第39話 【探偵斬り】

 洋平に頼まれた仕事が片付いたヒカルは給湯室でお湯を沸かしてお茶の準備をしていた。待ち時間も鼻歌を唄い、ヒカルが上機嫌なのは洋平から見てもすぐにわかった。

 洋平が【探偵斬り】だと思ったヒカルにしてみればずっと悩んでいたことが解決したのだ。洋平ではない、という事実が一番であり、【探偵斬り】の正体についてはもはやどうでもよかった。

 洋平が【探偵斬り】に狙われるような犯罪を犯した探偵でないのだから、ヒカルは自分からこれ以上積極的に【探偵斬り】に関わることはない。

 

「テレビをつけるね」


 洋平はリモコンのボタンを押し、テレビの電源を入れた。ちょうどニュースの時間で、正装をしたキャスターがテレビ画面に映っていた。

 ニュースの話題はちょうど変わり、昨日起きた通り魔の事件の話題になった。


「昨日の深夜にQ市内で通り魔事件が発生しました。被害者はナイフで斬られたものの軽傷で命に別状はないそうです~~~」


 目撃者であるヒカルの知っている情報をキャスターが話していく。みんなの知らない情報を自分だけが知っている。そんなささやかな優越感がヒカルの気分を高揚させる。

 通り魔の目撃者であるヒカルは警察に連絡することはできない。もしそんなことをすればなぜ、そんな時間にその場にいたのか。そして、通り魔を追いかけて襲われたことも説明しなければならない。となるとシンタの魔法の話もすることになってくる。

 警察が魔法を信じるわけがない。頭のおかしい子として処理されることが目に見えていた。説明できない範囲は嘘をつく、という手も考えたが、人を観察するプロである警察にかかれば一般人のヒカルの嘘くらい簡単に見抜く可能性が高い。こいしたことからシンタと話し合い、昨日のことは二人の秘密にしておくことにしたのだ。


「三月までにあった通り魔事件と同一犯と警察が断定した根拠は何なのでしょうか?」

 テレビ画面でキャスターやコメンテーターが会話している。

「前の通り魔は一か月以内に時間も置かず、三件続けて発生しました。しかし、今回の犯行は最後から一ヶ月以上経っています。同一犯とは限らないのではないでしょうか?」


「警察からの新しい情報でこの通り魔の被害者に共通点があることが発表されたからです」

「共通点。それを警察は今まで隠していたのですか? それもそれで問題ですね」

「市民の混乱を避けるため、というのが警察の言い分です」

「被害者は一般的に探偵と呼ばれる職業であり、通り魔は探偵を狙って犯行に及んでいるそうです。通称【探偵斬り】。警察内ではそう呼ばれています」


 【探偵斬り】のニュースを洋平は顔色一つ変えず淡々と見ていた。そんな洋平の姿を見てヒカルは確信する。洋平は【探偵斬り】とは関係ない、と。

 Q市内という身近な事件だがテレビ画面を通すことで自分の世界とは別世界の話だと錯覚する。不思議な現象だが、それがヒカルにはとてもありがたかった。

 洋平が関係ない以上、ヒカルにとっても無関係な話で遠い世界の話だ。

 ニュースが別の話題に移ったタイミングでヒカルは声をかけた。


「お茶を飲みますか?」

「お願いするよ」


 洋平は夏であろうと冬であろうと熱い緑茶を飲みたがる。洋平愛用の湯呑みを用意してヒカルはアツアツのお茶を渡す。


「ありがとう。ヒカルちゃん」

「仕事ですから。感謝するならお給料を上げてください」


「考えておくよ」


 と、洋平は苦笑いする。

 この感覚は久しぶりだった。洋平は最近忙しく、ヒカルも【探偵斬り】のことで悩んでいたので落ちついて話をする機会がなかった。

 こんな時間は滅多にないのでヒカルはこの機を逃さず話をするつもりだった。


「最近忙しかったみたいですけど、今日は大丈夫なんですか?」

「うん。ずっと追っていた仕事がひと段落したところなんだ。これから忙しくなるから今日は休憩」


「よかったですね」

「これもヒカルちゃんが手伝ってくれたおかげだよ。一時はどうなるかと思ったけど、思ったとおりに事が進んでよかった」




「【探偵斬り】って怖いですね。洋平さんも狙われるんじゃないですか? 用心しといた方がいいですよ」

「大丈夫だよ。僕は」


「根拠もないのにはっきりと断言しますね」

「根拠はあるよ。【探偵斬り】は犯罪を犯した探偵しか狙わないからね」


「……そうなんですか」


 ニュースではまだ被害者が探偵であることしか報道されておらず、犯罪行為に手を汚した事実は隠されている。

 洋平の持つ机の中のファイルには被害者の犯罪のことが書かれているが、そのことをヒカルが知っているのは内緒で見たからだ。

 だから、洋平がその事実をヒカルに教えることが不思議だった。それに【探偵斬り】のことを知っているような口ぶりに違和感を覚えた。

 

