止まり木の情景(2)


 ルクイ村、捕虜生活二日目。

 捕虜とは言っても優遇された扱いを受けた名無は、今日もしっかりと出された朝食を無駄にする事なく完食。牢屋の掃除にぺぺを残してミリィとリーザ、レラの三人によって村の広場へと連れ出されていた。

 また尋問かと思い今度は身構える名無だったが、


「俺に怪我人の治療を?」


「そうじゃ、お主は治癒魔法を使えるじゃろ」


 牢屋から出された理由は、意外とも思える内容だった。


「一昨日の戦いで村人にも何人か怪我人がおってな。幸い死んだ者はおらんが、村の薬師だけでは手が足りんのじゃよ」


(レラを襲っていた奴ら以外にもいたのか……)


 ガロの言葉に森での出来事を思い出す名無。

 あの時、自分はガロやミリィ達に襲われはしたが、こちらから傷つけるような事はしていない。だが、森を抜け真っ先に攻撃を仕掛けてきたガロの口元には赤い血が付いていた。

 もしかしなくても、あの三人以外にいた魔法騎士達と戦った痕跡。今まで彼等の姿を見なかったと言う事は、もうこの世にいないのだろう。

 敵対したとは言え名無は胸の内で、見知らぬ男達の冥福を祈る。


「怪我人以外にも病人もおる、お主の力を借りたい」


「それは、構わないんだが……」


 自分がレラの傷を治したのは魔法では無く能力だ。

 魔法と能力、そのどちらも超常の力ではある。だが、ガロとの会話から察するに能力の方が縛りが多いかもしれない。

 ガロの言う治療魔法は怪我や病気、両方に効果を発揮するもののはず。一方、『施療光包』は傷を治す能力だ。

 傷の無い症状にたいして、どれだけの効果が期待できるだろうか。

 名無はマクスウェルに触れ、どう答えるべきか意見を求める。


「俺の――魔法はどの程度通用すると思う?」


『打撲、裂傷、骨折といった外傷に関しては問題ないかと。病気でも少なからず効果はあると思いますが、人間と魔族では肉体を構築している細胞、成分が異なります。あまり期待はしないでおいた方が良いかと』


「知識を補填できたとしても難しいか?」


『人間が煩う物と類似する点があれば、症状を和らげる事は出来るかもしれませんが……判断するにはデータがありません。実際にやってみるしかない、としか』


 元々、マクスウェルは名無の戦闘支援の為のAIユニットである。

 戦いで負う傷、つまり外傷に対する処置であれば有る程度インプットされてはいる。しかし、風邪や内臓疾患などに関しての情報はまちまちだ。元の世界であれば通信回線を介しサーバーにアクセスして、その手の情報を集め最適な助言を下すことも出来ただろうが異世界では当然それが出来ない。

 如何にマクスウェルが優秀な支援ユニットだとしても、この世界では医学知識を持った者の手を借りるしか無いのが現状だ。


「聞いた通り怪我人は何とか出来そうだが、病人の方は力になれないかもしれない」


「構わん、怪我人を治せるだけでも充分じゃ。治癒魔法を使える人間はそうお目にかかれんからのう」


「それなら、出来る範囲で協力させてもらう。それで、怪我人は何処に?」


「レラに案内させる、お主は付いていけば良い」


「分かった」


 互いに自然体で言葉を交わす名無とガロ。そんな二人を見てミリィは顔を顰めた。


「村長、本当にその人間に怪我人を見せるの? 怪我人を治す振りをして逃げるかもしれないのに」


「まったく、ミリィは心ぱ――」


「リーザは黙ってて」


 疑い深いミリィを窘めようとしたリーザだったが、有無を言わせず逆に一喝するミリィ。その表情は時間が経つに連れ、冷たさを増している。


「人間なんてあたし達より魔法が自由に使えるくらいで、魔族を奴隷扱いしてくるような奴らよ。その人間が善人だとしても、簡単に信用して良い訳ないじゃない」


「お前の言う事も尤もじゃが、今は使えるものは使うべきじゃろう。何時までもこうしていられるか分からんからな」


「それはそうだけど……」


「こやつが、儂等に牙を向けたらお前の好きにして良い。それでどうじゃ?」


 今の言葉は隠れ里の長としては、あまりにも軽率的な発言であるのは誰の眼にも明らかだろう。だが、ミリィと同じ考えを持つ村人もいるのだ。ミリィや他の者達の不満と不安を取り除くには、こうするしか無い。

