第42話 別れと涙。

「洋平さん。洋平さん」


 倒れた洋平を抱きしめ、ヒカルは何度も呼びかける。我が事前に回復魔法をかけておいたので洋平の身体は見た目はほとんど正常どおりに戻っている。とは言っても受けたダメージは大きかったので全身を元通りにすることはできず、細かい擦り傷や切り傷は残っていた。

 それに服もところどころ焼き焦げていた。

 二人の様子を我は少し離れた位置から見ていた。


「ヒカルちゃん?」


 ヒカルの呼びかけに応え、洋平は目を覚ました。その声は弱弱しいが、【探偵斬り】の時とは違う、たしかに洋平の声だった。


「洋平さん!」

「ヒカルちゃん、痛いよ」 


 と、洋平は苦笑いする。ヒカルが感極まって思い切り抱きしめてしまったせいだ。

 

「これでも飲むといい」


 この数分の間に家に帰った我はコップの中に水を入れて運んできた。それをヒカルに渡す。今の消耗した洋平ではコップを落としてしまうからだ。

 洋平を移動させ、工場の壁にもたれさせる。

 ヒカルに手伝ってもらい、洋平は水を飲んだ。よほど喉が渇いていたらしく、コップ一杯に入っていた水を飲み干していた。

 これで会話をすることも可能になっただろう。そう判断して我は洋平に話しかけた。


「【探偵斬り】の状態のことは覚えているか?」

「ちょっと!」


 ヒカルは我を睨んだ。「そんな話は後でもいいじゃない。今は洋平さんの回復を待つのが先よ」


 残念ながら後はもうないのだ。

 我はヒカルを無視してもう一度同じことを聞く。


「【探偵斬り】の状態のことは覚えているか?」

「ああ。覚えている」洋平は頷いた。「通り魔事件の時は世界がぼやけていて夢だと思っていたが、完全に乗っ取られた後のことは覚えているよ。僕がヒカルちゃんを傷つけようとしたことも。君が魔法使いだということも。何もかも」


 やはり、前世での悪魔に乗っ取られた被害者と同じか。

 悪魔が憑りつき、心の闇を広げている期間は上手く潜伏する。洋平の睡眠時間を利用して悪事を働き、心の闇を広げることに従事する。しかし、完全に乗っ取ってしまえば隠す必要もなくなるので記憶の隠蔽も止めてしまうのだ。

 そして、憑りついた人間の親族や友人を傷つけ、その映像を鮮明に見せることで反応を楽しむ。それが悪魔のやり方だ。


「ならば自分が犯罪を犯したことも覚えているわけだ」

「それは悪魔のしたことよ。洋平さんは何もしていない」


「けど、僕の身体がしたことだ。つまり、僕がしたことと同じだよ」


 そう。この世界は魔法を認識していない。つまり、【探偵斬り】の犯罪は野間洋平の犯罪である。被害者が全員生きているとはいえ、通り魔として世間をにぎわせ、恐怖を与えた罪は重い。洋平が自首したとしても執行猶予はつかないだろう。


「それに【探偵斬り】の言う通り、探偵を狙ったのは僕が望んでいたことでもある。僕は許せなかったんだ。妹を殺したも同然の探偵。そして、そいつと同じことをしている探偵たちが……」

