第40話 野間洋平の苦悩。
野間洋平の生きてきた世界は暴力や理不尽とは無縁の世界だった。普通に成長し、普通に大学生活を送り、普通に就職をした。
洋平の就職活動の時期は景気が良く、新卒採用の枠も多かったので洋平はスムーズに内定をもらい、無事に就職することができた。
一人暮らしをするにあたり親に毎月、仕送りを送ることも忘れなかった。これまで育ててもらった両親への恩返しをこれから行える。そう思っていた矢先のことだった。
実家に住む高校生の妹がストーカーに悩まされていることを知る。洋平がそのことを知ったのはもう警察に相談し、ストーカーに通告された後だった。新生活で忙しい洋平のことを気遣って、事後報告となったそうだ。
警察の介入のおかげでストーカーは大人しくなり、家族は安心していた。しかし、念のために卒業式まで妹は洋平の元で暮らすことになった。
久しぶりの妹との生活は慣れない一人暮らしで疲れていた洋平を癒してくれた。不謹慎ながら短い期間とはいえ久しぶりに妹と暮らすことができるのは洋平にとって嬉しいことでもあった。
野間洋平は幸せだった。
家に帰り、妹が殺された姿を見るまでは。
犯人はすぐに見つかったが、逮捕の直前に自殺。犯人は家族がおらず、頼るべき親戚もいなかった。部屋の遺品から電車で見かけた洋平の妹に一目ぼれし、ストーカーになったそうだ。きっかけも何もない、理不尽な事実しか残らなかった。
殺害に至った動機は不明。
推測はいくらでもできるが、本人が死んだ以上、追求することはできない。
そして、そこから不幸が続く。洋平の母親が妹の死をきっかけにうつ病になり、自殺。それを追うように父親も病気で死んでいった。
こうして野間洋平は一人になった。
犯人は自殺。憎しみをぶつける相手もおらず、行き場のない怒りが洋平を蝕んでいく。
そんな中で洋平は警察の人との会話を思い出す。
犯人はどうして被害者の居場所を見つけたのだろうか。
それは会話というより独り言に近かった。事件の捜査をしていた警察官がぽつりとつぶやいたのだ。
たしかにそれは不思議なことだった。洋平が一人暮らしをしていることは近所の人も知っているが、住んでいる場所は誰にも教えていない。それに実家から数百キロは離れている場所だ。だから安心して妹と暮らすことになったのだ。
ストーカーがどうして妹の居場所を知ったのか。
洋平はそれを調べることにした。ストーカーにそんな知恵や伝手がないことはわかっていた。調べているうちに洋平は探偵の存在に気づく。ストーカーは妹を探すうえで探偵に接触していた可能性が高い。
そこからの洋平の行動は早かった。働き続け、ようやく慣れてきた仕事も辞め、友人の伝手を頼りに『かりの探偵事務所』の探偵として働くことにした。
探偵を探すのなら探偵になれ、と冗談交じりに友人に言われたからだ。酒の入った場での冗談のつもりだったのだろう。しかし、それを洋平は本気にし、実行した。
調べているうちに探偵と呼ばれる職業に汚い人間が多いか、思い知らされる。洋平も小さい頃は推理小説をよく読み、颯爽と事件を解決する探偵に憧れたこともあった。しかし、現実は違う。金のためにDV男に元嫁の居場所を教えたり、秘密を暴いて脅迫したりと色々だ。殺人のような目につく犯罪ではなく、ちまちまと警察に被害届を出されない程度の犯罪を犯す子悪党のような探偵が山ほどいた。
探偵を調べるにつれて探偵という職業に幻滅するのに、そう時間はかからなかった。
妹の居場所を教えた探偵を調べる過程で得た、犯罪を行う探偵をピックアップし、洋平はファイルにした。
それがヒカルの見たファイルだった。
***
「そんなある日、野間洋平はひょんなことからこのペンダントを手に入れた」
【探偵斬り】は見せびらかすように拘束されたヒカルにペンダントを見せた。光源は穴の開いた屋根から降り注ぐ月の光しかないにもかかわらず、ペンダントのガラス玉は綺麗な光を発していた。
「そのペンダントが何なのよ」
弱いところを見せるわけにはいかないヒカルは気丈に【探偵斬り】を睨む。
「このペンダントには魔法が込められているんだ」
『魔法』。予想していたが驚くべきことだった。ヒカルは感情を顔には出さず、眉を顰めるに抑えた。
