第16話 喫茶店がお気に入りになりました

「コーヒー。ブラックで」


 我が注文すると正面に座るヒカルは睨むような、試すような不思議な視線をこちらに向けた。


「心太君はコーヒーをブラックで飲めるの?」

「もちろんだ。むしろコーヒーはブラックでしか飲めない」


 前世での我が国はコーヒー豆によく似た物が大量に取れた。我はそれを焙煎し、砕いて煮た飲み物が好きだった。それはコーヒーに作り方だけでなく、味わいもよく似ていた。ミルクならまだしも砂糖は高級品になるので我はそれに何もいれずに飲むことに慣れており、コーヒーもブラックで飲むことができる。

 むしろ砂糖を入れてしまえば飲めない。


「……私もコーヒーをブラックで」


 しばらく迷った末、ヒカルはため息をつくようにゆっくりと注文した。

 かしこまりました。そう言って給仕の女性は老夫婦の元へ向かう。そう、ここは『マウンテン』。あの強盗に出くわし、ヒカルに我の正体がばれた喫茶店である。

 あの強盗事件からすでに四日が経過している。

 その間、ヒカルからの接触は一切なかったが、ようやく今日、ヒカルが我が家を訪れたのだ。

 家で魔法関係の話をするわけにはいかない。

 話をするのであればここにしよう、と提案したのは我だ。


 注文したコーヒーはすぐに届いた。ここは喫茶店であるが、コーヒーの種類は一種類しかない。コーヒーが好きだが、豆の種類を選んで悩むほど好きではないので個人的には有難い。ここからでもコーヒーを準備する姿は見えるのでこれがインスタントコーヒーと呼ばれるあの不味い塊ではないことは確かだ。老夫婦が老後の趣味でやっている店で繁盛してチェーン展開を行うなどは狙っていない。ただの娯楽でしかないそうだ。


「ふむ。上手いな」


 コーヒーを一口飲み、満足する。この眠気を覚ますような苦みがコーヒーの良さである。

 しかし、目の前のヒカルは一向に飲もうとしない。コーヒーが嫌いなら頼むわけがない。となると。


「砂糖とミルクを頼んではどうだ?」

「あなたがブラックで飲んでいるのに大学生の私がコーヒーに砂糖とミルクを入れられるわけないでしょ」


「コーヒーだろうが紅茶だろうが、その人が美味しいと思う飲み方をするのが一番だと思うぞ」

「あなたの指図は受けません」


 そう言ってヒカルはごくごくとコーヒーを流し込むように飲んだ。すこし涙目になっているのは見なかったことにしてあげよう。


「コーヒーの話なんてどうでもいいわ。それよりも本題よ」

「本題とは?」


 ヒカルの顔が真剣なものに変わる。カップを握る手に力が入り、ほのかに肩が揺れた。何かあった時に備えて体をすぐに動かして逃げられるように準備をしているのかもしれない。しかし、たとえヒカルが全速力で逃げようとしても我が本気を出せば一瞬で捕えることも殺すこともできる。先日はその一端を見たはずなのだが、そんな我を前にして会話をしようとするヒカルを大胆不敵と褒めるべきか。愚か者と判断すべきか。

 今はどちらにも評価することはできなかった。


「逢坂心太。貴方は何者?」

「……」


「四日前、気がついたら私は公園のベンチで寝ていたわ。警察の人に起こされたのよ? その時の私の気持ちがわかる?」


 それはすまないことをした。ヒカルの家は知らないし、調べてそこに運ぶような気にはならなかったので眠らせたヒカルを公園に放置したのだ。もちろん寝ている女性に不埒な真似をしようとする者は痛い目にあう簡易魔法をつけておいたから大丈夫だとは思っていた。


「起きてまず家に帰って、次の日にこの店に行ってみれば店は平常営業している。しかも、店員さんに話を聞いても強盗なんて入った覚えはない、って変な顔で見られたわよ」

「それはそれは」


 そういえば店員さんが先ほどからヒカルをちらちらと見ている。どうやら頭のおかしい女性だと認識され、警戒されているようだ。


「調べてみればその日の夕方、二人組の男がこの近くの警察署に強盗に入ったそうよ。しかも、拳銃や包丁も持たずに顔を隠しただけの男たちが。そんな馬鹿がいるのか、って全国ニュースになってたわ」