 そう判断しての譲歩案をガロは提示し、ミリィの返事を待った。


「そうさせて貰えるなら、あたしは文句ない。あんたも疚しい事が無いなら良いわよね?」


「ああ、対応は任せる」


「今の言葉、あとあと後悔しない事ね」


 ふん、と鼻を鳴らし背を向けるミリィに名無は苦笑を溢す。


「さて、話が逸れてしまったがお主はレラに付いていけ。ミリィとリーザも、そやつと一緒にグノーの手伝いをしてやってくれ」


「そのグノーという人物が薬師なのか」


「うむ、この村唯一のな。とにかく、怪我人の治療は任せたぞ。儂はまた男衆と森へ出る、ではのう」


 用件を伝え終わったガロは名無達に踵を返し、男達が集まっている森へと続く出入り口へと歩いて行った。

 レラ達と共にその場に残された名無は、自分が原因であるギスギスとした雰囲気を感じつつも行動を起こすべく口を開く。


「早速その薬師の元へ向かおう。レラ、案内を頼む」


「は、はい。こっちです!」


 助け船が出たと言わんばかりにレラは安堵の表情を浮かべ、小走りで名無達をグノーの元へと案内するのだった。



 怪我人や病人が集められていたのは村の中でも日当たりが良く、風通しの良い場所にある診療所のような建物。

 外観は村の民家とあまり差はない。だが、外には雨よけの屋根が着いた待合席のようなものがあり、其処には治療を待つ魔族立ちの姿があった。人数は五、六人ほど。

 中にもいるであろう患者達の事も考えると十人を超えるかも知れない。

 そして此処でも例に漏れず、名無は怪我をしている魔族達から疑いと怯えを宿した視線を向けられた。


「グノー先生、ナナキさんを連れてきました」


 冷たい視線を身に受けながらも、名無はレラの後に続き診療所の中に入る。ミリィとリーザも診療所の敷居を跨ぐ。


「おぉ、やっと来たねぇ」


 レラの呼び掛けに答えたのは、舌足らずな口調をした一匹の猫。


(言葉を話せる二足歩行の猫……確か猫の妖精(ケツト・シー)と言うんだったか)


 ルクイ村の薬師、グノー。

 黒い毛に覆われたずんぐりとした姿で立つ姿は、口調と相まって思わず微笑んでしまうほど愛らしい。だが、身に纏っている白衣のいたる所に付いている血の跡。

 すでに乾いた痛々しい模様が、彼が何人もの患者を治療してきた歴とした医者である事を示していた。


「やあ、初めましてぇ。ボクはグノー、この村の薬師で君を診た者だよ。身体の調子はどうかなぁ、ナナキ君」


「動くと少し傷が痛む程度で、他に問題はない」


「そかそか、それは良かったぁ。君の治療を優先した甲斐があったよぉ」


「その事には感謝してもしきれない。俺は村長から貴男を手伝うよう言われて来た、俺に出来る事なら何でも協力させてもらう。遠慮無く言ってくれ」


「それじゃ早速、ボクから治してもらおっかなぁ」


「貴男から?」


 名無は訝しげに診療所の中を見回す。あらかた予想通り、と言うように診療所内にも患者がいた。

 頭から羊のような角を生やす有角族の少年に、立派な口ひげを生やしたドワーフの男性。他には乳飲み子である三人の赤ん坊を器用に抱き抱えた、グノーとは別の種類――狼の獣人である女性。おそらく抱えている赤ん坊が患者だろう、そうなると計六人。

 出来る事なら重傷者から治療に入りたい、そんな名無の心を見透かした様にグノーは包帯が巻かれている自分の右腕を胸の前に上げる。


「本当なら患者を優先したいんだけど、見ての通りボクも怪我をしてしまってねぇ。しかも利き腕でさ、動かすのも辛いんだぁ。これからの治療に支障をきたしたくないし、だから先にお願い」