「被害者男性のことは事前に調べたから、知っていたんだ」

「……どうして調べたんですか?」


「妹の居場所を犯人に教えた探偵を見つけ出すためだよ。犯罪に用いられる情報を伝えた探偵だから元々お金次第で何でもする犯罪者だと想像していた。やっぱり想像通りのクズだったよ」


 洋平は胸のペンダントを撫でている。ヒカルが見たことのない仕草だ。そもそもペンダントを着けている姿さえ見るのは初めてだった。服の中に隠れていたのだろうか。

 透明なガラス玉のようで中身はキラキラしていてとても綺麗なペンダントだ。それはヒカルが身に着けている物とよく似ていた。

 

「洋平さんのペンダント。私のブレスレットと似ていますね」


 そう言ってヒカルは左腕のブレスレットを洋平に見えるようにする。シンタからもらった物でビー玉でできている、というのは内緒だ。


「あれ?」


 ここでヒカルはブレスレットの中身の光がなくなっていることに気づいた。そういえば宝石やガラスに魔法を込める手法は基本、使い捨てだとシンタは言っていた。昨日、【探偵斬り】に襲われた時に魔法が発動したので魔法がなくなり、空っぽになったのだ。

 魔法によって作り出された星のような輝きが消え失せてもシンタが磨いたガラス玉は綺麗なままだった。


「……」

「どうかしたの? 顔色が悪いよ」


 洋平の心配する声を受け、ヒカルは思わず一歩後ずさってしまう。

 とある可能性が浮かび、ヒカルの思考は動き出し、想像してしまう。

 昨日、シンタは【探偵斬り】の右腕を折った。だから、今日洋平の腕を調べて異常がなかったので、洋平は【探偵斬り】ではない、と確定した。

 理由は簡単。普通の人間は腕が折れて一日で直ることがないからだ。

 しかし、普通の人間ではないとすればどうだろう。【探偵斬り】は普通の人間ではない。

 たとえばシンタのように魔法が使えたとすれば、骨折を直して、次の日にケロッとした顔をしてこの場に現れてもおかしくはない。

 それにシンタも言っていた。この世界にも魔法使いは存在する。我は特別ではないのだ、と。


「用事を思い出したのでそろそろ帰ります」


 洋平の返事を待つことなく、ヒカルは帰り支度をはじめ、かりの探偵事務所を出て行こうとする。

 しかし、ドアノブを掴もうとする手前で洋平がヒカルの手首を固定する。


「洋平さん。放してもらえますか?」

「ヒカルちゃん。君は賢いね」


 ヒカルのお願いに応えることもなく、洋平はヒカルのことを冷めた眼で見ている。洋平のこんな顔をヒカルは一度も見たことがない。

 まるで別人のような恐ろしい顔をしていた。


「そんなヒカルちゃんに質問だ」


 洋平の左手が伸び、ヒカルの口を塞ぐ。叫ぼうとしたヒカルの先手をうった形だ。

 口と右手を掴まれているだけなのにヒカルはまるで全身を磔にされたような感覚に陥り、抵抗することができない。

 抵抗の意志さえ示すことはできなかった。


「―――あの魔法を使うクソガキは何者だ?」


 ヒカルの眼を覗き込むようにする近づく、洋平の眼が赤く濁っていた。

 それは人間の眼ではなかった。



***



 ヒカルが目を覚ましたのは金属音がきっかけだった。鉄パイプで鉄骨を叩いたような聞いたことのない嫌な音で起きる。

 目を開けると見覚えのない風景が見える。廃工場の中らしく、使われなくなって長い時間が経ったようで金属はさび付いていて茶色に変色しているところが多々見える。工場を支える柱もボロボロで触れば崩れそうで強度に不安がある。立ち入り禁止の看板がありそうな場所だ、とヒカルは思った。

