第21話 温泉に行こう

 日本の文化には変わったものが多く、知るごとに驚くことも多い。前世の常識との差異に戸惑い、動揺することも多々ある。と言っても日本に生まれてもはや六年。大抵の事には慣れてしまい、新しい物を見ても日本だから仕方ない。と思える程度にはなじんできた。

 しかし、知ってなお、経験しても慣れない物もある。

 それは大衆浴場という文化である。

 

「今日は温泉に行こっか?」


 下着や服装をカバンに詰めながら母上は楽し気に鼻歌を唄っている。時々、音程が外れるのは愛嬌だ。

 去年、近所に大型の温泉施設が建設された。それ以来、三ヶ月に一度くらいの割合で母上は温泉施設に行きたがる。家の浴槽は故障していないにも関わらずだ。財政的にも時間的にも無駄としか言いようがない行動だと思う。

 実は我はこのイベントが実は好きではないのだが、母上が楽しそうにしているので、嫌だともいえず、大人しくついていくことにしている。

 マンションの地下に置かれている自動車へ向かう。

 ここだけの話。我は男性であるが六歳児である。温泉施設は裸で利用する施設なので男女別に分かれている。しかし、六歳児である我は女性風呂に入ることができるのだ。


 もちろん、あくまでも六歳児なので他の女性を性的な視線で見ることはない。ないが六歳児でよかった、と思わないこともない。こうした役得は後二、三年もすれば使えなくなるのでそれまでの間に十分に堪能しておかなければならない。


「今日はスペシャルゲストもいるわよ」

「誰ですか?」


「さっき連絡が来たからもうすぐ来ると思うわ」


 スマートフォン通称スマホを触りながら母上は言う。我が家所有の四人乗り車の鍵が開き、我は先に助手席に乗り込んだ。当然、母上は運転座席だ。

 自動車と呼ばれるこれは動く鉄の箱ですごいスピードで目的地へ向かうことができる。馬より早く、疲れないので長距離移動もできる。これさえあれば戦争の常識が覆る。侵略戦略が大きく変わったであろうと思われる代物だ。

 ただし、弱点があり、ガソリンという魔法の液体がなくなればただの鉄の塊になってしまう。だから、それがなくならないように定期的にガソリンスタンドに行かなければならない。それに自動車税などの税金も発生する。一長一短であるが、馬よりも便利なことは間違いない。

 馬はくさいからな。

 我が家の自家用車はスポーツカーと呼ばれる部類で車の中でも特に早いそうだ。

 

「あ、こっちこっち。ヒカルちゃん」


 運転席の窓を開け、母上は手を振る。そして、それに気づいたヒカルがこちらに来た。その手にはやはりタオルなどが入った大きな袋を抱えている。


「スペシャルゲストのヒカルちゃんです」


 わざわざ言われなくても見ればわかるよ、母上。


「最近、シンタと仲良くしてもらってるみたいだから、お礼も兼ねて一緒に温泉に行こうと思って誘ってみたの」

「今日子さん、ありがとうございます」


「帰りにスーパーとかも寄るつもりだから。車があれば重たい物でも運べるし行きたいところがあれば言ってね。たしか空気清浄機が欲しいとかこの間、言ってたわよね?」

「はい。花粉症で……」


 よく見るとヒカルの鼻が少し赤らんでいる。眼も充血しているのように見える。 花粉症の人は春や秋にとてもしんどい思いをするらしい。前世でも聞いたことがない病気だが、死に至る病気ではないらしい。

 スギの木が花粉という小さな粉末を飛ばし、それを吸った人間が発症する病気である。スギの木は山に行けばどこにでもある木であり、しかも、日本政府はそんな病気の人を増やす木をわざわざ植林しているそうだ。

 正直、馬鹿じゃないかな、と思っている。

 空気清浄機があれば和らぐようだが、花粉症は根本的な治療法は確立されていない難病である。だから、ヒカルはこれから一生花粉症と向き合って生きていかなければならない。可哀そうに。


 後部座席に乗り込んだヒカルはベルトを着ける様子がない。これから向かう温泉施設は近くにあり、高速道路を利用しない。行動ではベルトの装着は義務付けられているのでヒカルは間違っていないが、これは命にかかわる問題なので注意をすることにする。