「洋平さん……」


 ヒカルには申し訳ないが我には洋平に聞いておかねばならないことがあった。


「これからどうするつもりだ?」

「これからがあるのかい?」


 その回答で洋平は自分の置かれている状態を理解していることがわかった。この場で真実を知らないのはヒカルだけだ。

 洋平の言葉の意味が分からず、ヒカルだけが首を傾げている。


「悪魔は心の闇を育てて食べるのと同時に、宿主の魂を食べる。魂がなくなった人間は生きていはいけない」

「それって……。でも、洋平さんは大丈夫よね? ほら、今も普通に喋ってるし。顔色も悪くない。しばらくしたら元気になるよね」


 しかし、ヒカルの願いは洋平本人が否定する。洋平は小さく首を振った。

 魂の消費を認識できているとは思えないが、少なくとも自分がもう長くないことを感じ取っていた。


「洋平に宿ったのは上級悪魔だ。通常よりも魂の消費が大きい。今も正気のまま会話できるのが不思議なくらいだ」

「シンタなら治せるはずよ。貴方は魔法使いで、王様でしょ。魔法で治せるわよね」


「魔法は万能ではないと言ったはずだ。魔法で人を蘇らせることはできない。人にできることを奇跡とは言わない」

「そんな……」


 回復魔法は人の生命力を利用して傷を癒す。魂のすり減った洋平相手では効果が薄く、傷を完全に癒すことはできない。

 たとえ我が洋平の身体を傷つけずに悪魔を倒したとしても洋平の魂の消費は変わらず、死ぬ運命に変わりはなかった。

 ただ、ヒカルに悲しい思いをさせるとわかっていながらも我は最後の別れをさせる選択をしたのだ。


「シンタ君。僕はあとどれくらい持つかな?」

「寝たきりの状態ならば一週間は生きていられるかもしれない」


 それを聞いたヒカルは息をのむ。


「シンタ君は魔法使いだよね」

「そうだ」


「僕の最後の願いを聞いてくれないか?」

「どんな願いだ? 先ほども言ったように魔法は万能ではないぞ」


「三日、いや、一日でもいい。僕を普通に走ったりできるようにすることは可能かな?」

「……命を削って身体能力を大きく向上させる魔法がある。それを使えば一日くらいは持つだろう。しかし、命を削るということは魂を砕く。今の洋平の状態ならば魔法の効力が尽きた瞬間に死ぬ」


「そうか。そんな魔法があるのか。流石は魔法使いだね」


 表情から察するに洋平は純粋な気持ちで我を褒めてくれたのだろう。しかし、今はただの皮肉にしか聞こえなかった。


「シンタ君。その魔法を僕に使ってくれないか?」

「洋平さん⁉」


「理由を聞いてもいいか?」

「かまわないよ。理由を言わなくちゃ君も使いづらいだろうし」


 別に答えなくても洋平の願いをかなえてあげるつもりだった。聞いたのは洋平のその決意に満ちた眼を見たからだ。 

 【探偵斬り】は一か月以上大人しくした。それなのに突然、【探偵斬り】が活動を再開したのはなぜか。その疑問と関係があると思ったからだ。


「もう僕の事情は全て知ってると思うから話すけど、妹の敵(かたき)を見つけた」

 

「正確には妹の居場所を調査して、ストーカーに教えた探偵を見つけたんだ。ついこの間のことだ。灯台下暗しだね。探偵は今、Q市を拠点に活動していたよ。てっきり今も僕の地元にいると思ってたから見つけるのに時間がかかったよ」

「それが最後の願いとどう関係あるんですか?」


「僕はその探偵を殺す。そのためにシンタ君に魔法をかけてほしいんだ」

「―――駄目です。絶対にそれは駄目です」


「死ぬ前の最後の願いなんだ。ヒカルちゃん頼むよ」


 洋平はゆっくりと手を動かす。おそらくヒカルの肩に手を置こうとしたのだろう。

 ヒカルはその手を握りしめて訴えた。


「あの悪魔と同じことをするんですか。その手を汚すつもりですか?」

「【探偵斬り】が活動し始めた時点で、僕の手はとっくに汚れてるよ」


「それでも私は許しません」

「君が止めても彼はどうかな?」


 そう言って洋平は我のほうを見た。


「シンタ。貴方はまさか洋平さんの復讐を容認しないし、魔法を使ったりしないわね?」

「現代日本において私刑は認められていない。しかし、犯罪者として後ろ指をさされ、十字架を背負って一生を過ごす覚悟があるのなら、我は復讐するのも構わないと思っている」


 かつての我も母親を殺した報復として兄を殺し、王の座に就いた。あれは復讐である。そんな我が洋平の行動を否定することはできなかった。もちろん、日本と前世の世界では法律も倫理も違う、と言われてしまえばその通りだが、それでも我は洋平を止めるつもりはなかった。