「そう言うことなら。マクスウェル、生体スキャンを」


『イエス、マスター。しばらく時間が掛かりますので、しばしお待ちを』


 マクスウェルは一輝きすると、グノーの怪我の解析に入る。


「へぇ! 『心器』持ちかぁ、随分と珍しい組み合わせだ」


「貴男は広場にいなかったのか?」


「君以外にも患者はいるからねぇ。こう見えても腕は確かだよ、魔族の中でも特に腕が良いと言っても過言じゃ無いだろぉ!」


 えっへん、胸を張るグノー。

 レラやミリィ達はグノーの威厳の足りない姿に苦笑を浮かべるが、医者としての技量に関しては否定すること無く頷いた。


『マスター、グノー様の生体スキャン終了しました』


「それで、俺でも対処できそうか?」


『イエス、結果としてはワタシ達の知る猫と限りなく近い構築体のようです。そして、レラ様達と同じく普通の猫とは異なる細胞物質が確認できました。が、外傷を治すだけであれば何も問題ありません』


「そうか、ならすぐにでも傷を治そう……これを外してもらっても良いだろうか?」


 名無は自分の両手を縛る封魔法具に眼を向ける。

 魔法具『魔封じし流るる帯(タイン・リオン・エヴィ)』は魔法を発動させる為に必要となる魔力を封じる物である。従って魔力を持っていない名無には何の意味も成さないのだが、レラ達ルクイ村の住人は全員が名無を自分達の世界の人間だと勘違いをしていた。現に今もそう思っているだろう。


(このまま能力を使っても良いが……得策じゃない)


 ――魔法具によって魔力を封じている。

 その常識である考えが少なからず村人達に安心感を与えているのは、自分への緩すぎる対応からまず間違いないはずだ。


(不必要に問題は増やさずに回復に努める、自然治癒力で完治するまでは刺激するような行動は出来るだけ避けないとな)


 胸の内で一人、名無は水面下の駆け引きに神経を研ぎ澄ます。


「えっとぉ、これの解言を知ってるのは誰かなぁ?」


「あたしよ」


「それじゃ、ナナキ君の封印を解いてあげてちょうだいなぁ」


「……何でこう人間に甘い人達が多いのかしら」


 ミリィは心底残念だと溜め息を吐き、ナナキの手首を縛る『魔封じし流るる帯』を触れた――抜き身の小剣を左手に持って。


「この距離なら無詠唱でも魔法より早い、少しでも変な動きを見せたら本当に切るから。死にたくなかったら抵抗しない方が身の為よ」


「ああ、分かってる。治療が済んだらすぐに再封印してくれて構わない」


「……外すわよ」


 あっさりと、それでいて自ら封印を頼むという正気を疑ってしまう名無の言葉に、ミリィはそれ以上何も言う事が出来ず魔法具を見つめる。



 ――彼の者を縛りし戒めよ 我が願いを聞き入れ彼の者を解き放て



 何度かの囀りに反応し、五芒星が輝く。すると名無の手首を縛っていた半透明の帯が霧となって消えていった。


「これで魔法が使えるはずよ、さっさと先生の怪我を治して」


「やってみる」


 自由になった両手をほぐし、名無はグノーの右腕に巻かれている包帯を外していく。


「……っ、これは酷いな」


 包帯の下にあった布綿は血と膿を吸って赤茶色に染まり、あらわになった傷は名無でも顔を顰めてしまうほど拙い状態だった。

 右腕の前腕部にはしる深い裂傷、傷口からして剣によるものだろう。しかもその周囲は酷い火傷を負っていた。ぐずぐずに焼けただれ腫れ上がっている体皮は診ている側にも痛みを錯覚させてしまう有様である。


「大丈夫、とは言えないなぁ。割と痛みも感じなくなってきてるからさ」


「切り傷に深度三の火傷……よくこれで患者の治療が出来たものだ」


「ボクは薬師だからねぇ、患者の前でへこたれてなんかいられないよぉ。まあ、その話は置いておいて……ちゃんと治せそう?」


『問題なく完治できるかと、ただ失った体毛まで元に戻せるかは分かりかねます』


「だそうなんだが」


「傷さえ治れば問題無いから、さあどうぞぉ」


「ああ――『施療光包』」


 傷ましい傷に両手をかざす名無。両手に灯る暖かな光はグノーの傷を優しく包み込み、ゆっくりとではあったが傷を治していく。時間にして十数秒、レラの時よりも時間が掛かってしまったが陽光の輝きは傷と共に消え、腕にはしっかりとふさふさな毛も戻り傷跡も残らなかった。


