手にするにはまだ遠く(3)


「ああ、俺に答えられる事なら答えよう」


 そんな強烈な殺気を直に向けられてもなお、名無は怯むことなく受け止めガロの言葉を待つ。


「……それは何よりじゃ、こちらとしてもありがたい。が、お主の言葉を完全に信用するわかにはいかん。打てる策は打たせてもらう、レラ」


「は、はい!」


 怯む様子の無い名無に訝しげな表情を浮かべるガロ。しかし、すぐに尋問を始めるべく一人の少女を呼び寄せた。


(……良かった、特に問題なさそうだ)


 集まっている村人達の間をかき分けるように、蒼い肌が特徴的な少女――レラが名無の前に姿を見せる。

 ガロの殺気に当てられたせいか、名無の時と同じように怖がっていた。それでも、あの時よりも怯えている様子はない。


(だが、どうして彼女を呼んだんだ?)


 襟ぐりの広いパフスリーブ調の白いブラウスに、細い腰をより際立たせる黒のミーデル。そして、ふんわりとヒダの入った淡い褐色のロングスカート。

 身に付けている物はどれもレラの蒼い肌を引き立て、彼女の可憐な容姿とも相まって心安らぐ柔らかさを感じさせる。

 尋問の内容とそれに対する答え、状況によっては今以上に険悪で血生臭い事になるかもしれない。だと言うのに、そんな場所に彼女を呼び出すことの意味に名無は眉を寄せ――


「わりぃだな」


「暴れるでねぇぞ」


「抵抗するだけ無駄だべ」


 レラが呼び出された理由を考える間もなく、ゴブリン達に刃を突きつけられてしまう名無。

 首を囲むように添えられる刃に躊躇いは無い、自分が少しでも怪しい行動をすれば首が飛ぶことを容易に理解出来た。


「準備も整ったところで始めるとするかのう、レラ」


「分かり、ました」


 レラは名無の傍に膝を突き、躊躇いがちに名無の右手を包み込むように自分の両手を添えた。その感触に名無は顔を顰める。


(……?)


 他人に手を触れられるのは別に珍しくは無い。しかし、自分の手が感じるレラの手の感触と伝わってくる熱に既視感を憶える名無。


(この感じ、何処かで……)


 彼女の手に触れるのはこれが初めてだ。なのに、前にもこの温もりを感じたことがある。それがいったい何時だったのかを思い出せない。この違和感はとても、とても大事な物だと思っているのに。



「ごめんなさい」



 と、弱々しいレラの声が名無の思考を遮った。


「何で君が謝るんだ?」


「ごめん、なさい」


 ゴブリン達のように武器を向け、その事に罪悪感を抱き謝るのなら納得できる。けれど、彼女は自分の手に触れているだけだ。謝らなければならない要素は何一つ無い。


「…………っ」


 どうして辛そうにしているのだろうか、どうして今にも泣きそうな顔を見せているのか……。名無は戸惑いの視線をレラに向ける。


「気にしたところでお主にはどうも出来んよ。ただ質問に答えれば良いんじゃ」


 困惑する名無をよそに、ガロは淡々とした声で名無に言葉を投げかける。


「まず名を聞こう」


「名無だ」


「家名は?」


「無い」


「ふむ? 身に付けている衣からして良家の出かと思ったんじゃがの」


「家柄の善し悪しとは無関係なんだ。服は――そう、知り合いから譲り受けたものだな」


 所属していた組織からの支給品。

 軍、民間と問わず渡される備品の一つなのだから知人から貰ったものだと言っても嘘にはならないだろう。


「では、力の異なる魔法具を持っていた理由は? アレは魔法騎士としての素質があっても平民階級の人間では手にすることは無い代物じゃぞ」


「力の異なる? ……ああ、マクスウェルと対輪外者武器の事か」


 ガロの言葉に首を傾げる名無だったが、すぐに何の事を言っているのか理解する。


「マクスウェルは周囲の探知と音による牽制、対輪外者武器はマクスウェルと連動することで武器化出来る」


 マクスウェルと対輪外者武器の機能は科学であり魔法では無い。しかし、高度に発達した科学技術が起こした現象は、この世界のにおいて彼等の知る魔法の類と同一の物だと判断されたようだった。

