優れた者こそが生き残るべきだ。そんな見栄の張り合いのような馬鹿げた理由で始まった殺し合いを人間の勝利で終わらせるために。


「俺と、俺と同じ境遇に縛られた子供はただの戦力として扱われた。それでも強い者が正しいとしか考えない同胞達は、非人道的な扱いを受け利用されてしまった俺達を許すわけが無かった」


 たとえ親しい間柄にあった相手だとしても、一度敵に回ってしまえば《輪外者》達は容赦なく武器の矛先を、能力を向ける。そんな人外を相手にするには、人間達の思惑通り自分達も全力で戦うしかなかった。

 逃げ場など何処にも無い日常を生き残る為に、仕組まれた死に抗う為に、何時終わるかなど分からない戦争を終わらせる為に。

 だからこそ名無は戦い続けた。同じ境遇に立ち、理不尽にも押しつけられ生かされている理由に嘆き苦しむ仲間を。この戦争を最後まで生き延び共に未来(あした)という希望を掴もうと思いを託し、託してくれた『仲間(かぞく)』の為にと。

 ……しかし、そんな未来は訪れなかった。


「そんな状況が十年間だ。死と隣り合わせの戦場に立ち続けて、敵を殺し続けた。なのに、俺は仲間を護れなかった。どれだけ戦っても、どれだけ強くなっても……誰一人」


 仲間を失った瞬間に名無の戦いは終わり、そこから言われるがままに同族を殺し続ける虐殺者としての日々が始まったのだ。そして、そんな生き地獄から逃げる為に、名無は大規模な討伐任務を利用してこの異世界に逃げ延びたのだ。


「これでもう俺に話せる事は無い、あとは広場でマクスウェルが話してくれた通りだ」


「今の話、本当にあった事なの? 作り話にしては度が過ぎてるわよ」


「ああ、間違いなく俺が体験した現実だ」


「そんな訳無い! 同族を殺すことが当たり前なんて絶対に有り得ない事よ!? いくら馬鹿な人間達でも、そんなの正気じゃ――」


「正気じゃなかったさ。俺も仲間も、殺してきた全員――とっくに壊れていたと思う」


 悲鳴と共に飛び散る鮮血、戦場を埋め尽くすように転がる屍、苦痛に呻き死にゆく者を追い打つように燃えさかる大火。

 血の海と蠢く業火によって染め上げられた戦場に立ち続けた者達が正気でいられた訳が無い。清く優しく穏やかな気質の者であればあるほど、現に体現した地獄に押しつぶされ消えていったのだ。


「信じられないのも無理は無い。だが、俺が居た場所はそうだった。他に聞きたい事は?」


 いきりたつミルディの抗議の声を遮る様に名無は黙り込んでいる二人の少女に眼を向ける。リーザは顔を険しくはしていても冷静さを失ってはおらず、静かに首を横に振った。

 そして、レラは……


「………………」


 名無の手を握る両手を震わせ何も言えずにいた。


「……すまない、聞かれた事とは言え簡単に話すべきじゃ無かった」


 震える理由は禁忌を戒めと思っていない人間がいる事への怒りか、それとも人を殺し続けた殺人鬼が目の前にいる事への恐怖なのか……理由は分からない。そんな彼女を慰める方法を自分は知らない。出来るのはこれ以上、見るに堪えないであろう自分の心を視なくても済むように手を解くことだけ。

 そっとレラの手を解く名無の表情は、自分の過去を話していたときよりも暗かった。心の色も同じような色をしているに違いない。


「他に聞きたいことが無いなら、もう帰ると良い。そろそろ暗くなる」


「言われなくてもそうさせてもらうわよ……レラ、立てる?」


「……は、い」


「それじゃ、行こ」


 ミリィとリーザの手を借りやっとと言った様子で立ち上がるレラ。

 ガロの命で同族殺しの理由を聞かなくてはならなかったとは言え、自分が想像していた事よりも名無の話が酷い内容だったのだろう。蒼い肌が特徴的とは言え、その頬は更に青く気の毒になるほど弱々しい雰囲気だった。