「凄いねぇ! ここまで治せるとは思ってなかったぁ」


「期待に応えられて何よりだ、それで俺は力になれそうか?」


「うん、ばっちし! 安心して任せられるよぉ」


「そうか」


 協力すると言った手前、これで役に立つことが出来なかったら眼もあてられなかった。足手まといにならずにすんで何よりである。


「早速診察していこう、まずは怪我をしてる子供からいってみようかぁ」


 グノーが一番手として最初に選んだのは、羊のような角を頭から生やした少年だった。少年は右腕を三角巾でつっており、それを見る限り骨折の類だ。


(骨折なら俺も何度も経験してるし、粉砕骨折で無いのならすぐに治せるな)


 レラの様に怯えた様子はないが、自分から片時も眼を逸らさない少年に苦笑を浮かべる名無。


「信じるのは難しいと思うが俺は敵じゃ無い、君や他の村人達にも危害を加えるつもりも無い。だから俺に君の傷を治療させて欲しい。治療に入る前にレラに俺の心の色を見てもらう……頼めるか?」


「は、はい」


 レラが待つ力の信憑性は、この世界の人間や魔族の垣根に関わらず高い信頼を得ている。自分が誠心誠意言葉を尽くすよりも手っ取り早い。少しでも治療をしやすくするべく、名無は躊躇うこと無くレラに左手を差し出す。


「そ、それじゃ……触りますね」


「ああ」


 レラも差し出された手をそっと握りしめ、名無の心色を読み取り名無を危険人物だと倦厭している村人達に見えた色を伝えた。


「白です、ナナキさんは嘘をついていません」


 レラの一言で強ばっていた村人達の表情が少しだけ緩む、それだけで彼等がレラの事を信頼しているのか良く分かる。


「俺を信じられなくても彼女の言う事なら信じられるだろう?」


「……うん」


「そのまま動かないでいてくれ、すぐに終わるからな」


 レラと手を繋いだまま名無は少年の腕に右手をかざす。そして、レラやグノーの傷を治した時のように問題なく折れた骨を治した。


「わぁ!」


 すると少年は表情を一変させ、折れていたはずの右腕を三角巾から引き抜きブンブンと振り回した。ものの数秒で折れていた腕を治したことを驚いたのだろう、何度も腕を振ってはちゃんと動くかどうか確かめている。他の村人達も少年の様子に顔を見合わせ、危険は無いようだと頷き合う。


「つ、次は俺だ。怪我じゃねんだけどよ……」


「ああ」


 今度は身長も体格も、今し方怪我を治した子供くらいの身体つきをしたドワーフの男。

 症状としては少年の様に眼に見える怪我はしていなかったが、少し顔が朱く何度も辛そうに咳き込んでいる。


(うまくいけば良いんだが……)


 これで病にも対処できるなら、より手伝いがしやすくなる。名無は少年から離れ男の前に立つ。


「マクスウェル、何か分かる事は?」


『そうですね……体温が五十五度、脳内の血管に膨張反応を確認、加えて喉などの呼吸器官に少しだけ炎症が見られます。体温が高すぎる点を除けば、人間でいう風邪の症状ではないかと思われます』


「グノーさん、マクスウェルの見立ては正しいだろうか」


「あってるよ、薬は出してるんだけど長引いててねぇ。やってみてくれる?」


 名無は首肯で答えると『施療光包』を発動させ頭から喉、そして胸部にかけて右手に灯る光をゆっくりと当てていく。今回は身体の中の症状であるため、目視ではなかなか効果を確認しにくい。

