第8話 わがままを言う

 前世で死に、日本国に転生して以来、我は生まれて初めて母上を困らせようとしていた。この話のきっかけは大したことではない。前回読んだ本に魔法使いは使い魔として動物を飼うのが一般的だ、と書かれていたのだ。現在、我が家にペットはいない。マンションと呼ばれる集合住宅に住んでいるが、ペットの飼育は可能である。現に隣の佐藤さんも猫を飼っている。

 我も魔法使いの端くれとして使い魔が欲しい。小説の主人公は使い魔としてフクロウを飼っていた。だから、我もフクロウが欲しかった。

 

「母上。お願いがあります」

「心太ちゃんからお願いなんてひょっとすると初めてかもしれないわね。いいわよ。どうしたの?」


「生き物を飼いたいのです」

「子供の成長にペットを飼育するのはいい、と聞いたことがあるわ。犬? 猫?」


「フクロウです」


 想定していない答えだったのか、母上は大きく口を開けて動きを止める。顎に手を当て、首を傾げた。


「フクロウって飼えるの?」

「調べたところ、ペットショップで購入すれば特別な手続きなしで手に入れることができるそうです」


「う~ん。私としては保健所で殺処分されそうな犬や猫を保護するなら許可しようと思ってたんだけど、フクロウね。それは予想外ね」


「ちゃんとお世話をします。飽きて捨てたりもしませんし、虐待もしません。お願いします」


 我は頭を下げた。思い起こせば人に頭を下げるのは前世でも記憶に残っていないほど昔の話だ。王が頭を下げれば国の問題になるので、王になってからは一度も謝罪したことはない。それくらい我はフクロウが欲しい。

 フクロウを飼いたいのだ。


 母上が困った顔をしている。母上をこんな表情にさせたのは我のわがままが原因だ。そう考えると胸が痛む。ちくちくと針でつつかれたように心臓が痛い。

 しかし、我は本当にフクロウを飼いたいのだ。

 あの愛らしい頭をなでなでして、モフモフしたかった。

 我の真剣さを感じ取ったのか、母上はため息をついた。


「そうね。ちょっと考えてみるわ」


 これでペットの話はそれで終わった。



***


「それは時間が経てば子供は忘れるだろ、作戦だな」

「其方もそう思うか」


「ああ。思うね。母ちゃんがよく使う手だ。俺も誕生日に変身ベルトを欲しがってそんなことを言われたけど、結局、マンガの本だったぜ」


 我は保育園内の隅っこで会話をしていた。会話の相手は積み木という武器を手にし、喧嘩に勝利した鼻水幼児だ。お馬さんごっこで競争をし、共通の体験をした結果、仲良くなったのだ。今では時々会話をする程度の仲になっている。

 名前は……あれだ、まだ聞いたことがない。


 数少ない我の弱点。それは人の名前を覚えるのが苦手なことだ。人の名前を単語として覚えることはできるのだが、その名前と顔が一致しない。顔を見た覚えがあっても名前を言うことができない。仕方がないので相手が名乗るまでお茶を濁すことにしている。


 これは前世での生活の影響だった。王として玉座に座っていると毎日、百人以上の人間が謁見を求めてくる。謁見のたびに人は名を名乗り、王である我に覚えてもらおうとするが、覚えられるわけがない。我は聖徳太子でも完全記憶能力者でもない。

 ちなみに聖徳太子とは昔、日本で政治を行っていた偉人らしく、七人相手に同時に会話できる英知に優れた男だったらしい。そんな者が我の住む世界にいれば大臣の地位に置いただろう。我の代わりに政治を任せたに違いない。


 話を戻す。名乗る者一人ひとりを覚えられるはずもなく、覚える気もなかった我は隣にいる大臣に任せ、他のことを考えるようにしていた。それゆえ、人の名前を覚えるのが苦手になったのだった。


 名も知らぬ幼児はなぜか自慢げに鼻をこすり、胡坐をかいた。


「マンガの本も面白かったから別にいいんだけどな」

「満足したならいいじゃない。トモなんてママの化粧品が欲しかったのにお人形よ? 信じられないわ」


 話し合いのこの場には我と名前も知らぬ幼児ともう一人いる。自分のことをトモと呼ぶこの少女の名はトモ、だと思う。トモと呼ぶのだからトモだろう。

 彼女は保育士に指摘されるまでおやつを分けていた少女で、妙になつかれた。どうもおやつを与えていたことで餌付けに成功したらしい。フクロウになつかれるのは嬉しいが人はちょっと嬉しくない。

 トモという少女を観察していると精神年齢が高いように思える。代わりに大人の真似をしたがり、周りの幼児と一線を画している。その結果、友達がおらず、休憩時間になるたびにこちらに近寄ってくる。我としては一人で本を読みたいのに、横でどうでもいい話を聞かせてくるので耳障りな存在でもあった。