「気をつけてな」


 レラは小さく頷き、ミリィ達に支えられながら牢屋を後にした。


 牢屋に残された名無は一人、レラ達が出て行った扉を静かに見つめる。


『マスター。レラ様達の行動から推測すると、こうしていられる時間はもう……』


「ああ、分かってる」


 無機質な声音でありながら、確かな哀愁を感じさせる声で名無に語りかけるマクスウェル。だが、マクスウェルが意見を言い終わる前に名無は答えを返す。


「情報はあまり集まっては無いが、むしろ今まで都合良く動けた事くらいだろう」


『脱出の決行は何時でしょうか?』


「今すぐに、と言いたいところだが……取り上げられた装備の所在確認、その回収が済んでからだ。それまでは……」


『…………イエス、マスター』


 マクスウェルは名無に何か言いたげな間を作ったが、名無の指示に従う意志を示すだけでそれ以上は何も言わなかった。

 何も言わずとも、何も聞かずとも名無の真意を理解したのだろう。

 叶うのなら、この村を去る前にもう一度だけ……眼に焼き付けたあの穏やかな光景を見たい。そんな主の小さな我が儘を。





 マクスウェルが主の独白を受け止めてから数時間、外はすっかり暗くなり夜空には次々と名乗りを上げるように星々がその輝きを振りまいている。

 しかし、その宝石の如き輝きを持ってしても、ある者達の心は照らすことは出来なかった。


「――人間達の景況は想像以上に惨憺たるものじゃな、それを知ることが出来たのは僥倖。じゃが……共に戦った友の為に同族殺しに身を落としたとは、やはり人間らしからぬ理由じゃのう」


「そうかなぁ? ボクはあの子らしいって気もするけど」


「………………」


 牢屋内で語られた名無の話を一言一句、正確に伝えるレラ達の言葉を聞き終えた二人――真逆の意見を唱えあったガロとグノー。

 皆がいたのは村の中で一際大きな家屋、ガロの住まいである。

 その佇まいに反して中の造りは名無を幽閉している牢屋以上に物が無い。調度品の類どころか寝床らしき物も見当たらない質素なもの。

 だが、この住まいその物がガロの寝床であり、この寝る以外に使われない場所が彼の最も安らげる家だった。にも関わらずガロの表情は硬く、一緒にいるグノーやレラ達。そして、他に集められた何人かの村人達も言い知れぬ緊張感に顔を強ばらせていた。


「力の弱い人間達が力を持つ者に逆らうとは思えなんだが……」


「でもぉ、マクスウェルさんが話してくれた事と同じだったんでしょ? なら、信じ見ても良いと思うよぉ。それはガロも他のみんなも分かってるよねぇ、『心器』である彼女がボク達に嘘を吐く理由が無い……だって元は同じ魔族なんだから」


「………………」


 躊躇いがちに溢したグノーの言葉、それは魔法具の中で『心器』と呼ばれる物の正体。

 魔法具はその名の通り魔法の力を付与した武器、防具、道具の総称である。中には、所持しやすいよう水晶に保管し持ち歩く場合や名無の手首を拘束する『魔封じし流るる帯』の様に、水晶その物を魔法具として使用している物もある。これら全てが魔法を宿した物の特性を失うこと無く魔法の効果を発揮する一種の特殊兵器であり、主に魔法を使える回数に限りがある魔族達が人間達との戦力差を埋める為に造り出した物である。


「人間と違ってボク達魔族は魔法を自由に使えない、魔力の枯渇は命に関わっちゃうもん。ご先祖様達が彼等との力の差を埋める為に造った物なんだろうけど……人間達も傲慢だけど馬鹿じゃ無い、吐き気がするような酷い事をしてくれたしねぇ」


 だが、『心器』だけは違う。

 『心器』はその全てが人間達によって造り出された魔法具。

 しかも『心器』の精製法はレラの様に魔法とは別に能力をもった魔族の肉体と魂を材料にして造られ、魔族にとっては同族殺しに並ぶ忌むべき禁忌の一つでもあった。


「でもぉ、あの二人の様子を見る限りマクスウェルさんが無理矢理従わされてる感じは無かったよぉ。むしろ、自分から進んでナナキ君を助けてあげてるみたいだし」


「それは分かっておる。分かっておるから、こうして困っておるんじゃよ」


 ガロが名無の処遇を決めかねている原因はマクスウェルにある。

 マクスウェルは人工知能を搭載した機械でしかない。しかし、ガロ達魔族にしてみれば人間達の手によって命を絶たれ死後の安寧すら奪われた憐れな同族なのだ。

 だと言うのに、マクスウェルは己を殺した側の人間である名無を自らの意志で手助けしている……と言う事実が枷となりガロの決断を鈍らせる。


「とは言え、何時までもこうしている訳にもいかん。……多数決をもって、あの者の処遇を決める。ナナキを生かすか殺すか述べ、その理由も答えて欲しい。まず、儂から言おう」