 ガロの言葉と態度が何よりの証拠とも言える。


「対輪外者武器の武器形態は細身の曲刀、俺は刀と呼んでいる。それを一刀か二刀に使い分け、強度と切断力の底上げも調節する事が出来る。服と同じで譲って貰ったものだ」


「素直なのは助かるんじゃが……聞いてもおらんのに手の内を明かすとはのう。お主、気は確かか?」


「さっきも言ったが、俺に答えられる事を話しているだけだ。知らない事を聞かれれば何も喋ることが出来ない、それを分かって欲しいだけだ」


「……では、森にいた理由はなんじゃ?」


「俺があの森にいたのは――」


 何故、森にいたのか。今の自分にとって尤も答えにくい質問だ。

 戦争を起こす規模で敵対する人間が村を囲み守る森にいた、それだけでも警戒する理由としては充分だ。だがここで馬鹿正直に「異世界から来た」といってもガロ達が信じてくれると考えるのはあまりにも楽観的すぎる。

 敵対しているという事もあるが、自分の居た世界とこの異世界では存在する生態系、発達した文化や文明の在り方が違う。

 今はこの世界の基準に則って話を進めていく。その方が余計な混乱と危険を招く事にはならないはずだ。


「迷ったからだ」


「迷った、じゃと?」


「ああ……俺は旅をしている。旅に出たのは最近の事なんだが、あの森に立ち寄ったのは何か食糧になる物を調達しようと思ったからだ。だが、探している内に……」


 我ながら無理があるかと思いつつも、名無は淀みなく答えを返す。

 とは言え、今の言葉が全て嘘という訳では無い。森の中を移動している最中、見ていたのは敵の姿だけでは無く果物といった食べる事の出来る物も探していた。屁理屈にしか思えない考え方だが、本当のことを言えない以上は仕方が無いと名無は自分を納得させた。


「旅の途中で迷った、そうだとしても何故旅などしているのじゃ」


「旅の理由は単純だ、この世界を見て回りたいと思って故郷を出た」


「ほう、見聞を広げる為にか。人間がそんな事を考えるとはのう……レラや、何色じゃった?」


「し、白に近い灰色です」


(俺の髪の色を話している……訳じゃないと思うが、いったい何の事を言っているんだ?)


「嘘はついていないが本当の事も口にしていない、と言ったところかの。なかなか頭が回るようじゃな」


「っ!?」


 常人では身が竦む程の殺気を受けても、剣を喉元に突きつけられても動揺する事の無かった名無がガロの褒めているとも取れる言葉に驚愕し息を呑んだ。しかも、その事を隠す冷静さを失う程に。


「何を驚いておるのじゃ、ブルーリッドであるレラは心の色を見る特殊能力を持っている。お主等側にも知れ渡っておるじゃろ……それとも、その驚いた顔も演技のうちかの?」


「自分で言うのもおかしいと思うが、少し世間知らずなんだ」


 思いがけず高ぶった心を押し殺すも、名無は驚きを隠しきれずにいた。


(色が心の変化のことだったとは思わなかった、心境を色として見る……思考その物を理解する力はないみたいだな。だが、彼女が俺に謝ったのはこれが理由か)


 自分の手を震えながら握るレラに眼を向ける名無。彼の視線に気づいたレラは名無に黙って心を盗み見ていた事を後悔してか、血が滲んでしまうのではないかと心配になる程に唇を噛みしめていた。

 カタカタと身体を振るわせるレラを心配してか、回りにいる村人達も沈痛な面持ちで見守っている。


(この世界の魔法の使い手と魔族は何の前触れも感じさせず魔法と異能、二つの力を使えるのか。これは有益な情報が手に入ったな。だが、それにしても――)


 自分の答えを看破された驚きも落ち着いたのか、名無は今も怯えたように震え悲壮とも言える表情を見せるレラに何処か嬉しそうな面持ちで声をかけた。


「心を色で見分ける……面白い力だ。いや、変わった力と言えばいいのか?」


「えっ?」


「「「――――?」」」


 名無の言葉にレラだけでなく村人達は、一瞬何を言われたのか分からず気の抜けた声を漏らす。


「色で心を見ているのは分かった。だが、何色を基準に喜怒哀楽を判断しているんだ? 発動条件は? こうして手を触られることなのか、それとも肌であれば何処でも良いのか?」


 森で彼女の治療をしている途中、彼女が頬を朱く染めた本当の理由はこの能力のせいだったのだろう。あの時、自分はレラの容姿について考えていた。欲情していたわけでは無いが、少なからず彼女の魅力に心が躍ってしまったのはのは確かだ。色で現すなら見事なピンク色だったに違いない。


「どちらにせよ、こんな単純な発動条件でこれだけ強力で特殊な精神感応……何か反動が有ってもおかしくない。身体は大丈夫か? 頭が痛い、気持ち悪いといった症状は?」


 呆気にとられるレラ達に気づいていないのか、名無はレラに能力について次々と質問しその答えを聞かずにレラの能力に対する仮説を立てていく。それだけでなく最後には発動条件のお手軽さに反比例した強力な能力だと気付き、眉間に皺を寄せ問い詰める側にいるレラの心配までする始末だった。


