02 手にするにはまだ遠く(1)
(生きてる……のか)
瞼を閉じ次に眼を開いた瞬間、眼に入ってきたのは灰色の煉瓦で組まれた天井だった。
壁も床も同色の煉瓦に覆われ、血と人の骸で満たされた光景は何処にも無い。あるのは出入り口であろう扉と小さな窓が一つあるだけの、何の変哲も無い部屋。
他にあるとすれば、自分の身体を包み込んでいる山盛りの干し草の上に白いシーツを被せただけの簡易ベッド。
(今、見ていたのは夢――――いや、それどころじゃ無いな)
現実と思っていた夢の余韻を断ち切り、名無は現状の把握に取りかかろうとする。
『――覚醒現象による脳波を確認。意識が戻って何よりです、マスター』
が、それよりも早く彼の首元で輝く機械水晶から安堵の声が響く。
「お前も無事みたいだな」
『イエス、マスターの方が危険な状況でした。身体の方はどうですか?』
「少し怠さは感じるが大丈夫だろう、それより――」
『承知しています、マスターが眠っていた間に起こった状況説明ですね』
「頼む」
自分が憶えているのは止めを刺される直前まで。
(……それに、あの子の事も気がかりだ)
三人の暴漢に襲われていた蒼い肌の少女。
男達から助ける事は出来たものの、そのすぐ後に現れた巨狼に《輪外者》顔負けの力を
持った幼女、そして卓越した弓術を難なくやってのけた少女。
その他にも、変わった特徴の人間……のような者達。
彼等との闘いで自分は敗れ、巨狼に彼女を連れ去られた。けれど、彼等が彼女の仲間であるなら無事でいてくれるはず。
ともかく彼等が敵味方どちらにせよ今後、どう動くか決める為にも名無はマクスウェルの言葉を待つ。
『まずマスターも気になっている事柄から、マスターが助けた少女は無事です。そして、マスターを追い詰めた方々は彼女の仲間でした』
「なら、強行突破する訳にはいかないな」
何一つ自分の身に起きたことが分かった訳ではないが、希望的観測が当たったことの方が彼には重要だったのだろう。蒼い肌の少女の無事を知り、名無の強ばっていた表情が眼に見えて緩む。
『続けても?』
「すまない、続けてくれ」
話を遮ってしまった事を謝り、名無はマクスウェルに続きを促す。
『マスターは彼等に取って危険性が低い、と判断されたのか治療を受ける事が出来ました。勿論、全快とまではいきませんが毒はちゃんと解毒されています。かなり危険な状態でしたが、彼等の治療と《輪外者》としての高い治癒力で一命を取り留めることが出来た……ここまで大丈夫ですか?』
「ああ。それで、この状況は?」
『イエス、マスターが気を失っていたのは一日半。現在位置は戦闘が行われた森から更に十キロ程奧に進んで場所にある隠れ里のような村です。総人口は百人前後、村の周囲に深い森と険しい山が確認できました。この囚人用の牢屋はしっかりとした造りにはなっていますが、マスターであれば脱出は困難ではありま――』
「マクスウェル」
マクスウェルが効率よく状況説明をしていく最中、彼女の名を呼び話を止める名無。
『どうかしましたか? まだ報告すべき事は残っていますが』
「確かに今の話を含め聞かなくてはいけないことは多い。だが……俺が聞いてるのはそう言うことじゃ無い、それはお前も分かっているだろう」
『分かってはいますが、心の準備は必要かと』
「その気遣いには感謝する。が、今ので大体俺の予想通りらしいと言う事は理解した」
名無はもう一度自分がいる部屋の中を見回しす。
部屋の中にある調度品らしき物は自分が横になっている簡易ベッドのみ。それ以外は鉄製の錆びた飾り気など有るはずの無い重厚感のある扉だけ、そのどれもが見覚えのある材質で出来た物ばかりである。
しかし……
「こんな物、少なくても俺は見た事が無い」
『安心して下さい、それはワタシも同じです』
ゆっくりと身体を起こした名無は自分の両手首に掛けられている手錠、のような物に疑問を込めた視線を落とす。
名無の両手に掛けられている枷、それは球状の水晶に浮かび上がる五芒星を起点に手首を縛る流動する半透明の帯。
縛られている分、両手の自由は無いものの強く締め上げられている感覚はない。むしろ暖かな温水に包み込まれているような柔らかで心地よい感触、これでは拘束具としてちゃんと機能しているのか逆に疑わしい。
「はっきり言ってくれて構わない、お前の判断も聞いておきたい」
『イエス、マスターのご想像の通り――ここは異世界だと思われます』
