第9話 わがままを言う2

「ばかじゃないの? ばかじゃないの?」


 トモの蔑むような視線が正座したタクヤに突き刺さる。


「わるい……」


 タクヤがスーパーで無様な姿を見せて一日が経過し、再び保育園の教室の端で集まり会議が始まった。

 結局、タクヤは母親にチョコレートを買ってもらうことができず、作戦は失敗に終わった。


「そもそもフクロウは高価な物なの。あんな保育園児みたいな真似をして買ってもらえるわけないでしょ」

「俺たち保育園児じゃん」


 その通りだが、この手の女性に正論を言うのは下策だぞ、タクヤ。


「うるさい。あんたと一緒にしないで!」

「はい」


 怒られ、シュンと小さくなるタクヤ。積み木という武器を使い、喧嘩に勝利して気が大きくなったはいいが、本質的なところではタクヤは気が小さい。今もトモに何一つ反論できず、聞かされるがままになっている。

 将来は女の尻に敷かれるタイプだろう。女性運も悪そうだ。苦労するだろう。

 タクヤの将来を勝手に悲観しているとトモがこっちを向いた。


「しょうがない。私の技を教えてあげる」

「ほう。其方にもそのような技が?」


「とっておきなんだからね」


 トモは勿体ぶるように我の反応を窺っている。これは袖の下を要求する商人の雰囲気に似ている。


「何が望みだ?」

「明日のおやつよ」


「断る」


 明日のおやつ。それはチョコレートである。しかもただのチョコレートではない。中にアーモンドが入っているアーモンドチョコレートだ。ただのチョコレートでも絶品であるにもかかわらず、その中にアーモンドが入っている。それを口に入れることを想像するだけで涎が流れてしまうほどの逸品だ。

 それを渡すわけにはいかない。

 たとえ母上の命であろうとこれだけは譲るわけにはいかない。

 

 あまりに素早い我の断りに虚を突かれたトモは口を尖らせて、悩む様子を見せる。

 

「ま、いっか。教えてあげる」


 おそらく、教えたかったのだろう。自分の知識を他人にさらけ出す快感はなかなかのものだ。トモは大人に憧れている節があり、こういう時にそれが顕著になる。

 面倒くさいこともあるが、今回はプラスに働いたようだ。

 トモはポケットをごそごそと探り、何かを取り出そうとする。


「じゃじゃーん。これよ」


 ポケットから取り出したのは何やら小さな紙切れのようだ。その紙には何か書かれているのが見えるが、自慢げに高らかに空に掲げているのでよく見えない。


「これがなんだかわかる?」


 見せようとしないくせにわかるわけがない。我は首を振る。


「ポイントカードよ」

「ポイントカード? なんだそれ?」


 タクヤが間抜けな声を出して首を傾ける。タクヤの疑問を聞き、トモは鼻を大きく膨らませる。よくぞ、聞いてくれました。とでも言いそうな顔をしていた。


「ポイントカードとはポイントを貯めることで物をもらえるカードのことよ」

「……? どういう意味だ?」


「だからぁ。ポイントを貯めれば欲しい物がもらえるのよ。これはそのためのカードなの」

「つまり、どういうことだ?」


 この押し問答はしばらく続いた。



***


 一般的にポイントカードとは主婦が行きつけの店。よく通う店なので発行して使うカードのことで買い物した金額が100円ごとや300円ごとなど決められた額に合わせてポイントがもらえる。そのポイントを貯めることができるのがポイントカードのことだ。


 ポイントが一定数たまれば何らかの景品がもらえたり、1ポイントを1円として利用することができたりする。ここだけ聞けば店に何のメリットもないように思われるが、そうではない。


 ポイントが貯まればいいことがある。だから、ポイントが貯まる店を利用しようとする。消費者の購買意欲をくすぐり、他の店への流出を避けることができる。

 競合するような店がほとんどなかった前世の国では想像もできない画期的なサービスだ。豊かな国ならではの発想だと言える。


「それで、そのポイントカードでどうやってフクロウを手に入れるのだ?」

「それは私のポイントカードを見てみればわかるわ」


 言われるがままにトモの手元を見る。ポイントカードは厚紙の用紙で、多少頑丈に作られている。24と数字が大きく書かれている。何度も書いては消して、を繰り返したのか、少し薄汚れている。鉛筆で書かれているようだ。


