03  止まり木の情景(1)


 村はずれにある牢屋に戻って約五時間。

 外はすっかり日が落ち、動物や虫たちの声さえ聞こえない静寂が広がっていた。


「………………」


 牢屋の小窓から見えるのは、異世界の夜空。

 手を伸ばせば簡単に掴めるのでは無いか……。見る者達全てにそんな錯覚をさせてしまう程に燦然と輝く星々。その輝きの羅列に星座らしきものは無く、夜空の象徴とも言える月の姿も無い。だが、小窓の外に広がる遙か空の彼方まで埋め尽くすその煌めきは、あるはずの物が無いと言う違和感を些細な物だと納得させてしまう情景だった。

 しかし、そんな絶景を牢屋の壁に寄りかかり無言で見つめる彼の双眸に感動は無い。あったのは、何かを探しているような……物寂しげな瞳。


『マスター』


「……どうした、マクスウェル?」


『特に緊急の用件という訳では無いのですが、牢に戻ってきてからずっと無言でしたので』


「すまない、少し考え事をしていた」


『それは、広場での事ですか?』


「ああ」


 正確に言えば、ガロが自分に向けた質問の一つに対してである。



 ――ならば、レラを助けた理由は何じゃ?



「………………」


 誰かを助けたい、その想いでレラを卑劣な魔法騎士達から助けた。だが、ガロはその想いの根幹を求め、自分はソレを答える事が出来なかった。


「人を殺し続けてきた、助けたかった人達を助けられなかった。だからせめて、目の前にいる誰かを、手が届く誰かを助けたかった――それだけじゃ、足りないのか?」


『マスターの対応に問題は無いかと。やはり、この世界の二種族間における蟠りと価値観の違いから来る認識のズレが原因でしょう』


「そう、か」


 マクスウェルの同意を得られても、納得できない自分に気付いてしまう名無。

 今も頭の中ではガロの言葉が、胸の奥には言い知れない何かが燻っている。


「だとしても、あの時……俺は何で答える事が出来なかったんだろうな」


『………………』


 その問いにマクスウェルは無言で応え、そこで二人の会話が途切れる。

 残るのは投げかけた声の残響。だが、それもすぐに薄暗い虚空に消え……小窓から入る柔らかな星明かりがそっと名無達を照らした。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――





『赤外線センサー感知範囲内に熱源を確認数は四つ。こちらに向かってきています』


 冷たい灰色の壁に背を預け、瞼を閉じていた名無の意識を揺り起こすマクスウェル。


(……危険度が下がったとは言え、迂闊だったな)


 星空を眺め自分自答を繰り返す間、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 牢屋の小窓から見える風景に変化は無い。

 その身の煌めきを持って深い藍色の夜を美しく飾る星空が広がっている。夜空を見た限り自分が眠っていた時間は、そう長くは無かったはず。


『シルエットの特徴から一人はゴブリンの男性、他の三人は女性。種族識別は有角族、ドワーフ、ブルーリッドではないかと思われます』


 尚も続くマクスウェルの報告に耳を傾ける名無。


 首を横に振って沈んでいた意識に喝を入れ、鈍っていた思考を一気に加速させる。


「俺はどれくらい眠っていた?」


『十五分程です』


「近づいてくる魔族以外の反応は?」


『今の所、四人だけです。こちらに到着するまであと百二十メートル……どうしますか?』


「現状維持で行く」


 広場でのやり取りで、僅かだが自分に対する警戒心は緩んだ。もちろん、村人達の警戒心その物まで解けたとは思っていない。

 だが、それでも言葉を交わせる人物を増やすことが出来れば、会話から少しでも多くの情報を得ることが出来るだろう。集めた情報の中から、これからの行動――この村を離れ世界を放浪できる知識を可能な限り多く理解しておかなければならないのだから。


「こちらが敵対行動を取らなければ危険は無い。今は身体を休めつつ、情報を集める」


『イエス、マスター…………もう間もなく四人が到着します』


 その呟きのしばらく後、小窓の外から足音が聞こえてくる。

 当然、こちらに向かってきている。名無はなるべく音をたてずに、干し草のベットへと移動した。

 扉の近くにいては逃げる気だと誤解を受けかねない。


「良い? 人間……、……許……だ……!」


「でも……、…………は悪い……じゃ……」


 扉の向こうから聞こえる声に耳を傾けながら、名無は手早く状況の整理に入る。


(数は四人、そのうち三人が女性。戦力的にはかなり心許ない、となると戦闘に秀でた種族の中から――)


 そこで、名無の思考が止まった。


(……こんなこ事を考える必要は無いのにな)


 異世界に迷い込み自分とは異なる人間と戦い、魔族とも刃を交えた。

 その結果、捕虜として捕らえられはしたが自分から仕掛けるつもりはない。ならば、自分の元へ誰が来ようと戦況分析に入るのはおかしい。

 名無は大きく息を吸い、無駄に高ぶる戦意を息と一緒に吐き出す。


(戦うのはあくまで自衛手段、目的じゃ無い。今は外の情報を集めながら此処を離れるタイミングを探る……あとの事はそれからだ)


