第4話 デビューする

「はい。心太ちゃん。お友達ですよぉ」


 母上に連れてこられたのは赤ん坊がたくさんいる場所だった。他の赤ん坊も我と同様に母親とともにここにきて、遊んでいる。カラフルな絨毯の上で音の鳴るおもちゃを子供に見せ、各自がわが子とともに楽しんでいるようにも見える。


 しかし、違う。


 ここに着いた瞬間、我は背筋に寒気を感じた。

 我々が部屋に入った途端、母上と腕の中にいる我の全身を観察するようなねっとりと視線が這った。視線の主は先に部屋にいた子連れの母親たちだ。

 ここは陰謀渦巻く貴族のパーティのような雰囲気を漂わせていた。赤ん坊は気ままに遊んでいるのにその母親たちは他の子供を妾の子のような目で見ている。

 ピリピリした空気が我の胃を痛くする。

 平和な日本にもこんな場があったとは。


***


 ここに来たのはとある女性の言葉がきっかけだった。

 母上が我を抱っこして買い物に来ていた時のことだ。我を抱っこというのは母上の赤ん坊を背負うようにして固定する道具があり、それに我は乗せられた。ベビーキャリー、抱っこひもと呼ばれる道具でこれは着心地がよく、しっかりと固定されているので母上がかがんでも落ちる心配がない。だから我も安心して寝ることができる。

 今日は目的があるので睡眠は後で、だが。

 

 母上がよそ見をしている隙に我はおやつ付きの怪獣のおもちゃを風魔法で買い物かごの中に入れる。

 実は我は今、怪獣集めにはまっていた。と言っても母上に頼めるほど我の舌は発達していないので内緒でこのようなことをしている。

 籠に入れておくと大体、母上は気づかずに買ってしまう。家に帰ってようやく買ったことに気づき、あらあら、と頬に手を当てて言いながら棚の上におまけを並べるのだ。

 あとは大きな怪鳥スピシラスでコンプリートだ。

 スピシラスさえ手に入れれば我も母上を騙す罪悪感から解放される。そういう思いで、我は真剣におやつを選んだ。

 悩んだ末に一つの箱に決める。

 これこそ怪鳥スピシラスが入っている箱に違いない!


 発動せよ。風魔法。


 しかし、買い物かごにおもちゃを入れる際、ちょっと気を抜いてしまい、コトリと小さな音を立ててしまった。

 まずい。


「あれ。こんなのカゴに入れた覚えはないのに……」


 母上がおやつ付きのおもちゃに気がついた。かごからつまみ出して怪獣のおもちゃをじっと見ている。

 母上が頬に手を当てて、あらまぁ。と呟く。

 これは非常にまずい。我の所業がばれるかもしれない。我は目を閉じて寝たふりをする。しかし、冷や汗が額から止まらない。

 我が震えていると母上は軽い声で呟いた。


「ま、いっか。戻す場所もわからないし」


 それでいいのか。母上。

 おもちゃが手に入るなら我としては構わないが、母上の将来が心配になった。いつか変な詐欺師に騙される気がする。

 危機が去り、我が額の汗をぬぐっていると派手な帽子をした見知らぬ女性に声をかけられた。


「あら、可愛らしい赤ちゃんね。瞳からして男の子かな?」

「どうも」


 母上が戸惑いながら挨拶する。どうやら母上も知らない人らしい。


「そうです。男の子です。心太、ご挨拶しなさい」


 母上に言われ、母上の背後にいる我は無言で頭を下げる。すると、女性は飛び上がるように驚いた。

 女性はこれからパーティがあるかのような派手な服装をしている。女性が頭を動かすたびに帽子についた羽がこちらを向く。うっとうしいのであまり近づかないでほしい。


「言葉が理解できるの?」

「いえ、まさか。まだ十ヶ月ですよ。けど時々、そんな気がします。夜泣きもしませんし、とても賢いんですよ。親バカですけど」


 と、笑う母上。

 母上に褒められて我も嬉しい。

 怪獣のおもちゃも手に入り、母上の機嫌もとてもいい。今日はいい日だ。

 派手な帽子をした女性が母上の手を掴んだ。


「あなたのお子さん。芸能界デビューするつもりはない?」

「おぎゃあ(デビュー)?」



***



 こうして我はここについたのだ。

 最初は乗り気でなかった母上も派手な帽子の女性に説得されてしまった。最後にかわいいお子さんを皆さんに自慢したくありませんか。と言われたのが効いたようだ。

 我としては凛々しい、やかっこいい、などと褒めてほしかったが今は赤ん坊に過ぎない。かわいい、が妥当な褒め言葉なのだろう。

 それにしてもあの派手な帽子の女性、初見で我の魅力に気づくとは大したものだ。その先見の明は褒めて遣わす。前世であれば金一封授けたのだが、名前を聞いておいた方がよかったかもしれない。


