第一章 王は日本を知り、学ぶ

第2話 死んだ? いや、死んでいない

 おいしそうな匂いにつられ、我は覚醒する。

 なにかのスープを温めた匂いがする。生前、王としての食事の前は必ず付き人が毒見をする時間があり、我の元に食事が届くころにはどんなに温かい料理も冷めていた。王になった後のほうが食事がおいしくない、というのはどうしようもなく虚しかった。

 だから、暖かい料理が恋しかったのだ。


「おぎゃぎゃあ」


 料理をくれ。そう言ったつもりなのに赤ん坊の声が聞こえる。

 何事か。

 起き上がろうとして体が上手く動かせないことに気がついた。頭の上には色鮮やかなシャンデリアが置いてある。しかし、そのシャンデリアは緑や青など悪趣味極まりない配色で勝手に動いて、カラカラと耳障りな音を鳴らしている。


「はいはい。どうしたの? 起きちゃったのねぇ」


 女性の声が聞こえる。その声の主は我を器用に抱っこし、顔をこちらに近づけてくる。

 大の大人の我を抱きかかえるとはこの女性は恐ろしい筋力をしているに違いない。もしくは魔法で肉体を強化しているのか。

 どちらにしても警戒する必要がある。

 我は防御魔法を唱えた。


「ぎゃおぎゃあ」


 しかし、赤ん坊の声が聞こえただけで魔法は発動しない。本来は風魔法で吹き飛ばされているはずなのだが、何事もなく女性は抱きかかえたまま我の頭を揺らす。

 やめてくれ。酔うから。気持ち悪くなるから。


「……」

「静かになりまちたね。またおねんねですか?」 


 なんと恐ろしい女性だ。我を抱えて数分ほど振り回した後でも、顔色一つ変えていない。たしか大陸の南側は屈強な女戦士が多い、と聞いたことがある。ひょっとするとこの女は南の戦士で我の命を奪うために現れた戦士かもしれない。


 いや、ちょっと待て。


 我は毒殺され、死んだはずだ。なぜ死んだ後も命を狙われねばならぬのだ。


「おがぎゃぎゃあ(貴様は何者だ?)」


「ミルクでちゅか?」


 ミルクなどいらん。それよりも貴様の正体を教えろ。

 しかし、我の声は赤ん坊の泣き声にかき消されて女性には届かない。


 仕方ない。我は優れた洞察力と思考力で今、自分の置かれている状況を分析することにした。

 我は毒で死んだ、という記憶は間違いで実はしびれ薬を毒だと錯覚していた。そして、生きている我はここに運び込まれた、と考えることもできる。そうすれば今生きていることへのつじつまが合う。

 身体が自由に動かないのはいまだにしびれ薬が効いているからだろう。

 それに口には何か詰め物をされている。これは我の口を封じ、魔法を発動させなくするものに違いない。

 我を抱きかかえる女性をもう一度よく観察する。

 女性は両手で我を抱きかかえて平然としている。しかし、女性の体格で大の大人を抱えることは非常に困難だ。ひょっとするとこの女性は数十メートルの体長を持つ巨人族の一人なのかもしれない。そう考えれば今の状態にも理解できる。

 巨人族と我々人族の仲は悪く、幾度となく戦争を繰り返した。巨人族が我を恨んで誘拐した可能性は十分にありえる。


 頭も筋肉でできていると言われている巨人族が我の魔法を封じた方法はわからない。しかし、今が危機的な状況であることはわかった。

 誘拐し、我の魔法を封じ、無力化した。

 次に行われることは大体想像できる。


「おぎゃあおぎゃあああ(我を拷問するつもりか。そうはいかないぞ)」


「ミルクでちゅか。はいはい」


 そう言って女性は上半身の服を脱ぎ始める。

 なぜだ? なぜ服を脱いだ?

 

 理由はわからないが、これから拷問が始まる。おそらく、性的拷問の類だろう。しかし、我は王であり、王国の国民を守るため、どんな苦痛にも耐えて見せる。どんな恐ろしいことに巻き込まれようと他国の者に決して情報を与えるつもりはない。


「おぎゃあああぎゃぎゃぎょ(女性が裸体を男に見せるな!恥を知れ)」



 我は屈せぬ。性的拷問なんぞに決して屈せぬぞおおおおおおおおおお。






***


「おぎゃあ(なんてことだ)……」


 結論から言おう。

 我は拷問を受けなかった。

 というか、そもそも我が巨人族に捕まったという仮定も間違っていた。我を抱き上げた女性が大きいわけではなく、我が小さくなったのだ。

  なぜかはわからぬが我は死んでその記憶を受け継いだまま別の命を与えられ、誕生したようだ。そして、先ほどの女性は我の母親である。

 寝返りをうつと新しい母親の顔がよく見える。

 茶色の長髪は波打っている。顔は柔和で、みるからに優しそうな顔をしている。人の見る目はある、と自負している我が言うのだ。彼女は聖母のような優しい性格をしているに違いない。

 そして、あれが今の我の母親だ。


 我の王国に存在する宗教は一神教で生前にいいことをした人は天へ行き、次の命を与えられる。悪いことをした人は地獄に落ち、魂が消滅する、という教えだった。転生という発想はその教えにもあることであるが、我に前世の記憶があるのは神の手違いか何かだろう。

 我としては宗教を国民の意思を操る道具としてしか見ておらず、宗教に重きを置いていなかったからだ。宗教を用いれば他宗教の国を攻め入る根拠にもなるし、国民を誘導しやすい。利用するものであって、実際に助けてはくれない神など信じてはいない。

 ともかく、我は自分の置かれている状況を理解し、混乱もしていない。

 前世ではつまらない人生を歩み、後悔をした。

 だから、これからの人生は自分の思うがままに生き、人選を謳歌しようと思う。


 

 母上の言葉からひとまず我の住む国の名前を知ることができた。


 我の生まれたこの国の名は日本。東方の小さな島国らしい。



***



 我はかつて王であった。

 そして、今、赤ん坊である。

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