第19話 ヒカルの悩み事
「ヒカルお姉ちゃん。機嫌が悪そうだね」
「……」
「ヒカルお姉ちゃん。ねぇ、聞いてる?」
「……」
我が可愛らしい声で話しかけているのに、ヒカルは無視を貫き通す。
かりの探偵事務所での話し合いからすでに二日が過ぎていた。あの日、ヒカルを怒らせた我はすぐに事務所を追い出された。六歳児一人を見知らぬ土地に放り出すヒカルは幼児虐待で訴えられても仕方がない。
もちろん、魔法で家に直通のドアを作ればいいだけの話なので移動には問題はなかった。一度、お巡りさんのお世話になってみたい、という願望もあるが、それでは母上にお手数をおかけすることになるのでやめておいた。
しかし、ヒカルの機嫌を損ねて以来、ヒカルが我の家を訪ねてくることはなく、二日が経過する。このままではいけない、と我のほうからヒカルの元へ来たのだ。
事前にヒカルの居場所がわかる魔法をかけておいてよかった。その魔法の信号を頼りに買い物中らしきヒカルを発見する。我を見た瞬間、ヒカルの目が鋭く吊り上がった気がするが気のせいだろう。
突然だが、我は人の顔色を窺う人間が嫌いだ。これは前世で我のご機嫌を取ろうとゴマをする人間を多く見てきたからだと思う。だから、我は人の顔色を窺ったりしないと決めている。人にされて嫌なことを他人にしてはいけない。これは保育園で教わったことだ。
だから、ヒカルが嫌がっても隣を歩くことをやめたりはしない。
「お姉ちゃん。買い物袋を持とうか?」
「……」
ヒカルは両手に一つずつ大きなスーパーの袋を抱えている。両手が使えない分、不便であるにもかかわらず、我の申し出を無視して歩き続けていた。
「あ、洋平さんだ」
ヒカルの耳がピクリと動く。しかし、こちらを向いたりはしない。相当怒っているらしい。我はどんなに怒っても一晩寝れば大抵は収まる。彼女は我のような単純な心の持ち主ではないらしい。
このままでは時間が無駄にすぎてしまう。だから少し強引な手段を使うことにする。
「はぁ。このまま会話をするつもりがないのならば、大衆面前で其方のことを大声でママ、と呼ぶぞ」
ヒカルは大学生で若い女性である。しかも、美人の部類に入る。そんな彼女が我のような子供にママなどと呼ばれれば周囲の視線を集め、変な目で見られることは確実だ。下手すると偶然出くわしたヒカルの知り合いがいて、よからぬ噂を立てられるかもしれない。
そうなってしまえば困るのはヒカル。
下唇を噛んだヒカルがこちらを悔しそうに睨みつけている。とりあえず話を聞く体裁は整った。ならば我にできるのはまず謝ることだ。
「人の恋に不誠実な対応をしたことは少しだけ済まないと思っている。いい加減機嫌を直して会話をしようではないか。このままでは電柱と話している気分だ」
「それは私の身長が高い、と文句を言ってるの?」
ヒカルはぎろりと我を見下ろした。ヒカルの身長は170cm以上ある。これは母上情報なので確かだ。女性にしては高い方であるらしい。ひょっとすると背が高いことを気にしていたのかもしれない。予期せず、地雷を踏んでしまったようだ。
日本は電柱と呼ばれる物が多い。電柱とは電気の通り道である電線を支える柱らしい。詳しいことは知らないが、それのおかげで我々は自宅でテレビを見たり、電話を使ったりできるそうだ。電気については奥が深く、雷と同じものだという認識はしているのだが、未だによくわからない。セーターを着ていて、脱ぐとバチバチと音を鳴らすアレと同じらしい。いつか電気についても研究したいと思っている。
「い、いや、そんなつもりはないぞ。それに洋平はヒカルより少し背が高いくらいだ。ヒカルと並べばちょうどいい。キスをするときに屈むことも背伸びすることもない。まさにベストカップルだと思う」
人の顔色を窺う人間は嫌い。(自分は除く)
「で、用件は?」
ヒカルは歩く速さを変えずに聞く。身長170cmのヒカルと六歳児の我とでは一歩の歩幅からして大きく差があるので我は走るようにしてヒカルの横を歩いた。
「ヒカルの傍で日本の常識を学ぶと約束したばかりじゃないか。それを反故にして我を無視してもらっては困る」
「その代わりに私は悩み事を聞いてもらう約束だと思ったけど、記憶違いだったかしら?」
「合っている。しかし、我に恋愛相談は向いていないぞ。前世では何人もの嫁がいたが恋愛とは程遠い、政略結婚だったからな」
隣国の王族や自国の有力な貴族の娘など、政治的基盤を盤石にするため以外に一切の感情が入らない結婚だった。我としても彼女らからとしても恋愛感情など存在しない。妥協と打算という言葉がふさわしい。そういう意味では我は恋愛未経験者と言える。
それに小さいころから結婚相手は決められていて、恋愛をする自由などないと教育されていたうえ、魔法の研究に没頭していたので恋愛経験など皆無に等しい。