「洋平さんにはその一生がないのよ。死に直面して自暴自棄になってるのよ」

「自暴自棄とはヒカルちゃんはひどいなぁ」


 これ以上時間を伸ばして洋平の残された時間を削ることはできない。我は立ち上がり、魔法を使うために洋平に近づこうとする。

 しかし、我の前に洋平へと近づけさせないようにヒカルが立ちふさがった。

 手には鉄パイプを持っている。鉄パイプを両手で握り、剣道をするかのように構えている。

 

「―――我に勝てるとでも?」

「絶対に洋平さんには近づけさせない」


 ヒカルは人を傷つけたことがない。人に凶器を向けたこともないのだろう。その証拠にヒカルの持つ鉄パイプの先端は小刻みに震え、我から見るとそれは折れそうな木の枝に見えた。

 これでは我どころか子鳥、一匹殴れやしない。

 我は指を鳴らして魔法を発動させる。

 ヒカルの意識を奪わず、四肢の自由だけを奪う魔法だ。魔法に耐性のないヒカルは簡単にかかり、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 手から離れた鉄パイプが転がっていく。


「大人しくしていろ」


 声をあげるヒカルを無視して我は洋平の隣に立った。洋平の顔色は悪く、ヒューヒューと枯れた音が喉を鳴らしている。

 息をするのも辛そうだ。

 気が散るのでヒカルの口も魔法でふさいでおく。

 洋平の肩に手をのせて我は魔法を発動させる。命を削り、人間の身体能力を極限まで上げる魔法。前世でも一度も使用しなかった魔法だ。

 魔法使いの身体能力をあげても大したことはない。だから、これは仲間の戦士などに使う魔法である。

 この魔法は人の命を削る。それはつまり人を殺す魔法である。我には使い道もなかった魔法だが、役に立つこともあるものだ。

 魔法の発動と共に洋平の全身を暖かい光が包み込む。それとともに洋平の顔色もよくなり、眼に生気が戻ってくる。


「シンタ君。ありがとう」

「命を奪って感謝されたのは初めてだ」


 魔法の効力が発揮し、洋平は立ち上がった。準備体操をして体に異常がないか確認する。

 先ほどまで死にそうだったのが嘘のようで今の洋平は軽快な動きを見せていた。


「これは凄いな。たぶん今なら世界新記録を狙えるかもしれない」


 と、洋平は冗談を言う。


「思ったよりも消耗が早い。おそらく一日も持たないだろう。魂を削られた人間は最後は灰になって死ぬ。生きた証も残せないぞ」

「火葬をする手間が省けるね」


 洋平は笑った。

 最後に感謝の言葉を述べ、洋平は歩き出した。これから妹の敵(かたき)を殺しに行くのだ。その足もとに迷いはなかった。


「洋平さん!」


 ヒカルは洋平の背中に大声で呼びかけた。いつの間にヒカルにかけていた魔法が解けていたらしい。

 洋平はその場で足を止めたが、後ろを振り返りはしなかった。


「私は貴方のことが好きです! だから……だから、行かないでください! ずっと最後まで傍にいてください!」


 ヒカルの告白を背中で受けた洋平はしばらく動けなくなった。


「僕もヒカルちゃんのことを妹みたいに思っていて、ずっと好きだったよ。……ごめんね」


 そう言い残し、洋平は歩き出した。

 最後まで洋平は振り返ることはなかった。背中しか見せなかったので、洋平がどんな顔をしたのか、我にはわからない。

 洋平はきっと振り返りたくなかったのだろう。

 振り返るとヒカルの顔を見てしまう。ヒカルの顔を見ると迷ってしまう。迷ってしまうと敵を取れなくなる。

 それだけは避けたかったのだ。



 告白を最後にヒカルはもう何も言わなかった。

 ただ洋平の背中を、憧れていた男の背中を見えなくなるまでずっと見ていた。


 



































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