 簡単に消しきれない感情に苛まされながらも、ガロは何処までも理性的な瞳をこの場に集まっている者達全員に向けた。


「儂は、あやつを生かしておくべきでは無いと考えておる」


 その言葉に、レラは肩をふるわせ息を呑んだ。その姿は名無を死なせたくないと思っている事を、容易に分からせてしまう物だった。

 もちろん、その姿はガロも見ていた。それでも、情にほだされないよう名無を殺すべきだという根拠を語る。


「あやつは『誰かを助けたかった』と言っておったが、その中には人間達も含まれるのじゃろう。現にレラを手込めにしようとした者達を殺さずに逃がしておる、どちらに転ぶか分からんのであれば甘い考えは捨て得るべきじゃろう」


「ボクはあの子には死んで欲しくないなぁ。この村じゃ古株の一人だけど、元々ボクはよそ者だ。でもその分、外で色々なことを見てきた。信じられないかもしれないかもだけど、ナナキ君みたいな人間が他に居ないわけじゃない。そう言う事も知ってるからねぇ、ボクはあの子を殺すべきじゃ無いと思う」


 真っ向からガロと対立する心情を吐露するグノー。ガロに比べ、その体躯は小さく脆い。しかし、ガロと同じ年月を掛けて深めた知識と重ねてきた確かな経験を持って、怯むこと無くグノーはガロの視線を受け止める。

 のっけから意見が分かれ室内に緊張が走る。次の発言者が誰だろうと、すでに対立の構図は出来てしまった。だが、此処にいる全員が仲違いをしたいと思っているわけではない。互いに視線を向け合うレラ達の眼に敵対する意志はなかった。

 そんな中、


「あたしは村長の意見に賛成。あいつが無害な人間だとしても、同族殺しをした事に変わりはないわ。そんな危ない奴をこのままにしてたら、何をしでかすか分からないもの」


「私も二人と同じかな」


 ミリィとリーザは迷うこと無く手を上げ、名無の命を絶つ事に賛成の意志を見せる。ミリィはともかくとして、リーザがガロ達と同じ側に立った事が意外だっただろう。レラだけで無く隣にいたミリィも動揺に揺れる瞳をリーザに向ける。


「ナナキ君から直に話を聞くまでは殺したりしなくても良いんじゃないかなって思ってた。だけど……」


 リーザは何かに怯えたように言葉を切り、自分の肩を抱きしめた。名無と戦ったときでさえ見せなかった恐怖を抱く彼女に口を挟む者はいない。


「ナナキ君は良くも悪くも自分が戦う理由があれば、きっと迷うこと無く『敵』を殺せるんだと思う。私だって村のみんなを護る為ならそうすると思う。けど、ナナキ君は違う。本当に自分が護りたいものを見付けてしまったら、魔族だとか人間だとか関係なく誰だろうと殺す同族殺し以上の何かだって気がするんだよね」


 微かに震える唇から重い吐息を溢し、すぐに息を吸い込むリーザ。名無に対する私見を一息で言い切ったせいで息は僅かに荒いが、その表情に赤みは無かった。


「――グノー先生には申し訳ないが」


「おいら達も村長達に賛成だ。あの人間と直に話したことはねえけんど、三人が言ってることが間違ってるとは思えねえ」


 有角族とゴブリンの代表である彼等も名無は危険だと判断していたのだろう。

 そこにガロとミリィ、そしてリーザ……信頼のおける人物達の意見が二人の考えを後押しする形だった。


「これで答えは決まりじゃな、じゃが……」


 この場にいるのはそれぞれが種の代表役と言える七人、その内の五人が名無を殺すべきだと考えを示した。多数決による判定である以上、まだ意志を言葉にしていないとは言えレラの意見を聞く必要は無い。