「このペンダントは持っている人間の心の闇を徐々に広げていくんだ。そうすることで所有者は感情や欲望に忠実になる」
「どうしてそんな物が洋平さんの元に」
「それはオレも知らないな。偶然手に入れたのか。それとも意図的なものなのか。別にそんなことはどうでもいい。それよりも本来、このペンダントの所有者は大抵、欲望のまま犯罪を犯して終わり、になるんだ。刑務所ではペンダントが処分されるか、離れた場所に保管されるからな。ペンダントと所有者の距離が離れてしまえばそれで終わり」
「それならそのペンダントを取れば洋平さんは元に戻るのね?」
「ところが、話はそこで終わらないわけよ。このペンダントは所有している時間が長ければ長いほど心の闇を広げ、喰らっていく。野間洋平は自制心が普通の人より一段と強かったんだろうな。犯罪を犯すことなく、ペンダントを持ち続けていた。いや、持ち続け過ぎた」
椅子の背もたれが前になるように座りなおし、【探偵斬り】は馬のおもちゃに乗るように揺れる。まるで子供のようで気持ち悪い動きだ。
「その結果、その心の闇を喰らい、養分にして異世界から、あ~なんて言えばいいんだろ。お前らの世界で言う『悪魔』を呼び寄せてしまったわけだ。それがオレ、だ」
「悪魔?」
「そう、今は【探偵斬り】と呼んでくれ。オレとしても気に入ってる呼び名だからな。最初は力も弱くて野間洋平の睡眠中に少し身体を奪うだけだったんだが、洋平の心の闇が広がるにつれて、徐々に活動時間が延び、とうとう今日、完全に野間洋平の身体を乗っ取ることに成功した、というわけだ」
「洋平さんに身体を返しなさい」
ヒカルの命令を【探偵斬り】は鼻で笑った。
「ムリムリ。返すわけないよ。ここまで来るのにどれくらい大変だったか、ヒカルちゃんにわかる? 褒めてほしいくらいだよ。色々とトラブルもあって計画も狂うし最悪。中でもヒカルちゃんの登場は誤算だったな」
「……洋平さんの身体を使って通り魔なんて最低ね」
「その最低なことをするのが悪魔の本分であり、生きがいなんだけどね。ヒカルちゃんは―――」
「私のことを、その口でヒカルと呼ばないでもらえる?」
【探偵斬り】の言葉を遮るようにヒカルは強い口調で言った。拘束されて手も足も出ない状況にもかかわらず、ヒカルはその気丈さを失わず、【探偵斬り】を睨んだ。
「おっと、ごめん。ヒカルちゃん」
「……」
【探偵斬り】はあくまでもヒカルの呼び方を変えるつもりはないらしい。ヒカルの反応を見るが楽しいのだろう。ニヤニヤとヒカルを観察している。
「ヒカルちゃんは勘違いしてるみたいだけど、オレが野間洋平の身体を完全に乗っ取るまでは洋平が身体の所有者なんだよ。つまり、オレは洋平の嫌なことをすることができないんだ。ヒカルちゃんは賢いんだからこれの意味、わかるよね?」
「通り魔行為は洋平さん自身が望んでいた、と?」
「せいか~い」【探偵斬り】はチンパンジーの様に両手を伸ばして拍手する。
「オレは洋平が望んだから探偵を斬ったんだ。願い事を叶えたんだからむしろ天使と呼んでほしいくらいだね」
「けど、洋平さんは心の底では【探偵斬り】なんて望んでいなかったはず」
「―――ヒカルちゃんに野間洋平の何がわかるのさ」
【探偵斬り】の言葉にヒカルは息が詰まり、何も言えなくなる。
「他人が考えていることなんてわかるはずがないじゃない。野間洋平は妹の敵である探偵を探していた。そして、そのうちに探偵全てが憎しみの対象になっていた。肉親を殺されたも同然なんだから仕方ないよ。赤の他人のヒカルちゃんにはそんな気持ち、わからないよね」
「……」
「ま、オレもわからないんだけどね。ただ、朝起きて身に覚えのない血で汚れたナイフを見て、驚いている洋平を見るのは楽しかったな。ニュースで被害者の探偵を見て、戸惑っている姿なんて最高だったよ」
心の底から面白そうに笑いながら【探偵斬り】は語っていく。
「通り魔の犯人を自分の手で探そうとしてたこともあったっけ。自分の犯した犯罪を調べる探偵なんて推理小説でもなかなかないんじゃないかな」
「貴方の望みは何? 洋平さんの身体を乗っ取ること?」
これ以上洋平を馬鹿にする話は聞くに堪えないヒカルは話題を変えることにした。