 それでも症状が改善されたのか、男も少年の様に驚きつつも身体の調子を確かめる。


「どうだろうか? これで少しは良くなっている筈なんだが……」


「ああ! さっきよりも全然調子が良い、熱もだいぶ下がった感じがするし喉の痛みねえ。これならすぐにでも仕事に戻れそうだ」


「だが、完治したかは保証できない。あまり無理はしないでくれ」


「ははっ、これなら治ったも同然だ。恩にきるぜ、人間の坊主!」


 男は豪快に笑い声を上げ名無の腰をバシバシと遠慮無く叩き、診療所を後にした。


「………………」


 一方の名無は戸惑っているような表情を浮かべる。


「い、今のはお礼みたいなもので、ナナキさんを傷つけようとした訳じゃ無いんです!」


『感謝の印にしては少し手荒い、と言うより迂闊ですね。マスターでなければ争いの種になっていたかもしれないというのに』


「グノーさん」


「何かなぁ、ナナキ君」


「彼は、どうして俺に向かって笑ったんだ?」


 その問いはマクスウェルの指摘とは全く関係の無い物だった。それも、名無個人に対してと言う訳では無い。人間に対して何故、何の蟠りも無く笑えたのかと言う事だった。


「あぁ、それは彼がこの村で生まれ育ったからだろうねぇ」


「どういう事だ?」


「この村が隠れ里なのは知ってるよねぇ。その特性上、ここは人間達から酷い仕打ちを受けた魔族達の逃げ場にもなってるのさぁ」


 グノーは名無と入れ替わるように、獣人の女性が抱き抱えている子供達の診察に入った。

「数としては村全体の半分も無いけれど、話を聞くだけで人間と会った事が無い村人達も嫌悪を抱くくらいの酷い事をされた人達もいるんだぁ」


「………………」


「今の話で分かったと思うけど、君に辛くあたる人達は大体外からの移住者。レラにぺぺ、それにリーザや今の患者みたいな感じの人達はルクイ村の生まれなんだよねぇ」


「そう言うことなら納得がいく」


 とは言え、まさかこの小さな隠れ里に避難場所としての役割があったとは思わなかった。しかし、そう言った背景があるのならレラとミリィの態度の違いにも説明が付く。

 レラやぺぺ、そしてリーザはこの村に生まれ育ったために人間に対する警戒心が弱い。レラに関しては自分に助けられたという事と心の色を見ることが出来る力のお陰で、《魔法騎士》達に襲われた嫌な体験があっても、一個人を人間というカテゴリーで一括りにする事が無かった。

 もっとも、出身云々だけでなく性格的なものもあるレラやペペ達は温厚派だ。

 その一方でミリィ達は人間から迫害を受けた事があるのだろう。ガロと自分の対応をどうすべきか話をしていても警戒を怠ることの無い姿勢が、拒絶の意志を明確にを示している。

 この事が分かったからと言って自分の取るべきの行動が変わる訳では無い、元からこの世界の住人に敵意がある訳でないのだから。


「今の話は俺にして良かったものなのか?」


「どうなんだろうねぇ? まあ、君なら大丈夫でしょ。はい、診察終わり! この子達も風邪みたいだけど、まだ引き始めだからたくさんご飯を食べてちゃんとねんねしてれば治るよぉ。お大事に」


 診療所の中にいた患者は今の獣人の親子で最後。すぐに次の患者を呼んで診察する流れではあるが、グノーは少しだけ待って欲しいとミリィとリーザに眼をくばる。


「こう見えてボクもけっこう長生きしてるお爺ちゃんだ、年ならガロと同じくらいだからねぇ。その分、色んな事を見たり聞いたりしてきた。だから今から言うのは年寄りのお節介だと思って」


「お節介?」


「そう、お節介」


 頭の上にある大きな耳をピクピクと動かし、両腕を胸の前で組み大きな翡翠色の瞳で名無を捉えるグノー。


「人間と魔族の関係はこの村の中だけでも割と複雑になる、ファロス全体ともなれば理解しきれなくなる程だろう。けどねぇ、もっと単純に考えると良いよぉ。君は物事をややこしく考えてしまう子のようだからぁ」


