第14話 日本は安全といえども何が起こるかわからない

 ヒカルちゃんと呼ばれた少女は母上に呼ばれ、我々と同じテーブルに座った。最初は邪魔をしては悪い、などと言っていたが、母上の強引な呼び込みに渋々といった様子をしている。

 我は斜め前に座った少女を観察する。肩まで伸びた黒髪は手入れが行き届いている。気が強そうな吊り目をしている。たれ目気味の母上と並ぶとその差が歴然となる。美人と呼ばれるタイプではあるが母上とは真逆の性格をしていそうな印象を受けた。

 母上が太陽であればヒカルは月。クールビューティというやつだろう。

 少女と女性の中間のような年齢くらいだろう。服装は茶を基調とした落ち着いた、悪く言えば地味な服装を着ているが、顔が整っているので似合っていた。今時の若者には珍しくかかとの低いフラットパンプスを履いている。


「シンちゃん。お姉さんにご挨拶しなさい」


 母上に言われ、我はヒカルと向き合い、頭を下げる。


「はじめまして。逢坂心太です。今年で六歳になります。よろしくお願いします」


 我の丁寧な挨拶にヒカルは目を丸くする。しかし、すぐに気を取り直し、自己紹介をする。


「私の名前は嶋野ヒカル。今年で十九歳です。こちらこそよろしくね」

「ヒカルちゃんは私の姉の夫の妹の娘さんなの。地元の大学に通ってる頭のいい子なの。シンちゃんの親戚よ」



 横から母上がヒカルとの関係を説明してくれる。

 母上の姉の夫の妹の娘か。何頭身だ? 

 我と血は繋がっているのかわからないがこういう時のために親戚という便利な言葉がある。とりあえずヒカルは親戚であり、母上が懇意にしていることから今後も会う可能性がある。愛想を振りまいといた方が得策だろう。


「あそこの大学ってたしか国立大学で偏差値も高いんでしょ。ヒカルちゃん、凄いわね」


「ありがとうございます」

 ヒカルは母上に頭を下げる。

「あの大学に受験できたのも、一人暮らしが許可されたのも今日子さんのおかげです。本当に感謝しています」


 話を聞くところによるとヒカルの地元はここから離れていて、しかも両親は心配性らしい。一人暮らしも大反対だったが、ヒカルはどうしてもここの国立大学に入りたかった。そこで親戚であり、大学の近所に住む母上の助けを求めたそうだ。親戚の中でも母上の信頼は高いらしく、ヒカルの両親も母上がいるのならば、と渋々ながら許可したそうだ。


「お礼なんていいのよ。新生活はどう? もう慣れた?」

「お陰様で、なんとか。引っ越し作業などでバタバタしていて挨拶にもいけず、すみませんでした」


 などと二人の会話が始まる。大人の会話に子供である我が入るものではない。我は会話に参加したりせず、黙ってカバンから本を取り出した。

 アーサー・コナン・ドイル著作のバルカヴィル家の犬だ。最近はファンタジー小説から移行してミステリー小説にはまっている。古典・本格派などなんでもいける口だ。

 我の取り出した本を見たヒカルはギョッとする。


「心太君。それを読めるの?」

「ええ。読めますが」


 それが何か?

 我の返事を聞いたヒカルの口が嘘でしょ、と動き、隣にいる母上の顔を見る。母上は相変わらずのほほんとしている。


「比較的、優しい英語で書かれているみたいですけど、英文ですよ?」

「書斎にある本を読んでいるうちにシンちゃんは英語も読めるようになったのよ。賢いでしょ」


 と、母上は自慢する。

 担がれているのかもしれない、と疑いの目を向けたヒカルは本の文章をなぞるようにして示す。


「ここを日本語訳にしてくれる?」


 翻訳は得意ではないのだが、指名であれば仕方がない。我は読み始める。


「ホームズは私に背を向けて座っていた。そして―――」

「もういいわ。ありがとう」


 この一年間に勉強をして、我は英語を読めるようになっていた。ただし、読解力は高いが、書くことはあまり得意ではない。それに発音がわからないので会話形式では中学生レベル程度でしかない。読むことだけに特化して英語を身に着けたのだ。