「ヒカルお姉ちゃん」


 我の可愛らしい声を聴いてヒカルは目を丸くする。おそらく、敬語を使う我にまだ慣れていないのだろう。すぐに母上の前だということに気がつき、元の涼しい表情に戻った。


「ベルトをつけないと舌がちぎれるよ」

「ちぎれる、は言い過ぎだけどベルトをしておいた方がいいのはたしかね」


 ヒカルの頭に疑問符が浮かぶのがわかった。しかし、真面目なヒカルは質問するでもなく大人しくベルトを装着する。それを確認した母上はスポーツカーのエンジンをかける。ブルンブルンと腹の底からこみ上げてくるようにエンジン音が響いた。この体全体に染み渡るような振動はドラゴンと戦った時のことを思い出すので結構気に入っている。


「出発進行!」


 母上の掛け声とともに車が動き出した。




***



「私、もう二度と今日子さんの運転する車には乗らない」


 ふらふらと歩くヒカルは顔色を青くしながらそう言った。

 母上は温泉施設の入り口で我とヒカルを降ろすと駐車場に車を止めにいった。母上がいなくなった途端、ヒカルは口を手でふさいで、その場でうずくまる。


「どうした? 花粉症が悪化したのか?」

「貴方は平気なのね。今日子さんの運転」


「母上の運転か。ドラゴンに乗るよりスリルがあるし、とても楽しいぞ」

「ドラゴンに乗ったことがあるんだ。いや、それよりもドラゴン以上のスリルってどういうことよ……」


「母上はドライブが趣味だから休日はいつもあの車で遠出するんだ。今度はヒカルもどうだ?」

「絶対にお断りします」


 せっかくの誘いを怯えるようにヒカルは遠慮する。慎み深い遠慮しがちな少女である。せっかくだから今度、母上に言ってドライブに誘ってあげよう。きっとヒカルも喜ぶだろう。

 車を駐車した母上と温泉施設内で合流し、我々はいよいよ温泉へと向かう。


「ちょっと待って」


 母上と一緒に女湯ののれんをくぐろうとする我の首根っこをヒカルが掴み、我の足は宙に浮く。


「今日子さん。シンタ君も女湯に入るんですか?」

「ええ。一人で男湯に向かわせても心細いでしょうし、迷子になっても駄目だから。この子くらいの男の子なら女湯に入っても何も言われないわよ」


「そうですけど……」


 我の見た目は六歳児だが、精神年齢はとっくに成人している。そのことを知っているヒカルはこちらを睨む。我は見知らぬ顔で口笛を吹く。


 ひゅ~ひゅ~ひゅ~


 乾いた空気が通り過ぎる音が鳴る。そういえば前世から口笛だけは吹けないのだった。口笛の音が出る魔法を今度開発してみよう。


「さぁ、早くいきましょう」


 母上がヒカルの腕を引っ張り、女湯の更衣室に入る。母上に逆らえないヒカルは我を睨みながらもされるがままにされている。

 更衣室は広々としていて衣装を入れるロッカーも百以上ある。ヒカルはなぜか母上と我のロッカーから遠く離れた場所で着替えている。我の眼が届かない場所を選んだのだろう。別にヒカルを性的な目で見るつもりはないのに。


「ヒカルちゃんって恥ずかしがり屋なのね」と、何も知らない母上は言う。

「そのようですね」


 服を脱ぎ去り、全裸になった我は母上と一緒に浴槽へと向かう。すると、ちょうど更衣室と浴槽を区切るドアでヒカルと鉢合わせになる。


「ヒカルちゃん。タオルで体を隠すのはいいけど、お湯に着けちゃだめよ」


 我が見るとヒカルは長いタオルで全身を隠していた。もちろん、普通のタオルで全身を隠すことはできないので、正面だけ隠れ、お尻のほうは隠しきれていない。顔も真っ赤でうつむいている。

 しかし、それでも必死に引っ張って隠そうとしている。その所為で逆に体の起伏がタオルにはっきりと映し出されている。その健気な姿を見ていると心の奥に何か来るものがあった。


 うむ。実にいい。実にいいぞ、ヒカル。


「ここだけです。中に入ればタオルは使いません」


 いまだに入り口でもじもじとこちらの様子を窺うヒカルを無視して我は桶に入れたお湯で体を軽く洗い流して湯に浸かる。

 隣でも母上が同じことをしている。母上のウェーブがかった長い髪はお湯に浸からないようにまとめられ、団子状になって頭の上に載っている。その上にはタオルがあった。

 

「いいお湯ね~」

「そうですね~」


 前世での生活ではお湯で濡らしたタオルや軽いシャワーで汗を流すの一般的であり、大きな器にお湯を貯めるなんて無駄遣いは想像もできなかった。これを一般家庭の人たちがしかも、毎日のように行っているというのだから驚きだ。

