第6話 保育園デビュー

 赤ん坊のころからしばらくの時が過ぎ、立って歩くこと、そして、話すことができるようになった。

 そのおかげで日本の文化について学んだり、魔法の研究もはかどることとなった。


 そんなこんなで我は保育園と呼ばれる施設に入れられることになった。

 保育園とは我と同い年くらいの幼児がたくさん預けられ、他者と交流することで人付き合いについて学ぶ施設だ。小さいころから交流をすることで大人になって社交界デビューしても大丈夫なように慣れさせているようだ。

 我は青い上着と短パン。そして、黄色の帽子をつけて保育園へと出陣する。

 入学式では母上もスーツと呼ばれる礼服を着ていた。いつもののんびりとした姿も好きだが、スーツ姿の母上は凛々しく、素晴らしい。


「シンちゃん。その服、とっても似合ってるわよ」

「ありがとうございます。お母さんもとってもお似合いですよ」


 母上と呼ぶのは他人行儀らしく、母上に注意され、呼ぶときはお母さんとしている。しんちゃん、というのは我の呼び名だ。


「今日から一つ大人になって幼稚園児よ。たくさんお友達できるといいわね」

「はい。友達をたくさん作りたいと思っています」


「もしお友達ができたらママにも教えてね」

「もちろんです。保育園で起きた出来事は事細かにお母さんに報告します。任せてください」



 毎日お風呂に入れる。高価な機械が家にたくさんある。希少性の高い本や絵本が置いてある。このことから察するに我が家は貴族である。

 そして、貴族の我が通うのだから保育園には貴族のご子息・ご息女が集まるに違いない。彼らからの情報は母上の貴族社会における立ち位置に役立つ。時には政治的に対立した人の子供とも仲良くなり、両親の情報を集める必要がある。

 貴族のことはいえ、相手は子供。前世では王であった我にとっては彼らを騙して情報を聞き出すことなど造作もないこと。

 我は内心、ほくそ笑む。

 情報収集は保育園での我の任務でもある。できるかぎりたくさんの友達を作り、情報網を広めるつもりだ。


「……なんだかシンちゃんが変な考えをしてる気がする」

「何をおっしゃいますか。お母さんが心配する必要はありません。大船に乗ったつもりで待っていてください」


 さぁ。子供の戦場へと出陣だ。





***


「……」


 入学式から一週間が過ぎた。

  保育園は我の想像をはるかに超えた悪魔の巣窟だった。

 今、我の目の前では二十人以上のサルが暴れまわっている。大人の保育士が教室を右往左往してなんとか収めようとしているが、収拾はついていない。

 我は教室の隅っこで幼児たちの暴れる姿を漠然と見ている。


「うえ~ん。チヨちゃんがなぐった」

「そのおもちゃはぼくの」「いや、ぼくのだ」

「たいようをかいたの」「リョウコちゃん。壁に絵を描いちゃダメっていったでしょ」


 などと声が聞こえてくる。

 声と声が重なり、もはや雑音にしか聞こえない。こんな混沌とした空間の中で有意義な情報を得られるはずがない。


 早く帰って日本の歴史書を読みたい。


 そんな動物園の檻の中のような騒ぎが一瞬にして静かになる時がある。

 それは


「みんな。おやつの時間よ」

「――――」


 この魔法の言葉一つで泣いている幼児は泣き止み、暴力を振るう幼児は動くのをやめる。気がつくと用意された椅子に座り、お行儀よくおやつが来ることを待っている。

 我は保育士が沈静の魔法を使ったのではないか、と推測したが、まだ二十代後半の彼女は魔術回路を持っていない。つまり、魔法は使えない。

 恐ろしい話だ。


「今日のおやつはクッキーです」

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお」」」


 幼児たちのおやつに対する反応は大体これだ。クッキーでもおはぎでも団子でも同じ

 本当に子供だ。

 我はいつもおやつを隣にいる幼児に譲っていた。大人の我に子供の食べ物は合わないのだ。

 しかし、今日は保育士にばれてしまう。


「心太クン。おやつを分けるのは駄目よ。食べなさい」

「……しかし」


「言い訳は駄目よ。好き嫌いをするのならお母さんに言いつけるわよ」

「わかりました」


 我は素直に頷いた。母上に言いつけられるのは絶対に許されない。それに、ここで抵抗して保育士に目をつけられるわけにはいかない。そうなれば今後の情報収集に支障が出る。我も皆に見習い、クッキーを食べた。


「うおおおおおおおおおおおおおお。何だこれ。超うまい!」


 前世でのクッキーはパサパサしていて味気ない。口の中の水分を奪っていくだけのスポンジのようなものだったが、これは違う。噛むとパキッと割れるのに中はしっとりとして甘い。


「おいしいでしょ?」

「うむ。保育士。これはいったい何だ!?」


「え、クッキーだけど」

「クッキー。これがか? 小麦を原料とした焼き菓子のことか!?」


 保育士の顔が少しひきつっている気がするが我はそれどころではない。


「……ええ」

「これがクッキーだというのなら我がこれまで食べていたのはいったい何だったのか……」


 もう一口食べる。

 もぐもぐ。

 これをおいしい、としか表現できない我の語彙力のなさが悔やまれる。

 もっと日本語の勉強をしておけばよかった。

 あっという間に与えられたクッキーはなくなり、最後の一枚となった。

 それは他のクッキーとは違い、黒い粒が散らばめられている。


 クッキーを食べているうちに隣にいた保育士はいなくなっていた。他の幼児の様子を見に行ったようだ。代わりに隣の幼児に聞く。


「この黒いツブツブは何だ? アリみたいで気味が悪い。こんなものをよく食えるな」

「チョコレートよ。知らないの?」


 隣の幼児の性別は女だ。今まで我からおやつをもらっていたのに、保育士のせいでこれからは手に入れることができなくなったので、不機嫌そうにしている。


「チョコレート!聞いたことがある。母上に勧められたが、断った記憶がある」

「チョコチップクッキーは普通のクッキーよりおいしいわよ」


「なんと! 先ほどまでのクッキーよりおいしいと申すのか、おぬし」


 おやつのような甘いものは希少で値段が高い。ぜいたく品だ。だから、家計に響くと考え、母上に勧められてもおやつを買うことを拒否し、おやつを食べることを今まで頑なに拒んできた。


 きっと、これを食べれば我はもうおやつの購入を断れない。喜んで欲しがることになるだろう。それがわかっていても我はそれに手を伸ばさずにはいられない。

 禁断の菓子に伸びる右手を左手で抑えようとするが右手が言うことを聞かない。

 母上。申し訳ない。意志の弱い我をお許しください。

 我はチョコチップクッキーを口に含んだ。


「ワンダフォー」


 あまりのおいしさに我は意識を失いそうになった。

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