だから、ヒカルの力になれるとは思えなかった。
「いつ私の悩みが恋愛相談だといったのかしら?」
「それは、いつだったか?」
思い返してみる。そういえば言ってない。ヒカルが悩みを話す前に洋平が現れ、洋平に対する態度からヒカルの恋愛感情に気づき、我が勝手に推測したに過ぎない。
「では恋愛相談ではないのか?」
「違うわよ」
ヒカルは小さなため息をついた。
「洋平さんに関係することではあるけどね」
ヒカルの足がとあるマンションの前で止まる。オートロック付きのマンションだ。玄関のインターホンが部外者を通せんぼしている。
「詳しくは私の部屋についてから話すわ」
歩いているうちにヒカルの家に着いたらしい。
ほう。ここがヒカルの部屋のあるマンションなのか。聞く話によるとヒカルは一人暮らしだ。女性の一人暮らしは何かと物騒なのでこのマンションを選んだのだろう。
首が折れそうなほどの高さのビルを見上げる。そのビルになぜか既視感を感じていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「あら、ヒカルちゃん。シンちゃんも一緒なの?」
母上だ。ヒカルの住むマンションから出てきて、こちらに向かって手を振っている。手荷物からしてこれから買い物に行く様子だ。ヒカルは丁寧に頭を下げて挨拶する。
なるほど。ここは我の家でもあったのだ。道理で見たことがあるはずだ。
謎はすぐに解けた。
***
「シンタくんをお借りします」とヒカルが母上に説明し、我々はヒカルの部屋へと向かう。と、そこで知らされる衝撃の事実。
ヒカルの部屋は我の家の一つ下だったのだ。これは偶然では済まされない。これが偶然ならば運命か。それとも奇跡なのか。しかし、奇跡や運命などの曖昧な言葉を信じる我ではない。これは何らかの人の意思が介入している。つまり、嶋野ヒカルはわざとこの部屋に引っ越してきたに違いない。
となると導き出される答えは一つ。
「ヒカルは母上のストーカーだったんだ」
「急に何を言ってるの? 頭がおかしくなったの?」
「大人しく認めるといい。ネタは上がってるんだぞ」
「最近見たテレビにでも影響された?」
なぜわかったのか。この間見たサスペンスドラマで取調室の犯人に刑事がこう言って供述を引き出そうとしていたのだ。カッコよかったので一度使ってみたいと思っていたセリフだ。
「簡単に説明すると、大学に進学して一人暮らしを始めるにあたり、心配症の私の両親が猛反対したの。それを納得させるためにあなたのお母さんのマンションに住むことになったよ。それならば安心だ、ってことでね。その件でお世話になったのよ。喫茶店でもその話、しなかった?」
したような気もするが本を読んでいたのでよく覚えていない。しかし、我の灰色の脳細胞はその時に読んでいたのはシャーロック・ホームズの本だということだと覚えていた。
あれ? ポワロだったかな?
買い物した商品の片づけとお茶を入れるためにヒカルが台所に移動する。この部屋に住み始めて一ヶ月過ぎ、もう慣れたらしく、手慣れた手つきで急須を用意している。冷蔵庫の中身は食材が詰められており、いくつもの作り置きのタッパーが見えた。しっかりと自炊をしているようだ。
さて、ヒカルの眼もなくなったことだし、ヒカルの部屋を物色するか。
そう思い、我は立ち上がった。
「一応言っとくけど、私の寝室はそこだから、絶対に開けては駄目よ。説明したんだからトイレと間違えた、なんて言い訳はなし。開けたら許さない。その時点で約束の話は消滅すると思いなさい」
ヒカルは向こうから声だけで我を牽制する。なぜ見えていないのに、我の行動を予想できるのか。額に冷や汗がたらりと流れる。
「ひょっとして、ヒカルも気配探知の魔法を使ったのか?」
「貴方と一緒にしないで。普通の人間は魔法なんて使えません。これは貴方の性格を把握したうえでの想像よ。その物言いからして寝室に入ろうとしたのは当たってたみたいね」
「ぬぅ」
見事に行動を見抜かれ、ぐうの音も出ない我は大人しく椅子に座って机に置かれていたせんべいを口にする。せんべいはパキッと乾いた音を立てて割れた。
バリバリボリボリ
「はい。お待たせ」
「緑茶とは気が利くな。せんべいによく合う」
醤油味のせんべいを食べ、口いっぱいに広がったしょっぱい味を緑茶で流し込む。口の中に後に残るのは緑茶の爽やかな風味だけ。これぞせんべいの食べ方である。気がつくと三枚目のせんべいを食べ終わろうとしていた。美味しい物を食べると時間が過ぎるのも早い。このような感覚は日本に生まれてからである。
せんべいで膨れたお腹を叩く。
するとポンポンと軽快な音が返ってきた。