「このポイントが貯まるのはお母さんのお手伝いをした時なの」

「ああ。なるほど」


 そういうことか。我はそのシステムを理解する。しかし、タクヤはそうはいかないようで首を傾げていた。


「どういうことだ?」


 さっきからタクヤはそれしか言っていない気がする。


「つまり、お母さんのお手伝いをして、ポイントを貯めて欲しい物を手に入れる。そのためのポイントカードなの」

「よくわかんないけど凄いんだな」


 タクヤのこの顔は絶対にわかっていない顔だ。しかし、説明してようやく納得してもらえたトモは誇らしげに胸を張っている。

 二人だけにしておけば自由時間が終わるので話を進めさせてもらう。


「お手伝いとは具体的に何をするんだ?」

「肩もみ、草むしり、玄関に新聞を取りに行く、とかね」


「ふむ。それぞれ何ポイントだ?」

「ん? 全部1ポイントだけど、なんで?」


 お手伝い、と言っても様々である。労力も時間も異なる。玄関に新聞を取りに行くのは1分もかからず、疲れはしないが草むしりは大変だ。しかも、トモは魔法が使えないので人力で行わなければならない。にも関わらず全て同一ポイントというのはいかがなものだろう。


「いや、説明を続けてくれ」

「それならいいけど」


 タクヤは感心したようで、トモのポイントカードを食い入るように見ている。


「実はこのポイント。見た目はしょぼいけど本物と同じなの」

 

 まるで内緒話をするようにトモは声を小さくする。だから、聞き取るために自然とタクヤと我も顔を近づけた。


「1ポイント1円なのよ」

「え、それってつまり。……つまりどういうことだ?」


「私はお金を稼いでるってこと。ただお小遣いをもらうだけのあんたたちとは違うってことよ。私は大人への階段に一段上ったのよ」

「おお。すげー」


 タクヤは拍手する。どうよ、とトモが胸を張るので仕方なく我も拍手することにした。

 ここだけの話。我は意外と空気を読むタイプなのだ。

 100ポイント貯まれば希望する商品がもらえるルールであれば我も称賛したであろうが、100ポイント貯まっても100円の物しか買えない、それはただの奴隷券にしか見えない。100円ではチョコレートの商品を一つしか買えない。

 しかし、トモは今のルールで喜んでいるし、トモの両親も娘に手伝ってもらえるので皆幸せである。現状において口を出しても誰も幸せにならない。

 だから、我は黙っていることにした。


「これがお金なのか」


 タクヤは手作りのポイントカードを眼を輝かせて眺める。トモからポイントカードを借りたタクヤはその場でぐるぐると回り始めた。


「そうよ。だから丁寧に扱ってよね。お金なのよ。お金」


 トモが注意したその直後だった。


「あっ」


 タクヤが間抜けな声を出して転ぶ。手元のポイントカードに夢中で足元に置かれていた積み木に気づかず、足を引っかけたのだ。

 そして、びりっと不吉な音が鳴る。

 

「あ」


 この声は我のものだ。これはタクヤが破ったポイントカードを見てしまい、こぼれた声だ。

 タクヤが転んだ勢いでトモのポイントカードは破れてしまった。厚紙とはいえ、紙は紙。力を加えれば簡単に破れてしまう。タクヤの手元には真っ二つに引き裂かれたポイントカードだった物が置かれていた。


 我は思わず隣のトモを見た。

 トモも我同様引き裂かれたポイントカードに気づき、視線が釘付けになっている。


「……」

 

 トモの眼に涙が貯まる。やがて、涙はダムが決壊したかのように大量に流れ落ち、頬に曲線を描く。

 ああ。もうこれは駄目だ。手遅れだ。

 我は耳をふさいだ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん」


 しかも、トモの泣き声が伝染したらしく、タクヤもなぜか泣き始めた。蝉も真っ青の二人による不協和音の大合唱が始まる。

 おい、なぜおまえが泣くんだ。原因はお前だぞ。トモを宥めるなり、謝るなり、対応しろ。男のくせに。などと言いたいことは山ほどあるが幼児にそれを求めるのは酷である。


 我は早く保育士が来ることを願い、無関心を貫くことにした。


「「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん」」




 トモがタクヤと口を聞いたのは一週間後だった。

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