手にするにはまだ遠く(2)


煉瓦囲いの牢屋に完全な静寂が戻った直後、重く錆びた鉄の扉が軋んだ音を立てながら少しずつ開かれていく。名無は上体を起こし壁に背を預ける。


(重要性が高いものをマクスウェルから聞いたが、こっちから無暗に話しかけるのは危険か。ここは相手の出方を待つのも手だな)


 牢屋に閉じ込められ拘束したせいで警戒している。

 そう装っておけば相手側に自分達が有利な立場である事を強調できる、そうすれば村人達の警戒心を少しは緩めることが出来るはずだ。


「気をつけろ、魔法具で魔力を封じってけど相手は人間だ。何をしてくっか分かんねえぞ」


「わ、分かってら!」


「用心するにこしたことねえべ。何かあったらすぐ助けに入っから」


「おう、期待してるだよ」


「………………」


 名無の予想通り、牢屋の中に入ってきた男と扉の外で待つ二人の男達は用心に用心を重ねていた。しかし、そんな彼等を見た名無は何処か脱力したような眼差しを三人に向ける。


(マクスウェルは会った事が無いと言っていたが、見たことがある顔だ。だが、三人が三人とも同じ顔とは……三つ子か?)


 自分の眼に映るのは、全く同じ緑色の肌に同じ声。同じ体格に顔つき、違いを見付ける方が困難な程に似ている男達――ゴブリン――だった。


「みょ、妙な真似すんじゃねえぞ。少しでもおかしな事すりゃ、ただじゃ済まねえからな!」


「あ、ああ」


 おっかなびっくりと言った様子で腰に着けている剣の柄を握り、自分に近づいてくるゴブリンを見て気の毒に思ってしまう名無。

 相手の出方を待つと決めていながら、自然と彼の口が動く。


「今の俺は貴方達の捕虜という立場だ、どう扱ってくれても構わない。だが何か情報を引き出そうと思っているなら期待はしないで欲しい。世間のことには疎いんだ」


「……お前さん、人間にしちゃあ変わりもんだ。レラ嬢ちゃんが言っとった事も、あながち間違ってねえかもしんねえだな」


「レラ?」


「お前さんが同族から助けた娘っ子だ。おらは村に居たから詳しいごどはよく分かんねえけんど、お前さんの命の恩人だよ」


「その子が……俺を?」


「んだ、良い人間だってな」


「………………」


 どうやら気を失う前に聞いた声は、その「レラ」という少女のものだったらしい。止めを指される前に自分の無実を証明してくれたのだろう。しかし、助けたと思った相手に助けられるとは……本末転倒だ。

 溜め息を吐くことは無かったが、名無の表情に影が差す。少なからず気を落としたその様子にゴブリンは首を傾げる。


「どした、腹でも痛えのか?」


「いや、何でも無い。気にしないでくれ」


「んだども――」


「なに呑気にくっちゃべってんだ! 口がうめえのも人間のわりいとこだべな!!」


「起きてんなら、さっさと連れてくべ。村長達も待ってからな」


「そ、そだな。ほれ、立ってか? 立てねえなら手を貸すだよ」


「大丈夫だ……それより、余計なお世話と思うかもしれないが貴男は看守役には向いてない。次の機会があるなら誰かに代わってもらった方が良い」


 他の二人は今も厳しい視線を緩めず、いつ名無に抵抗されても対応できるように抜剣している。なのにもう一人のゴブリンは名無の提案を「そ、そうけ? んだば次からそうするべ」と、何の疑いを持つこと無く受け入れてしまった。これでは名無とは別の、敵対している人間を前にしてしまったら寝首をかかれてしまうだろう。


(……今はその優しさがありがたいのも確か、か)


 仲間から警戒するように忠告され、さらには自分に接し方を注意するように言われても心配そうにしているゴブリン。

 そんな彼の姿に張り詰めていたはずの気は完全に緩み、名無は隠すことも無く苦笑を溢すのだった。





 ――ルクイ村。

 それは異世界における唯一大陸ファロスに数多くある隠れ里の一つ。

 切り立つ山々と深い森に囲まれ、自然の城塞によって守られた魔族達の住み家である。


(……魔族だけの村、か)