「……何の事を言ってるんだ」


「それはボクには分からない。けど、見れば分かる。何か悩んでるでしょ?」

 おどけるような台詞ではあったが、確かな確信を持って発せられたグノーの言葉。その言葉は名無の揺れる心には重い一撃となった。


「君のことは何一つ知らないし、分からない。それでも、こうしてボクの前にいるナナキ君から感じる雰囲気は何故か弱々しい。それだけで君がどんな日々を送ってきたのか、何となく想像できる……身体に染みついている匂いのせいで余計にねぇ」


「それは……」


「あぁ、何も言わなくて良いよ。責めてる訳じゃない、ボクが何を言いたかったかと言うと少し立ち止まってみなよってこと」


「立ち止まる?」


「そう。考えすぎるって事はずっと歩き続けてるって事、それも前にってわけじゃなくて色んな所を手当たり次第ぐるぐるっとねぇ。そんなんじゃ疲れるだけで答えは見つからない。だから今は立ち止まってみると良い、この村に居られるうちは」


「………………」


「ごめんねぇ、年も百を超えると話が長くなっちゃうんだ。けど、お節介はここまでぇ。さあ、お仕事を再開しようかぁ」


 百歳越えという気になる一言を漏らしながらも、グノーは小さく笑い外で待っている患者達を入れるようミリィ達に声をかける。


「………………」


 そして名無も無言のまま、レラの助けを得ながら能力による治療を進めるのだった。





「いやぁー、ナナキ君のお陰で思ったより速く終わったよ。ありがとねぇ」


 予定していた患者の治療を終え、両手を上に上げ強ばった身体を伸ばすグノー。

 これが四つん這いの状態だったら猫その物だっただろう。その何気ない仕草は、例え年長者の一人だとしても癒やし効果全開である。

 しかし、


「力になれたのなら何よりだ」


『ワタシ達も貴重な体験が出来ました。感謝いたします、グノー様』


 名無とマクスウェルはぶれる事無く堅い返事を返す。それも、名無の表情には張り詰めた雰囲気を感じる。


「うむむぅ、ちょっとお節介が過ぎたかぁ。別に君を困らせるつもりは無かったんだけどねぇ」


「色々と考えてしまうのは癖みたいなものなんだ。貴男のせいじゃない」


「そう……。けど、あんまり思いつめちゃ駄目だよぉ。それで、この後は何かするのかい?」


「俺が聞いたのは、此処でグノーさんの手伝いをする事だけなんだが……」


 他に自分が協力すべき事は無いかと、レラ達に視線を泳がせる名無。


「わ、私は何も聞いてません」


「……あたしも」


「二人と同じだよ」


「なら、外の待合席にでも座ってゆっくりしていきなよぉ。手伝ってくれたお礼にお茶くらいはだ――」


「レラおねえちゃーん! おしごとおわったー? おえかきしようよ!!」


「ミリィ姉とリーザ姉は僕達と一緒に追いかけっこね!」


 名無達が一息入れようとした時、診療所の出入り口に集まる子供達が元気よく声を上げる。


「ありゃりゃ、一仕事入っちゃったかぁ。お茶はその後だねぇ」


「いや、今はあの子達と遊んでる場合じゃ――」


「ナナキ君の事ならボクが見ていてあげるから遊んでおいでぇ、息抜きをするのも大事な事だよぉ」


「……先生がそう言うなら」


 ミリィは納得していないようだったが、グノーの言う事に何か感じるものがあったのだろう。素直に『魔封じし流るる帯』をグノーに手渡した。


「それじゃ、お姉さんとしての仕事をしよっか。レラも行こう!」


「で、でも……」


 レラは遠慮がちな視線を名無に向ける。自分達だけ自由に行動してしまうことに後ろめたさを感じているのかもしれない。そんなレラに名無は小さく頷いてみせる。


「俺のことは気にしなくて良い、その子達の気が済むまで待つ」


「ありがとうございます」


「先生、早くそいつの魔力を封印しちゃってよ。じゃないと、おちおち子供達の相手もしてられないから」


「はいはい、ちゃんとやるから慌てないのぉ」


 グノーは名無を突っぱねるミリィに苦笑しつつ、魔法具を手に名無の傍に近づく。


「また封印するから両手を出してちょうだい」


「ああ」


 名無はグノーの指示通り両手を魔法具の前に差し出した。