 これには理由があり、我の前世での言語は英語と文法が似ていた。だから、日本語と比べて比較的簡単に覚えることができた。

 大体、日本語はややこしすぎる。漢字、カタカナ、ひらがなと文字を使い分け、意味も違ってくるうえ、最後の一文字で意味が全然違う文章になったりする。使うには山ほど覚えることが多い日本語より26文字の組み合わせを覚えれば済む英語のほうが覚えるのは簡単に決まっている。

 簡単な単語であれば文章から推測もできるし、そう難しいことではなかった。


 そもそも我は前世では成人した男であり、魔法使いとして魔法の研究に没頭した経験もあり、勉強が嫌いではない。元々体を動かすより、魔法を使って楽をする方が好きだった。普通の幼児と比べても大きな差が出るのは仕方がない。彼らも大人になれば我と同程度の能力は余裕で手に入れられるだろう。

 我はスタート時点が早いにすぎない。


「小学校の受験に英語がいるんですか?」

「いいえ。公立の小学校に通わせるつもりよ。私立の小学校って一番近くの学校でもバスで通う必要があるでしょう? シンちゃんにはまだ早いと思うの」


「そうですか……。もういいです」


 頭を押さえ、眉間にしわを寄せるヒカル。自分の中の常識と戦っているのかもしれない。残念ながら彼女の常識に前世の記憶を持つ幼児など存在しないのだから、考えても仕方がないと思う。それに対して、母上はいつも通りのほほんとして我の成長をありのまま受け入れている。女性はこれくらいの母性をもってドン、と構えてほしいものだ。


 そうこうしているうちに我の元にパフェが届く。外の世界をシャットダウンして我はパフェのみに意識を集中する。もうこうなってしまえば母上やヒカルの声は届かない。デザートに対してはこれくらいの気持ちで立ち向かわなければこれから食べられるデザートに失礼である。我はいつもそう思っている。


「素晴らしい」


 届いたパフェをすぐに食べるのは三流の食べ方だ。まずは観賞する。我はパフェのその美を全身で感じ取る。

 まず、驚くべきはソフトクリームのその究極ともいえるバランス感覚。渦巻き状に天をも貫く山のように盛り上がったソフトクリームは重力に屈することなく、その形を保っている。そして、その下はバニラのアイスクリームが土台としてソフトクリームを支えている。隣にはプリンも置かれている。

 コーンフレークやチョコレートソースが中軸を担い、そこにはイチゴの詰め合わせが待ち構えていた。

 パーフェクト。全てが完璧。

 黄金比をも超える究極の美がそこにはあった。


 我はその美を崩すために、スプーンを握った。観賞して、次は食す。どんなに美しくとも食べ物は食べ物。人目につくことのない倉庫に入れられた美術品に価値がないのと同じ。食べ物も人の口に入り、初めてその存在価値が現れるのだ。

  

「いざ、ゆかん」


 スプーンはするりとソフトクリームに突き刺さり、抵抗することなくすくい上げることに成功する。


 食べる。

 すくう。

 食べる。

 すくう。

 食べる。

 すくう。


 黙々と食べ進める。


 カツン、とスプーンが堅い物に当たる音が鳴る。

 気がつけばパフェが消滅していた。

 なんと、楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。感覚的には数秒もたっていないのにパフェはなくなり、空っぽのガラスの器だけが目の前にあった。

 全て我の腹の中に納まった。我はパフェの入ったお腹を撫でる。


「満足、満足」


 パフェを食べ終わり、周囲に意識を向ける余裕が出る。

 と、ここでようやく何かがおかしいことに気がついた。目の前の母上の顔が青ざめている。体調でも悪いのか。

 聞こうとすると隣にいるヒカルの表情も固く、苦々し気に唇をかみしめている。


 ひょっとするとパフェを勢いよく食べたせいで怯えている?

 それともパフェの食べ方のせいで前世での正体がばれかけている?


 いや、そんなわけはない。自分で言っといてなんだが、我の偽装は完璧でどこからどう見ても普通のどこにでもいる保育園児にしか見えない。

 ふとよそ見をすると給仕の女性も料理担当の老夫婦も似たような表情をしている。みな一様に同じ方向を見ていた。何かあるのか。

 我もそちらを向いた。



「手を挙げろ。さもなければ命はないと思え」



 喫茶店の入り口、そこで黒塗りのヘルメットをかぶった大人の二人組が黒いおもちゃを持って叫んでいた。


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