「望みか。特にないけどせっかくこの世界に顕現したんだから一暴れしたいよね。オレはこう見えても悪魔の中でも上位のほうで魔法も自由自在に使えるんだ。通り魔の時も魔法のおかげで目撃者もいなかったんだから」
シンタの記憶操作の魔法を思い出す。記憶を弄られた人はその時の記憶について深く追及されると怒りっぽくなったりする。ヒカルが直接話を聞きに行った探偵もその兆候があった。たとえ顔を見られたとしても記憶を操作すればバレることもない。場合によっては人避けの魔法なども使ったのだろう。
「この世界の人間は魔法もろくに使えない奴ばっかり。オレのやりたい放題というわけよ。だからこそ昨日は驚いたね。まさか、魔法を使える人間がいるとは。しかも、ただの子供が、だよ。腕も折られたし痛かったよ。治すのも一苦労だったんだから」
椅子から立ち上がった【探偵斬り】は近づいてきてヒカルを見下ろす。抵抗の意志も込めてヒカルは決して見上げたりはしなかった。
だが、【探偵斬り】に無理やり頬を掴まれて顔をあげさせられた。
「あのガキは何者だ?」
「教えてどうなるの? 昨日みたいにまた逃げるつもり?」
「まさか」
【探偵斬り】は鼻で笑って一蹴する。
「昨日のオレは洋平の身体を完全に乗っ取っていなかったから強力な魔法が使えなかった。だが、今は違う。身体を掌握し、魔法も自由自在。十全の完全な状態だ。こんな世界の魔法使い程度、一瞬で消し飛ばせるさ」
「それならなぜ彼のことを聞く?」
「オレを傷つけたからだ。オレの右腕を潰した代償は高くつくぞ。あのガキの大切にしている物を全て潰してそのうえで絶望した奴を殺す。人の絶望した顔がオレの大好物なんだ」
狂っている。ヒカルは思った。いや、悪魔という種族の中ではこの発想が当たり前なのかもしれない。
それにしても【探偵斬り】は悪魔の中でも上位種だと言った。シンタの話ではエルフやドワーフという種族の話は聞いたことがあるが、悪魔の話はほとんどなかった。だから、シンタとどちらが強いか判断することができない。
だが、昨日の戦いぶりを見ても余裕そうな【探偵斬り】の様子を見て、シンタの情報を渡すわけにはいかない、とヒカルは誓う。
恩人である今日子さんが狙われる可能性が高いうえ、どこまで被害が及ぶか想像もつかないからだ。
ヒカルはとっさにシンタのくれたブレスレットを見た。これに祈れば昨日の様にシンタがここに現れるはずだ。
そう思って祈る、がブレスレットは光を放つこともシンタが現れることもなかった。
「どうして?」
「オレが魔法道具を放っておくと思うか? それを確認したが昨日の時点で魔力残量がゼロ。使い果たして中身は空っぽで効力はないただのガラクタだ。助けは来ないぞ」
「そんな……」
「そうだよ。その顔が見たかったんだ」
ヒカルの絶望する顔を見て、【探偵斬り】は舌なめずりをする。
「おまけにここはQ市から遠く離れた場所だ。ヒカルちゃんがいなくなってから捜索願が出たとして警察が探し始めてもここにたどり着くまでに最低でも一週間はかかる。それくらいの時間があればオレもヒカルちゃん遊ぶのに飽きる頃だろうなぁ」
会話の中から垣間見える残虐性。【探偵斬り】の言う、遊ぶの意味がヒカルにはよくわかった。
シンタの情報を聞き出すことは二の次で【探偵斬り】にとっては遊ぶことが本題だ。遊びの過程でヒカルが泣き叫んでシンタのことを話すことを期待しているのだ。その証拠に【探偵斬り】はシンタのことを一回しか聞いていない。シンタのことなど眼中になく、今は目の前のおもちゃで遊ぶことしか考えていない。
【探偵斬り】にとっては遊びでもヒカルにとっては楽しいことではない。ヒカルが大声を叫んでも問題はない、というのは【探偵斬り】がヒカルの悲鳴を思う存分聞くことができる、ということでもある。
ヒカルの口が塞がれていない理由がここでわかる。
「……」
「どうしたの? 恐怖に震えて声も出せなくなった?」
「一つだけ聞きたいことがあるの」
「命乞いを予想していたんだけど、違うのか。ちょっと残念。聞きたいことって何? 一つと言わず、三つ四つでもいいよ。時間はいくらでもあるんだから」
「今の時間は何時?」