 すると半透明な帯が名無の両手首を縛り付けた。封印するだけなら解除するときのような詠唱を唱える必要は無いらしい。


「これで一安心ね。さっ、行くわよ!!」


「おー♪」


「お、置いていかないで下さい!」


 三人は名無とグノーを残し、子供達と一緒に外へと出て行った。騒がしかった訳では無いが、三人が居なくなった事で自然と静けさが名無達を包み込む。


「ボクとしては封印しなくても大丈夫だと思うだけど……外したいなら外してあげるよぉ」


「気持ちだけ受け取っておく、今は子供達がいる。俺が自由に動いていたら安心して遊べないだろうからな」


「人間が君みたいに良い子ばっかりだったら、要らない苦労をしなくて済んだんだけどねぇ」


 やれやれと首を横に振りながら外へと向かうグノー。


「何時までも二人で居たら、ミリィがまた心配して戻ってくるかもしれない。ボク達も外に出て見えるところにいてあげようじゃないかぁ」


「そうしよう」


 至極尤もな意見に苦笑を溢し、グノーの後を追う名無。


「………………」


 そして外に出た名無の眼に入ったのは、子供達が本当に楽しそうにレラ達と遊んでいるのどかな光景だった。

 ドワーフと有角族が主だったが、ミリィやリーザと一緒に診療所の目と鼻の先にある空き地を所狭しと駆け回る子供達の姿。レラも小さな女の子達に混ざり、小枝を筆代わりに地面に絵を描いている。

 レラ達は人間とは異なる種族だ。それでも、こうして眼にしている光景は自分が知る……自分とは無縁とも言えた平和の中に生きる者達が見せる日常と何ら変わらない暖かな情景が目の前にはあった。

 その光景を見守るかのように、名無は柔らかな双眸を向ける。


「――さっきは助かった」


「うん? それはボクに言ってるの? お礼を言われるようなことした覚えは無いなぁ」


「グノーさんがそうでも、俺は助けられたと思ってる。患者の治療に入る前に、貴男が進んで傷を治させてくれなかったら……きっとこうして、この光景を見る事も出来なかった」


 遊んでいる子供達の中には、怪我を治した少年の姿もあった。

 ミリィとリーザに追いかけられ逃げ回って居ても、時折こちらに眼を向ける時があった。

 それに気付いた時は人間に対する不安がそうさせているのかと思ったが、名無の心配は杞憂に終わる。

 何故なら有角族の少年や他の子供達が名無に向けるつぶらな瞳に不安は無く、名無がどういった人間なのかという純粋な好奇心で一杯だ。

 子供達はバレていないと思っていても名無にはバレバレである。

 それもこれもレラの力もあってのことだろうが、グノーが身を持って名無を無害であると証明した結果だろう。


「なに、ちょっとした毒味役みたいなものさぁ。魔族も人間も安全だって分かれば安心する生き物だ、アレはあくまで患者達の為だったよぉ」


「それでも……ありがとうと言わせて欲しい」


 名無は頭を下げ、グノーに感謝の言葉を贈る。それに対しグノーは思いのほか照れくさかったのか小さな鼻をひくつかせ、名無が治した右腕を髭が伸びるひげ袋へと伸ばし忙しなく撫でつけていた。


「子供達の様子を見る限り、落ち着いてるみたいだし……一緒に遊んできたらどうだい?」


「俺としては貴方達と友好な関係を結べるに越したことは無いんだが、それは幾ら何でも図々しだろう。それに俺は……」


 何気ない遊びに楽しそうに声を上げて笑い、今この時を嬉しそうに一生懸命に生きる子供達の姿はとても眩しい。

 人間を嫌うミリィも今だけは表情は柔らかく、リーザの子供を追いかける足取りは軽やかで。気の弱いレラは子供達が心から安心できる、心を開かずにはいられない優しい微笑みを浮かべている。

 そんな彼女達の姿を眼に焼き付け消えてしまわないようにと、名無は瞼を閉じる。


「この光景を見れただけで充分だ、俺には……充分過ぎる報酬だ」


「そっかぁ、それは何よりだよぉ」


 もう何も言わなくても今の心のさまを見通すことができてしまう……そんな笑みを静かに浮かべる名無の横顔に、グノーは満足げに口元を綻ばせた。




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