 しかし、一人でも多くの幼児の意見を聞きたい今はこんな者でも頼りになる。


「其方たちの体験はわかった。で、だ。これから具体的に我はどうすればいい、と思う?」


「要するに欲しい物があるけどお母さんには買ってもらえそうにない。買ってもらうにはどうすればいいのか? ということよね」

 トモは言った。


「ああ。その通りだ」


 我は頷く。

 フクロウが欲しい。しかし、このまままでは流されてなかったことにされる可能性が高い。と、なれば子供のことは子供に聞くしかない。

 わがままの仕方を相談するために二人には集まってもらったのだ。


「俺に名案がある」


 名前を知らぬ幼児は自信ありげに言う。彼の歯がきらりと光った。

 おお、なんと頼りになりそうな顔だ。名前を覚えていなくてすまない。今度名乗った際は確実に覚えておくことにする。


「して、その案とは?」

「う~ん」


 彼の表情が突然、曇る。腕組みをして、口を一文字に閉じてしまった。

 いったいどうしたのか。


「どうした? お腹でも痛いのか?」

「ただで教えるのもなぁ。ほら、俺のとっておきの技だから、さ」


 なるほど。現金なやつだ。袖の下を渡すのは子供も大人を関係がない、ということか。また一つ勉強になった。

 フクロウを飼うためなのだから、必要経費は多少の覚悟はできている。


「……何が望みだ?」

「今日の昼ごはん、おやつにゼリーが出るんだ。俺はゼリーが大好物なんだよ」


 ゼリーとは今世で我が初めて見たお菓子である。味はリンゴやオレンジなどのフルーツ味が一般的だ。透明感のある色鮮やかな菓子で、ゼリーの乗った皿を揺らすとそれはプルプルと震える。その姿はスライムのようでとても面白く、我はゼリーが食事になるたびに突いたり揺らしたりして遊んでいる。母上に食べ物で遊ぶな、と何度か怒られたことがあるほどだ。

 今日もゼリーを突いて遊ぼうと思っていただけに、口惜しい。しかし、フクロウには代えられない。ゼリーは一ヶ月待てばまた出てくるが、フクロウは今しかない。

 断腸の思いで我は頷いた。


「よかろう。我のゼリーを持っていくがよい。代わりに其方の名案、しっかりと我の胸に刻ませてもらう」

「任せておけ」


 自信満々で彼は自分の胸を叩き、むせていた。

 頼りない様子に不安になるが、仕方がない。ゼリーを渡したのだからそれなりの知恵くらいは見せてもらう。

 口では説明できないらしく、実演して見せてもらうことになった。



***


 日曜日。我は母上の買い物に同行し、近所のスーパ―に来ていた。母上は我をおやつゾーンに残して買い物に没頭中だ。

 時刻は十三時半。

 あの幼児に呼び出された時間通りだ。

 ここでこの時間に名案を実演してもらえるらしい。見渡してもまだ彼の姿はない。こちらはゼリーを差し出してまで頼んだのだから、もし約束を反故にするというのであればただでは済まさない。彼の身体をゼリー状にする予定だった。


 我は再びスーパーの壁に着けられている時計を見た。

 日本において一日は二十四時間に分割され、さらに一時間は六十分。一分は六十秒に分割されている。時計と呼ばれる装置はそれを正確に表すもので、それを用いることで日本人はスケジュールを経て、行動している。


 前の世界では日の出とともに起床し、日の入りとともに寝る生活が普通だったので戸惑うことも多く、未だに慣れてはいない。

 しかし、この時計のおかげで三時のおやつの時間が正確にわかる、という利点もある。夜になっても明るく外で行動できる日本にとって時計は必需品ともいえる装置である。


「心太。来てたの」


 見知らぬ幼女が我に声をかけてくる。初対面にも関わらず、下の名前を呼び、なれなれしい小娘だ。

 我が黙って睨みつけるとその幼女は慌て、口を尖らせる。


「何よ、トモがあいさつしたんだから返事くらいしなさいよ」


「……トモか」


 知り合いだった。

 仕方がないじゃないか。人の名前を覚えるのは苦手なんだ。誰だって苦手なものが一つくらいある。しかも、保育園では皆青いポンチョという同じ服を着ているので区別がつかない。私服を着てしまえばわかるわけがない。


「其方も来たのか」

「タクヤがどんな技を見せるのか、気になったから。ひょっとするとトモもそれを使えば好きな物を買ってもらえるかもしれない」


「ゼリーを差し出したのは我だぞ」

「そんなけち臭いこと言わなくてもいいじゃない。今度、おはぎをあげるから」


「!? いいのか?」

「トモ、おはぎが嫌いなの。きな粉とか口の周りについたりしてても汚れるし、子供っぽくて嫌いなのよ」


 おはぎとは米を叩いて丸めたモチをアンコで包み込んだお菓子で、日本人が作ったので和菓子と呼ばれている。アンコは甘くておいしく、中のモチは独特の触感で噛めば噛むほど味が染みてくる。温かい緑茶とよく合うので家で食べるときは夏でもセットで食べることにしている。しかし、保育園では幼児が火傷してはいけないのでアッツアツの飲み物はまず出ない。それが残念でならない。


