第20話 探偵と言えば尾行である
「監視対象Nが曲がり角を右に右折。Sは追跡を続行する。オーバー?」
「……H、了解した。オーバー」
「声に覇気がないぞ。やる気はあるのか?」
「はぁ」耳のイヤホンからヒカルのため息が聞こえた。流石は最新の通信機。ノイズもなく鮮明にヒカルの声が聞こえてくる。そのおかげでヒカルには明らかにやる気がないのもわかった。
「あるわけないでしょ。どうして洋平さんを尾行しなくちゃいけないのよ」
そう。今、我は野間洋平を尾行していた。コードネームのSはシンタの頭文字でヒカルはH。尾行対象は野間洋平なのでNだ。
嶋野ヒカルは顔が割れているので代わりに我が尾行している。あすなろ探偵事務所に置いてあったインターカムを嵌め、それで少し離れた位置にいるヒカルと通信している。いくら最新の通信機器とはいえ、我の位置からヒカルは見えないが離れすぎると通信できなくなる。だから、ヒカルは近くにいるようだ。
インターカムとは音声を離れた人に届ける機械で仕組みはよくわからない。我が使っているのは片耳に装着するタイプで小さいが集音機能のあるマイクもついてあり、相手に声を受け取ったり届けたりすることができる。
尾行に有効な道具はないか、とヒカルに聞くとこんなものがある、と勧められたのだ。
こうしてインターカム(略してインカム)を装着して尾行すると本当の探偵になった気分になれる。
王国では探偵のような職業は存在せず、もめ事などは冒険者ギルドと呼ばれる荒くれものを束ねる組織に依頼することになっていた。しかし、冒険者は戦うことしか脳がない人間ばかりがなるのが基本である。魔物を倒す能力はあるが、それだけしかない者も多い。使いようによっては有益だが、いらぬ面倒事を起こすのも冒険者ばかりだった。それゆえ、我は冒険者が嫌いだ。
それに引き換え探偵とは依頼人に依頼を受けることまでは冒険者と同じなのだが、そこから知能を使い、犯人を追い詰める。暴力に頼る愚か者の集まりの冒険者とは真逆の能力で事件を解決してしまう。
探偵の武器はその知能と情報収集能力。腕力に物を言わせる冒険者と対極の方法でありながら、事件を華麗に解決へと導くスペシャリストだ。
日本語を理解するために推理小説をいくつも読み、我はすっかり探偵という職業に夢中になっていた。
憧れていたといってもいい。ヒカルが探偵事務所に勤めている、と聞いて内心興奮していた。
だから今、探偵の真似事とはいえ、尾行を経験できることにとてもワクワクしている。
「きっかけはヒカルの依頼だろう?」
「依頼じゃないわ。悩み事よ」
「似たようなものだ。【
「言ってない。愛する、も助けて、も言ってない。私はただ【
インカム越しで顔は見えないがヒカルが顔を赤らめて叫んでいる姿が想像できた。
すみません気にしないでください。などの声も小さく聞こえるのでおそらく周囲の人に謝っているのだろう。突然、道を歩く女性が叫びだしたら不審がられても仕方がない。
鼻孔をしているのに目立つ行動をとるとは、探偵失格である。
「【
「それは、否定しない……」
再び前を行く洋平が曲がる。洋平は大の大人で身長も高い方だ。だから六歳児の我が彼に追いつくには走るくらいでギリギリのペースだ。一瞬でも見失えばもう見つけることは難しい。だから、我は神経をとがらせて尾行に励む。
「けど、洋平さんを尾行する必要はないでしょ」
「【
「知らないけど、尾行しなくても一日のスケジュールとか本人に聞けばいいじゃない。洋平さんなら素直に教えてくれるわ」
「尾行されているとは気づかない、自然な一日を調べるのがいいのではないか。こうして追跡することで本人が気づかぬ癖など見抜く。それこそ尾行の
「今、
「ザーザー、このインカム調子悪いのではないか?」
誤魔化すために我はインカムのマイク部分を軽く叩いた。
「それに、ヒカル。其方も洋平が休日に何をしてるのか。気になるであろう?」
インカムの向こうで唾をのむ音が聞こえた。本当にこの機械は鮮明な音を届けてくれる。
ヒカルの頭の中で何かが葛藤して、戦っているようだ。そして、その戦いはすぐに終結を迎える。