 染みついてしまっている戦場思考(あくへき)を裁ち切り、名無は目の前にある扉に眼を向ける。

 鉄扉は名無の意志をくむように、軋みながらゆっくりと開口していく。開かれた先には暗い夜道を照らす為に用いられたランタンの灯りが静かに揺らめいていた。

 その灯りに姿を照らされていたのは名無が見知った者達だった。


「あ、あの……ご飯を持ってきました」


 扉のにいる四人の中で、意外にも布が被せられているバスケットを持っているレラが最初に牢屋の中に足を踏み入れ、


「夜は少しひえっから毛布も持ってきただよ」


 レラの次に入ってきたぺぺも気さくに名無へと近寄る。


「ちょっとちょっと! 何そんな簡単に入ってるの二人共!! そんな普通に入らないでってば。さっきも言ったけど相手は人間なのよっ!?」


「まあまあ、落ち着いてミリィ。レラを助けてくれたんだし、そんなに悪い人間じゃ無い……と思うよ?」


「疑問に思ってる時点で駄目じゃない! リーザも気を抜きすぎ!!」


「あはは、ごめんね」


 警戒すること無く名無のいる牢へと入ってしまったレラとぺぺに、四人の中で尤も背の小さい少女――ドワーフのミリィが驚きと不安を訴える。そんな彼女を宥める有角族の少女――リーザも、自信ありげな自信のなさをつっこまれ苦笑を溢す。


「ミ、ミリィちゃん。私……大丈夫だから、心配しないで」


 怖々とした足取りで名無に近づいていくレラ。

 覚束ない歩き方は名無を警戒していると言うよりも、名無を警戒させないように……そんな心遣いが感じられた。


「わ、私、レラって言います。お腹、空いてませんか?」


 名無の前で膝を突き、ゆっくりと言葉を紡ぐレラ。

 持っていたバスケットに掛けている布を外し、中身が見えるように名無へと差し出した。


「パンと果物、です。人間の食べものと、食べられるものを持ってきました。あとお水も」


「すまない、ありがたくいただ……く?」


 差し出されていたバスケットの中身に眼を向ける名無。バスケットの中にはレラが言うようにパンと果物、そして飲み水が入った小瓶が並んでいた。果物に関してはリンゴやミカンにブドウといった良く知る果物と同じような物が入っている。

 だが、たった一つだけ。異質な物が入っていた。


(食べ物のに関しては俺達の世界とあまり違いはなさそうだが、この桜桃の様な物は何だ? 明らかに皮の色が……)


 自分のいた世界でもポピュラーな食糧を見て内心、安心しかけた名無。

 しかし、胃の安全上。たった一つだけ悪目立ちしている物に口を噤んでしまう。


(表面を水銀か何かでコーティングしたのか? さっき『食べられるもの』と言っていたし……毒物では無い、はずだ)


 弱っている自分を気遣って用意してくれたのだから必要以上に疑うのは良くない。そう頭で分かってはいても、鉛色であからさまに「鉄分たっぷりですよ」と、主張している物を見てしまえば手を出しにくくなる。

 バスケットの中でダントツに異彩を放つ鉛色の果物。それを食べるべきか、食べずに残すか……名無は苦汁を飲まされたような顔を浮かべた。


「この……鉛色の果物は、どんな食べものなんだ?」


「これはグリの実と言って、凄く甘い木の実です。身体にも良いものなので、食べてもらえると……嬉しいです」


「心配なら、おらが先に食ってやるだよ」


 グリの実の見た目に手を出せずにいる名無を安心させようとしてか、ぺぺが自ら毒味役をかってでた。その様子に躊躇いは無く、普段から口にしているようだった。

 しかし、ぺぺがグリの実を手にするより早く名無がそれをつまみ取る。


「食うんか?」


「良くしてくれている貴方達に失礼だった、疑うような真似をしてしまってすまない。その……こんな色をした物を食べたことが無くて戸惑っていたんだが、もう大丈夫だ」


 そう言って名無は、さっきまでのことが無かったようにぱくりと木の実を口の中に放り込む。噛みしめる度に出てくる果汁とその味に眉をしかめるも、喉を小さく鳴らし飲み込んだ。


「ど、どうですか?」


「君の言った通り凄く……甘い。こんな木の実があったんだな、貴重な体験が出来た」


 見た目は桜桃だったが、その味はまるで砂糖菓子にガムシロップを重ね掛けしたような濃厚な甘さ。甘い物が好きな者でも、そう幾つも食べることは出来ないだろう。しかし、約二日は何も口にしていなかったのだから当然、胃の中は空っぽだ。