 と言うより、聞くまでも無くレラがどちら側に立つかなど分かりきっている。数の上では五対二、結果を覆すことは出来ない。出来ないのだが、ガロは胸の内を示していないレラを見据えた。


「あの人間をどうするべきか……レラ、お前の意見も聞かせておくれ」


「…………怖かった、です」


 すでに村の意向は変えることは出来ない、自分の意見で何か変わることが無いこともレラには分かっている。

 だがしかし、レラは一言一言しっかりと胸に抱いた想いを声に出す。


「森で人間の男の人達に、酷い事をされそうになりました。凄く、凄く怖かった……。でも、ナナキさんは違いました」


 レラが森で襲われたのは僅か二日前。

 暴漢達に襲いかかられた時の事を思い出したせいで、華奢な身体を震わせた。だが、名無の名を口にした瞬間、レラの身体の震えが止まる。


「あの時、ナナキさんも私に乱暴する気なんだって思って怖くて、木の枝とか小石を投げてそれで怪我をさせちゃいました。なのに、ナナキさんは私に乱暴なんてしなかった。怒らないで私を心配してくれました、それに……」


 レラは自分の頭に手を重ね、青みがかった烏羽根色の髪に触れた。そこは彼女を安心させようと名無が触れた場所。


「初めてでした、お父さんやお母さん以外であんなに自然に私に触れてくれた人は……。私が心の色を読み取れるって知った後も……自分から手を差し出してくれた事も」


 ブルーリッドの持つ力は触れた相手の心色を読み取る――のではない。正確に言うのであれば、自分達の意志とは関係なく触れてしまった相手の心色を読み取ってしまう力。

 それも同じ魔族でも無意識に警戒、敬遠する程に強力な。

 その力を持って生まれた苦悩は、他者が簡単に分かるようなものでは無いだろう。如何に誓約が皆無に近いとは言え、読み取れるのはあくまで心情を表す色。


 赤は情に篤い事を示しながらも、一方で激情を連想させる。


 青は平和的に冷静な判断が出来るが、同時に冷たさを感じさせる。


 黄は活発で明るい面を持つものの、自己中心的な性質が見られる。


 緑は安らぎを与えてはくれても、瀬戸際に置いての決断力に劣る。

 

 喜怒哀楽を表現する上で最も分かり易い色だけ取って考えても、時と場合によって意味合いががらりと変わる。色を見ることが出来ても、その色がどんな気持ちなのか表情を見て、声音を感じ取り、言葉を聞き取って様々な情報を元に心の在り方を導き出さなくてはならない。


「初めてナナキさんに触れられて、見えてしまった心はとっても悲しそうな色。悲しい気持ちが心の底まで染みこんだような深い藍色でした」


 それこそ心という器が何時壊れてしまってもおかしくない程に悲哀という感情に満たされていた。抵抗する力も武器も無い、満足に逃げる事も出来ない、自分よりも弱い相手を前にしていながら、この人間はどうしてこんなに悲しそうなのかと戸惑ってしまうくらいに。


「でも、私の怪我が治った時、ナナキさんの心が今まで見た事が無いくらい綺麗で暖かな……お日様みたいな色になったんです」


 太陽の色は見る者によって口にする色は違う。

 赤色であったり、黄色であったり、橙色であったり金色であったりと色が持つ意味合いと同じように様々な答えが返ってくる。

 そんないくつも色(すがた)を持つ中で、レラが例えた色は温かく優しい煌めきを放つ陽光色。陽光とは字の如く、太陽が放ち天から降り注ぐ光。


「悲しい気持ちで一杯だった心が、あっという間に嬉しいって気持ちになったんです。本当に心の底から私が元気になった事を喜んでくれてる色に、診療所で村の人達を治療してくれた時も……グノー先生の言葉に悩んでいても、同じように喜んでくれていたんです」


 額に汗を滲ませながらも、場に満ちる緊張に怖じ気づくこと無くガロの視線を受け止めるレラ。この先、口にした言葉が魔族として間違っていると否定されても考え直す事なんてしない。

