手にするにはまだ遠く(4)





「……マクスウェル、お前……」


 ガロに問い詰められた自分を庇うように発せられた凛とした声音。

 その発信源であるマクスウェルの思いがけない介入に、名無は焦りを煽られ弱々しく呟く事しか出来なかった。


『申し訳ありません。ですが、これ以上はマスター一人での対応は困難だと判断しました。お叱りは後で幾らでも――しかし、今はワタシにお任せ下さい』


 この公開尋問の場に連れ出される前。

 牢屋の中で二人が決めた行動計画では、マクスウェルは名無の身にいかなる危険が迫っても喋ることを止められていた。

 今の状況は名無達が想定し、覚悟した様な物では無い。だが、マクスウェルは想定以上の危機と判断し、名無の命令に背いてガロへ語りかける。


『ここから先はワタシがアナタの質問にお答えします。よろしいですか、ガロ様?』


「かまわんよ。まさかお主が『心器』だとは思わなんだが、こちらとしては好都合じゃ」


 ――『心器』というガロの口から出た異世界特有の何か。

 その言葉が自分の事を指していると理解しつつ、マクスウェルは『心器』の詳細を追求することは無かった。

 少なくても『心器』は、ガロ達魔族にとって強い信頼を寄せることの出来る物。それが分かっただけでも、マクスウェルが話を有利に進める事が出来ると確信するには充分すぎる情報である。だと言うのに、ここで自分の存在がどんな物なのかを聞いてしまえば、今までの名無の話が破綻しかねない。

 マクスウェルも名無と同じように、この異世界の存在として振る舞う。


『質問の内容を確認します。ガロ様の、ひいては此処に集まっている魔族の方々が知りたいのは、マスター・ナナキがレラ様を助けた理由ですね』


「そうじゃ、どんな目論見があったのかを知りたいのじゃよ」


『その質問に対する答えですが……ワタシが知る限り、すでにマスターが答えた以上の物はありません』


「それでは話にならんと言って……」


『――マスターは、戦争によって家族を失った孤児の一人でした』


「……何を……」


『最愛の家族を失ったカレは、とある施設に引き取られ、その幼い命を繋ぎ止めることが出来ました』


 優しさに満ちあふれた両親と共に暮らし、親交のある友人達とよく学び、よく遊び、温かい食事で空腹を満たす。最後に両親の温もりに包まれながら、一日を平穏無事に終える。

 そんな人生を過ごせたかも知れない少年の話を、マクスウェルは語る。


『ですが、カレが引き取られたのは、身寄りの無い子供達を使い捨ての道具として育て上げる為の場所。そこにはガロ様の言った通り安らぎはありませんでした』


「………………」


 主人の過去を語るマクスウェルの声に感情はこもっていない。

 無機質な音声、淡々と語る口調が少年の――名無の過去がどれだけ悲惨な物だったのかを物語っている様にも思える。

 事実、マクスウェルの言葉にガロやレラだけでなく、名無達の周りで事の成り行きを見守っている村人達の表情にも影が差していた。

 名無は当然のことながら別世界の人間である。

 それは、此処に居る誰よりもマクスウェルが知っている。だからこそマクスウェルは、名無の生い立ちをこの世界の情勢に当てはめて話し続ける。

 ガロ達の信頼、同情心を得るためでは無い。自分の所有者が口にした言葉が嘘では無いことを証明するために。


『来る日も来る日も戦うために身体を鍛え、敵を殺すために剣を、魔法を覚える。それは幸福を失ったばかりのカレにとっては拷問に等しいと言ってもよかった』


 己の大切なモノを奪った者達と同じ側に立つ。子供だろうと大人だろうと、その事実は名無の心を削り蝕んでいく。

 しかし、


『そんな日々を送りながらも、カレにはまだ救いがありました』


 いつの日か、自分の手を誰かの血で汚してしまう時がくる。それでも。苛烈極まる現実を共に生きる仲間がいつも傍にいた。同じ苦しみを知り、哀しみを知る仲間がいる。

 仲間という存在が主の心の支えであり、仲間が居る場所が掛け替えのない居場所であり、仲間こそが『家族』と呼べる者達であり、護るべき存在……だった。


『けれど現実は非情です、マスターはその救いさえ失いました。護りたかった家族を、居場所を、仲間達に託された想いさえ何一つ護れなかった。それ故に、森で人間達に襲われているレラ様を助けたのです』