 エネルギーを求めていた身体にはこれ以上に無いエネルギー源とも言える、後味も空腹だったお陰かそれほど苦ではない。


「口に合ったのなら良かったです。まだ、他にもありますから良かったらどうぞ」


「重ね重ねすまない。……それと、言わせて欲しい事があるんだが」


「な、何ですか?」


「君に会ってすぐに言っておくべき事だった、そう思ってな」


 名無は自分の前にいるレラの頭の上から足先まで眼を配る、その視線にいかがわしさは無い。ただ単純に、彼女の身を案じているものだった。


「君が無事で良かった、それと助けてくれた事に感謝を」


「っ!」


「ほんとに変わりもんだ」


「なっ!?」


「へー、これは予想してなかったよ」


 レラが無事だったことに、自分を助けてくれたことに名無は頭を下げる。

 たったそれだけ事だというのに、レラとぺぺ。そして牢屋の出入り口で様子を窺っていたミリィにリーザ、反応はそれぞれだったが全員が驚きをあらわにした。


「か、顔を上げてください! お礼を言わなくちゃいけないのは私の方なのに、なのに……ナナキさんに酷い怪我をさせてしまって……」


 間一髪助ける事が出来たとは言え、恩人である相手を問答無用で襲いかかり殺しかけた。レラが直接手を下したわけでは無いが、その事実はレラに深い罪の意識を抱かせていた。


「本当に、ごめんなさい……」


「あの状況だと誰がどう見ても、俺が君を襲っているようにしか見えなかったさ。それは俺も良く分かっている、それに俺は人間で君達は魔族だ。ああなったのはおかしな事じゃない……だから、あまり気にしないでくれ。君が無事だったのならそれで良い」


「…………っ」


 今にも泣いてしまいそうなレラを気遣い励ます名無。しかしまたもや、名無の言葉にレラは金の瞳を潤ませる。


(何か変な事を言ってしまったのか? 幾ら敵対しているとは言え、個人的な気持ちならあまり問題では無いと思ったんだが……)


 不穏な空気は感じないものの、レラを泣かせてしまうような真似をしてしまい気まずさを覚える名無。


「ところで、もう一つ気に掛かることがあるんだが質問しても良いだろうか?」


 本当にレラが泣いてしまう前にと、何事も無かったかのように名無は別の話題を切り出す。


「は、はい! わ、私で答えられる事なら」


「助かる、それで質問なんだが……」


 捕虜的な立場である名無の質問が許されてしまうこの状況。どんな情報でも欲しい彼にとっては、またとない絶好の機会である。

 大まかな異世界事情はマクスウェルから聞くことは出来た。ならば、名無が次に聞き出さなくてはならないのはルクイ村周辺の地理である。

 ガロ達に旅をしているという事情で話を通した時、地図やコンパスといった旅に必要不可欠な道具を持っていなかったことを追求される事は無かった。

 もしかしたら星の位置や地形などで、他の村や街の場所を覚えている可能性が大きい。他にもルクイ村のように隠し里となれば、中に入る為の合い言葉といった正式な手順が要されている場合もある。

 これから先、名無が無用な争いを避ける為にも、そう言った面での準備を怠る訳にはいかない――のだが、


「ぺぺさん、どうして貴男がまた此処に?」


 名無が気になったのはぺぺの行動だった。


「貴男は看守役には向いていないと伝えたと思ったんだが……」


 差し出がましいとは思うものの、自分のような捕虜と接するのであれば、有る程度の冷徹さが必要だ。強面な外見に反してぺぺは優しすぎる。その優しさは美徳ではあるが、対立関係にある相手にまで向けていたらその優しさにつけ込まれるだろう。

 種族に関係なくぺぺは間違いなく人格者の一人だ。だからこそ、荒事に関わって欲しくないと思って助言した。

 だと言うのに、こうして姿を見せるのだから名無が疑問に思わない訳がない。


「お前さんの言う通り看守役はミリィ嬢ちゃんとリーザ嬢ちゃんに代わってもらっただよ、今はレラ嬢ちゃんと同じでお前さんの世話係だべ」


「違う、そうじゃ――――なくもない……のか?」


 助言通り違う仕事に就いたのだから、名無の心配事は解消され口出しする必要も無い。

 ……彼の考えていた通りの結果になったかどうかは別として。


「レラにぺぺさんも、人間相手に甘過ぎ。本当は村長の伝言を伝えたらすぐにでも帰りたい位なんだから」


「伝言?」


「そうよ、人間。村長があんたに用があるそうよ、だから明日また会ってもらうから。先に言っておくけど、内容は知らないからね。分かった? 分かったらさっさとご飯食べちゃって」


「ミリィ、あんまり相手を怒らせるようなことは言わないの。あ、ご飯はゆっくり食べてくれて大丈夫だからね」


「分かった。せっかく用意してくれたんだ、ちゃんと頂くよ。バスケットを渡してもらって良いかな?」


「は、はい!」


 レラは慌てながらも嬉しそうにバスケットを名無に手渡す。

 名無も先程のように戸惑うこと無く受け取り、異世界で初めての食事を口にするのだった。




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