 そう決意したレラは――


「私は、ナナキさんに生きていて欲しい。命の恩人だからじゃ無くて、自分のものじゃ無い、誰かの小さな幸せを……あんなに嬉しそうに喜んでくれる優しい人だから」


 診療所の待合席で小さな微笑みを浮かべていた名無の姿を脳裏に描き、ハッキリと自分の思いを打ち明けた。

 打ち明けた言葉の余韻に続くのは、その言葉を否定する声でも、あざ笑いさげすむ視線でも無い。あったのは変わらずあり続ける張り詰めた緊張感と真摯な眼差し。

 この場に居る全員がレラの言葉にしっかりと耳を傾ける姿だった。


「これで全員が発言し、結果もすでに決まった。それでも、儂に賛同してくれた皆に問おう……あの若者に下す答えは変わらんか?」


 受け取り方によっては、レラやグノーに譲歩しているようにも思える。しかしその実、ガロがミリィ達に問いかけたのは名無の命に対する責任だった。例え相手が敵だとしても、救いようのない悪人だったとしても、想い想う誰かが居る。親であり、友であり、恋人が。

 それを分かって尚、命を奪う選択を選ぶ覚悟があるのか、後に向けられるであろう哀しみと憎しみから逃げないという決意があるのか。ガロは鋭い視線と固い声で、自分達が口にした言葉と掲げた手の意味を問う。



「「「「魔族である誇りに誓って」」」」

 


 そしてその真摯な問いかけにミリィ達の声は寸分違わず重なり、変わることの無い答えを響かせた。

 その光景にレラは唇を噛みしめるも、顔を俯かせることは無かった。グノーも数秒だけ眉をしかめただけで、何も言うことはなかった。二人も五人の覚悟が確かな物である事が分かっていたからだろう。


「グノー」


「なんだい、ガロ」


「お主等の言うように、あの若者は良き隣人となり得たかもしれん。せめてもの償いに、苦しむことの無いよう安らかな眠りを送りたい。その為の薬を調合してくれんか?」


「安楽死の薬は予備を置いてない、普段使いするような物じゃないしねぇ」


「それくらいは分かっておるよ。必要な材料は明日にでもレラに取ってきてもらう、護衛にはミリィとリーザを付ける。本当ならお主に行ってもらうのが一番じゃが、明日もまだ診なくてはならん者達がおるじゃろうしな」


「まあねぇ。でも、材料を取りに行くって言うなら他にも色々と取ってきて欲しい物もあるんだぁ。あと一人くらい荷物持ちを付けてもらっても良い? 多分、結構な量になると思うからぁ」


「分かった、ならばペペにでも行かせよう。レラや、今の話をあやつにも伝えておいておくれ」


「分かりました……」


 ガロの言いつけはレラには酷な事だが、それも万が一の事を考えてのことだった。レラもガロの考えは痛いほどに分かっていた、分かっていたからこそ拒絶することは出来なかった。


「必要な物は言伝石に吹き込んでおくけど……ボクとレラにナナキ君を逃がされないようにしては……ああ、別に責めてるわけじゃないよぉ。それでも明日って言うのは、ちょっと急ぎすぎじゃ――」


 自分達を信用していないのであれば薬の調合を頼むことも、期日という制限時間も明かすことはしないだろう。ならば、明確にそれも残り少ない時間を明言したのは何故なのか。

 グノーは性急に事を運ぼうとする理由を聞こうとして、すぐに止めた。


「君が焦ってるって事は……結構な大物が出てきちゃったのかなぁ?」


 そして、グノーが何を言っているのかレラ達も理解したのだろう。その表情が今までとは比べものにならない程、深刻なものになっていく。


「朝、外の様子を男衆と見てきたんじゃが……森の向こうにある平原に陣地を築いておったわい。しかも、群れの旗幟には魔法陣に剣を突き立てた紋様があった」


「あちゃぁ……、本当に大物じゃないかぁ。まさか隠れ里一つに《異名騎士》が出てくるとは、予想外だねぇ」


「他にも百近い《魔法騎士》もおる。儂等だけでは太刀打ち出来ん、残念じゃが……」


 避けられぬ敗北に溢れ出る言葉を押し留めようと口を噤むガロ。

 しかし、顔に悔しさを滲ませ口にすまいと堪えた言葉が諦めと共に溢れ出る。










「あと数日もせんうちに、この村は滅ぶじゃろうな」










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