「これ以上食べると晩御飯が食べられなくなってしまう」
「……」
「では、そろそろ帰るとしよう」
「ちょっと待ちなさい」
帰ろうとする我の首根っこを掴み、ヒカルは言った。
「ここに来たのは私の相談を聞くためでしょ。何を帰ろうとしてるの?」
「おお。せんべいの美味しさに舌鼓を売っているうちにすっかり忘れてしまっていた。すまない。それもこれもせんべいと緑茶を出すヒカルが悪いのだ」
「人のせいにしないでよ」
そう言ってヒカルは我の手元にあったせんべいを奪う。無理やりにでも緑茶だけは死守した。これがなくなってしまえばのどを潤すことができなくなる。それだけは避けなくてはいけない。
我はいすに座り、ヒカルと向き合った。
「では、話すがよい」
「はぁ」
ヒカルは頭を押さえてため息をついた。
「この数日で一気に老け込んだ気がするわ」
「若返りの魔法はないからな」
生き返りの魔法もない。人は一度死んでしまえば蘇生はできない。人を生き返らせようとしてアンデッドを極めた魔法使いも過去にはいたが、結局、望む力を手に入れることはできなかったそうだ。
「あっても使わないわよ。人は短い人生を自覚して謳歌する動物だからここまで発展できるのよ。その自覚を失えば後は惰性の生活しか残ってないわ」
ヒカルの意外な考え方を知る。女性はみな、若返りと聞くと目の色を変えるイメージを持っていたので、少し驚いた。魔法という未知数の能力を持つ我に媚びようとせず、誠実に接しようとするヒカル。彼女の性格の一端を知ることができたのかもしれない。
「さて、ようやく本題に入るわけなんだけど、最近話題になっているニュースを知ってる?」
少し挑発的にヒカルは聞いた。おそらく、幼稚園児の見た目である我は新聞やニュースなど見ないと思っているのだろう。
しかし毎朝、新聞を読むのは我の日課である。どんなに忙しい日も四コマとテレビ欄を見ることを欠かしたことはない。そんな我が最近のニュースを知らないわけがない。
「ああ。もちろんだ。アイドルのもんちゃんが男のツーショットのプリクラが流出し、ネットで炎上したニュースだろう?」
「違います」
「それならアルバイト店員がアイドルの使用済みストローを手に入れたことをSNSで広めて話題になったことか?」
「違う」
「今度映画化する小説のニュースかな?」
「……」
ヒカルの我を見る目の温度が少しづつ下がっていくのを肌で感じる。もうすぐ氷点下にいきそうだ。
雰囲気から察するに残されたチャンスはあと一回。
前世では土壇場に強い。追い詰められると驚異的な力を発揮する。ピンチに強い。打たれ強い。悪運が強い。などとさまざまなことを言われてきた我である。この程度の逆境に負けはしない。
すでに何と戦っているのかわからず、何の話をしていたのか忘れてしまったが勝負事で負けるわけにはいかない。
このラストチャンスに全てをかける。
「今度、近所に新しい喫茶店ができr―――」
「もういい」
我の言葉を遮ったヒカルは睨むような呆れるような視線で我を見る。そして、再びため息をつく。
「貴方が日本の文化を満喫していることはよくわかりました。けど、違います。このまま話していてもらちが明かないので結論から言います。【通り魔】のニュースです」
そのニュースは覚えている。何人もの人間を夜な夜なナイフで襲い、傷つけて逃走しているらしい。今週にも被害者が一人増え、合計で四人がその被害に遭った。しかも、犯人はまだ捕まっていない。
被害現場は自転車で行ける距離にある隣町。その【通り魔】は我が住んでいる町のわりと近所に出没するので、母上に何かあってはいけない、と警戒していたのだ。
「そのニュースは知ってるぞ。たしか、男しか狙われていないのだったな。本来、体力のない女性を狙うのが普通の【通り魔】にしては珍しい。と、ニュースで言っていた」
「その【通り魔】に関する新しい情報があるの。これはニュースでは放送されないはずよ」
ヒカルの表情が真剣なものに変わる。なぜ、そんな情報を一介の大学生に過ぎないヒカルが知っているのか、疑問は残るがそれよりもその新しい情報である。我は身を乗り出すようにしてヒカルの言葉を待つ。
「【通り魔】は警察内部では通称【
「ほぅ」
本来、普通の人生を歩んでいれば【通り魔】などの物騒な存在はニュースでしか見ることがない文字列でしかない。運悪く出会ってもそれは交通事故と似たようなものでただ、自分の運の悪さを呪うしかできない。
それに自ら関わろうとするのはよほどの変わり者か、ただの馬鹿か。それとも―――。
「私はその【
この娘は我が思っている以上に面白い存在になりそうだ。
我は心の中で笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます