第18話 探偵事務所の所長

「さて契約も済んだことだし、ヒカル。其方の悩み事を話したまえ。とりあえずは話を聞こうじゃないか」

「ちょっと待って」


 硬くて安っぽいソファに腰を掛け直し、真面目に話を聞こうとした我にヒカルは手でストップをかける。出鼻をくじかれ、水を差された気分になるが、ヒカルとはこれから長い付き合いになる。これくらいのことを気にしてはいられない。

 我は気を取り直して、ヒカルのほうを向いた。


「貴方は私をヒカル、と呼び捨てにするの?」

「そのつもりだが、何か問題が?」


「問題大ありよ。親戚の子供に呼び捨てで呼ばれてるなんて噂がたてば私は街中を歩けなくなるわ」

「ずいぶんと外聞を気にするのだな。他人の噂など放っておけば収まる。問題はそれを捉える自分自身の心の問題だ」


 前世では王という地位である以上、正面から悪口を言われることはなかったが、裏ではコソコソと言われていたことは知っている。しかも、十や二十ではなく、数千や数万の悪口だ。しかし、そんなことにいちいち目くじらを立てていてはこちらの神経がおかしくなる。だから、我は他人の眼を気にしないよう心掛けていた。


「日本人はまず他人の視線を気にするの。他人からの評価が大事なの。それを損なうと大変な目に合うのよ」

「日本人とは面倒な生き物なのだな……」


「貴方もその日本人なんだけどね」

「う、うむ」


「とにかく、二人っきりの時は百歩譲っていいとして、外では私のことをヒカルさん、と呼ぶこと。わかった?」


 ここまで強く言われると何も言えない。先ほど日本の常識を教えてくれと言ったばかりなのだ。日本人として順応していくためにもヒカルに従うしかない。


「了承した。それならば我のことは心太しんたでいいぞ」

「わかったわ。シンタ」


 ヒカルは頷いた。


「それではヒカルの悩み事といこうか」

「悩み事はこの『かりの探偵事務所』と関係あることなの」

 

 まずはこれを見てほしい。ヒカルはスマホの画面をこちらへ向ける。

 スマホとはスマートフォンの略称で、離れた相手と通話や通信ができるとても便利な機械だ。インターネットという密集した情報に触れることもでき、どこにいてもあらゆる情報を手に入れることができる恐ろしい機械でもある。おそらくこの機械の中に妖精が潜んでいるのだろう。と我は推測している。

 いつか自分のスマホを手に入れれば解体するつもりである。


 スマホの画面には前に撮られたと思われる写真が映っている。にこやかに笑う男の横顔だが、急いでとったからなのか、ピントがあっておらず、見えにくい。しかも、写真の被写体には了承を得ていない。隠し撮りの写真のようだ。

 見せ終わると隠すようにすぐにスマホをカバンの中にしまい込む。

 ヒカルのほうを見ると少し恥ずかしそうにしている。


「ところで、この『かりの探偵事務所』では何人働いているんだ?」

「私と所長の二人きりよ」


「……」


 悩み事。『かりの探偵事務所』と関係があること。脈絡もなく見せられた男の顔写真。そして、ヒカルの恥ずかしそうな表情。

 あ、察した。

 我の冴えわたった脳細胞が輝き、名推理を導き出す。


 これは我の手に負えない相談事に違いない。

 しかし、聞くといった手前、最後まで聞くのが筋というものだろう。我がこの悩み事を解決することができない、と言えば、ヒカルはどんな反応を見せるだろうか。怒りだして、先ほどの契約もなくなるかもしれない。そう考えると何も言い出すことはできない。

 我は口を真一文字に閉じ、カカシのようにヒカルの次の言葉を待った。


すると、

 コツコツ


 革靴とコンクリートが当たる音がする。外の階段を誰かが利用しているのがわかった。利用者は登ってきている。というか、ここの事務所は防音管理もしっかりされていないようだ。依頼内容が筒抜けになってしまうぞ、まったく。

 逆に言えば聞き耳を立てようとする相手の気配もすぐにわかる。と考えることもできるが。

 探偵事務所と仰々しい名前の割には頼りない事務所だった。


「あ、所長だ」


 ヒカルが呟くのと同時にドアが開く。入ってきたのは先ほどのスマホに映されていた男だった。

 写真より少し頬あたりが痩せこけた気もするが写真映りが悪かったので何とも言えない。締め付けのない楽な私服を着ている。短髪黒髪のボサボサ髪でどこにでもいそうな男である。もう少し清潔感を出せばモテそうでもあった。

 探偵という仕事柄、目立つ格好を控えているのかもしれない。犯人を尾行することもあるだろうからな。

 男はこちらを見て、頭を軽く下げる。

 つられるように我も頭を下げた。


「ひょっとして依頼人?」

「そんなわけないじゃないですか。幼稚園児ですよ」


「ごめんごめん。お茶も出してるし、ひょっとすると見た目の割にものすごい年上なのかと思ったんだ」


 冗談のつもりなのだろうが、意外と的を射ている。

 この男、できるな。


「見た目通りの六歳児ですよ。私の親戚で、逢坂心太あいさかしんたくんです。彼のお母さんから預かってくれと頼まれたんです。私が探偵事務所で働いてるって言ったら行ってみたいと言い出しまして。連れてきてしまいました。すみません」


 とっさにしてはなかなか上手い言い訳だ。


「そうなんだ。ヒカルちゃんの親戚か」

 

 そう言って男は我に近づく。男の行動に害意はなさそうなので我は警戒を解いていた。

 探偵は膝を地面につけてソファに座っている我にわざわざ視線を合わせて挨拶をする。


「俺は野間洋平のまようへい。この探偵事務所の所長をしている。つまり、探偵なんだ。よろしくな、逢坂くん」

「逢坂心太です。仕事場にお邪魔してます」


 礼儀がいいな、とにこやかに笑い、洋平は我の頭をごしごしと撫でて、奥の椅子に座った。


「別に依頼もないし、逢坂くんとここで遊んでいても構わないよ。俺がここに来たのは資料を取りに来ただけだから」


 洋平は引き出しの鍵を開けて中にあるファイルを取り出し、カバンに入れた。それが何なのか、我からは見えないが、鍵付きの引き出しに入っていた物なのだから大切なものに違いない。


「ただし、部屋を荒らしたりしないこと。それだけは守ってくれるかい?」


 その問いかけは我に向けてだった。我は子供らしく大きく頷いた。


「うん。僕、賢いから探偵さんとの約束を守るよ!」


 正面に座るヒカルが小声で魔法で鍵をこじ開けようとしたくせに、と呟いているが聞こえない、聞こえない。

 我は今、賢い六歳児なのだから。


「それじゃあヒカルちゃん。施錠だけは忘れないように」

「はい。お仕事頑張ってください」


 そう言って洋平は探偵事務所を出て行った。洋平が階段を下りる音が聞こえなくなるまでヒカルはドアに向かって手を振っている。

 

「いい男だな」

「そうね」


「って違うわよ。何を言ってるの? シンタ君は」


 慌ててヒカルは否定するが、その反応からして手遅れだ。我は全てをもう察していた。我くらい王経験が長いと話す前から相談者の悩み事を知ることもできるのだ。


 野間洋平。彼は子供である我と会話するとき子供の視線に合わせて膝を地面につけていた。子供にとって見上げるという行為は大変であり、人の眼が見えないのは恐怖の対象でもある。子供の目線に合わせることで子供は安心する。保育士が自然と行っているテクニックである。それを洋平は初対面であり、これから会うこともないかもしれない我に対して行った。それだけで好感が持てる。

 これはなかなかできることではない。

 二枚目ではないが、笑顔をたやすことがない。周りの人を安心させる雰囲気を漂わせている。とても優しそうな男だった。

 ヒカルが好きになるのもわかる。


「で、性交くらいはしたのか?」

「性交?!」


 ヒカルは口の中にあるお茶を噴き出す。この反応からしてまだのようだ。


「ひょっとするとキスもまだなのか?」

「キスなんて私たち、付き合ってないから。まだ告白とかそんな関係でもないから」


 ヒカルは全身で否定し、今度はお茶の入ったコップを倒す。すぐに給仕室からタオルを取りに行った。

 軽くからかうつもりだったのに、ヒカルのまるで生娘のような反応に、我も驚く。

 机にこぼれたお茶を慌てて拭くヒカルを見て、我はあることに気づいた。


「……ひょっとすると処女なのか?」

「はっ?」


 ヒカルの動きが完全にフリーズした。手に持っていたタオルも落としてしまう。動きを止め、口をわなわなと動かすだけの石像となったヒカルに代わり、我はタオルを拾ってあげた。

 この反応は処女なのだろう。なんということだ。


「……ヒカル。お前は今年で十九歳になるんだろ。その年齢で処女はちょっと、あれだぞ。危険だぞ」


 できる限りヒカルが傷つかないように言葉を選ぶ。


「野間洋平が好きということは婚約者もいないんだろ。大学とやらで学者の道を進むにしても、十九歳でそれは不味い。将来は悲惨な末路になるぞ」

「……それはどこの世界を基準にしてるの?」


 もちろん、前世での話だ。貴族の間では女性の子供は十二歳になるまでに婚約者が決まり、十五歳には結婚。二十歳までには出産と相場が決まっている。動物園のどんな珍獣よりも希少であり、問題でもある。もちろん庶民は婚約者などおらず、自由恋愛も多い、と聞く。学者として大成する女性も少ないながらもいる。しかし、十九歳で処女は聞いたことがなかった。


 我は憐憫の眼をヒカルに向ける。我が高い地位であれば彼女に婚約者を用意したのだが、今の身体ではそれもままならない。なんと不憫な。

 ヒカルの境遇を考え、我は涙を流しそうになったが、気力で抑え込む。


 自分の運命を受け入れたヒカルは悲しみの一つも見せず、健気に努力している。そんな彼女に好意を寄せられながら処女膜の一つでも破ってやらない野間洋平は許されない。いい男、と称したことを訂正させてもらう。

 野間洋平は女性をもてあそぶ最低男である。

 

 そんなことを考えているとなぜかヒカルは脱力したように肩をすくめ、ため息をついた。


「なるほど。日本の常識をわかってない、ってのがようやく理解したわ。みっちり教育してあげる」

「それはありがたいが、それよりも自分の将来についてもう少し考えた方がいいんじゃないか? ほら、其方は顔も悪くない。そこらへんで男をひっかけてこい」



「うるさぁぁぁああああああああああああああああああい」


 ヒカルは吠えた。



***


「ふむふむ。なるほど」


 ヒカルの説明を受け、日本人の性事情に関しての知識に若干の修正が加えられた。要約するとつまり、日本人は三十歳までは処女でも童貞でも問題がないらしい。その上、最近は晩婚化が進み、四十歳くらいでの初婚も普通なのだそうだ。生涯結婚しない人も増えているらしい。

 説明を終えたヒカルは顔をゆでだこのように真っ赤にして今、俯いている。


「では性知識に関して日本人はどうやって手に入れるのだ?」

「そのへんの話は自分で調べてください」


 もう精一杯だとヒカルは白旗をあげる。仕方ない。これらは自分で調べるとしよう。母上に聞いてみてもいいかもしれない。


「やはり、其方という理解者を得てよかった。我一人であれば前世での考えとの違いに困惑していただろう。まさかこの国には貴族がいないとは」


 日本の性事情だけでなく、身分制度について軽く教わった。昔は華族と呼ばれる貴族がいたらしいのだが、その制度は廃止され、地位は平等となっている。貴族がいない。みなが平等。前世での我であれば想像もできない世界だが、受け入れるしかない。

 我が逢坂家が清潔で裕福な生活を送っているのでてっきり貴族なのだとばかり思っていたが、これは日本という国全体が豊かで何も特別なものではない、と説明される。我と似たような生活を国民がみな送っている。科学が発展し、物資が豊かで水が豊富な世界であればそれくらい可能なのだろう。

 

「日本で生まれて驚くことばかりだ。世界は広いな……」

「そろそろ話を戻していい?」


 日本の常識について話を聞いているうちに元々何の話をしていたのか、忘れてしまった。どうして、こんな話になったのか。


「ああ、ヒカルが処女かどうかの話だったか」

「違う! 私の悩み事の話よ」


「そうだった。そうだった」

「ひょっとしてぼけてきたんじゃない? 話し方から察するに前世と合わせると結構な年齢なんでしょ?」


 失礼なことを言う。最初はこちらの様子を窺うように慎重に言葉を選んでいたヒカルだったが、今日一日でこちらに対する遠慮がなくなってきた。

 我との接し方を理解し、打ち解けてきたのかもしれない。これから長い付き合いになるだろうから、会うたびに気を使って疲れてもらっては困る。だから、これはいい傾向だろう。

 我がセクハラに近いことばかり言ったのも、ヒカルに我を身近に感じてもらい、親しみを感じてもらおうと思ったからだ。


「悩み事の話だが、我では力になれそうにない。済まないな……」

「聞く前からどうして、力になれないなんてわかるの? むしろあなた向けだと思うのだけど」


 野間洋平に対するヒカルの反応から察することはできる。我も前世では様々な経験をしたのだから。


「恋愛相談は我の知識の範疇ではない。せいぜい我にできることは相手の性欲を高めることくらいで惚れ薬などは作れんぞ」


 巷では惚れ薬などが路地裏で高値で売られていたこともあったが、ほとんどは偽物で効果がない。もしくは日本で言う麻薬に近い効果を発揮するものだった。本物の惚れ薬は存在せず、人の精神を蝕む物しかないので我が国では惚れ薬と呼ばれる物やそれに準じるものは禁止されていた。

 それに我は魔法道具を作ることはできても薬草や薬関連は知識しかなく、得意ではない。ちまちま草をちぎったり潰したりするのは我の趣味ではないので、ほとんど知らないと言ってもいい。

 その道のプロであれば人に高揚感をもたらす薬や狂戦士化する薬も作れるらしいが、それは所詮一時しのぎでしかなく、永久に効果をもたらす薬などない。

 そんな数時間のために時間をかけて薬を作ろうという発想は我の性には合わない。


 我の言葉を聞き、ヒカルは顔を真っ赤にする。


「どうして恋愛相談だと思うのよ!」

「違うのか? 野間洋平が好きだけど、子ども扱いされて恋愛対象として見られていない。そんなところだろ」


 野間洋平はヒカルのことをヒカルちゃんと呼んでいた。女性を下の名前でしかも、ちゃんづけということはその関係もすぐにわかる。彼はヒカルのことを女性として見ていない。親戚の子供や友人程度にしか思っていないのだ。

 図星をつかれたらしく、ヒカルは口を細める。


「……私が洋平さんのことを好きだなんて言ってないじゃない」

「お、野間洋平の足音がするぞ」


「え、嘘。どうして!?」


 飛び上がるようにその場で立ち上がったヒカルはすぐに乱れた髪型を直そうとする。そして、そんなヒカルの様子を見て、我はニヤニヤする。

 

「……」


 しばらくじっとドアを見つめ、ヒカルがようやく騙されたことに気がついた。ギギギ、と油の切れたブリキ人形のようにヒカルの首がこちらを向く。

 そして、大声で叫んだ。


「さいいいいいてってえええええええええええええええ」

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