 隠れ里とは言っても暗さは感じない。

 村を隠すように生い茂る木々は、しっかりと剪定されており隠密せいを残しつつも日の光を取り込むことが出来るよう手入れされていた。

 村に立ち並ぶ家も木造で小さな造りではあったがしっかりとしたものだ。質素な外見を除けば、村の有り様は自分が居た世界にもある一昔前の農村のような感じと言えば良いのだろうか。


「思っていたよりものどかな所だな」


「……お前さん、やっぱり変わりもんだ」


 名無の何気ない一言に気優しいゴブリンは狐につままれたような顔を浮かべ、他の二人は驚きに眼を白黒させる。


「変わり者と言われてもな」


 特に緊張の色を見せない自分に戸惑う三人を横目に、力なく微笑む名無。


(……こういった荒事に慣れてしまっているせいだろうな)


 生半可な事では動じない、と言うよりもっと悪意に満ちた物を、もっと卑劣な仕打ちを受けてきた事がある。何も感じていない訳ではない、ただ耐える事に慣れているだけだ。そう……百人に満たないとは言え、この村の捕虜となった自分に険しい表情を向ける大勢の村人が集まる広場のど真ん中、敵意に満ちた場所に座らされている状況だったとしても。


(男だけじゃなく、女子供まで……村人の大半が集まっているのか?)


 集まった村人達に眼を向ける名無。

 集まっている村人は当然の如く人とは異なった外見を持った者達が大半だった。

 小柄で厳つい顔をした緑色の肌をもつゴブリン、二メートルを超える長身で肌を鱗で覆っている蜥蜴人(リザードマン)に動物の外見を持つ獣人。もちろん中には人と限りなく近い外見の亜人という魔族もいる。

 そんな人間ではない者達が、怒り、不満、悲しみ、憎しみ……そう言った負の感情を込めた視線を名無に向けているのだ。そんな場所に身をおいてもなお、のどかだと言い切った名無にゴブリン達が戸惑うのも無理はない。


「それより村長らしき人物がいないようだが、まだ此処に来ていないのか?」


 村人達から向けられる辛辣な視線を何事も無いかのように受け止め、村長なる人物を探す名無。


「すまんの、しばし村の周囲を見回っておったら遅れてしまった。じゃが、それほど遅れてはいまい?」


 いかにも干からびた声帯を単に空気が吹き抜けていくといった声と共に、名無に向けられていた視線が彼の背後に注がれる。

 聞こえてきた声からして、枯れ木のように年老いた老人を想像する名無。村長という役職に就いているのだからなかなか年のいった人物のはず……そう考え振り向いた名無だったが彼の予想はあっけなく覆された。


「……まさか、貴男がこの村の責任者なのか?」


「いかにも。お前さん達人間からしてみればありえんと思うじゃろうが正真正銘、儂がこの村の長、ガロじゃ」


 驚きのあまり眼を裂けんばかりに見開いた名無の前にいたのは、穢れ一つ無い銀毛に包まれた巨狼。

 森で見せた獰猛さは無い。それでも名無を見下ろす琥珀色の瞳は鋭い輝きを宿し、一分の隙もなく佇むその姿はまさしく誇り高き狼そのもの。


「さて、人間の若者よ。お主には色々と聞かねばならぬ事があるが……まずはこの村の長として礼を言おう」


「礼?」


「お主と同じ人間、それも魔法騎士達を相手にレラを助けてくれた。しかも、治癒魔法を使って傷まで治してくれたのじゃろ? お主があの場に居合わせていなければどんな目に遭っていたか……恩にきる、助かった」


 誠意を込めて頭を下げ、名無へ感謝している事を示しすガロ。狼と亜人では種族が違うが、その姿と言葉からは村の一員であるレラを大事に思っている事が伝わってきた。


「さて……これで筋は通した」


 ――が、頭を上げた途端、ガロの雰囲気が豹変する。


「これからお主には儂の質問に答えてもらう。分かっておるじゃろうが、拒否権はない」


 ガロの感謝の気持ちに偽りはないだろう。だが、レラを助けた恩人だとしても名無が敵対する種族の一人である事に代わりは無い。

 研ぎ澄まされた刃のように鋭く冷たい声、有無を言わせない殺気が籠もる眼光。

 ガロの放つ重厚な威圧感は、周囲に集まっていた村人達の背筋に冷たい汗を流させるものだった。

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