 ヒカルの記憶が正しければ洋平に捕まり意識を失ったのが最後だ。ここに連れてきたのは洋平である、と考えるのが妥当だろう。

 逃げられないようにヒカルの両手首は鎖によって鉄柱に固定されていた。この鉄柱だけは他とは違い、頑丈で、音を出さないように身じろぎしてみたが人の力では外れそうにない。

 両手首を中途半端な高さで拘束されているので、地面に膝をついて立った状態が一番落ち着くことができる。

 口はふさがれていない。しかし、大声で叫んでも無駄だろう。周囲に人の気配はなく、声を出すと誘拐犯である洋平がすぐにやってくる。

 幸いにも首は自由に動くので周囲を見渡すことはできた。当然ながら廃工場の中はヒカル以外誰もいない。だだっ広い空間の真ん中にヒカルだけが拘束されている。その状況がよりヒカルに孤独感を与える。

 空を見上げると穴だらけの屋根から夜空を見ることができた。星がはっきりと見える時間だということが分かる。

 何時間眠ったのだろうか。確認したいが腕時計は着けていないし、カバンの中に入れていたスマホも今は持っていない。

 

「……」


 これからどうするべきか。悩んでいると工場の扉から物音がしたので、ヒカルはすぐに目を閉じて、気絶したふりをする。

 今は何をするにしても時間が必要であり、時間稼ぎをするためだ。

 目を閉じたまま耳だけに神経をとがらせ、周囲の様子を窺う。

 工場の扉が開き、足音がゆっくりとヒカルの元に近づいてくる。ジャリジャリと足をするような不気味な音が大きくなる。恐怖に怯えながらもヒカルは一生懸命気絶したふりをつづけた。

 ヒカルのすぐ手前で足音は止まった。

 そして、腹に衝撃がくる。


「ぐはっ」


 両手をあげさせられ、無防備になった腹を蹴られたのだと気づくのに数秒の時間が必要だった。

 ヒカルの髪が掴まれ、無理やり洋平の顔が至近距離まで近づく。

 思わずヒカルは目を背けた。今までのヒカルであれば恥じらいで背けていたのだが、今のは違う。嫌悪による抵抗だ。


「狸寝入りなんてするなよ。オレには無駄だぞ」

「……」


「返事はなし、か。別にいいんだけどな」

 と言って洋平はパイプ椅子に座った。


 先ほどまではなかったものなのでどこからか持ってきたのだろう。洋平がいなかったのはこれを持ってくるためなのかもしれない。

 その事実にヒカルの恐怖心が一層増した。椅子を持ってくるということは長時間かかる、という意味である。何が起こるか、想像できないが、ヒカルにとっていいことでないことはたしかだ。

 洋平の手にはいつの間にか鉄パイプがあった。


「まずは目覚めてすぐに大声で助けを呼ばなかったことを褒めよう。理由を聞いてもいいか?」

「……」


 洋平は鉄パイプを床に当ててコンコンと音を鳴らす。脅しているのだ。次は蹴りで済まないぞ、と告げている。

 ヒカルはできる限り平常心を心がけて声が震えないように意識して話す。


「口を塞いでいない時点でここが人気のない大声で叫んでも誰も来ない場所だと思ったわ。そうなれば声を出すのは貴方に私が起きたと知らせるだけでしかない」

「へー。思ったより冷静だな。ヒステリックに叫ばれたらコイツで二、三発殴るつもりだったんだけど、持ってきて損した」


 そう言って洋平は鉄パイプを投げ捨てた。まるで中学生の子供のような行動にヒカルは眉を顰める。大人の容姿にアンバランスな子供のような感情むき出しな動き。そのギャップに気持ち悪さを感じたからだ。


「貴方は誰?」

「誰? オレは野間洋平。雇用主を忘れるとは問題だよ、嶋野ヒカルちゃん。」


「違うわ。貴方は洋平さんじゃない。洋平さんの顔で下品な表情を浮かべないでくれる?」

「……凄いな、君。ますます興味深いよ」


 洋平の姿をした男はパイプ椅子にもたれて体をゆする。古いパイプ椅子はギシギシと今にも壊れそうな不協和音を奏でた。


「あのガキのことを聞こうと思ったけど別にいいや。まずはヒカルちゃんの疑問に答えてあげることにするよ。俺は【探偵斬り】だ」

「本当の洋平さんはどこにいるの?」


「ここにいる」と、【探偵斬り】は自分の胸を指さす。

「今は理解できなくてもいい。後で嫌というほど知ることになるし、それに―――」


 【探偵斬り】は口角を吊り上げ、ニタリと笑う。


「時間はいくらでもあるんだから」







 







 







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