 誰かを助けたい、そう願い続けたからこそ彼はレラを助けた。本当にそれだけの事なのだ。


『以上の劣悪な環境、心理的要因がマスターの願望を形作り、それが行動に出た。と、ワタシは分析しています』


「つまり、ナナキとやらが口にした事は……」


『嘘偽りの無い本心だと提言します。マスターの言葉を、ワタシの話を信じるかどうかはアナタ方に委ねます。ワタシとしては信じて頂けたら幸いなのですが……』


 いくらマクスウェルがガロ達にとって信頼のおける存在なのだとしても、ナナキの無害性を提示したのは言葉であり物的証拠では無い。

 彼女の言う通り、今後の判断はガロ達に委ねるしか無い。マクスウェルはそれ以上、何か言うことはせず。静かに村長の反応を待った。


「……『心器』マクスウェルよ」


『何でしょうか?』


「お主の言葉、確かに聞きとどけた。じゃが、お主の主は人間……簡単に心を許すことは出来ん。自由の身にしてやる事は出来んが、儂等に牙を向けぬ限りは命の保証はしよう」


 語られた名無の無害性に一応の理解を示すガロ。だが、やはり人間と魔族の間にある溝は深く、名無に向けられる瞳に映る不信感は拭いきれなかった。

 それでも、特に動揺することも無く、マクスウェルは感謝の意志を伝える。


『寛大な措置に感謝を』


「礼はいらんよ、お主等にしてみれば大して状況が変わった訳では無かろう。とは言え、これ以上の譲歩は難しい。すまんがもう一度、牢に戻ってもらう」


 名無の首元に小剣を突きつけているゴブリン達を一瞥し、剣を下げるよう視線を送るガロ。三人もこくりと頷き、小剣を鞘に納めた。


「あ、あの……大丈夫ですか?」


 三人のゴブリン達が警戒を緩める中、レラは力なく肩を落とす名無へ遠慮がちに問いかける。


「ああ……大丈夫だ」


「で、でも……」


 大丈夫だ、と言ってはいても名無の顔色は青く心なしか血色も悪い。

 しかもレラは肌の接触を通して他者の心色を見ることが出来る。ガロ達からの信頼を得られたかったせいなのか、過去の不甲斐ない自分を思い出して後悔しているのか……。理由までは分からなくとも、心の色を見る事で名無が不安定な状態である事を知り、レラは声を掛けずにはいられなかった。


「ガザ、ブル、ペペ。そやつ等を牢へ、いらぬ危害は加えぬようにな」


「わかってまさー」


「この人間が暴れねえ限りは、おいら達も手出しはしねえだ」


「話は終わったみてえだよ、立てっか?」


 名前を呼ばれた三人の内、ぺぺという名のゴブリンが地面に膝を突いている名無に手を差し出す。レラと同じく、穏やかで気優しい性格。もしかしなくても、名無からの忠告をあっさりと受け入れたゴブリンである。


「問題ない、一人で立てる」


 自分の手に触れるレラの手を優しく解き、ぺぺの手を取ることも無く立ち上がる名無。立ち振る舞いとしては何の問題も何のだが、今の彼では酷く痛々しい。


「牢屋に戻る、また案内を頼む」


「おう、ちゃんと付いてくるだよ」


「すまない」


 またペペ達に囲まれながら、村はずれにある牢屋へと戻る名無。

 その姿に気落ちした様子は無かったが……


「………………」


 名無達を見送るレラの金の瞳には、彼の後ろ姿が泣くじゃくる子供のような小さな背中に見えた。




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