「そうなのか……」


 おはぎ、という献上品が手に入り、我の顔が緩むのがわかった。

 そういえばあの幼児の名はタクヤというのか。なかなかカッコいい名前ではないか。心太には遠く及ばんがな。


「よう。待たせたな」

 

 トモの背中を軽く叩き、タクヤが現れた。


「痛いじゃない。何すんのよ」


 トモはタクヤを睨みつける。わりーわりー、などと反省していない雰囲気を出しながらタクヤは謝っている。

 トモと我が会話をしていると背後からこちらを窺う気配があったので我は彼の存在に気づいていた。こっそりと忍び寄ってくるので用心していたがただの悪戯のつもりのようだ。


「よかったな」

 

 我が声をかけるとタクヤは不思議そうに首を傾げた。

 暗殺の可能性も考え、自動迎撃魔法を展開していたので、もしタクヤが我の背中を叩こうとしていれば彼の右手は消し炭になっていた。

 今の言葉は(運が)よかったな、という意味だ。

 言い訳のようだが、もちろん我は彼が本当に暗殺を考えているとは思っていない。だからこそ消し炭にするのは右手に限定したのだ。本来であれば全身を消滅させ、反撃の可能性さえも摘み取っているところだ。

 こうした穏便な思考ができるようになったあたりは平和ボケした日本に順応してきたと言える。


「あれがうちのかーちゃんだ」


 タクヤは買い物カゴを片手に世間話をしている一人の女性を指さす。三十代後半のおばさんだ。母上の美貌には到底及ばない容姿をしている。



「これから俺の技を見せるよく見ておけよ」

「おう。一瞬たりとも見逃しはせぬので安心しろ」

「トモも見といてあげるわ」


「行ってくる」


 まるでこれから敵陣に攻撃を仕掛ける味方兵のような表情をしてタクヤは敬礼をする。そして、母親の元へと向かっていく。

 タクヤは母親の服の袖を引っ張りお菓子の一つを指さす。何かをおねだりしているようだ。

 しかし、母親は拒否する。首を振って買いません、と言っている。


「ここまでは普通だな」


 タクヤの技を見ることができるのはこれからだろう。

 我は他の者に気づかれないように用心しながら感知魔法を発動する。魔法の可動範囲はスーパー内全域。そのすべてを把握し、掌握する。

 これでこのスーパーにいるすべての物質の情報を手に入れ、その動きを理解することができる。もちろん、その情報を把握するのはあくまで我の脳一つだけなので手に入れる情報に制限をしてはいるが、事実上ここは我の支配下に入った。

 たとえ、目をつぶろうが個室に入ろうがこのスーパーのことで我にわからぬことはない。

 いわばこのスーパーは我の領地になったのだ。


 この魔法でタクヤの全てを把握する。

 これからどうするのか、神経を研ぎ澄ませて観察しているとタクヤは床に横たわった。まさかこの冷たい床で寝るわけではあるまい。ひょっとすると体調が悪くなったのか?

 しかし、彼の心拍数に異常はなく脈や体温は全て正常値を表している。問題ないはずだ。

 タクヤの行動に戸惑っていると、まもなくその答えが出た。


「買ってよ。ママー。お願いだよー。チョコが欲しいんだ―」


 タクヤは大声で泣き叫びだした。

 その声は大きく、スーパー全体に響き渡るほどの声量。他の客が顔をしかめてタクヤを見たりしている。

 しかし、タクヤの母親は無表情で買い物を続ける。


「欲しいよー。チョコが欲しいよー。買ってくれなきゃ死んじゃう。ママー。死んじゃうー」


 彼の発言とは裏腹に体調は万全。流している涙も嘘泣きで若干の羞恥心が心拍数をあげていること以外は普通だ。タクヤの母親のほうも駄々をこねて暴れるタクヤに冷ややかな視線を一度送ったあと、買い物に戻っている。おそらく推測であるがタクヤはこの手を何度も使ったことがあるに違いない。

 戦と同じで奇襲は一度しか使わないから意味がある。最初は効果的であっても二度三度と同じ手を使えばそれは愚策でしかない。それは今のタクヤの置かれた状況が物語っていた。

 母親がいなくなり、泣き叫ぶタクヤに近づかないでおこうとする人たちの影響でタクヤの周囲はまるで人避けの魔法を使ったかのように円状の空間ができていた。


「……」

「ガキね」


 トモの意見に同意する。

 この技は使えない。母親を衆目に晒し、恥をかかせる。その羞恥心を利用する。泣き止むのならば仕方ない、と思わせて目的の物を買わせる。人の感情を利用した見事な作戦ではあるが、我は母上に迷惑をかけることを極力さけたい。


 それになにより


「ここの床は皆が歩いている。どんな道を歩いたともわからぬ、たくさんの民衆が踏んだ床に背中をつけるなど、想像するだけでぞっとするわ」

 

 我は綺麗好きだった。

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