想像もしていない問いに虚を突かれた【探偵斬り】は動きが止まる。ヒカルの眼を見るが冗談ではなくヒカルが本気で今の時間を聞いていることが分かる。それゆえ、【探偵斬り】は戸惑っていた。
「今はねぇ」【探偵斬り】は腕時計を見る。「夜の十一時だよ」
「いい子は寝ている時間ね」
「そうだね。それならヒカルちゃんは悪い子だから罰を与えないといけないね」
「ふふっ」
「何がおかしいのかな?」
「一緒に晩御飯を作る予定だったのに、今日子さんとの約束を破っちゃった」
「約束? これから約束をすることさえできなくなるのだから、気にしなくていいよ」
「それはどうかしら?」
先ほどまでのヒカルは恐怖を顔に見せないように下唇を噛んで、耐えていた。そんな姿が【探偵斬り】の好みだった。そんな努力から一変して絶望する顔を見るのが【探偵斬り】の楽しみだ。
それなのに今のヒカルは何か希望を見据えている。それが【探偵斬り】には気に喰わなかった。
その自信ありげな顔を再び崩すために【探偵斬り】は腕を振り上げた。
しかし、その手は止まる。
魔法の使用を感知したからだ。
「なんだこれは?」
広域感知魔法。魔法詠唱も必要としない魔力の単純運用による魔法。これは科学技術のソナーに似ている魔法で利用方法は単純で明確。自身を中心にして魔力を円状に放出するのだ。そうすることで反射して戻ってきた魔力を感知し、周囲に人や魔物がいるのか調べる。シンプルでありながら有用性の高い魔法であり、魔力をまんべんなく円状に広げる技術も必要なので魔法使いの必須技術と言われている魔法だ。
だが、単純ゆえ弱点もある。その弱点は使用すればその索敵範囲に入った魔法使いも察知できるということである。相手の正確な位置を把握するには魔力を綺麗に円状に広げる必要があり、それは逆に相手に自分の居場所を教えることに他ならない。魔力を直接運用するので消費も早く、一般的な索敵範囲は数百メートルだと言われている魔法だ。
広域感知魔法は一般的な魔法で魔法使いであれば知らない人がいないほどの常識的な魔法。【探偵斬り】も当然、知識として知っている。使うことができる。
しかし、【探偵斬り】は戸惑っていた。【探偵斬り】は広域感知魔法の索敵に引っかかったことを認識できた。だが、【探偵斬り】はその魔法の使用者の居場所がわからなかったからだ。
こんなことは今まで一度も経験したことがないことだ。
あり得る可能性は使用者が【探偵斬り】の把握できる範囲から遠く離れた場所にいる場合である。数十キロ。下手をすれば数百キロ向こうからこちらを見ている人間がいる。しかし、そんなことはありえない。あり得てはいけない。
「遠く離れた場所から魔力で感知? まず魔力が足りるわけがない。それにこんな広範囲にまんべんなく魔力を放つなんて技術的な問題もある。それにこんな広範囲を把握できるのか? 人間の脳では処理しきれないはずだ」
【探偵斬り】は否定する。しかし、魔法の発動を感知したという事実は変わらない。
誰かがこちらを覗いているのだ。魔法に対して絶対的な自信を持つ悪魔を超えた力量を備えた者に見つかった。それは【探偵斬り】にとって何物でもない恐怖だった。
ヒカルは魔法を使えないので広域感知魔法を察知できない。だが、混乱している【探偵斬り】を見てヒカルは何が起きているのかわからないが誰が動き出したのか、理解した。
そんなヒカルの様子を見て【探偵斬り】はある魔法使いの心当たりを思いついた。
ヒカルの胸倉をつかみ、【探偵斬り】は怒鳴る。
「これはあのガキの仕業か? あのガキは一体何者だ?」
「私も知らないわよ。ただ一つ言えるのは彼は母親との約束が破られて、とても怒っている、ということね」
「何を言ってるんだ?」
その問いにヒカルが答える時間はなかった。光り輝くと同時に何もない空間から生えてくるように重厚な扉が二人の目の前に現れたからだ。ヒカルは一度見たことがある彼の移動用魔法。
魔法の扉はゆっくりと開き、その小さなシルエットが露わになる。
「ヒカル。母上の約束を破るとはいい度胸をしているな」
ヒカルの予想通り、逢坂心太はとても怒っていた。
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