「えっ……その、あの、……??」


 矢継ぎ早に問い詰められたレラは戸惑っているのか、何か喋ろうとするも言葉に出来ずキョトンとするだけだった。


「まずい、能力の反動か!? 気をしっかり保て傷は浅いぞ!!」


 浅いどころか、むしろ無い。

 しかし、その事に気づくことなく自分の問いかけに答えてくれないレラの様子に、眉間の皺をどんどん深くしていく名無。

 まるで喜劇のような光景が広がる。


「……やはり、儂の考えた通りじゃったか」


 だが、レラを心配する名無を見たガロの眼は今まで以上に厳しさを増す。


「お主――同族を殺したな?」


 その言葉にレラと村人達の様子が一変する。それは名無も同じだった。


「どうして俺が……人を殺したと?」


「少し考えれば誰でも分かるじゃろう。儂等と対立する人間が魔族を助ける、これだけでもありえん事じゃ。それに加え、お主が魔法の扱いに優れた平民だったとして一人で、しかも軽装で旅をする等どう考えてもおかしかろう。魔法騎士達ですら群れる、お主が退けた者達のようにな」


「俺をあの男達の仲間だと疑っているのか? 俺は本当に彼等とは何の関係も無い」


 自分の口から魔法騎士達の仲間である事を吐かせようとしているのかと考えた名無だったが、今口にした言葉が更に名無を追い詰めてしまう。


「お主の言葉が真実なら尚更じゃ。人の掟はただ一つ弱肉強食。強き者が正しく絶対であり、弱き者は口を閉ざし逆らうこと無く従う……そんな種族でさえ同族殺しは禁じられている」


 ――同族殺し。

 その言葉を口にしたガロの固い声から、それはこの世界における足を踏み入れてはならない領域である事が分かった。勿論、自分の世界でも人の命を奪う行為は数ある罪の中でも重罪。人を殺してはならない理由も数多くある。



 人を殺す事が悪だから。


 殺された者に大切な人がいれば、残されたその人が悲しむから。


 人を殺してはいけない法律があるから。



 少し考えただけで理由は幾つも浮かぶ。

 誰しも全く同じ人生を歩むことは無い。それぞれの歩いてきた道が異なる以上、導き出す答えも全く違う物となる事もある。どのような問題であれ、人が選ぶ答えは人それぞれ。計算式のように決まりきった式で証明できる物では無い。


「自ら己の種を滅ぼす行為を行うなど愚行以外の何物でも無い。それをしてしまった者の言葉を信用することが出来ると思うか?」


 人の命を奪うことが罪である最大の要因は、殺してしまった相手の幸福だったかもしれない人生を強制的に遮断してしまうところにあるだろう。だが、ガロが言う同族殺しが禁忌とされている理由はもっと単純なものだ。それは種族としての繁栄を自らの手で摘むこと。

 命を奪うという根幹は同じでも、問題にしている部分が違う。

 自分とは異なる価値観を持つガロや魔族達に名無がレラを助けた理由が、人を殺すことしか出来なかった弱さが、言葉を交わしただけで理解される筈もなかった。


「彼女を助けたかったから……じゃ駄目なのか?」


 自分の真意を見定めようとするガロの静かな問い詰めに、名無は歯切れ悪く答える。


「駄目とは言わん。お主がただ強いだけの人間ならば美徳だと納得してやれたかもしれんが、お主が纏っている匂いがお主の言葉を否定しておる」


「匂い……?」


「血の匂いじゃよ、手に掛けたのは一人二人では無かろう? 年老いたとは言え魔狼の端くれ、まだまだ鼻はきく。……もう一度聞く、お主が森に居たのはレラを囮に人間を殺すためだったのではないのか?」


「違う!」


「では、同族達から身を隠そうと儂等に取り入るためにレラを助けた?」


「違う、そんなつもりは……」


「ならば、レラを助けた理由は何じゃ?」


「俺は、ただ……」


 ガロの問いに今できる精一杯の説明で質問に答えてきた名無だったが、これ以上どう答えれば良いのか分からなくなった彼の声に力は無く、とうとう返す言葉を失ってしまう。



『――それはマスターが自分の意志でレラ様を助けると決めたからです』



 だが、口を重く閉ざしかけた名無に代わり彼の代弁者の声が上がる。

 抑揚の少ない無機質な声音、それでいて発した言葉が明確な答えであると断言してみせる戦闘支援型自律AI――マクスウェルの力強い声が。




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