「そのニュースで我も見たな」


 ニュースのコメンテーターが麻薬中毒になっていたのでは。やゲームのし過ぎでは。などと的外れなコメントをしていて笑ったのを覚えている。

 コーヒーを飲みながら、我はヒカルの顔を窺う。


「どういうことなの?」

「どういうこと、とは? 意味が分からないな」


「とぼけないで。貴方が魔法を使って強盗を捕まえたことは知ってるわ。この眼で見たんだもの」


 ヒカルは曇りなき、その眼を指した。元々吊り目なのに興奮するとさらに吊り上がっている。よく見ると左目に小さな泣きホクロがあった。


「……夢だとは思わなかったのか? もしくは夢だと思い込んで忘れようとは思わなかったのか?」

「忘れられたら楽なんでしょうけどね。私は何でもはっきりさせないと済まない性格なの」


「ヒカルは我が強盗にしたことを覚えているはずだ。我が怖いとは思わないか?」

「怖いわよ。けど結局、誰も死ななかった。警察署を襲った強盗が腕が折れた状態だった、なんて報道もなかったから直したんでしょ?」


 たしかにあのリーダー格の腕は直した。腕の折れたまま強盗を行う犯人などいるはずがない、と判断したからだ。癒しの魔法は得意ではないが外傷であればある程度は直すことができる。


「それに今の状態。それらを総合して貴方は会話ができない怪物ではない。言葉の通じる人間である、ということよ」

「なるほど」


 短い返答にヒカルは眉を顰める。ひょっとすると馬鹿にされたと思ったのかもしれない。


「それで、貴方は何者なの?」

「何者とは、どういう意味だ? 最初に自己紹介しただろう。逢坂心太だぞ。ただの六歳児だ」


「答える気はないみたいね。あなたのことをちょっと調べさせてもらったわ」

 ヒカルはカバンからメモ帳を取り出し、読みあげる。

「逢坂心太。六歳。誕生日は四月十一日。身長は115cm。六歳の平均身長からすこし低いくらい。毎朝挨拶をしっかりとして行儀がいいので近所からの評判は上々。保育園では友達は少ないが、いないわけではない。保育園の自由時間はいつも本を読んでいて大人しい。好きな物は甘い物。嫌いなものはカレー。あとは私の親戚である。そして、家系図を辿っても過去に超能力者や異常者がいたなどの記録はなかった」


 よく調べられている情報だ。述べられた情報に誤りはない。四日もあればある程度の予習はしてくるとは思っていたが、これほどとは。

 誕生日くらいならすぐに調べられるが保育園内でのことはそうはいかない。ヒカルなりの情報網を持っているのかもしれない。

 それに家系図を辿って調べるという考えは我も思いつかなかった発想だ。我は心の中でヒカルを評価しなおした。


「まるで探偵みたいだな」

「これでも探偵の卵みたいなものなのよ」


 メモ帳をパタンと閉じ、すこし自慢げにヒカルは胸を張った。


「探偵の卵?」

「探偵事務所でバイトをしてるの」


 ほう。面白い情報だ。ヒカルに対してより興味が沸いてきた。コーヒーを飲み干すと給仕の女性がお代わりを用意してくれる。一杯だけおかわりは無料だそうだ。どうせお会計はヒカル持ちなのでどちらでも構わないのだが、もらえるものはもらっておく。


 さて、何から話したものか。すこし考えるが回りくどいことは嫌いである。直球で全てを話すことにした。


「我には前世の記憶があり、その前世の世界は魔法と魔物が跋扈する世界で我はその記憶を持っているので魔法を使える、と言えば其方は信じるか?」

「……」


 無言でヒカルはこちらを見つめる。我も彼女を見返すようにして、眼を外さない。

 そのままの状態で数分ほどの時間が経ち、根負けしたヒカルが先に視線を外す。

 ヒカルは大きくため息をついた。

 ため息をつくと幸せが逃げていく、という考えが日本にはあるそうだ。それならば今、ヒカルの幸せは大きく遠のいたに違いない。


「信じる、信じない以前にあんなの見せられたんだから、信じるしかないでしょ。人の足を凍りつかせて動きを止める。その上、触れてもいないのに大の大人の腕を折るなんて。私の常識の範疇を軽く超えてるわ」