 そんなことがあり今日はオムツのモデルとして我が呼ばれた。

 芸能事務所に登録する必要はなく、一度だけなら、との条件で母上は来たのだが、そこには十人ほどの赤ん坊が集まっている。

 これはどういうことだろう、と母上が戸惑っているとあの派手な帽子の女性が現れた。背後には複数の女性社員を率いている。


 話を聞いて驚いた。

 なんとこの女性。オムツメーカーの重役らしい。会社の偉い人のようだ。

 今回の趣旨を説明する。要約すると赤ん坊のモデルは言葉を理解できないので自由気ままに動いていしまい、ベストショットを取るのは難しい。だから、撮影の際はたくさんの赤ちゃんを集めて様々な写真を撮る。その中からいいと思った一枚がオムツの箱の表面を飾るらしい。


 ただ、モデルに正式に選ばれなくても今日の給料はもらえるようだ。ただ働きになることはないのでとりあえず我は安心する。


 この説明でようやく母親たちの殺気の理由が判明する。要するにモデルとしてデビューできるのは一人だけで他の赤ん坊たちはライバルなのだ。みな自分の子をデビューさせるのに必死で、ライバル相手に好意を抱け、と言う方が無理な話だ。

 ただ母上のみはこの緊張した空気に気づかず、ほのぼのとしていて我の癒しになっていた。


 カメラマンやスタッフと言われる人たちに呼ばれて赤ん坊たちは一人ずついなくなる。


「逢坂ところ……心太くん。お母さん一緒にこっちに来てください」

「はぁ~い」


 間延びした返事をして、母上は我を抱っこする。

 すでに撮影用のオムツを着用済みでいつでも撮影に移れる。

 撮影場所にはいろいろな子供だましのおもちゃが置かれている。それを使って赤ん坊をおだてて笑わせるつもりなのだろう。

 カメラマンが我に近づく。持っている黒い箱は母上が持っていたビデオカメラ(?)に似ている。絵が動き音を出す機械を見て学んでいる我にはそれがどんなものかすぐにわかった。

 カメラとは風景を切り出し、正確に素早く描くことのできる機械である。これさえあれば似てるのか似てないのかわからない指名手配犯の似顔絵を王国にばらまく必要はなくなる、という便利な道具である。


 カメラマンの隣でスタッフと呼ばれた女性がおもちゃを振って音を鳴らしている。その隣には母上の姿もあった。慣れない状況に母上は少し不安そうな顔で我を見ている。

 心配はいらないぞ、母上。

 我はここにモデルとしてお金をもらいに働きに来たのだ。

 それならばこちらも赤ん坊として最高の笑顔を見せるしかあるまい。

 オムツの宣伝をすればいいのだろう。任せておけ。



「おぎゃがやおぎゃああぎゃおふわあああ(このオムツ。履き心地が実にいい。まるで羽を纏っているようではないか)!」


 そう言って我はごろんと一回転してカメラに向けて満面の笑みを見せた。

 カメラマンは黙々と我を追い、パシャパシャと音を鳴らす。


「ぎゃふぎゃああふわふぎゃあありゅわあ(こんなに動いてもぶれない。まさにオムツの革命だ)!」


 そんな我の熱演にスタッフは思わずうわぁ、と声をあげる。

 我の演技力に恐れをなしているらしい。

 ひょっとすると我は演技派なのかもしれない。

 そういえば前世でも我の暗殺を企んでいた貴族を一芝居打ってあぶりだしたことがある。

 我の天職は役者かもしれない。

 今まで気づかなかった才能が今、開花する。

 我が将来の夢を決めようとしていた時、とある声が聞こえてきた。


「この子、まるでカメラが分かっているみたいに動きますね」

「ええ。私が見つけた逸材よ」と、派手な帽子の女性重役が言う。

「初めての環境で泣く赤ん坊は多い。だから私は派手な帽子で赤ん坊の反応をいつも見てきたの」


 その帽子にそんな意味が込められているとは知らなかった。馬鹿にして申し訳ない。


「彼には赤ん坊モデルとしての素質がある」


 美しいとても似合う帽子をした女性は断言する。





「ただ……」「ええ。ただ……」

 二人は残念そうに声を小さくする。

 どうした?

 褒め言葉ならもっと大きな声でいいぞ。

 ほら、もっと我を褒めろ。称えろ。



「―――笑顔がとても怖いのよね」



「…………」






***



 我はこの日を境に役者になる道を諦めた。


 ちなみにオムツのモデルデビューは別の赤ん坊に決まった。

 しばらく落ち込んでいた我の様子に気づいた母上は我の前でモデルの話をしなくなり、オムツの入った袋を隠すようになった、というのは余談である。

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