「……否定はしない」
「正直者は好きだぞ。それならば尾行を続行する」
我は洋平の後を走りながら追いかけた。
***
野間洋平。年齢二十六歳。大学を卒業後は普通に就職。その後、退社して『かりの探偵事務所』で働き、先代の所長から事務所を引き継ぎ、現所長になる。ただし、かりの探偵事務所の所員は一人しかいない。
古いビルの一角とはいえ、毎月の賃金も払い、借りているはずだ。しかも、ヒカルをアルバイトとして雇っている。経済状態はどうなっているのか、気になるがあくまでアルバイトであるヒカルも知らないらしい。
高校、大学は嶋野ヒカルと同じ。高校の吹奏楽部のOBである洋平が高校に後輩の指導に来たのがヒカルとの出会いである。そして、ヒカルはその時に恋に落ち現在に至る。
尾行をしながら洋平に関するヒカルの知っている情報を聞き出す。尾行対象の経歴を知るのは尾行の基本である。
先ほどから尾行されている洋平は公園のベンチで座って談話していた。話し相手は人畜無害そうな近所のおばちゃんだ。ベンチに座り、ボーっとしていた洋平におばちゃんが話しかけてきたのだ。
初対面の、しかも、無精ひげを生やした成人男性に臆することなく、話しかけるとはなかなか肝の据わったおばちゃんだ。よほど話し相手に飢えていたのか、かれこれ十分以上会話している。
話を聞く洋平はおばちゃん相手に嫌な顔一つせず、対応している。探偵としての会話術のようなものがあるのかもしれない。もう少し近づけば会話を聞き取ることができそうだが、これ以上の接近は洋平に気づかれる可能性があるので断念した。
ちなみに我は見た目は六歳児なので問題なく公園にいられる。
うるさいぞ。小僧。尾行中の我に話しかけるな。砂遊びなぞに興味はない。向こうに行って他の小僧たちと遊んでいるがいい。
「好き、という割に情報が少ないな。洋平に彼女はいないのか?」
「彼女はいない、と思う」
どちらかというと、いないで欲しい、というヒカルの願望がにじり出ていたが、我はスルーする。
傍にいる小僧が何度も砂遊びに誘うので仕方なく、我も付き合うことにした。
「ところで吹奏楽部とは何をする部活なのだ?」
「みんなで楽器を奏でて演奏するの。私と洋平さんはトロンボーン担当でその時に仲良くなったの」
トロンボーン。名前からしておそらく、トロールの骨を使った楽器なのだろう。ヒカルの細い腕でトロールの巨大な骨を持てるのだろうか。それとも加工して軽くしたのだろうか。気になるところだ。
平和だと思われる日本人もなかなか恐ろしい発想をする。日本の伝統的楽器である三味線も猫の革を使ったと聞いている。冒険者が魔物の死体から武器の材料を取り出すのと同じ発想なのだろう。
ただ捨てるより再利用するあたり、もったいない精神がしっかりと根付いている証拠だろう。
「そして、ヒカルは洋平を追いかけて同じ大学へ。さらに同じ職場でアルバイト。やっぱりストーカーじゃないか……」
我、ドン引きである。
ストーカーの言葉にヒカルは慌てて否定する。
「大学が一緒なのは偶然よ。学部は違うし。あすなろ探偵事務所で働いているのは、その、ひょっとしたら、とか下心もないことはないけど」
むしろ下心しかないのではないか。だが、空気の読める男である我はそんなことを口にしたりはしない。
我は今流行りのKYだからな。
「しかし、同じ職場でいながら関係の発展はなく、現状のままである」
「……」
ズーンと重苦しい沈んだ音が聞こえてくるかのようにヒカルは無言になった。失敗した。だが、まだ挽回のチャンスはある。何といっても我は空気の読める男だからな。
「だ、大丈夫だ。ヒカルをわざわざバイトとして雇ったんだ。嫌いなやつを雇うわけがない。つまり、洋平はヒカルのことを嫌いではないということだ」
「……」
まだへこんでいるのか。返答はない。ここは我の渾身のギャグを決めて笑わせて見せるしかない。
「洋平は彼女がいないようだし、ヒカルにも脈があるということだ。って人間に脈があるのは当然じゃないか。アンデッドじゃあるまいし」
どうだ?