「……原因は?」
自分達がいる場所を異世界だと肯定し、名無は今度こそと話を進めた。
『憶測の域は出ませんが、原因は逃亡に使用した能力の空間移動が不安定な物だったからではないかと』
名無が『転移操者』によって転移した時、能力の使用に必要だった逃亡先の緯度、経度、標高等の条件を設定していなかった。ちゃんと発動条件に組み込まれていたのは精々、名無とマクスウェルを効果対象者に選んだ事くらいである。
『あの能力は詳細な情報を元に使用することが前提の物です。それを敢えて不確定な条件で発動させた事で、このような予想外の事態に陥ったのではないでしょうか』
「だとしても地球上の何処か、最悪でも宇宙……と考えてはいたんだがな。まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった」
マクスウェルの記憶中枢に登録されていない未知の言語、人間とは異なる特徴を持った少女達と既存の生態系にいるはずの無い巨狼の存在。自分がいた世界とは明らかに違う、そう思い当たる事が多すぎた。
「それに、この手錠が決定的だな。水晶は良いとしても帯の材質が検討も付かない、ただの液体……では無いんだろう?」
『その通りです』
自信なさげに答える名無、そんな主人を励ますよう即答するマクスウェル。
『構成材質は水ですが解析結果からすると、何らかのエネルギー物質を混ぜ込まれているようです。水を媒体に大気中の元素とは別の何かを収集し拘束具として機能している……と言ったところですね』
「さすがは異世界……だ、な?」
異世界に来てしまった事を知っても特に動じる様子を見せなかった名無。だが、マクスウェルと言葉をかわす内にその表情が困惑の色を帯びる。
「マクスウェル。今更で悪いんだが一つ答えてくれ」
『何でしょうか?』
「彼等にとって俺が要注意人物だと言う事は、この状況から充分すぎる程分かった。装備を没収されている事も納得できる……納得出来るが、どうしてお前は取り外されていないんだ?」
傷の手当てをして貰えたのは不幸中の幸いだろう。
しかし、明らかに外部との接触が出来ないように拘束されている。
単純に蒼い肌の少女を襲ったのが自分では無く、他の男達だと分かり礼と謝罪の念を込めて治療してくれたのなら、怪我の経過を見守る必要がある怪我人をこんな所に閉じ込めたりしないはずだ。
だと言うのに、武器の一種と思われても仕方がないマクスウェルが自分の元に残ったままなのはおかしい。
『マスターの指摘はごもっともです、確かにワタシもマスターから取り外されそうになりました。ですが』
「ですが?」
『マスターと隔離されてしまえば互いに危険であると判断し、彼等がワタシに触れようとする度に聴覚器官の破壊――つまり、鼓膜が破れてもおかしくない音量でアラームを鳴らしました。その結果、マスターからワタシを外すことを断念して頂くことが出来ました。安心、安全、安泰で何の問題もありません』
「俺には問題が無いとは思えないんだが」
『実質的な被害はありません、もちろん彼等にも被害が出ないよう注意を払いました』
「………………」
音波を投射することにより対象物を破壊、あるいは対人において戦闘能力を奪うことを目的とする兵器を音響兵器と言う。
今回、マクスウェルの発したアラームもその一種である。マクスウェルに内蔵された音響装置――スピーカーを兵器として利用し、非破壊・非殺傷性を優先した物だ。彼女の言う通り村人達に被害は出ていないのだろう、それは自分としても安心できる事柄である。しかし、幾ら気を失っていたとは言え、鼓膜が破れてしまう危険がある大音量を首元で出されたと言われては気が気でない。
『もう過ぎたことです。過程よりも結果、過去よりも今、そして未来に眼を向けるべきです。こうしてマスターに情報提供出来たのですから、問題などあるはずがありません』
「……間違っていないだけに反論しづらいな」
これを暖簾に腕押しと言うのか、名無は自分の指摘をあっさりと受け流すマクスウェルの態度に悩ましげにため息を溢した。
『褒め言葉として受け取っておきます。それより、今後の方針はどうしますか?』
「そうだな……」
名無はゆっくりと立ち上がり、眠っていた間に固まってしまった筋肉をほぐす。首から始まり足先まで異常が無いか入念に確かめていく。上半身にしっかりと包帯を巻かれてはいるものの、特に痛がる様子もなく身体を動かす名無。
「このまま脱走するのは簡単だがもう少し様子を見る。相手が人間では無いとは言え友好関係を結べたなら、この世界の情勢を聞き出しておきたい」
状況次第では実力行使でここを脱走しなくてはならないかもしれない。だが、少しでも穏便に済ませたい名無としては可能な限り闘いを避けたいというのが本音だ。
『ご要望の情報であれば幾つか取得済みです、それと言語解読も済んでいますから今一緒に――』
名無との活動方針をより円滑に練る為、マクスウェルはもっとも重要な情報を手に入れている事と意思疎通ができるようになった事を口にしそこで声を止める。異世界に来てから彼女がいきなり話を中断する時は、名無にとって良くない事が起きた時である。
それが分かっているのか、名無も張り詰めた雰囲気を纏う。
「今度は何だ?」
『こちらに向かってくる熱源を捕捉、距離は百メートル、数は三つ。到達まであと五十五秒。マスターの様子を見に来た村の方々だと思われます』
「その村人達との面識はあるか?」
『熱源のシルエットから判断すると全員が男性です。戦闘で対峙した方に近い反応ですがサイズに若干の違いを確認、面識のある方は一人もいないかと』
顔合わせは最悪と言って良い。顔を見たことがある人物がいてくれれば少しだけだが、あの時の状況の説明を円滑に出来たかもしれない。だが、状況が状況である。
あまり高望みしない方が賢明かもしれない。
「解読した言語の学習を頼む、これからどうなるにしろ話が出来ないのは拙い。あと必要最低限の常識が欲しい」
残り数十秒ではこの世界の事情を全て把握しきる事は出来ない。
今は言葉を理解できるようになる事と、異世界における誰もが知る知識を確認するだけでもしないより遙かにましなはずだ。
名無はまたベッドの上に横になり、同時に首筋にピリッと軽い刺激を感じる。
『今、神経を走る電気信号に言語パターンの波長を組んで脳に送っています。一般常識については口答になりますが重要性の高い物を三つだけ』
「ああ」
『一つ目は種族について、この世界には人間族と魔族。大別して二つの種族が存在しています。二つ目は、人間の中に《魔法騎士》と呼ばれるマスターに近い力を振るえる者達がいると言う事です』
「森で戦った奴らの事か?」
『イエス、彼等は能力とは異なる魔法という力を行使できるようです。この先、また戦う事になれば相手の力量にもよると思いますが苦戦を強いられる可能性があります。次で最後になりますが……しっかり覚えていて下さい』
マクスウェルは一拍、間を開け名無に念押しをする。
『三つ目ですがこれは一つ目の注意点で上げた人間族と魔族……この二つの種族は歴史という長い時間で、それも戦争規模で争っていると思われます』
「思っていたより拙い状況みたいだな」
マクスウェルのお陰で不用意に致命的な行動を取る可能性は格段に下がった、それでも人間である自分が敵対している魔族の少女を助けたのは予想もしていなかった事だろう。だが、こうして自分が生かされているのは同族である人間から何故レラを救ったのかを聞き出す為であれば合点がいく。
だとしても、魔族の面々に狙いや目的といった事を問いただされても答える事は出来ない。
――ただ、誰かを助けたかった
そう思って行動しただけで、こうまで身動きが出来なくなるとは名無も思ってもいなかったはずだ。
「お前が喋れる事は、もう知られているのか?」
『マスターが倒れてからはアラーム機能しか使用していません。戦っていた時も、こちらが言葉を理解できなかったようにあちらも同じだったはずです』
「知られている可能性はかなり低いと考えて良いか……なら、俺の身に何があっても声を出さないでくれ。最大音量のアラームも無しだ、彼等に危害を加える訳にはいかない」
『了解しました、交渉の方はマスターに一任します』
「交渉するには情報が足りていない、あまり期待しないでくれ」
『いきなり不安にしないで下さい……まもなく村人達が扉の前まで来ます』
ご武運を、と言い残しマクスウェルは沈黙する。
(今度は戦わずに済めば良いが……)
張り詰める静寂の中、名無は手探り状態で進むしかない現状に重いため息を吐くのだった。
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