 この入浴施設にはサウナや岩盤浴、うたせ湯、電気風呂、など様々なお風呂がついている。この施設の温泉は地下から湧き出る本物の温泉ではない以上、そう言った手札の数で勝負していた。

 サウナや垢すりならば経験はあるのだが、今は幼い身体なので無理はしない方がいいだろう。そう思い、我は普通の温泉と露天風呂だけを利用することにしている。

 母上はお気に入りの電気風呂に向かい、我は一人きりになる。のんびりと我が温泉を楽しんでいると隣にコソコソと近づいてくる者がいた。


「安心しろ」


 我が声をかけるとビクッと震えてヒカルがこちらを見た。まだ我の視線を気にしているのか、体は口元までお湯に浸かり、髪がお湯に少し使っている。肩でそろっている黒髪はお湯で首元に張りつき、うっとおしそうだ。


「何を安心しろ、と?」

「今の我は六歳児に過ぎない。それゆえ、女性の裸を見ても興奮しない。其方も我の裸を見て性的興奮を覚えたりしないだろう?」


「と、当然でしょ!」


 こうも慌てられると逆に疑わしくなるのが人である。強い否定は逆に懐疑心を産む。我は自身の身体を抱きしめ、ヒカルから一歩離れる。


「ひょっとしてショタコンなのか?」

「どこでそんな言葉を覚えてくるのよ。日本の常識を知りたいという割には変な知識だけは蓄えてるわよね」


 呆れたようにジト目をしながらでヒカルはため息をついた。ちなみにこの手の知識はマンガや小説で手に入れている。最近、難しい文章にも慣れてきたのでくだけた若者向けの小説を中心に知識を入れ始めていた。ライトノベルなどは我と同じ異世界転生ものなどもあり実益になる話も多い。


「ちょうどいいので日本についていくつか質問がしたいが、いいか?」

「いいわよ。約束だもの」


 ニュースや新聞では手に入れられない情報を手に入れるため。ヒカルにする質問をすでに考えていた。こういう準備はしっかりしておくのは我の性格である。


「では、日本に魔法使いは何人いる?」

「え、そこからなの? 0人よ。魔法使いなんて日本どころか世界中に一人もいないわ。この世界だけであなただけよ」


「そんなわけないだろう。現に魔法使いに関する書物などもたくさんあった。シンデレラなどグリム童話にも魔法使いは登場する。昔は魔女狩りなどもあったと聞く。魔法使いがいた証拠だ」

「魔女狩りは集団ヒステリーの一種で宗教弾圧の一環に過ぎないわ。呪文や魔術、魔法と言ったものは創作物に過ぎない。ただのフィクションよ」


「なるほどな。そういう認識なのか」

「私の言うこと信じてないでしょ?」


「現に我という存在がいる。それが証明だ。魔法使いは歴史の裏舞台へと潜り、人知れず潜んでいる。この世界に魔法使いはいる」


 視線の向こうで母上が手を振っているので我も振り返す。母上はこれから身体を洗うようだ。

 同じく母上のほうをヒカルは驚きつつも小さな声で呟く。


「ゆ、揺れてる」


 何が揺れてるのか、主語が欠けているが我には通じた。横目でヒカルのほうを見る。


「安心しろ。其方のほうも形は悪くないぞ」

「なっ! 何を!」


 身体を腕で隠し、飛びずさるヒカル。あまりの勢いにお湯の津波が発生して我を頭から飲み込んでいった。 

 もう少しヒカルは周りに人がいることを注意した方がいい。湯気の向こうで母上も不思議そうに首を傾げていた。


「声を押さえろ。話を戻すぞ」

「う、うん」


「我は自分だけが特別だとは思わない。特別な人間などこの世には存在しないからだ」


 つまり、この世界にも魔法使いは存在する。それが我の結論だ。

 人間というものは基本的に保守的である。ゆえに自分の想像を超えた人間を特別、や異端などの言葉で切り離し、隔離する。一歩間違えればそれが弾圧に繋がる。それを避けるために魔法使いも表舞台から姿を隠したに違いない。

 この世界の魔法使いがどれほどの魔法を使えるのか、わからないがいつか会って魔法に関する談議に華を咲かせたいものだ。


「実際に魔法使いがいるわけだから、貴方のほうが正しいのかもね」

「そういう順応が早く、自分の間違いをすぐに納得できるところはヒカルの美点だな」


「六歳児に褒められるのはなんだか複雑ね」

「六歳児であり、人生の先輩でもある」


「そして、セクハラ大魔王でもある」


 失礼な少女である。頬を膨らませて抗議するがそんな我を見て、ヒカルは笑うだけだ。














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