「なかなか柔軟性のある思考をしている。見どころがあるぞ」


「その話し方からして、前世はそれなりの年齢だったのよね? 何歳で死んだの?」

「暦も違うし、年齢の数え方の文化も違うので、何とも言えないな。成人はしていた」


「少なくとも私よりは年上なのね」

「精神年齢は、な。肉体はただの幼稚園児に過ぎない」


 第一段階はクリア。

 本当に順応性が高い。我が前世の記憶があることを受け入れ、それを信じた前提での質問を返してくる。常人であればこうはいかない。

 最初に我が魔法を発動して大人たちを蹂躙したのを目撃した、というのが大きいのだろう。

 一度、常識というハードルを倒してしまうと何でも受け入れるようになるのかもしれない。

 これならばヒカルに話をしてもいいだろう。そう思った我は自分が前世では王であったこと。魔法使いとしては一級の腕前を持っていたこと、などを説明する。

 我の胡散臭い話を笑うでもなく、ヒカルは真剣に聞いていた。あまりにも真面目に聞くので、途中でジョークを入れたくなるほどだった。

 ただ話している間、ヒカルはコーヒーを一口も口にしなかったが。


「さて、我の話は終えた。これで知りたいことは知ったはずだ。満足だろう?」

「ええ。そうね。ひとまずの疑問は片付いたわ」


 そう言ってヒカルはこめかみを押さえた。頭の整理をしているのだろう。そんなに時間も経過していないはずなのに、ヒカルの顔に疲労が見えた。


「それならば我もヒカルに聞きたいことがあるのだが、いいか?」


 戸惑いを見せるもヒカルはすぐに平静を装う。おそらく、見た目は幼稚園児である我に対して精神面で少しでも優位に立っておきたいのだろう。見た目と中身のギャップを理解しきれていないのかもしれない。


「別にいいわよ」

「我はまどろっこしいのは嫌いでな。単刀直入に聞きたい」


 前世では隠語や暗号が当たり前の人生を歩んでいたのでそうしたことにうんざりしていた。だから、言い回しや婉曲的な表現を嫌うようになっていた。


「其方は今、困っていることがあるのだろう?」

「なっ、何を?」



 ヒカルの表情はすぐに崩れた。それを狙っての発言だったのだが、彼女は思ったよりも感情が顔に出やすいタイプのようだ。すこし歯ごたえがない。


「しかも、それは、えっと、何か動物の手も借りたいほどの案件である。しかし、誰かに話すわけにはいかない。大事なことだ」

「……猫の手ね」


「そうか。猫の手か。……ゴホン。それはともかく、我の助けを借りたい、そう思っているはずだ。違うか?」


「どうしてそう思うの?」

「直感だ。前世では山ほどの人の顔を見てきた。しかも、大抵は様々な思惑を持った一癖も二癖もある大人たちだ。その経験はこういう時に生かされる。相手が何を考えているか、簡単にわかる」


「ひょっとして心を読む魔法とか?」

「心を読む魔法もありはするが、それは相手に接触する必要があり、しかも互いの同意がなければ発動できない特別なものだ。発動条件が厳しく、誰にでも使えるわけではない。少なくともヒカルには使っていないことは保証する。これはただの人生経験の賜物に過ぎない」


 と、我はもっともらしいことを述べた。


 だが、嘘である。


 実はヒカルを気絶させたときに念のために何か弱みを握っておこうと彼女のカバンを物色した。そして、彼女の日記を見つけ読んだのだ。その中には具体的な内容は一切記されてはいなかったが、彼女が何かに迷い、悩んでいることが長々と綴られていた。


 それを我は精神的に優位に立つために利用させてもらった。こうして人生経験が豊富で相手のほうが一枚上手だと思わせておいた方が交渉事は上手く進むことが多い。もちろん足元をすくわれる可能性もあるが、ヒカルに関しては大丈夫だろう。過去の日記を少し読んだが、彼女は非常に真っ直ぐで裏表のない性格をしている。信用していいと思う。だが、信頼しているわけではない。

 人を信頼するほど我はお人よしではなかった。

 ヒカルの目に感情が宿る。我を観察することをやめ、降参の白旗をあげたようだ。


「前世の記憶があるのを認めるのはまだ無理だけど。本当に年上と会話してるみたい」

「実際、精神年齢は年上だからな」


「大人の真似をする子供ではないようね」

「もっと褒めてもいいぞ」


「それはやめておくわ」


 それは残念。と我は肩をすくめる。


「ところで、そのコーヒーはもう飲まないのか?」


 最初に一口飲んで以来、会話の最中、ヒカルは一切コーヒーを飲んでいない。カップの中にはまるまる一杯分のコーヒーが残っていた。少し冷めているだろうが、まだ湯気が立っている。


「……はぁ」

 ヒカルはまた大きくため息をついた。

「すみません。ミルクと砂糖。一つずつください」


 ヒカルは恥ずかしそうに頬を染めながら、小さな声で言った。

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