と、少し離れた位置にいるであろうヒカルを探す。きっとヒカルは笑いをこらえてプルプルと震えているに違いない。彼女を見つけ次第、からかって笑ってやるのだ。そう思い、首を動かしていると後ろから肩をトントンと叩かれた。
「おお、ヒカルか? どうだった我のギャグは―――、あ」
振り返ったその先にいたのはにっこりと笑う野間洋平だった。
「こんなところで何をしてるのかな、逢坂心太君?」
我の作り上げた砂の城はそれは見事なものでスマホで写真を撮る人でちょっとした騒ぎになってしまっていた。
***
野間洋平に見つかった我々は公園から場所を移し、喫茶店『マウンテン』に来ていた。我の隣に座るヒカルはばつが悪そうに顔を背けている。
我は子供だから子供のおふざけで、そこまで怒られないだろうタカを括っているのでむしろふんぞり返ってパフェを食べている。ここの料金は洋平持ちである。
野間洋平は最初から誰かにつけられていることに気づいていたそうだ。公園に入って動かなかったのはその相手をあぶりだすため、というわけだ。我の尾行を見破るとはさすが、探偵。アルバイト探偵のヒカルとはえらい違いだ。
尊敬の念を抱かざるを得ない。
「まさか六歳児が尾行しているとは思わなかったから、特定するまで時間がかかったよ」
ハハハ、と洋平は笑っていて、怒っている様子はない。
「流石は探偵さんですね。僕も探偵の真似事をしたい、とヒカルお姉ちゃんに無理を言ってお願いしたんです。本当にごめんなさい」
「別にいいよ。気にしてないから」
「でも、高価な機材を勝手に使ったりしましたし……」
「インカムは購入したのはいいけど一度も使ったことがなかったからね。事務所で埃をかぶらせておくより、君たちに使ってもらった方がよかったと思うよ。さすがにあげることはできないけどね」
それにしても、と洋平の視線が先ほどからずっと黙っているヒカルのほうへ向く。それに気づいたヒカルはビクッと震えた。
「ヒカルちゃんがシンタ君の遊びに付き合っていたのは少し驚いたな。ヒカルちゃんはこういうことを止めるタイプだと思ったんだけど」
「それはその……」
「怒ってるわけじゃないよ」
と、洋平は優しい言葉を口にしながら自分の顎を撫でた。
「最近のヒカルちゃん。引っ越ししたから環境が変わったせいか、すごく疲れた表情をしていたから。気分転換ができてるみたいで安心したよ」
僕はそういうことに気が回らないからね。と洋平はボサボサの伸ばしっぱなしの後ろ髪を掻く。
「引っ越ししてすぐにいいお友達もできたようだし」
と、我の顔を見た。どうやらお友達とは我のことらしい。
これから仕事があるから、と言って洋平はお会計を澄まして『マウンテン』を後にした。その後姿はできる男のようで正直、格好良かった。
「……」
「ヒカル? 大丈夫か?」
洋平がいなくなってから五分ほど経ってもヒカルは一言も発せずボーッと窓から見える空を見ている。まるで魂を吸い取られた抜け殻のようになっている。
「私のこと心配してくれてたみたい」
「それはよかったな」
最後にヒカルはこう言った。
「……尾行してよかった」
***
「それならまた今度、洋平を尾行しよう」
「それは駄目」
チッ。この流れならいけると思ったのに。そう簡単にはいかないようだ。
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